飛鴉根回
戦争が激化するのは三日後。情報通りになる………否、するのであればそれまでに事前の準備は終わらせておかねばならない。
必要なのは情報だ。最低限の情報は既に書簡で届いてはいるが、それとて自分の目で見た生の情報を足したほうがより良い見分ができるようになるというもの。
「………」
まずは地形だ。今の俺は護衛だが、地形の把握は護衛の仕事の領分であるためこうして出歩いていても不審に思われることはない。まあ、何をしているのかを聞かれた際、言葉に出して答えることができないのが厄介といえば厄介だが、その程度だ。
まずはこの街。貴族主義の側の街ということで、その象徴と言わんばかりに防壁に覆われた街の中央部には豪奢な屋敷がいくつか並んでいるのが見える。とはいってもあれらは基本役場としての機能や、街の政を行うための設備でもあるため、豪奢即ち堕落とは限らない。
見栄や威厳はある程度は必要なものだ。上に立つものが泥だらけの奴隷と同じ服装ではついてくる人間はいない。なにせ、人望の半分は金で買えるのだから。
さて。街の構造はこの世界、この時代では特筆することのない城郭都市だ。これはこの街からみれば敵方に当たる相手の街も同じである。ただ、元々こちらの方が中央に近い貴族がいたのか、或いは単純に立地が良かったのか、こちらの街は小高い丘の上に築かれており、地形的に有利なのはこちら側だろう。
勿論戦争の中核になれるほどの優位性ではないので、物量で押されれば簡単につぶれる程度のものだが。
「いつまで戦争が続くのかしらねぇ」
「行商人も持ってくるのは軍事品ばかりだ、このままじゃ街が干からびちまうよ」
人ごみを進みながら、その人間たちの会話を盗み聞く。
どれもこれも、戦争に嫌気がさしたといったような内容だ。まあ、それは当然だろう。好き好んで戦争をしたがる市民はいない。少なくとも民は皆、戦に飛び込むことを嫌がるのが普通だ。
寧ろ平民、市民が狂い始めるのは戦争が過激になった頃、或いは末期に近づいた時だ。情報統制等による民衆の集合意識の煽動の効果が最大を極め、そして敗北を信じたくないと国家全体の意識が固まったところで盲信による狂信が発生する。今現在、この街はその段階まではいっていないようである。
街を歩く人間の頬は太ってはいないが、されとて痩せこけてもおらず、文句は言いつつも食い扶持は確保できていることが見て取れる。まあ、そもそも城郭都市とは戦争に備えた都市構造だ。
多少戦争が長引いたところで、致命的な結果にはならない。
「………」
こちら側の街の様子は、戦争に嫌気がさしつつも仕方ないと受け止めているといった様子か。まだまだ生活に余裕はありそうである。
ならば、問題は向こう側の情報だ。
「………、ぅ」
おや、と息を漏らす。
思考に耽りながら歩いていれば、既に俺は街の外縁に移動していた。
城壁には見張り台がある。折角なので見張り台に上り、戦場となる予定の場所がどのようになっているのか確認するべきだろう。
石造りの城壁に備え付けられた階段を上る。弓矢窓等が備え付けられた防壁の最上段に登れば、街と街の間に大きな川が流れているのが確認できた。
………珍しいものだ。大抵、都市というものは必ず河川の上、或いはすぐ近くに立つ。
そも水とは命の源であり、そして生活のためには大量の水を必要とする。大量の人間が住まう街であればあるほど、川という立地条件からは逃げられない。
ああして、都市から川が離れているのは治水技術が優れている証左か、若しくはこの街がそこまでリマーハリシアにとって重要ではないという事実の裏返しか。
まあ、どちらでもいい。問題は、ああして川が存在することによって大軍の進行は難しいということだ。実際の戦闘でも川を挟んだ戦というのはどうしても、川を越えたほうが不利になる。
この戦争、”暗殺教団”が介入したというのもあるのだろうが、そもそもの立地として大規模な総力戦が行いにくいという前提があるらしい。
―――ふむ。いや、逆か。そういう前提があるからこそ、根や仕掛けはこの街を舞台装置に選んだのだ。
ならば。俺が取りうる手段は決まっている。
総力戦ができないのであれば、行うのは少数精鋭による相手の陣の切り崩し。そうして大軍を補足し、撃退するだけの統率力を奪ってからの、後衛の本隊によって街を滅ぼすという手法だろう。
尤も、これは普通に俺が戦争をするつもりであればの話だが。
忘れてはならない。俺はあくまでも暗殺者であり、そしてこの場では根や仕掛けの一人であるということを。
「…。、…、……」
声を出せず、しかし笑う。
戦争の肝は情報だ。情報戦略を制した者が戦争を制する。何時の時代も、どれだけ正確に情報が伝わるかどうかが戦果に直結するのだ。
ならば、その脳内シナプスのように戦場を伝わる情報を少しだけ弄ってやれば、あっという間にこの戦局は泥沼と化す。
当然、そのような不正行為は普通ならばスパイと扱われて終わりだろう。彼の有名な二重スパイ、マルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレ―――マタ・ハリですら最後には捕まった。
だが、俺たちは暗殺者だ。それも、俺の師の一人はその中でも指折りの変装の達人、”百面”の名を冠する暗殺者である。ならば。その程度、息をするように熟せる。
………向こう側の街の状況はこちらと違って実際に見るわけにはいかない。故に予測する。蜂起した武装市民がどう動くか、どのように扱われるか。
想定される問題、周りからいいように使われている張子の虎は、さて一体どう考える。
一瞬の後に答えを纏め、周囲をちらりと見渡した。
空には茜の色合い。照らされた雲の合間を飛び交う鴉の群れ。恐らくは森に帰るのだろう。その群れの中に一羽、”獣奏”の鴉が紛れ込んでいるのが見えた。
目線を向ければ、その鴉が一鳴きし、鴉が防壁へと一斉に集まる。羽休めを行っているのだろう。成程、調教師の長老というのは伊達ではないらしい。獣を自在に操ることができるというのは恐るべき才能だ。敵にまわせばどうなるか、考えるだけで恐ろしいが―――その技術には興味がある。
まあいい。それは後回しだ。
髪に手を当てる。髪の内部から針を取り出すと、服の隙間から紙を取り出す。これは和紙の技術を用いたもので、この時代においては数少ない本物の紙である。
針を指先に差し、溢れた血をインク代わりに。記した指示は簡潔だ、つまり『首魁に軍勢を連れ、交渉を行うように指示を出せ』と。
付箋程度の大きさのそれを丸めると、羽休めを行う鴉の群れのほうに歩きだし、すれ違う。
人が近づき、鴉は飛び立つ。一瞬だけ羽が舞い、それと同時に紙を密かに放り投げた。
小さなそれを”獣奏”の鴉は掴み取ると、天へと舞い上がる。これで、情報は伝わる。これでいい。
「………」
―――指示の理由など、簡単だ。
この戦争は総力戦が行いにくい状況であり、尚且つ”暗殺教団”がそうならないように堰き止めている。それだけのものだ。逆に言えば、火種が元々ある以上、燃えるものを放り込めば後は勝手に燃え上がるのである。まさに焚火だな。俺が用意するのは薪だけでいい。そして、情報を狂わせ、消火させなければいい。
古今東西、組織が狂うのは統率者がいなくなり、責任も能力もない人間が後継に指名されたときだ。ならば、その状況を意図的に作り出せば、あとは勝手に転がりだすのである。
先ほど出した書簡はその下準備。あとは情報に関する根回しと―――決行の理由及び建前、そして俺たちのアリバイ作りを行えばいい。
これで仕掛けの使い方が正しいのかはわからないがな。まあ、使えるように使うだけだ。さて、ほかの仕事を済ませるにしよう。
なにせ、準備期間はあと二日しかないのだから。
体調を崩しておりました。更新遅れて申し訳ありません。