泥濘打破 結
***
「大砲及びバリスタ、投擲用の火薬樽の配備、完了致しました!!」
「そうか!!そうか!!!はははは、これでようやくこの戦も決着だな!!」
義勇軍側作戦室。
決戦前夜となるその日、義勇軍側の隊長は葡萄酒を飲みながらそう笑っていた。
気付けのために、或いは疲労を誤魔化すために酒を呑むことは戦場では間々あることだが、決戦前夜という大事な日に馬鹿みたいに酒精を取り込むことは当然、良い事ではない。
油断―――そういう他ない状況であった。
「………はぁ」
まあ、この弛緩した空気は義勇軍側の陣地全体に広がっているものだ。隊長であるこの男以外にも指揮官に相当する多くの兵士が酒を呑み、既に勝利したとばかりに宴を開いている。
その下で一般兵士は警備にいそしんでいるのだから、どうにも割に合わないと不満が膨らんでいたりもするのだが、まあそれはどうでもいい事か。
欠伸をしつつ、私………コルトは、静かに作戦室を出た。
「作戦室といっても騎兵を防ぐ塹壕と簡易な木の柵、そして天幕のみ………野戦の防御能力の低さは一考の余地がありますね」
そう言いつつ、ビスキュイを口に運ぶ。この戦の副官として色々と動き回り、買い付けなども担当していたがこのビスキュイが最も味がよく、保存が利く。
まったく、実に便利なものだ。栄養もあるのでもしもの場合に備えて何袋か貰い受け、服の内側に押し込んである。
「少しばかり喉は乾きますが」
こればかりは保存食の常だ、仕方ない。
軽い音を立ててビスキュイをかみ砕くと、そっと空を見る。風情を感じるほどに、良い月の灯りが戦場を照らしている。星々も空を覆っており、これから騒乱が起こることなど誰も考えてすらいないに違いない。
「ああ、いや」
一人、居るんだった。この戦場全体に騒乱の種を仕掛けた張本人だけは、全てを把握している。
中央即応集団に配置したにせよ、それ以降彼女がどう動いているのか、私には分からない。今頃、何をしているのか。何を、やらかそうとしているのか。
………まあいい。私は私の目的、生き延びるという事を達成するだけだ。背後から聞こえる浮ついた笑い声に別れを告げると、塹壕の中に身を躍らせた。
時間である―――さあ、戦の始まりだ。
***
「まず、頭から潰す。鉄則だよなぁ?」
「………」
青年傭兵の言葉に頷く。そして、中央即応集団に入り込んだ貴族街の傭兵及び騎士たちが、そっと狼煙を構えた。
青年傭兵が言っていたように、これから俺たちが放つのはまさに花火だ。そもそも花火のルーツは狼煙であるとされ、紀元前三世紀には火薬の原料である硝石が発見されており、利用も行われていたらしい。
勿論現代日本の花火程に、この狼煙は高く飛ばず、明かりも細く、派手さなど欠片もない。だが、位置を知らせるという単純冥かな軍事的利用をするには十分な能力を持っていた。
因みに火薬は義勇軍側の火薬を利用させてもらった。
「三、二、一………今だ!!!」
松明の灯を拝借し、導火線に火を着ける。
打ちあがった炎が尾を引いて星が彩る空の闇に打ちあがった。
「なんだなんだ?」
「おお、綺麗だなぁ」
………阿保か貴様ら。敵襲だ、気が付け。
とは思うものの、まあ専門的に訓練され、統率が行われているものでもなければ夜間に急に己の陣地で花火が打ちあがっただけでは疑問に思うだけで終わるという事だろう。
なにせ、この世界の戦争はまだまだ発展しきっていないのだから。
だから。寝ぼけた彼らが敵の攻撃だという事を理解するのは、それから数瞬遅れたその時になる。
「………何か、音が聞こえ―――」
誰かの疑問が言葉となった瞬間、それはぐちゃりという音で潰れた。
そして、直後に轟音と衝撃波、土の煙と血の匂いが充満する。
「て、敵襲!!!敵襲だ!!!??!」
「どうせ嫌がらせだろ?!ここはまずい、逃げろ逃げろ!!!」
油断しきった横っ面に重い一撃を食らえば、どうしたって混乱するものだ。
その騒乱が収まりきらぬ間に二射目、より精度の上がったカタパルトによる投石攻撃が行われ―――義勇軍側の火薬庫、その全てが吹き飛んだ。
「うげ、すっごい轟音………耳がやられそうになるわ。おい、リックス?大丈夫か?」
心配そうに顔を覗き込んでくる青年傭兵の頭を押しやりつつ、頷く。
さて、陣地全ての構造が把握されていれば、当然こうなる訳だ。貴族街側も備蓄庫の場所が割れていたからこそ、ああして何度も攻撃に晒されていたわけだからな。
貴族街側陣営が備蓄庫を陣地の端に配置したのは適当なハラスメント攻撃で誤って備蓄庫を破壊されないようにするための策だったのだが、義勇軍側は逆に決戦を控え前線近く………即ちカタパルト等の兵器群の射程範囲内に火薬等を配備し、更にその場所が筒抜けになっていたからこそ、このような事態に陥った。
決戦に向かわせ、兵力と物資を最前線近くに集めたのもそもそも情報操作によるものであるため、作戦通りといえばその通りだが。
「さてと、作戦室はっと………」
巻き添えを食わないようにさっさと入り込んだ塹壕から顔を出し、重要標的の一つである作戦室の方を見る。
簡易な小屋のような作戦室は、土台の塹壕を残して見事、巨大な岩石に押しつぶされていた。ひしゃげた頭蓋骨や骨の飛び出した手足が覗き、大部分が即死しているようだが、どうやら生き残りもいるらしい。
………まあ、虫の息であり放っておけば死ぬのだが。
「とどめ、差しとくか。ん、リックス、どうした?」
「………」
「あー、殺しとくから部隊の牽引と混乱工作を進めろって?ま、そうだな。声出せる奴じゃねぇとそういうのは難しいし」
くるくると短槍を回すと、青年傭兵が笑う。
「それじゃ、俺たちはここでお別れだな。たくさん暴れまわれよ、リックス」
「………」
「俺も気を付けろって?ははは、ありがとよ~」
ここからはこの混乱しきった戦場を更にかき乱し、義勇軍を追い立てる狩りの時間となる。だが、今の声を出すことが出来ない俺では混乱を加速させることは難しい。
いや、出来なくはないが効果が薄くなるのだ。故に、そう言ったことは適した人間に行わせるのが吉である。
それに俺は俺で、色々とやらなければならないことも多いからな。人を使うというのは難しいものだ。
「―――じゃあな、生き残れよ」
拳をぶつけ合うと、青年傭兵が去っていく。その背を見送った後、俺は義勇軍の服装を脱ぎ放ち、適当なぼろ布を身に纏った。当然、弱点である奴隷印はしっかりと隠す。
闇に紛れるにはこちらの方がいい。義勇軍の服装を纏っていると間違って攻撃されることもあるからな………さて。
「ぐ………な………なん、だ………なに………が………ぁ、が………」
「………」
ああ、お前だったか。適当にそう思う。
義勇軍隊長。虫の息なのはその男であったらしい。
「―――き、ざ、まぁぁぁぁぁ………!!!!」
俺のことは憶えていたらしい。だが、どうでもいい。
周囲に転がっている武器を幾つか拝借すると、そのうちの一本で義勇軍隊長の首を刈り取る。これで片が付いた。
「ァ………?!!?」
絶命、声にならぬ断末魔。………いや、まさに虫の最後の叫びか。塹壕の奥に転がり落ちる首に一瞬だけ視線を向けると、本題に戻る。
塹壕の奥、ひっそりと作られた、崩れかけの穴。その前に降り立つと、一旦演技を辞める。
「コルト。運がいいな、生き延びたか」
「………死んだほうが幸せだったかもしれませんけどね」
「思ってもいないことをいうモノではない。生き延びたことを後悔する人間が、そのように笑うものか」
「ああ、私………笑ってましたか」
狂気に堕ちているという訳ではない。ただの安堵の微笑みというやつだ。なにせ即死級の一撃である投石攻撃から身を守ったのだから。
―――蛸壺のようなものだ。最も簡易的で、頑丈な塹壕の一種である。ただでさえ硬い踏み固められた塹壕の中に蛸壺を作ったため、投石攻撃でも崩れず、こうしてコルトは生き残った。実に良い選択だったといえるだろう。
「それで、どうしました。わざわざ私に会いに来るなんて」
「今夜中に戦は終わる。戦場を離れ、あの男を連れて街を移動しろ」
「………彼、瀕死ですよ?」
「死んだら死んだで仕方あるまい」
「冷たいですね、あれだけ情熱的に彼を救ったというのに」
「使える駒を確保しただけだ」
肩をすくめたコルトか、蛸壺から出ると明るく溜息をついた。
「仕方ありませんね、いいですよ。それで、お給金の件ですが」
「がめついな。まあいい、そういう手合いは嫌いではない。良い仕事には良い対価が支払われるべきだからな―――次の街に移動し、”根”に接触しろ。指示は鳥に運ばせる」
「分かりました。あと、解毒剤に関してですが………」
「ああ。そういえばそんなことも言っていたな。あれは嘘だ、ただの栄養剤に過ぎん」
「………なるほど、そうでしたか。それを打ち明けて貰ったという事はある程度、信用されたという事ですね?」
大きく頷くと、コルトの目を見て言った。
「お前は全力で生き残ろうと、この世界で足掻こうとした。俺の指示を熟しながらな。人として生きようと思える人間は、信じるに値する。全てを信用することは無いが」
「貴女はそういう人ですよね………分かってますよ。それでは、指示に従います。ご武運を」
「………ああ」
武器を差し出すと、要らないと手を振られた。まあ、無い方が寧ろ良いかもしれないな。
戦の渦中にありつつも、こいつは戦場で生きる人間ではないのだから。
離脱するコルトを見送り、再び演技の仮面をつける。
もう少しだけ、リックスとしての仕事を続けなければな。泥沼の明けを見るために。