泥濘打破 序
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「投入した部隊が壊滅?!………ええい、相変わらず守りが固い!!あれは露呈していないんだろうな!!」
「は、問題はないかと。敵兵が接近する前に回収しておきましたので。しかし、雨が止んだことで暫くの間、使用は出来ないかと………」
「分かっている!!糞、奴らの補給さえ立てれば突破口が開けるというのに!!」
義勇軍作戦基地。仮設の基地から随分と物や設備が増え、今や重要な本丸となったその場所で、相変わらず義勇軍の隊長は大声を張り上げていた。
喪われた眼球を黒眼帯で覆った大柄な体調が、その眼帯部分を掻きつつ机の上に腕を叩きつける。
鈍い衝撃音が鳴り響き、それを聞いた副官が遠くで溜息を吐く。
「もう一度、雨が降るのを待つしかあるまいか………しかし、補助人員込みで五十余名を向かわせて誰も戻らんとは何事か!!我が軍の質がここまで劣化しているとは!!」
「………そもそも質の向上に努めていないでしょうに………。こほん、隊長。戦争の基本は物量です。実働部隊の数を最低でも倍に増やすべきかと。それに伴い補助人員とあれに関しても増産の必要があると思われます。雨が降るまでまだ暫くあるでしょう―――時間はあるかと」
「………聞こえたな!!部隊再編を急げ!!!そうだ、材木の購入はどうなっている??」
「滞りなく進んでいます。明日の昼までに隊商が運んでくるかと」
「昼だと?急がせられんのか!!」
「………ええ、普通に無理です」
「チ、使えん奴らめ」
再び、副官の溜息が零れる。
静かなものでその音は隊長には認識されなかったが。副官が退室の礼をして外に出ると、周囲を静かに見渡した。そして、本丸である作戦基地の外周に掘られた堀の中に入って見分を行う。
「これなら大丈夫そうですね。さて―――指示通り、仕事はしましたよ。あとはそちらの仕事です、死神さん」
副官………コルトが呟いた。彼女が見上げた上空には今日も、鳶が舞う。
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「………」
曇り空。遠くからは雨の匂い。
遠方で降り注いだ豪雨が土煙を上げて匂いを運んできたのだろう。それに伴い、川の水も徐々に増しているのが分かった。
都市間の戦争が始まってから早二十日。膨大に膨れ上がった人員は更に互いの陣営の補給線を圧迫し、都市の経済は悲鳴を上げていた。
これほどの軍隊規模は都市での戦争では異常であり、幾重にも張り巡らされた蜘蛛の糸によって肥大したまま停滞した戦線は、双方の都市の戦争継続能力を奪い続けている。
このまま続けばこの戦は双方の陣営が共倒れするだろう。ここ最近、武器はおろか食料供給にも滞りが見られるようになってきているのがその証拠だ。俺たちが作り上げた戦闘糧食であるビスキュイは順調に普及しているが、都市にそれを購入するだけの資金がなくなってきているのである。
売り物を持ってきても売れないのであれば、商人はそれを売るための他の都市へ向かう。限界を迎えつつある都市の状況が、ビスキュイを更に遠方に、加速的に普及させる一因ともなっていた。
「おーいリックスー?そろそろ秘密作戦の時間だぜ、準備しねぇと」
青年傭兵の声が聞こえたため、身を潜めていた塹壕から立ち上がる。尻に着いた泥を払うと、声の方まで歩いて行った。
「やっと雨が近づいてきたなぁ。へへ、お前の提案した作戦がやっと実行されるってよ」
「………」
「作戦内容を詰めたのは作戦基地のお偉いさん方?………ま、確かにな」
俺にとって傭兵は本職ではない。ただの演技の一つでしかないため、ここで名を売ったところで意味はない。故に、この成功の立役者は作戦基地の面々に譲る。俺にとってその名誉は無用の長物だからな。
それよりも、と首を振って木板に文字を描く。
「敵の動きはどうかって?あー。増やした斥候隊が旧備蓄庫周辺で変な事してる奴らを見かけたらしいぜ?んで、またカタパルトとかが配備されてるらしい」
「………」
「敵さん、まだ備蓄庫の中に物資があると思ってんだな。ま、そのために時間をかけて中身を運搬したわけだけどよ」
青年傭兵の言葉に頷く。前回俺たちが防衛した備蓄庫は、既にこちらの陣営にとっては旧備蓄庫という名称に変わっており、その中身に重要物資は何も入っていない状態だ。
間違っても相手側に露呈しないよう備蓄庫底に穴をあけ、そこからトンネルで物資を秘密裏に後方に輸送するという大泥棒の末裔を彷彿とさせる方法を用いたため、相手陣営は未だ備蓄庫を標的として認識しているわけである。
因みにこの備蓄庫の移築は限られた人間にしか知らされておらず、トンネルを掘る際には昼夜問わず知っている人間のみの人力でごり押すという手段が取られていたため、”黒いトンネル”事業と揶揄されていた。まあ実際ブラック企業並みの劣悪な労働だったのは間違いない。暗殺者生活よりはマシかも知れないが。
欠伸をしながら作戦基地の天幕を超えると、騎士団長が俺たちを出迎える。
「おお、来たかお前たち。先ほど斥候より詳細な情報が齎された。今回は相手も本気のようだぞ」
「と、いいますと?」
「確認された敵兵は百三十を超えるそうだ。リックスの思考が正しいと仮定すれば実働部隊は百と数名だろう。まあ、間違いなく旧備蓄庫は破壊される」
「前回の倍以上っすか………でもそれは想定内っすよね、旦那」
「ああ、人数の増加はこちらとしてもありがたい事ではある。だが、その戦力を相手に交戦はしなければならない。そうでなくては次の作戦につなげられないからな―――本来は戦力として優秀な君たち傭兵部隊を防衛隊に配置したいところだが、次の作戦の鍵を握るのも君たちだ。そのため、今回は騎士である我々が命を張ろう」
ほう?こちらの陣営の人的資源不足は深刻だ。百を超える兵を相手に無事撤退できる戦力を騎士の中から用意するのは難しいだろう。
それこそ最も強い者がなる騎士団長クラスならば問題もないだろうが、作戦立案を行う騎士団長が作戦基地を離れるわけにもいかない。そもそも不用意に戦場に出て万が一にも首を取られれば、陣営の敗北である。
そうなると、今回の騎士たちは決死隊な訳だ。死してその役割を果たす者たち………ふん、本来の身分が奴隷である俺としては、明日は我が身になる可能性があるためどうにも気に入らないが、今の俺は軍の下っ端だ。異議を唱えることは出来ん。
そもそもとして軍隊とはそういうモノでもある。死ねと言われたら死ぬのが仕事、という面はあるのだ。どこぞの神風のような作戦と呼べない自殺は別として。
「防衛隊の他、最も重要な潜入隊は騎士と傭兵の混合部隊だ。腕が立ち、頭も回る連中を揃えておいた。君たちも潜入隊に混ざってくれ。活躍を、そしてこの戦局の打破を願っている。………人数が少ないことに関しては申し訳ない」
「いや、いいですって。そもそも潜入隊は人数取れないし。な、リックス?」
頷く。潜入隊に関しては求められているのは量よりも質である。武力よりも頭が回る人間の方が有難い。また、年齢層もばらばらであれば尚のこと良い。
俺が提案の中に混ぜ込ませた条件がきちんと盛り込まれているのは実にいい事だ。これで、川向うの陣営で俺が暴れやすくなる。
「む?雨が降り出してきたか。この雨模様、土砂降りになりそうだな―――健闘を祈る」
「………」
「は~い!!いい戦果を期待しててください。旦那も、俺たちの後の事、任せましたわ」
騎士団長との会話はそれで終わり。作戦基地から出た俺たちは、潜入隊と呼ばれる部隊の待機場所に向かった。
………雨粒が頬に当たる。泥濘の幕引きに向けて、加速するとしよう。