殺人試験(中)
***
「ふむ。まあここまでは及第点さね」
夜街のスラム、その最も高い場所にたたずみ影が二つ。
ハーサと、そのハーサに抱えられてとんでもないところにまで連れられてきてしまったリナであった。
「はわわわ……高い……。あれ、ハシンちゃん敵の人倒さないのかな?」
「何も考えずに対象を殺すと、報復とかで面倒なことになるのさ。だから背後関係まで隅々調べる。一流の暗殺者は”後まで殺す”のさね」
「へー……」
あまりよくわかっていなさそうなリナに苦笑したハーサは、スラムの家などを使い相手の死角に入りながら、敵を追うハシンを見た。
泳がせるという判断は正解だ。
しかし、この先にあるものはハシン一人では対処不可能なものである。
そうなるように、仕組んだからだ。
「無理を押し通すのか、リスクに気を払い一人だけで済ませるか……はたまた全く別の手段か」
ともあれ、弟子の行動予測は楽しいものだと、ハシンが聞けば心の底から嫌な顔をするであろう事を考えながら、ハシンを見守っていた。
「……うーん、ハーサさんって……不器用なのかなぁ?」
ある意味では核心を突いたリナの小さな一言は、誰の耳にも届かず。
***
相手の死角に入り続けた結果、男は俺を撒いたと勘違いしたらしい。
息を整えるためにいったん停まると、数度深呼吸をした後に、何かの薬品を口に含み、もう一度走り始めた。
「――なるほど」
あの薬、何か特殊なものなのだろう。
体に取り入れたあとの男の走りは、体力不足からのふらつきも一切なく、速度も先ほどまでとは段違いである。
だが、それほどの効果をもたらす薬……何か副作用でもあるはずだが――。
……いや、そもそも、自身の効果を高めるという効力を持つ薬を服用する際に周りを確認しないとは何事か。
女の身体では、さすがに増強した男の脚力には及ばないため、スラムの屋上や家の中を通り道にして、常に近道を行う。
……スラム街は、正確には街とは呼べないものだ。
ただの広い空き地や、下水場所。または廃棄された建物などに人が住み着き、勝手に改装しただけのものである。
かつて中国には最大のスラム街と呼ばれ、違法な増改築の果てに城と呼ばれるようになった九龍城なるものがあったそうだが、それも家の中に家があり、家の中すら通り道であるという意味不明なものだった。
このスラム街はそれほど大きいわけではないが、スラムの性か、そう言った構造は同じであるらしい。
「スラムの中央に向かっているようだが……」
男の歩みは、明らかにスラムの外から来たものの足取りだ。
俺のように上から見ていないために、自身の現在位置がわからず若干道に迷っているのがその証拠だ。
まあ、流石に目印か何かがあるようで、男は曲道などは間違わずに中央へと向かっていた。
「それにしても、この感覚……どこからか見ているな……あいつ」
スッと首の後ろに手を置く。
何か痺れるような、ピリピリした感覚をしばらく前から感じているが……間違いなくハーサだ。
―――む。
そういえば、いつの間にやら視線を鋭敏に感じることができるようになっているな。
単純にみられている感覚というだけではない。
敵意があるか、おおよそどこにいるかなどだ。
まあ、今追っている男程度ならともかく、ハーサはさすがに場所まで察することはできないが。
「む……ついたか」
スラムの中央にある、大量の雑多な街に隠された教会。
ほとんど扉というもののないこのスラム街において、その教会だけは重厚な金属製の扉が設置されていた。
外から見るに、一階奥、おそらく神父などが説法するための台があるところだろう……その壁にステンドグラス。
二階には居住スペースと思われるものがあった。
しかしだ……ここからだとよく見えないな。
「回り込むか」
ステンドグラス側には窓があるようだ。
カーテンが閉まっているか開いているかはともかく、そちらに行ってみることにする。
壁や屋上を伝い、最も窓が見えやすくなる建物へ向かう。
「―――ッ……?」
建物へと到達し、監視をおこなおうとした瞬間に身を翻した。
―――すでに、先客がいたようだ。
「……誰ですか……?」
「…………」
俺はまだ変声術を会得していない。
いくら面をかぶっていても、声を聴かれてばれる可能性だってある以上は、うかつに話すわけにはいかない。
また、直接戦闘して口封じという線もなしだ。
未熟な俺程度を斃すなど、あれなら簡単にやってのけるだろう。
――あの、忍者ならな。
「話さないなら近づきますよ?」
「それは困る。話すからそれ以上こちらに来ないでくれ」
「……なんか、変わった方ですねぇ」
口でこそぼやいているが、その右手は既に小刀を抜き放っている。
左手には手裏剣か。
手裏剣は、毒を塗ることで行動を抑制することもできるし、平たいために数をいくつも持つことができる。
技能にもよるが、あの形状は風の影響を受けずらいため、以外にも命中率が高く、複数の刃は直接当たれば深い傷をつけ、掠っても鋸のように大きな裂傷を作る。
ようは非常に戦い辛い武器なワケだが……あの武器の本当に恐ろしいところは、風を切り裂くために、音が生まれないということだ。
持ち主の技能次第で十メートルほどまで飛ばせるそれは、俺が携帯している針よりも射程距離が長い。
俺に毒は効かないにしても、この距離で戦った場合、切り裂かれて終わりだろう。
「お前はなぜここにいる」
「って、質問するのあなたなんですかっ。まあいいですけどね?」
「……変わったやつだな」
奇しくも俺たちは互いにそんな感想を抱いたのだった。
「なはー。私はその、おばあちゃんの商売敵の敵性調査といいますか……まあ、スパイってやつですよ。あなたは?」
「俺はあの建物内に入っていった男に狙われてな。報復でもしようかと」
正確には狙われていたのは俺ではないが……それでもハーサと一緒にいた俺たちは見られただろう。
俺はともかくとしても、リナはパン屋を営むただの一般人だ。
危険にさらすわけにはいかない以上、ここで仕留めておかなくてはいけない。
「なーんだ、目的一緒なんですね」
そう言うと、忍者は武器を懐に収めてしまった。
「どちらにしても忍者であるなら、商売敵に変わりはないはずだが」
「あら、こちらだと透波とかの方が通るはずなのですが……忍者というのを知っているとはかなり博識なのですね」
「まあな」
「でも、私は忍者ではありますが、魔女のキャラバンの一員なので。暗殺者の方とは商売敵じゃないんですよー」
「――魔女」
ハーサからいるとは聞いていた。
しかし、そう言ったものがキャラバンまでやっているとは流石に知らなかったぞ。
魔女のキャラバンに所属している忍者。
その正体に対して俺は好奇心が出た。
好奇心は猫をも殺すというが……俺に言わせれば何かに好奇の眸を向けないものは人間じゃない。
「”すべてのモノに興味を持て。持って、全てを知り、利用せよ。重要なのは好奇心の使い方だ”……か」
「なんですかそれ?いい言葉ですねぇ」
「言葉そのものには同感だが、これを言ったやつは人間のクズだぞ」
「あは、その人のこと信用してるんですね」
「……誰が。まあいい。面は外せんが、ゆるせ」
姿を隠していた壁から離れ、忍者の前へと現れる。
忍者は、黒い髪の少女だった。
このあたりでは見ない、黄色系の人種。
絹を思わせる艶やかな黒髪と、猫のようにいたずら好きな釣り目を彩る、黒と蒼のオッドアイ。
スレンダーなその身は、忍者の装束に身を包んでいた。
「私の名前は衛利です。あなたは?」
「ハシン。姓は無い」
「なは、ハシンですね?どうぞ、よろしくお願いします!」
そう言って、衛利は、血生臭いはずの忍者という、俺と同じ暗殺家業につくには似つかわしくない、天真爛漫な笑みを浮かべたのだった。