各々帰還
女―――コルトとはその場で分かれ、俺は再び演技の仮面を被ると、貴族側の街へと戻る。
当然のことながら、連絡手段は必要だ。故に監視の意味も込めて根と接触を持たせることにしている。根から連絡用の鳥も用意されるため、頻度こそ高くはないが互いに状況の報告程度は行える。
さて。あの馬鹿傭兵は裏切らないにしても、コルトの方はまだ信頼しきるには値しない。確率として裏切る可能性は低いにせよ、思った以上の忠誠心を都市に対して抱いている可能性はある。少しでも可能性がある以上、それに備えておくのは当たり前だ。
何せ人間もこの世界も、無条件に信じ享受出来るような簡素な作りをしていないからな。
「………」
解毒薬は鳥に持たせればいい。尤も、解毒薬と言いつつ実際はただの栄養剤だが。
暗殺者が即効性の猛毒を持ち歩くことはあれど、遅効性の解毒薬が存在する薬など持ち運ぶものか。遅効性の毒は本来交渉に用いるものである。殺すことが目的の暗殺者に、その毒は似合わない。
”毒蛇”の長老率いる一派ならばそう言った毒も取り揃えているだろうが。少なくとも今の俺はそれを持ち歩ていない。先ほどコルトに飲ませたのは、これから送るものと同じ自家製の栄養剤である。カロリーの摂取の重要性はこの世界でも元の世界でも変わらない。元は俺の体力回復用のものだが、まあくれてやっても惜しくはない程度のものである。
「………、ぅ………」
溜息を吐く。やれ、困ったものだ。最近随分と忘れがちだが、これでも俺はもともとは高校男児だった筈である。こうして人を間接的に従えることはあまり経験がない。だが、経験がないからという理由はボロを出していい理由にはならない。暗殺者として生き、この世界で己の精神の自由を保ったまま生きるならば、どちらにしても俺の手足として動く組織の用意は急務だったのだから。
組織の末端でいる限り、所詮は使い潰される存在だ。消費物にならないように、取れる手段はとらなければならない。
………かといって、無駄と無能をひたすらに削ることも良い手ではない、か。無駄を削ればよい世界が完成するというのは歴史と現実が否定している。成程、実に難しいものだ。経済学や帝王学というものに常日頃から興味を持っておくべきだったと後悔する。組織運用の方法はどうにかして知識を蓄えることとしよう。
そう決め、俺は血塗れのまま一人で森を抜ける。遠くから聞こえてくる怒声から戦況を予測するに、義勇兵側は兵力の消耗を理由に後方に下がっているらしい。当たり前だ、これだけ時間を掛ければ最低限の防備を行えるだけの兵力をかき集められる。
采配の失敗で無駄に削ってしまった兵力では、それすらをも十全に突破できない。数の有利も戦況の構築速度の有利も手放せばこうなるのは必然であった。
さて。では状況も停滞したところで、次の手を打っていくとしようか。自己都合で多少横道にそれた手段を取ったとしても………俺たちの目的である新商品の流通及び情報の流布はこなさなければならない。仕事だからな。先ずは、戦況の長期化か。一日二日で片付いてしまっては吟遊詩人の喉も揺れまいよ。義勇兵と騎士、貴族と平民。その対立構造を持つ街同士の争い、存分に語って伝えてもらわねば。
―――ふむ。では、互いに出血して貰おうか。
***
「………隊長。私は負傷兵を連れて一旦街に戻ります。救護用に歩兵を数人借りますが、よろしいですね?」
「ならん!!!このまま前進だ、負傷した無能など捨て置け!!!」
「………」
無能はどちらだと吐き捨てたくなる。左目を包帯で覆った姿の義勇軍隊長は、怒りに染まった表情のままあちらこちらに暴言を吐き捨て、統制を取り士気を挙げるという上官の役割を完全に放棄していた。
周りの兵士の視線も冷たいものだ、これは後ろから刺されるのも時間の問題だろう。
「まだ助けられる兵士もいます。それに、私も傷を負っています。武器を持つことだって難しいのですが。それにこのまま無理に進めば率先して兵士を犬死させる指揮官という事になりますけど、良いのですか?」
「ぐ………!!」
「………ぅ、ぐ………」
心の中で舌打ちをする。さっさと首を縦に触れ、この禿達磨………と、まあ汚い言葉が内心を走り回るが顔の方は動かさず、隊長を静かに見つめ続けた。
お前が首を縦に振らなければ私が死ぬのだ。間違いなく、あの白髪に褐色の肌をしたエキゾチックな死神は、私が肩を貸している隣の傭兵が息絶えた瞬間に私を裏切り者と見なし、殺しに来るだろう。
そもそもそんなことをする必要もなく、解毒薬を渡さなければそれで終わりであるのだが、どうであれこの交渉こそが私にとっての正念場になっているのである。………まあ、あの死神の本気を見ていないこの無能と話していること自体が時間の無駄なのだが、ただこの傭兵を一人連れ帰っても違和感を覚えられるかもしれない。違和感から偽装工作が綻ぶことは間々あること。そうならないよう手を尽くすのは、死にたくない私にとっては必須といえる手順なのである。
「ッチ………好きにしろ!!!だが、途中で帰還した以上は報酬は発生しないと思え!!!」
「………は?………はあ、まあいいです、それで」
給金ならまあ、死神から貰っている。袋の中に金貨数枚、これだけあれば数か月は苦労しないで暮らせるだろう。故に、論外ともいえるその提案をさっさと受け入れると、流れるように現場の指揮を執り始める。
「傷を負ったものは私と共に一旦下がって!!動ける軽傷者は他のものを補助してください!!………重傷者は長槍の間に渡した布に乗せて運んで」
「………槍?」
「それしか無いんですから仕方ないでしょう。ほら、服や布を巻き付けて。勿論穂鞘は付けてください、危ないので」
「は、はい!!」
死神とそれについていった傭兵が縦横無尽に暴れたおかげで、自軍………最早そう呼んでいいのかもわからないが………には軽傷者から重傷者まで種類豊富に存在している。槍を使って担架を作り、そこに死神から預かった患者を混ぜ込んだことで、怪我人に囲まれ完全に違和感というものは消失した。
ここから更に、私の先導の元この簡易的に用意された防衛陣地を離れ、街の中へと戻る。そうなれば一人くらい見知らぬ人間が紛れていたとしても認識できるものなどいない。………怪我が治ってしまえば私が手を貸す義務もなくなるので、まずはそこを目指すべきだろう。
「あ、君。ちょっと杖のようなものを貰えますか?」
「えっと………あ、長剣の鞘ですが」
「ありがとうございます。私も軽傷を負っていまして」
これは死神と別れる前に意図的につけられたものだ。太腿に大きな切り傷………派手に見えるが実はそこまで痛くはなく、まだそこまで多く血が流れているわけでもない。まあ傷は残ってしまうそうだが、命に比べれば安い安い。ここできちんと負傷していないと後方に下がることも難しいだろうと判断してのものだが、きちんと機能しているらしい。因みに腕にも傷を受けている。といっても此方は死神との争いで槍を奪われた際に筋を痛めてしまっただけなのだが。
鞘を杖代わりに使うと、周囲を見渡し怪我人の移送準備が整ったのを確認した。
「では隊長。ご武運を」
「………ッ!!!」
無理だろうけどな、相手はあの死神だ―――と。内心の汚い言葉を自制しつつ。
負傷兵をまとめた私はそのまま、死神から託された傭兵を紛れ込ませつつ街まで戻ったのだった。
………ここから、あの名も知れぬ死神とは長い付き合いをすることになる。