泥濘戦線 後
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陣営右翼側、川の上流部。
「さてさて、敵さんはどこにいますかねっと………」
「………」
「分かった分かった、冷たい目で見るなって。ちゃんと警戒してるから」
茶らけた様子の青年傭兵に対し、やや冷たい視線を向けつつ息を吐く。
視線の先は川向うへと。その先には、数種の攻城兵器を誇示するかのようにこちらに見せつけている義勇軍所属兵の姿があった。
まあ、深く考えるまでも無く、カタパルトやバリスタといった攻城兵器類は見せかけの物であると理解が出来る。一射ほどは打てても、後が続かない代物だろう。
そもそもが小型の、持ち運びや組み立てに特化したタイプである。飛距離という意味でも脅威ではない。
それ以上に、ああして分かりやすく置いてある時点で囮としての役割を担っていると推測できるため、伏兵による一撃、軍隊の浸透に注意を払うべきだろう。
「川を渡った気配は?」
「いや、無さそうっすわ。昨日から一昨日にかけて雨降ってたからなぁ………増水はまだ収まってねぇから、ここを突っ切るのは無理じゃねぇか。」
「………」
青年傭兵の言葉に頷く。
土砂降りではないにせよ、雨が降れば川の水位は上昇する。本来、陣営が挟んでいるこの川は馬がいれば鎧を纏っていても渡れる程度の広く浅い川ではあるが、それでも増水してしまえば水の圧力によって人間は容赦なく流される。
下流である陣地の中央部に溺れた人間が流されていなかったということは、川を渡ろうというなどという無謀な策は行っていないのだろう。
一応地面を見聞してみるも、ぬかるんだ土の上に残る足跡は全て貴族側の陣営の物。義勇軍所属兵士のものは見当たらなかった。
立ち上がると、周囲の様子を探る。決して、各陣営の人間は無能ではない。
小規模攻勢の兆候を確認した以上、ハラスメントアタックであったとしてもどこからか陣営に攻撃を仕掛けてくるのは間違いない筈である。
「ならばより上流からか………?陣営から遠く離れれば川は支流に分かれている………そこならば渡れるだろう」
腕を組み、推測する貴族街の騎士。さて、一応周辺の地図を確認してみたが、支流まで到達するには早馬をかけても数時間かかる。
馬匹は双方の陣営において貴重な資源だ。ただの小規模攻勢のためにわざわざ用意し、更には酷使するとは思えない。支流まで行ったという可能性は限りなく低い筈だ。
………敵戦力は五十余名だったか。
「こちらの人員は十八名しかいない。正面から相対するのは避けたいところだな」
「兎に角、備蓄倉庫の警備を重視するべきだろうな。一応、警護させている騎士はいるが………」
「ああ、分かっている。敵正面に熟練した騎士を配置している以上、練度は落ちる。人数差を武器に襲撃されれば我々は食糧庫と予備の武装を失うわけだ」
兵糧の枯渇は即ち軍が息絶えることと同義。それは最早、この戦争において誰もが嫌というほどに身に染みた現実である。
元々、戦に従事する者であればそれは原則として理解していたものではあったが―――この戦争の最中、幾度も雨が降り、そして陣営が固定化されたという事実が食糧難をより顕著にさせていたのだ。
あっという間に消費された備蓄は、単純な兵力の増大による消費増加の他、前線で管理していたものが湿気により腐り、食えなくなるという理由もあった。
移動しない軍隊は足りない食糧を現地の人間から奪い取るという蛮族的手段も取れず、飢餓による死者は陣営の中で一定数が出ているわけだ。
そして、腐った死体による感染症の蔓延、そこから病による死者も現れている。
故に、誰もが恐れている。湿気や鼠に対し万全の対策を設けた、高い投資物である食糧庫が荒らされることを。
「進攻の気配がないのであれば、私たちも一度下がろう。改めて敵の位置を探らなければ………」
………言葉の最中、曲刀を抜く。
そして、己に飛んできた矢を打ち落とした。
「………ッ!?て、敵襲―――ガ、ァ!?!!」
「ああ、おい大将!!クッソ、真っ先にやられちまった!!!」
青年傭兵が後方に全力で疾走しながら、そう叫んだ。ああ、それには同意だ。実に運が悪い。
一斉射だとしても、冑の隙間に矢が刺さり、脳漿をぶちまける羽目になるとは。哀れ、不運な騎士は倒れ、俺たちを含めた十八名の対応戦力は早々に一人欠けてしまった。
しかも最初に削られたのが司令塔、頭とはな。
「つうかあいつら、一体どこから!!!」
「ええい、話している場合か!!!下がれ下がれ、川沿いはまずい!!!遮蔽物がない!!!!」
座り込むように倒れた隊長騎士の上体を少しばかり起こし、向きを整えるとその背後に隠れる。斉射された弓が鎧に弾かれる音が聞こえた。
小さい肉体もたまには役に立つ。体を丸めれば成人男性の背の中にずっぽりと収まるのだから。
深く息を吸い込みながら、曲刀の矢を指先でなぞる。泥と雨で錆が出始めているのが分かった。
まあ、当然ながらこれでは切れ味は悪いだろう。
………肥大化した戦線の維持に負われ、兵士一人一人への装備支給が間に合っていないのだ。剣や槍が折れれば交換こそされるが、その後のメンテナンスは個人で管理という状況になってしまっている。
それだけであればいいものの、そのメンテナンス道具の支給が無いというのだから結局、このような錆びた得物で戦うしかない。
「………、」
さて。
二度目の斉射が終わり、耳を済ませれば三射目の用意が始まっているのが分かる。
弦が絞られる音。そして指から離れた弦が空気を叩き、放たれた矢が鋭い音を立てて地面刺さった。
放たれた矢は四十本以上。それを確認した瞬間に、俺は屍の背中から飛び出した。
「お!!リックスが突っ込んだ!!!続け続け!!」
「半数は備蓄庫へ戻れ!!敵がどこから来たのかがわからん、備蓄庫を燃やされれば俺たちは終わりだぞ!!!」
「りょ、了解!!!」
統制の取れた騎士の軍団だ。頭を急に刈り取られても、極端な指示系統の混乱は生まれないらしい。
まあ指示の正確さ、的確さにおいては多少の粗が出るのは仕方があるまい。
頭を少し回せば、あいつらがどうやって川を渡ったのか、すぐわかるだろう。そしてそこから奴らはまだ備蓄庫に向かっていないことも理解が出来る。
「応酬だ!!!女………いや、小娘が一人!!」
「近づかせんな、弓で追い払え!!!」
加速した視線を向けた先は、川から少し離れた森林の中。
両街から陣営が横に膨らんだ結果、その端は伐採の進んでいない森林近くにまでたどり着いている。そんな地形の緑の加護を最大限生かすために、これほど陣営中央から離れた場所で攻勢に出てきているのだろう。
カタパルトの打ち合いで的にされないようにと、備蓄庫をこの辺りに建てた訳だが、見事に裏目に出ているな。義勇軍にとっては攻めやすく、美味しい獲物が転がっている場所になっているようだ。
「………!!!」
それはそれとして、きっちりと仕事はしなければな。
交差する視線。瞬き一つの思考。弓の照準を逸らすために疾走の途中、足腰を深く沈めた。
そしてそこから更に加速―――地面を這い走るようにして集団の中に飛び込んだ。
「なッ!?!!?」
ふむ、装備は鎖帷子に、頭蓋を守るだけの簡素なヘルメット型の冑。
脚部も動きやすさと、そして軽量さを重視したものになっていた。背には短槍と矢筒、と。
川を渡った方法を考えれば、こういう装備であることは想像がついた。確証が持てて何よりである。
左腕で適当な男の右耳を掴むと、曲刀を横殴りに叩き付ける。骨の砕ける音を感じると、勢いよくそれを手前に引いた。
―――上がる血飛沫。その血の花火の中、人数を確認する。
「………」
四十と余名。報告されていた五十超より少ない。
そして練度は低い。即ち、何一つとして問題なく、全員駆除できるだろう。
では。泥濘を明かすための礎になって貰おうか。