状況再考
「突破!!突破されたぞ!!!背後、要警戒!!!」
「なんだこいつ、小娘の癖に………がぁッ!?!!」
「………」
騎兵隊を抜け、その後ろの歩兵中隊の中に突っ込む。真っ先に刃の錆となった市民兵士の首を放り投げ、滴る血を払う。
さて。やはり、レザー素材の鎧は戦場の大壁であるプレートアーマーに比べ、脆い。どうやらワックス、即ち蝋により硬化処理が施されているようではあるが、混沌極まる戦場の中において、俺が持っているような大振りの刃の一撃を防ぐほどの防御力は持たない。首周りの防御も薄いため、こうして首を刈り取ることも簡単に行える。
「糞、人数多すぎだろ!??!リックス、無暗に突っ込んでも死ぬぞ!!!」
「………」
声を出さなくても行える、苛立ちを伝える行為―――舌打ちをする。
この場において一々木板を取り出しての意思の疎通などできる筈もない。この短いやり取りの中で察してもらう他ないが………まあいい。ロリコン傭兵一人が死のうとも、俺のやるべきこととやれることは変わらない。
「きゅ、弓兵!!!」
ロリコンが上を見上げる。すると、弧を描く矢の軌跡が俺の目に飛び込んできた。
戦場、特に中世ににおいての争いで真っ先にやり取りされる暴力手段は、槍でも剣でもなく、この弓だ。近代において重火器が発達したように、遠距離武器こそ戦場の主力なのである。
勿論、この戦いの火蓋を切ったカタパルトのように弓以上の射程と威力を持つ重兵器も用いられるが、人間が人間と近い距離で争うという場面においては、やはりこの弓こそが絶対の武力となりうる。
「……、…………、…、…。…………!!!」
そうとも。このロリコンが死のうと大局そのものに影響はなし。だが肉盾は失うにはまだ早い。
故に声を発せぬ喉をそのままに、口だけで言葉を形作る。
即ち。”斬り進め、突っ込め”と。
敵陣の中に入ってしまえば同士討ちを恐れ、弓は使用できない。そして、近距離戦闘に持ち込んだ場合、弓兵など只の荷物だ。
「俺たちは二人だぞ、そんなのは無茶苦茶だ!!!おい、一人で行くな………ひぃッ?!!」
立ち止まっていれば結局は死ぬ。矢は数本程度ならば剣で払いのけることもできるが、そもそも弓矢の恐ろしさとは狙撃を排除すればリーチの長さと、圧倒的な物量だ。逆に言えば距離を失い、こちらに放たれる矢の総量が減ってしまえばどうとでもなる。
毒矢や火矢でも使われていない限り、矢の殺傷能力は首を刈り取る一撃に比べれば低いのだから。
上部から降り注ぐ矢の雨に気を付けつつ、前方からの狙撃を警戒して姿勢を低く保つ。市民兵士の中にも弓の達人がいないとも限らない。
「………ッ!」
呼気を吐き、俺に接触しようする矢を曲刀で弾く。叩き折った矢の木片が飛び散り、鏃が勢いを失って地面に転がった。
敵が中隊規模で助かった。二百人の部隊、その全てが弓兵である訳もない。どれほど多く見積もっても敵から一度に放たれる矢の数は百本に満たない以上、弓兵は半数以下であると判断していいだろう。精度も悪いため、こうして避けながらの接近も容易だ。
「いってぇ!!!」
………あとは俺の身体の的の小ささが有利に働いているのだろう。成人男性の体躯を持つ後ろの間抜けは背中に数本の矢を生やしていた。まあ、簡易なものとはいえ鎧は付けている。すぐさま致命傷に至ることはないだろう。当然、戦場で手傷を負った以上は無事で済む筈もないが。
「なんだ、あいつは………歩兵隊、前へ!!!あの蛮勇極まりない馬鹿二匹を肉塊にしてやれ!!!」
「隊長、私は戦わなくていい筈では………」
「こうなってしまった以上は仕方あるまい!!なに、敵は二匹だけ、しかもあれを見てみろ!!!一人は小娘で、一人は負傷兵、殺すに容易い」
先ほど遠目で見えた華美な装飾の鎧を纏う男。隊長と呼ばれていることからあれが頭であることはもはや間違いはないだろう。都合のいいことに隣に戦えない荷物を連れている上に、脳味噌はあまり詰まっていないようだ。
………使えるか。当初は速攻を決めて頭脳を刈り取った後に適度に敵を削りながら撤退する腹積もりだったが、相対するのが無能ならば生きながらえさせて自軍を好き勝手壊滅させてくれた方が有難い。有能な人間は真っ先に潰し、無能は放置するのが人災被害を拡大させる適切な手段だ。
さて。そうなれば改めて状況を判断しなおさなければならない。
「………、………」
連れは負傷。まあ剣を振り回す元気はあるようだ。もう暫くは戦えるだろうし、肉盾にもなる。
背後はどうかと一瞬視線を向ければ、別れた傭兵たちは騎兵隊より先に川向うに渡って陣取り、防衛を行おうとしていた。
成程、適切な判断といえるだろう。あのまま遅滞戦闘をしてくれていれば、練り直した計画にも応用できるかもしれない。とりあえずは放置していていいという事実を確かめると、今度は視線を周囲に巡らせた。
中世の街には必ず川があり、そして薪を始めとした資源確保のために徒歩で行き来可能なほど近くに森も存在する。例外は森と呼ばれるほどの森林密度を保てない峡谷地形や湿潤不足によって形成されるステップ、そしてそれよりも遥かに乾燥した地域に生まれる砂漠だけ。
特に中世ヨーロッパの大部分は古来から森と共に生きてきた。パライアス王国などはまさにそういった様相を示している。
それに対し、このリマーハリシアは中東に近い気候帯をしているが、それでも俺の知っている中東よりははるかに森林が多く、リマーハリシア辺境を超え、パライアス王国の国境近くともなれば豊かな森林に出会うことも多々ある。
まあ、そもそも元の世界の中東の森林はある程度は気候の変動によって減少していたにせよ、本来は大文明の栄えた地だ。肥沃な森と土地、大河が無ければ人の生活は成り行かない。
それが急激に砂漠ばかりになってしまったのは、発展をつづけた人間の仕業というやつである。………まあ、それはどうでもいい。
「………」
大事なのは、森があるという事実だけだ。
森という地形は使い勝手がいい。罠を張るにも隠れ忍ぶにも、どちらにも使える。勿論、森を熟知していればというのが大前提だが。
そうと決めれば行動するとしよう。先ず―――頭脳、即ち隊長と呼ばれたあの男以外を徹底的に削るとしようか。
「ほう、この小娘よく見れば可愛い顔をしているじゃないか。よし、上手く捕らえられれば特別法賞をくれてやろう!!!」
「捕虜ですよ、暴行は」
「傭兵にそんな法規を施すものか!!もっと広い視点で物事を見るべきだぞ?」
「………問題になっても知りませんよ」
苦言を呈する、隣の女。
随分とまともな人間のようだ。立場によって無能に振り回されることになるのは少しばかり同情する。
「ギャ、アアア!!?!」
「腕、腕が………ああああ!!!?」
隊長である男がそのようなことを言っている間に、数人の市民兵士の首が飛ぶ。或いは腕が折れ、臓物が零れ落ちる。
そういえば未だに名を知らないロリコン傭兵が、思わず口から零れたというように、言葉を漏らした。
「こいつら………あんまり、強くないな………?」
「………」
頷く。そうとも。所詮は市民から発生した義勇兵に過ぎない。
訓練された兵士と有象無象の市民兵士の差は既に項羽と劉邦の戦いが証明している。練度には期待できないと判断したロリコン傭兵ですら、この目の前の兵士を名乗る一般市民を相手にすれば圧倒できる。
………故にこそ、弓で俺たちを仕留めるべきだったのだ。練度が低くとも簡単に放つことが出来、或いは狩りなどで他の武器に比べれば使い慣れていた弓の距離を抜けられてしまえば、こうしてたった二人に蹂躙されることになるのだから。
とはいえ。俺も連れのロリコン傭兵の方も物量に擦りつぶされ、体力が尽きれば命も尽きるだろう。これに関しては別動隊となった傭兵たちがいても同じことだ。
故にこそ頭と体、極限まで酷使しなければな。
曲刀にこびり付いた血糊を服で拭う。もう暫くは血風の中で踊る必要があるだろう。