泥濘開戦
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「急げ急げ!!!カタパルトを早く設置しろ!!!」
「偵察隊、貴族街の連中の動きはどうなってる!?!?」
「傭兵隊他、騎士団の本隊も出張ってきてます!!」
義勇軍側仮設陣地、指揮所。
一種の境界線と化した川から大分離れた場所には天幕が張られ、その中に簡素な椅子と机、羽ペンやインク壺といった物資が次々と運び込まれている。
さらに多くの人が出入りし、様々な人間が状況報告を続けていた。
「………この程度でいいですかね。さて、と。あちらは―――」
「グ、ゥゥ………!!騒ぐな、気が散る!!!」
その中心にいるのは、義勇軍の隊長である隻眼の男だった。
彼から少し離れた場所には眼鏡をかけた女性もいるが、彼女は事務仕事にいそしんでいる様子であり、今も周囲に堀を作るために指示を飛ばしていた。
「隊長!?指示を、相手側も対城兵器を持ち出している様子です!!」
「どう攻めるんですか?!兵士の質ではこっちは完敗してますよ!!!??」
「………!!」
思わず歯を食いしばる。本当ならこのような状況にはならなかった筈なのだ―――雷のように素早く攻め込み、鮮やかに貴族街の門扉を破壊し、相手が対応に手間取っている間に内部を蹂躙するはずだったのだ!!
何故だ。何故、こうなった?歯軋りの音を響かせつつ、指示を出すために堀の中に入っている女に視線を向けた。
「そんな堀を作って何になる!?!」
「はい?いえ、騎馬対策ですが」
「川を越えて来るのであれば騎馬など恐れるものではない!!それよりもいい案を出さんか!!」
「………攻めるのではなく守ればいいのではないでしょうか。隊長の言うように川を挟んでいる以上、攻めれば必ず川を超えるリスクを背負います。人的資源で優っていても此方の陣営は騎士ほどに戦力として確立されたものではありませんし」
「守るだけでは勝てんだろうがッ!!」
「それを私に言われましても」
堀から出てきた副官、コルト。
脚には包帯が巻かれており、少量ではあるがそこから出血しているのが見て取れる。
「私は元々ただの秘書です。今までの事務処理時の経験からこのような作戦が過去に執られたと提案することは出来ても、勝つために新しい作戦を考えることは出来ませんよ」
「………ッチ、どいつもこいつも使えん!!」
そうだ、元を辿ればあの傭兵たちが現況なのだ。
特に俺の目を奪ったあの小娘―――あいつだ、あいつが全ての元凶だ。必ずあいつを引きずり出し、尊厳のすべてを辱めてやる!!
そのためには………そうだ、一度落ち着かねば。冷静に行こうじゃないか、先を考え賢く行こう。
握りしめた腕を椅子の手すりに叩き付け、深く息を吐き切る。
「兵器を大量に並べろ!!!川から上がってくる敵兵全部を押し返せるようにだ!!!ついでに奴らに嫌がらせでもしてやれ!!!」
「嫌がらせですか?」
「寝ぼけている頭上に石の雨でも降らせてやれ!!!」
「は、ッハ!!了解しました!!!」
指示を聞いて飛んでいく部下に満足する。よし、今回は副官の案を採用すればいいだろう。これはとてもいい、兵士量で優っている以上相手の陣営を徹底的に疲弊させ、体力の尽きたタイミングで物量で押しつぶすというのは賢い手だろう。この状況!!こういった手段を取らない理由がない!!
勝てるぞ、否………勝つのだ。そしてすべてを手に入れる!!女も財宝も土地も全て、この俺のものだ!!!
―――その思考、勝つための戦術そのものが、誘導されたものとは気が付かず。義勇軍隊長はどこまでも進んでいく。痛烈なる滅びに向けて。
眼鏡をかけた副官がその様子を冷やかに見つめていたことは、終ぞ気が付くことはなかった。
***
「奴さんら、厄介なことをしてきたな………あれじゃ質で優ってても不用意に攻め込めねぇぞ」
貴族街の砦の上。老いた傭兵が呟く言葉に、頷いて見せる。
視線の先にあるのは川の向こうに大規模に構築された防衛陣地の数々だ。無数の大小様々なカタパルトに戦域全体にせっせと作られつつある堀。数は少ないものの、この世界ではまだ普及していない大砲なども見えた。
砦から見下ろした街の門の前には鈍色の鎧を纏った騎士団が整列しており、既に仮設されている陣地に進出を開始していた。その周囲には警戒するような形で機動隊系を維持した騎馬兵の姿も多く見える。
彼らの練度は前哨戦で俺たちが接敵した雑兵とは天と地ほどの差があるだろう。その他、相手に対応する形で街の中から攻城兵器や陣営作成のための物資が引き出され、次々と戦場を形作っている。
………それでも、例え街が総力を挙げたとしても。電撃戦の如き様相でこの戦況を突破することは不可能である。
「作戦立案だけはいっちょ前なのは何なんだろうなぁ………たった数日であれだ。そもそも不意打ちからの破城槌による攻城自体もいやらしい戦術だった」
「………」
初期攻勢はあの義勇軍隊長が知恵を必死に振り絞って立案したものだったのだろう。とはいえ、知識は無から生み出すことは難しい。恐らく、元々他に原案があり、それを改変したものだったと思われる。今でこそ義勇軍隊長は俺が目を奪ったあいつしかいないが、交渉に来た穏健派の人間ように他にも隊長格というのは存在したはずだ。それらの集合知を悪用した結果が、あの初期攻勢である。
尚、今回の陣地構築に関しては背後にコルトの影がある。根を動かして行うはずだったことだが、協力者を得たことによってより素早く、高精度で行えるようになった。やはり人の力というのは正しく使えば便利である。
「その上、あの陣地の背後にはこっちに見せつけるように大軍を待たせてると来た。………なぁリックス、お前さんは長期戦ってのに経験はあんのか?」
「………」
再び頷く。
長引かせるにも終わらせるにも、俺が前線に居たほうが融通が利く。経験の不足から後衛に送られては面倒だ。
「なら良いがな。だが………この戦、今までのものとは毛色が違う気がしてならん。リックス、お前も気をつけろよ」
そういうと、老傭兵は砦の石階段を下っていく。
経験というやつか。中世の戦争というよりは現代の戦争に近いという事実を、鋭敏な嗅覚によって認識したらしい。この世界にはハーサやミリィ、パライアス王国の将軍のようなとびぬけた戦力があり、そのような存在こそが脅威だと思いがちだが、それだけではない。
多くの戦争を構成するのは名も知れぬ一般兵士だ。若い兵士から老兵まで数多く存在し、戦況に介入し、戦を構成する。彼らもまた、脅威と呼べる存在なのだ。当然すぎて忘れがちだが。
誰か特別な人間に殺されることなど稀だ。人間の多くは、何の変哲もないただの人間によって殺される。英雄と戦う前に、英雄を慕う子供に刺し殺される―――何も、異常な事ではない。
「………」
さて。泥沼へと至る準備は整った。あとは販促活動を促すだけだが………そちらに関しては、最早俺の管轄ではない。
ミリィが各地の根に働きかけ、商人たちの流れを緩やかに操っている。自然に、後世の歴史を紐解いても絶対に暗殺者による介入があったとは気が付かないほどに。きっちり時間を使えば、本来の目的であるビスキュイの周知と戦での有用さは示せるだろう。
そうすればビスキュイを運ぶ商人として、俺たちはシストスの街に出入りが出来る。リマーハリシアとパライアス王国、そしてこの二国に国境の一部を接している騎馬国家ノスガルデイ………三国の中間に存在するシストスの街は、辺境と呼ばれている俺たちの本拠があるアプリスの街よりも遠く、戦争期間を加味した場合ですら俺達より先にビスキュイを運ぶ商人が訪れることはあっても、供給過多で売買を断られるほどに溢れることはないと断言できる。故に、ここを乗り切ることが重要なのだ。
では、糞ったれな戦争を始めよう。存分に踊り、死ぬために。泥の中に沈むために。