森中踏入
背後から蹄鉄の音が響く。
川辺、草原地帯であるこの戦場では馬は走りやすいだろう。それは即ち、最大限の速度を持って俺達の元へと突っ込んでくることと同じ意味を持つ。
馬の突進力は脅威だ。サラブレッドほどの高速さは戦場の馬には無いにせよ、ガラスの脚とは程遠い頑丈な馬がその巨体をぶつけてくるだけで、単純な物理的脅威と為りうる。
戦場において武田の騎馬隊が猛威を振るったのは知っての通り。あのころの日本の馬は今日の歴史では小さい小さいといわれてはいるものの、体躯と速度の代わりに崖だろうが難なく飛び越え、踏破するだけの強靭な足腰とそれらから生み出される馬力があった。折角の土塁も馬によって飛び越えられては陣地設営の手間がすべて水の泡である。
………さて。そのような無駄な情報はこの辺りにしておいて、騎兵利用のために身体を動かすとしようか。
「………!!」
既に森の付近に迫っているロリコン傭兵に続き、俺もそちらに向かう。パイクを片手に引っ提げているため、進行速度はそれほどのものではないが、代わりに敵兵も不用意に接近することは出来ない。
尤も、騎兵は別だが。
「むぅ!?!なぜ騎兵が戻ってきている!!!」
「………川の向こうに敵、傭兵が見えます。多分ですが、攻め込むことが出来ず撤退したのかと」
「何故だ!!馬の速度と威力に物を言わせれば突破など容易いだろう―――これでは、破城槌を持ち込む前に相手の増援がやってくるぞ!!」
容易いものか、間抜け。
河川を中心とした戦は先に有利な位置に陣を置けるかどうかで勝敗が決する。特に鉄砲を始めとした強力な飛び道具のない中世という時代に於いて、布陣は決定的な戦の要因となりうるのだ。
それにしても、女の方は割と戦況判断が出来ている。状況を見て要因を考察できる手合いというのは、敵にいると厄介だ。
「隊長!!あいつら森に逃げていくつもりです!!」
「その位分かっている!!ええい、逃がすな、あいつらの首だけでも取ってこい!!」
狭量め、と心の中でぼやく。
騎兵が攻め込めないとするならば、一旦兵士を部隊の中に取り込み、再編して行軍するべきだ。
今回の場合、必要なのは行軍速度の増強であり、その場合既に役に立たなくなった騎兵の装備を外し、行軍の妨げになっている破城槌の運搬や物資を運ぶ兵站担当の荷馬として使うべきだった。
二百人規模の兵士相手に大立ち回りを演じた俺たちだが、人数とすればたったの二人。しかも大立ち回りといっても実際に殺した人数は非常に少ない。
リスクにならない俺たちを放っておき、代わりに進出するべきだったのだ。
まあ、そうしたのであればまた別の手段でこちらにヘイトを向けさせたのだが。なに、後生大事に抱えている破城槌に執拗に火矢でも打ち込んでやれば、如何に火矢対策を講じているとはいえこちらに兵士を送り込むほかないだろう。ハラスメント攻撃は睡眠妨害だけではない。
まあ、破城槌を運ぶ運搬兵と護衛兵を除いた軍の三分の一を、特に策を使わずにこちらに引きずり込めたのは僥倖だった。
どれ、森に入る前にもう一つ、奴の小さな心を刺激してやるとするか。
「、っ!!!」
騎兵が迫る。
そして隊長とやらの指示を受けた歩兵たちも多数こちらに迫る。連れのロリコンはもう森に入る直前だ。その背後にはそのロリコンを追う兵士もいるが、森に入ってから生き延びることが出来るかどうかは奴自身の力量と運次第である。
正直に言えば、ああして森の中に兵士を連れ込んだ時点で奴の役割は終わっている。俺が到着するまで逃げ続けられたならば………その時は運が良かったのだろう。
「よくも、俺たちの仲間を!!!」
「この殺人鬼めェェ!!!!!」
随分と心外な言葉を放たれるものだ。殺人鬼は趣味で人を殺すのだろうに。
俺は仕事で人を殺すのだ、そしてこの傭兵身分も戦争も暗殺という仕事の延長戦、戦争を起こし戦争による情報の拡散こそが目的。貴様らを殺すのは仕事の裡であり、ついででしかない。
もう一つ付け加えるとすれば、これは別に目的があるとはいえ間違いなく戦争なのだ。戦争で人が死ぬのは当たり前だろう。
「お前だけは、絶対に―――ォッ?!?!」
………まずは一番最初に近づいてきた騎兵だ。
ぐるりと足元でステップを踏み、態勢を反転させる。そして足元の摩擦を感じつつ、鋭く跳躍した。
俺の方へ向かう馬の接近と騎兵の方へ向かう俺の跳躍により、想定以上に近づいた距離に騎馬に跨る兵士は対応することは出来ず、何事かを喚いている最中に首にパイクを突き刺され、絶命した。
兵士はその首にパイクが刺さったまま馬の上を滑り落ち、地面に落下した。騎手を失った馬が背後で暴走を始めているが、被害が及ぶのは俺を取り囲もうとしている兵士たちなので害はない。放っておく。
「………ひっ!!??」
パイクを失った。代わりに地面に落ちた騎兵だった兵士が携えている予備武器のレイピアを拝借する。
先程こいつが俺に向けていたランスは歩兵が振り回すものではない。重量があるとはいえあくまでも歩兵用のパイクとは違い、パイク持ちをさらに馬上から突き刺すためのランスはパイクよりも長く、それ故に重いのである。
あくまでも非力なこの肉体では、ランスは扱いきれない。
「―――こ、の!!」
俺がレイピアを拾う間、呑気に固まっていた槍持ちがようやくフリーズから抜け出し、俺に穂先を向けた。刺すために腕を引こうとした瞬間、槍の間合いの内側に滑り込むと柄にレイピアを滑らせ、兵士の指を切り落とす。正確には左手の全指と右手の手首から先を、だ。
レイピアは刺突のみの武器ではない。きちんと刃があり、不向きではあるが切ることもできる。
「あ、あぁぁぁぁ!!?!?!」
「………」
指と共に獲物を落とした歩兵の首を撥ねると、残った胴体を蹴り飛ばす。
そして、落ちた槍を拾い上げた。あと数人程度、痛めつけてから行動に移るとしよう。右手にレイピアと左手に槍、二つあれば完全に武器を使いつぶすまでには行動は終わる。
「怯むな!!!数で囲め!!」
それは先ほど試していただろう、見ていないのか。
陣形を組もうとしていた兵士の腹に槍が生える。俺を囲んで叩きたいならば、重装歩兵を百人規模で連れてから言え、阿呆が。
崩れた陣形の外側を回ると、相対しようとした兵士の脚をレイピアで切り裂く。健を裂かれ、倒れこんだ兵士の首を今度は槍で切り離した。
「今だぁぁぁぁッ!!!」
切りかかってきた蛮勇は称賛する。だが剣術を多少なりとも学んでから出直せ。
大上段からの振りかぶりを槍先でいなすと、左手だけで槍を回転させ、石突で顎下を痛烈に叩く。脳震盪を起こし、白目をむいた兵士が倒れこみ、即座にその頭蓋が右手のレイピアによって宙を舞うことになった。
………さて。この辺りでいいだろう。隊長の男に対し薄らと流し目で笑って見せれば、目元をひく付かせて唸る姿が確認できた。
「無能どもめ!!!俺がやる!!!」
馬の手綱を引くと、腹を蹴ってこちらへと向かってくる隊長の男。
己の無能を部下の責任に仕立て上げる輩はどこにでもいるものだ。そして最後はこうして暴走し、禄でもない結末を撒き散らかす。
本来ならばさっさと殺すのだが、もう少しだけこいつには暴走してもらい、その果てに自軍を壊滅させてほしい。故に、狭量な心を刺激する手段というのは―――。
「………ッ!!!」
駆け来る馬の軌道を把握。その進行方向のやや右斜め後方に向けて力強く跳躍した。
馬上でも扱えるほど長い歩兵槍を構える隊長の男が口元をにやけさせた。飛び上がった俺を仕留めるつもりなのだろうが、それはあまりにも展開を把握することが出来ていない。
ふむ。槍では威力が高すぎるな。では、右手のレイピアでいいか。
飛び上がりつつレイピアを逆手に持つと、なんのことはない―――普通に、投げつけた。
ただし、奴の左目に向かって。
「なッ、アアアアアアア?!!?!」
進行方向の右斜めにいれば、当然男が持つ槍は右半身に構えることになる。取り回しの難しい馬上で、急に左半身に向かってやってくる飛び道具を打ち落とすことが出来る筈もない。
そして、腕で弾き落とすには馬の速度が乗りすぎており、投擲速度が速すぎた。
「ぐ、この、小娘がああああああ!!!!!!!!????」
「………」
安心しろ、まだお前には役目がある。だからこそ、レイピアの投擲角度には気を使い、左目だけを抉り取るようにした。間違ってそのまま脳漿を炸裂させないようにな。
落馬寸前で咆哮を上げる隊長の男を無視すると、そのまま森の中へと消えていく。
さて、あのロリコンはまだ生きているだろうか。どちらでもいいが、生きていれば助けてやるとしよう。