致命傭兵
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「追え!!追えェェェェェ!!!!!あの小娘を逃がすな、ここに連れ出して手足を切り落としてやる!!!」
「………いえ、あの。撤退した方がいいかと。どうやら隊長の傷は致命傷ではありませんが、放っておいてもいいという類のものではありません」
「煩い!!!このまま戻れるものか!!!破城槌運搬班は歩兵を連れてそのまま前進!!!騎兵と俺の親衛隊はこのまま森の中へ追撃だ!!!!」
随分と良く声を響かせるものだ。
森の中に入った俺にすら良く聞こえる怒鳴り声は、俺の仕掛け通りに動いてくれているらしい。なんとも有難いことである。
自尊心だけで構成されている愚か者は、こうやって少しそれを揺るがしてやれば簡単に動かせる。特に、こういう手合いは、己の経歴や肉体に傷をつけられることに酷く嫌悪を向ける。
「………」
さて。ロリコンは生きているだろうか。
走りながら目を閉じると、耳を澄まし周囲の音を聞き分ける。
―――荒い息遣いが前方から複数。動いてはいないことから睨み合い状態といったところか。後方からは馬の嘶く声と共に、鎧を騒々しく鳴らす兵士たちが向かってきているのがわかる。
この森の中に入った敵は皆殺しだ。故に暗殺術を使用しても問題はないのだが、もう少しだけ演技を続けたまま戦うとしよう。もしかすれば、何か拾い物でもあるかもしれない。
生い茂る草木を踏みつけると、前方の集団に向けて加速した。
「………ッ!!!畜ッ生、があああああ!!!!グ、アアア………!!!」
見えてきた。人数は四人、一人は味方。問題は何もない。
「仲間の仇だ!!!」
「糞、あとはあの小娘だ!!!散々………散々、仲間を殺しやがって………!!!」
血が飛び散る。樹の幹を、生い茂る葉を赤く染める鮮血はしかし、まだ致命傷ではない。
死んではいないか。長くはないだろうが、とりあえず救ってはおく。
接近する俺に気が付いていない、ロリコン傭兵を追っていた兵士共。その首に槍を投げつけた。
軽装の兵士は死角から飛んできた凶器に当然気が付くこともなく、口と首から血を垂れ流して即座に絶命、その懐に潜り込むと手にしていたバックソード………通常の騎士が持つことの多い剣よりも短い、ショートソードと同義の物………を奪い取ると、未だ状況把握の済んでいない他二人の首を斬り飛ばす。
ああ、不意打ちは楽でいい。やはり正面切っての戦闘というのは非効率的だな。
「………痛ェ………リッ、クス………か………遅えよ」
「………。………」
片目を細める。
どのみち助からないとは思っていたが、これは予測よりもさらに酷いな。
短槍が脇腹、膵臓に突き刺さっている。正に急所への一撃というやつだ。人間の肉体というのは脆いという事を改めて実感させられる。ただ、こうして一撃を運悪く受けるだけで、即死に近い状況にすらなるのだから。
「あー………碌な人生じゃなかったなぁ………女とは金の付き合いだけ………その金だって………こんな、血生臭い、場所で稼いだもんだ………」
男の独白に興味はない。だが、暗殺されるほどの悪事や不利益を働いたわけでもない。ふむ、ならばこの場で苦しみ続ける理由もないだろう。
「なァ、リックス………お前、マジで、美人だよなぁ………まだ、そんな小せぇのによ………。お前みたいな、いい女と………いつか、ヤッてみたかった………」
「黙れ、粗忽者。そのような思考だから死ぬのだ。現状を打破したいのであれば、命を懸けて行動を起こすべきだった」
「ハ………はは、お前。んだよ、話せんのか………静かな、綺麗な声してるじゃねぇか………」
………ほう?死の淵で、随分と安らかに物事を語れるではないか。人間の本質は死の間際に現れる。表層の意識、単純な知恵は教育によって変えられるが、その本質だけは覆い隠すことは出来ても、根本を変えることは出来ない。果たして、無能は有能になれるか。その下地は、あるだろうか。
「死神が、居たら………お前みたいな………綺麗で、冷たい………声なんだろう、な………」
―――敵兵の軍靴は近い。致命傷を負った、名も知らない男一人に何かしらの結果を与えるまでの猶予は少ない。仮に、こいつを救うための手段を行使したところで、現代医療とは程遠いこの世界でこいつが生き残れるかなど、保証すらできない。
だが、死の淵で喚かない人間というのは存外に使える。少なくとも、育てれば役に立つ道具にはなるだろう。どちらにしても、奴隷である俺がこの世界で暗殺者として生きていくには、一人だけではどうにも動きにくい。人的資源が必要なのだ。
「一つ賭けをしよう。俺はお前を助ける。それまでにお前が死なず、生き残れれば―――その命を俺が貰い受ける。お前の存在意義、価値、人生、命。全てが俺のものだ。死んだらそうだな………他の死神にくれてやる」
「………そうかよ、好きに………してくれ………」
膵臓損傷の死亡率は十%から三十%だったか。臓器損傷というのはもともと危険度が高いが、仮に神が微笑むのならばこの男も生き残れるだろう。
尤も、笑いかけるのは天上にて偉そうに座る万能を騙る神ではなく、地の底から這い出た死神だが。
「………気の迷いではない。嗤うな、糞師匠」
ハーサの馬鹿にしたような笑みが思い浮かび、思わず吐き捨てる。
この世界で、誰が気を迷わせるものか。この身体、そして刻まれた身分、暗殺者としてしか己の尊厳を守って生きれない環境。油断も迷いも、一瞬でも気を許せば足元から這い寄ったそれらに首を捻じ切られるだろう。故に、これは気の迷いなどではなく、効率的な判断だ。
「さて」
身に纏う布を切り裂き、応急処置を施すと男を生い茂った草の中に倒し、隠す。その後、再びリックスとしての仮面を纏った。
靴の音はもうすぐそこまで迫っている。どう殺すべきか、どこまで殺すべきか。
一瞬でそれを判断すると、手に持ったバックソードを構えた。残念だ、全員は殺せないな。
***
「………何故、私がこんなことを………」
細腕に、その腕では支えきれない重い槍をもった女が、森の中を進む。
羽音を立てる虫、惨状に似つかない木漏れ日、そして血の匂い。それらが入り混じって、吐きそうになる。
私の雇い主である義勇軍の隊長は、森の入り口近くで唸りながら手当てを受けているため、今はまともに戦えない私が臨時の指揮を執っている形だ。
………当然、私の指示など誰も聞く筈が無い。私も、指示を出せるような知識も経験も持ち合わせていない。もうこの時点で、指揮系統も軍隊としての統制も滅茶苦茶だった。
「………?なんですか」
率いる、というよりは行動を共にしている義勇兵の前方の方が騒めくのが分かった。しかし、騒めくだけで一向に情報が入ってこない。
同じ隊長に苦労している同士であり、それ故に唯一指示に従ってくれる数名の騎兵に視線を向けると、何が起こっているのかの状況確認に向かわせようとした………結果から言えば。
そのようなことをする必要は、無かった。
「え―――ッ?!」
ぶちり、と音がして。飛んできたのは人の首。
一層強くなった血の匂い、それを纏うのは褐色の肌をした、紅い瞳の死神。
ああ、なんてこと。生粋の人殺し、怪物………そんな存在を前にして、私は改めて思った。
………絶対。絶対に。こんな糞みたいな仕事、辞めてやる、と。