這巡仕掛
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「”百面”から通達。『赤い鳩は飛び、黒い烏が向かう。祭りの準備を始めろ』」
「………了解」
「ああ、それと―――焚火を始めるのは烏の一羽だそうだ」
暗闇の中で、数人の男が音もなく声を発する。幾つもの隠し言葉を用いているのは勿論、当人たちが人には言えない職業の従事しているためだ。
………名高き人殺しの組織”暗殺教団”。適性を認められ、実行者では無く種を撒き、土台を立てる仕掛けに回る者たち。彼らはそれだった。
「烏の一羽………新入りか。あの”無芸”の弟子とかいう」
「らしいな。最近名を聞くようになったが、一体どれ程の実力なのか」
「どうだっていい。俺たちは”仕掛け”だからな。台無しにされなけりゃあそれでいい」
「は、違いない」
その雑談を最後に、仕掛けの者たちは言葉を発しなくなる。代わりに、足に書簡を巻いた烏が飛びだした。
―――当然、その言葉と烏に気が付いたものは誰もいない。
彼らは戦わない。戦えない。それ故に、彼らは生粋の影として戦場に、街に、民衆の中に溶け込む。それこそが仕事であるといわんばかりに。いや、事実それが仕掛けの仕事なのだ。
あくまでもお膳立て。しかし、名の通りに仕掛けを撒く事がどれほど重要か、大変か。理解し、納得し、それに身を捧げることが出来る者だけが、こうして仕掛けとして生きることが出来る。
これまた暗殺の形だと、誇り、笑って。
***
「”仕掛け”が動き出しました。計画通りならば、三日後に紛争が激化するでしょう」
「………」
「下部構成員………工作員といった方が良いでしょうか。彼らの仕事は満足のいくものだと思いますよ、貴女もいずれは使い方を覚えなければいけません」
「………、………」
商人との接触後、俺たちの元にやってきた烏に結ばれていた書簡を読み取る。
成程、ミリィの言う通り”暗殺教団”というのは随分と構成員の幅が広いようだ。俺たちの様な実行役以外にも協力者がいるのは知ってはいたが、その協力者にも何も起こらなくとも現地にあらかじめ伸ばしておく”根”や、状況を作り上げるための”仕掛け”と種類があるらしい。
恐るべきはそれらをすべて把握し、登用し、育て上げる”暗殺教団”だが。はて、何故これだけ人材育成に長けている筈の組織の頂点は、殆どが人の育て方が下手なのだろう。
「………」
いや。下手というわけでは無い。人智を及ばせる気がないという方が正しいのだろう。ハーサやバルドー、ミリィも含めて実行役の頂点である”長老たち”に求められるのは超人的素質だ。即ち、英雄の領域に立つ存在。それらを選別するためにも、”長老たち”は次世代の長老に一切の手を抜かない。尤も、ハーサとバルドーは育て方に難があるのは事実だろうが。
「リックス。私たちもその仕掛けに参加します。貴女にはいい機会でしょうが、初経験初任務となります。油断しないように」
その言葉に頷く。油断など元よりする気はないが、一手間違えれば台無しになるのが仕掛けの世界なのだろう。ならば、慎重さは常以上に持たねばならない。
………それにしても、この伝書鳩、いや伝書烏は随分と大人しい。足を投げ出して馬車に座る俺の膝の上で羽を休める様子は、失踪率も高いという伝書鳩らしからぬ姿である。
「ああ、その烏が気になりますか。それは”獣奏”の双子が育て、調教した獣です」
「………、」
前に名を聞いたな。確か、調教師の長老。成程、確かにこの時代、世界に電子機器など存在しない。そうなると、伝書鳩を始めとした獣を用いた連絡手段が必要になるのは必然だ。
その”獣奏”が育てたという獣に触れあったのは始めてだが、獣に似合わない聡明さを持つように見える。調教師としての腕前は一流などという次元を超えているのかもしれない。
「それで?私たちはどうすんだ。激化が三日後ってんなら、それまで昼寝でもするかー?」
「………巣に戻りなさい」
「いや、巣って」
にべもなく、質問すら許されずに馬車の奥に戻されるバルドー。まあ、当然である。
頭を使わなくてもわかることだ。激化するのが三日後というならば、仕掛けはそれ以前から取り掛からなければならない。
なにせ、実行役では無く仕掛けとして動くのであれば、殺すことだけが仕事ではなくなるのだから。
「貴女は寝ていても構いませんよ、バルドー。どうせ役には立ちません」
「ははは、まーそうだなー。んじゃ、適当に見つからない所で寝とくわ」
「ええ」
「仕掛けっていう面倒ごとは、”百面”とその弟子に任せる方が効率がいいからねー」
「………その通りではありますが、脳筋の貴女に言われると腹立たしいですね。まあ、いいです。さて、リックス―――仕事を始めましょうか」
***
「武器だぁ?いらんいらん、もう三か月も戦線は微動だにしてないんだ、武器なんぞ買ったところで馬の餌にもならん!食い物はないのか、食い物は!」
「もちろん、そちらもご用意がありますわ、旦那様。リマーハリシア中央で最近売り出され始めた、戦場食です。その名もビスキュイです」
「………戦場食?新作か、どんなものだ」
「リックス。旦那様に試供品を」
「………」
瓶の蓋を開け、ビスキュイを取り出すとそれを目の前の腹回りにやや贅肉を蓄える男に差し出した。男はそれを見て一瞬、なんだこれはと言わんばかりの視線を向けた後に齧り、唸った。
「保存期間は?」
「この地域の気候ですと、三か月は確実に」
「凍結地帯だとどうだ」
「湿気さえ防げば同様ですわ」
「………買った!幾らだ!」
「一瓶五千ほどで」
「高い!三千ルール!」
「では四千」
「………よし」
忘れがちだが、リマーハリシア及びその周辺で使われている通貨の呼び名はルールである。勿論これがパライアス王国だとまた名が変わり、価値も変わる。商人たちならば両替を行うのも日常茶飯事だが、基本的にはその地域の通貨で取引するのが一般的だ。
遠い国の貨幣で売買をしてしまっては、その貨幣の価値が暴落した、或いは逆に上昇した場合、片方が大損をすることになる。
高い買い物を高値で売り、そうして得た金が殆どの国では銀貨一枚の価値にすらならないとなれば、それで人生は詰んだも同然である。現代ではまだ生きる術もあろうが、この世界では奴隷に落ちるか娼婦になるか、或いは法の外で盗賊として暮らすか。それくらいだろう。物乞いという手もあるが、どうであれ長くは生きられないことは確実だ。
俺はそれ故に、奴隷を抜け出し暗殺者になったのだからな。生き方は自分で選ばねばならん。身分を理由に死を許容できるものか。せめて死ぬときは、俺らしく生きた結果である必要がある。
「………」
それにしても、五千は吹っ掛けたな。あれの原価は大量生産に入っているため非常に安いのだ、これだけで既にぼろ儲けである。
商人から買い取った武具の代金はもう帳消しになっている。それどころか黒字だろう。
さて。それよりもそろそろ状況を説明するべきだろう。
俺たちは当の紛争地域にある街の一つに足を踏み入れ、商人として物を売り、そして購入しつつ周囲の状況を確認していた。全て事前情報の通りだったが、間違いがないかを確認すること自体が大事なのだ。
その中で出会った、軍事関係の調達部門の人間………それが、今ビスキュイを購入した男だった。ようは軍お抱えの商人というやつだ。正確には商人と取引をする立場にある、なのだが似たようなものである。
「それで、紛争相手というのはどういう手合いで?」
「………平民だ。貴族主義に対抗して蜂起した武装市民というやつらだよ。だが………」
「だが?」
「やけに持っている武器がいい。どこか別の国が支援しているのかもしれないな」
「なるほど、良くあることですわね。この世界、他の国の足を引っ張りたい国は多いですから」
「そのせいで私たちも随分と苦労しているがな。なにせ、戦争が終わらん。平和な戦争など金の無駄だ」
「心中お察ししますわ、旦那様。暫くはこの街に居りますので、もしも何か入用になれば私までご連絡を。この通り糧食から武器、そして戦力までご用意できますので。あまり数はありませんが、お安く致しますわ」
「………ああ。む、戦力とは?」
「この娘は私の護衛ですが、お貸しすることは出来ます。こう見えて、元凄腕の剣闘士でして、強いのですわ。声が出せないのが難点ですが」
「ほう。女旅に女の護衛か、あんたはいい拾い物をしたようだな。分かった、もしもの際にはその少女を借りよう。―――まあ、この戦争が激化するとは思えんがな」
「………」
いや。本当に演技が巧いな、ミリィ。
その情報は全てミリィが知っていることであり、更に詳しく言えばミリィがそうなるように指示したものだ。知っていることを知らないように聞いているというというのもだが、それ以上にこれで軍の男は俺たちを完全に外から来た商人だと認識した。自身で情報を与えた、その事実が立場を錯覚させ、定義を狂わせるのである。
一度構成された認識というのは中々剥がれないもので、その認識を自在に操ることが仕掛けでも変装術でも重要になってくる。その点で、何の変哲もない会話だけで認識を確立させたミリィは流石”百面”であるとしか言いようがない。
「それでは、一旦私たちはこれで。失礼いたしますわ、旦那様」
「………」
ミリィは礼儀を持って深く、俺は小さく頭を下げると、馬車に飛び乗る。
馬の尻が叩かれ、馬車が宿屋に向けてゆっくりと進みだした。
「私が張れる根はここまでです。これ以上は貴女の番ですよ、リックス」
「………」
「ええ。そうですね―――」
口で、形を作る。即ち、
「転がりだします、ここから」




