泥濘打破 後
***
「そうか!!備蓄庫を焼き払うことに成功したか!!!」
「は!!!新兵も多く、犠牲を払いましたがなんとか………!!」
義勇軍隊長の喜色に溢れる声に頷いたのは、困難な任務をやり遂げた特殊潜入部隊の中隊長。
損害は三割ほど。最も苛烈に戦った古参兵は全員、戻ることは無かったがそれでも敵陣の食料及び武器庫を奪い去ることが出来たというのは、前線で終わらぬ警戒を続ける兵士たちの士気を上げるに十分な戦果であった。
………まあ、それが作られた戦果であるという事実を除けばなのだが。溜息を押し殺し、罅割れた眼鏡をかけた副官―――コルトが隊長に確認作業を行った。
「戻った兵士の配置はどうしますか」
「ほぼ新兵ばかりが残ったにせよ、実戦経験者だ。適当に前線に配置しておけばいいだろう」
「………そうですか」
はい、論外。
指揮官が適当という言葉を使うな、とか。部隊の再編は能力や装備を見てきちんと考えなければ足元を掬われる、とか。色々と喉から出かかったが、それも溜息と共に飲み干して、返すのは了解という言葉だけ。
結局は本来、指揮能力を持つ人間を裏切りという手段で排して成り上がっただけの人材だ。広域に及ぶ戦場指揮を行える実力などないし、頭もない。
ずっとこの男についていくのは死にに行くようなものだろう。死神の側に付いた私も大概だが、それでも元味方である彼らには同情する。
「では人数をある程度ずつに纏め、警備や物資の護衛部隊に回します。中隊長、何か指示があれば今のうちに」
「………指示、という訳ではないのだが。艀による奇襲はもう使えない可能性が高い。今後まだ戦争が続くと仮定した場合に備え、他の奇襲案があれば、それを詰めたいのだが」
「なぁに、敵の物資を焼き払ったのだ。相手の戦線などすぐに瓦解するだろう。そうすればあとは人数で蹂躙するのみだ、奇襲など考える必要はない!!」
「そ、そうですか?」
「当然だとも!!さあ、困難をやり遂げた勇士よ、まだ最後の大仕事が待っている。もう一度力を貸してくれ」
「………は!!」
おや、惜しい。中隊長はまだしっかりしている方だったが、上司が駄目だった。
全くもって人材の無駄遣いという他ないが、まああの人からしてみれば丁度良い事なのだろう。
少女のような見た目で淡々と人を刈り取るあの死神には。
「さて、と」
采配を任された以上、最も効率的な場所に配置するべきだろう。戦線を把握しやすく、情報が手に入り、暴れやすく………そして、事が起こっても私が安全でいられるようにするための場所だ。
前線は良い場所だが、互いの動きで情報や指示系統が混乱しやすい。混戦状態ならば、或いは決戦の最中ならば手段として取れるが、現状の膠着状態では腐りやすく、その癖いざ戦が起きれば利点を生みにくいので却下。
後衛は情報の把握には優れるが、実際に戦うとなると敵陣の中央で敵に囲まれることになるので、物理的に実現不可能。まあ、あの人ならば逃げるくらいならばできるかもしれないが、反逆を疑われても面倒である。
契約のきっかけは兎も角として、報酬自体は貰っているのだから頭を使って仕事をしなければ。
―――そうだな、中央の即応部隊。
ここがいいだろうか。場所としては戦線の中団に位置するものであり、最前線を構成する歩哨たちから得られた報告や、実際に自身の観測によって不測の事態が発生した場合、その対処に向かう巨大な軍団だ。
大抵の場合、大規模攻勢時にその引っ張り出される兵士たちである。部隊構成も様々で、再編された騎馬兵団に重装歩兵、街から召集した貧民部隊に国籍雑多な傭兵部隊すら存在している。
そこに紛れ込めば最早、判別を付けることが出来るものは誰もない。
「………」
静かに指示書を纏め、伝令を行う。戦線の綻びはすぐそこに。
***
「あっちもこっちも戦場の食事はこのビスキュイか………ま、食いなれた味ってやつなんかねぇ」
「………」
隣でぼやく青年傭兵の脇を小突く。付近に兵士はいないにせよ、不要な言葉を発するべきではない。
「いてぇいてぇ。………悪かったって。なんてったって、俺たちの任務は潜入、情報収集からの破壊工作だもんなぁ。相手のやってきたことを丸々返すわけだ―――いや、倍以上にして返す、か?」
声を絞っての言葉に溜息をつきつつ、頷く。まあ俺としてはこの戦争の趨勢がどちらに傾こうと本質的どうでもいいのだが。戦場糧食としてのビスキュイの流布。双方の陣地に大きくこれらが広まり、名が認知された時点で完璧に目的を達成できたことが確認された。
だが、どうせなら勝って終わったほうが何かと効率がいい。折角手に入れた人材を未来で有効活用するためにも、ここで彼らの情報を抹消しておきたいというのもある。
「にしても、本当に数の多い事多い事。即応部隊………中央本隊か。人が余ってるからこそできる芸当だわな」
俺達に与えられた配置変えの指示は、中央即応部隊への合流。成程、何かとこれから起こることを考えればこの位置が一番やりやすい。
艀から侵入し、備蓄庫を焼き払った工作部隊に紛れ込んだ俺たち潜入部隊は、各々が戦線各領域に浸透し、その情報を密やかに自陣へと送っている。つまりは敵陣に紛れ込んだ間諜だ。ハーグ陸戦条約?そんなもの、この世界にはまだ存在していない。よっていくらでも自由に戦える。
スパイが重宝されるのは、軍事活動において精度ある情報が作戦の成功に直結するからだ。事実、今回の襲撃で実際に貴族街側には物資的な意味での損耗はないにも関わらず、義勇軍側には敵の備蓄庫を破壊したため、敵兵は瓦解寸前だという噂が広まっている。部隊内の空気もどこか緊張が失われた状態だ。
青年傭兵の軽口もこういう状況だからこそ許容している。もっと状況が悪いタイミングで不用意な言葉を発するならば早々に殺していた。………まあ、その辺りを認識して話しているのだろうが。
「よぉし、最後の駄目押しに備えて火薬を用意してきたぞ!!!パライアス王国から買い付けた!!」
「お、いいっすねぇ。これならどでかい花火が上がりそうだ」
「………」
花火を見たことあるのか、と思いつつ。義勇軍は既に最終決戦に狙いを定め、そのための攻勢準備を進めている。敵陣には最早戦争継続能力がないと判断したためだ。
………義勇軍の戦略はこうだ。大量の火薬で現状の環境では飾りになりつつある大砲を最大限活用、川岸周辺を吹き飛ばした後に、同時にカタパルトを斉射する。そうして疲弊しきった前線を蹴散らし、即応部隊を含めた攻勢本隊を一斉投入。
ある程度の犠牲を考慮したうえで歩兵集団を敵陣中央まで進攻、それと同時に相手の攻城兵器群を破壊し、強力な騎馬兵を投入して完全に戦線を破壊する。
敗走を確認後、護衛部隊と共に破城槌を運搬し、城門を破壊すればゲームセット。
だが当然、そう巧くことが運ぶはずもない。
火薬庫、カタパルトの弾丸を配置する場所、そして部隊展開。それらすべての情報が流れているのだ―――決戦日すら、含めて。その日が来ることは、永遠にない。
「………ってことだぜ、リックス。義勇軍に対して盛大な花火を上げてやろうじゃねぇか」
獰猛に笑う傭兵の言葉に頷いた。