移動試練
「今日は終わりだ。さっさと飯にすんぞー」
「…………あ」
「ん?どうした、ミリィ」
何度も打ちのめされて疲れ果てた俺とは違い、ハーサは余裕の足取り。
師匠とは違い、つかれている俺も、息を整えてから屋敷の中へと入る。
手渡された布で大雑把に体をふいていると、ミリィのそんな声が聞こえた。
「……いけません、食材が全くないことを忘れていました……!」
「あぁ……?干し肉残り無かったっけか」
「はい、今日の昼分で最後です……昼ご飯の後にすぐ訓練を始めたので、そちらを見ていたら完全に忘れていました……申し訳ありません!」
なるほど、夕飯がないのか。
まあ、俺はマキシムの屋敷でも小さな林檎だけだったりしたこともあり、そう言った経験から一食くらいなくても問題ない。
まあ、それはここにいる全員がそうだろうがな。
ということでそこまで気にする必要はない。
「大丈夫だ、ミリィ。くわなくても問題ないからな」
「いやぁ、よくやったさね、ミリィ。いいことを思いついた」
「……え?」
「…………チッ」
いいこと……こいつのいいことは、俺にとって確実に悪いことと決まっているのだ。
思わず舌打ちが出てしまったが、当然のことであると主張したい。
***
「見えるな、ハシン」
「どうやら夜目は効くようだな、この体は」
暗闇に慣れるまでが速いし、闇の中でもよく見通せる。
この体の数少ない利点といったところか。
「また無茶ぶりか。今日はもう十分だろうが」
「安心しろよ、最初位は一緒に行ってやるさね」
「…………ふん」
「拒否らないってことは、なんだかんだで外に出るのは楽しみにしてたってことだろ?」
ハーサのいい考えとは、食材を買いに行くということだ。
もちろん、ただ買いに行くだけじゃない。俺の修行もかねている。
どうやら移動術を学ばせるつもりらしいが―――。
「これからこの屋敷の外へと出るわけだが……私の後を正確に追えよ?じゃないと死ぬさね」
「物騒だな。何とかならないのか」
「厳重であることに越したことはないさね。それに、この屋敷程度の罠なら、暗殺者の移動基礎を持っているだけで踏破できる」
その基礎を見ただけで覚えろとは、全く無茶な要求をしてくるものだな、クソ師匠。
だが、本音を言えばそろそろ外に出て、リナの顔を見ておきたいというのも事実。
マキシムの後を継いだ……いや、別に継いではいないな。
無能な豚の代わりに任命されたフロルからの追手がかかっていないか、パン屋の経営はうまくいっているか、俺が最初に居た街がどんな場所なのかなど……いろいろ知りたいことがある。
情報を集めるためには、今回の外出はいい経験になるだろう。
ここで移動基礎を覚えれば、今度から自分一人で外に行けるのだからな。
「しっかり覚えろよ?」
ハーサは闇覆う深い森の中を、迷いなく走り始めた。
それに遅れないようについていく。
ハーサの足跡を正確にたどり、跳躍の高さ、距離も合わせる。
……決して善意ではないだろうが、ハーサは俺の身体能力に合わせてくれているらしい。
単純な身体能力では、こいつとは話にならないほどの差があるからな。
「どうした、息切れか?まだ早いさね」
「……うるさい、まだ体力は強化中だ…………」
今の俺に体力が不足していることは認める。
体力は一朝一夕につくものではない。
故に、暗殺者としてまだ見習いであり、その見習いとしてすら日が浅い俺の体力など、底が知れている。
だが、これは移動だ。
戦闘ならば体力の低下は隙を生むという、致命的なものになるが、移動ならば正確に体を動かせる限り、そして体が動く限りは問題ない。
俺はまだ大丈夫だ。体も動く、正確にも動かせる。
「ここから少々アクロバティックな技になるさね」
「問題ない」
「そうか」
大きな崖を前にし、一際強く地面が蹴られる。
跳躍したハーサはやや右斜めに飛び、崖側へと突き出して成長している巨木を右足で蹴り上げて足場にし、反対側へと跳躍。
そこにある樹を、反対の足で蹴ってさらに足場にし、崖の向こう側へと着地した。
なるほど、俗にいう三角飛びに近いものだ。
しかし、普通の人間が想像する三角飛びは、跳躍、壁蹴り……この二つの工程だけだ。
今回のように物理的に三回蹴るタイプは初めてである。
……だがまあ、やるしかない。
「…………フッ!!」
ハーサと同じように地面を蹴る。
跳ぶ角度、高さを合わせて巨木へと足を付ける。
……だめだ、足りない。
身体能力の差か、はたまた消耗した体力か。
ハーサと全く同じようにというわけにはいかないようだ。
このまま跳べば、高さが足りずに樹に到達する前に崖下に落下する。
崖下の地面には侵入者対策であろうか、竹槍が乱雑に敷き詰められており、受け身をとっても助かるものではない。
―――さて、どうする……?
「クックック……」
「……なるほど」
ハーサの嗤う顔を見て理解した。
これを考えるのも修行ということか。
どうやら、同じようにやったのでは届かないようになっているらしい。
正確に着いてこいといった癖して、これだ。
本当に性格が歪んでいるな、俺の師匠は。
「いっぺん死ね、クソ師匠」
毒づきながら現状に対処する。
……片足ではなく、両足で巨木を蹴り上げることで力を増強させ、向う側へ到達できる程度の力を作る。
このときに注意することは、力を生み出しすぎないということだ。
ここまで道のりで、だいたい移動の基礎は掴んできたが、必ず根底にあるのは無駄な動き、また力を、しない、作らないということだ。
無駄な動作は無駄な力を生む。無駄な力は致命的なミスとなる。
今回のケースで言えば、ここで力を籠めて飛びすぎれば、向かいの樹に足を付けている時間が長くなり重力に負けることになる。
――――無駄な動作と無駄な力を極限まで削減した結果、超人の如き体術を得る。
危なげなく向かいの樹も足場にすると、ハーサのそばに着地した。
「……性格が歪んでいるな。一度生まれ直したらどうだ?」
「だが真理はつかんだだろ?この基礎を言葉だけじゃなくて実感として知るのは難しいさね。むしろ感謝してほしいものさね」
「…………………………チッ」
確かに、この移動と体術に共通する真理を、言葉だけじゃなく実際に体感することで覚えるのは難しいだろう。
だが決して感謝はしない。
「ま、移動は及第点さね。今回だけで基礎すべて覚えるというのは優秀優秀」
「いちいち煽るな」
「そういえば、道のりに何があったのか気づいたか?」
俺の話を聞け。
行動のすべてで人を馬鹿にしないと気が済まないのか、こいつ。
「…………道のりにか。どれだ?」
「全部だ」
「侵入者の死体。ワイヤートラップ。樹に埋め込まれた棘」
おそらく毒か何かが塗ってあるのだろう。
これに触った侵入者は全員お陀仏ということだ。
これでいやらしいのは、死んだやつらは移動ルートから自動的に落ちていく仕掛けになっているということ。
つまり、あとから来たやつらは相当気にしないと前の犠牲者に気が付かない。
「虎挟み。結われた草」
俗にいう草結び。
これほどの罠があるこの森では、ただ足を引っかけるだけで脅威となる。
あの崖の近くにあったのは意地が悪いとしか言いようがない。
「罠かは知らないが、茨などもあったな」
「よく見てるさね。合格だ」
「目の悪い暗殺者などいないということだろう……」
この”目”とは、単純な視力ではなく、罠や悪意を感じ取る、ということだ。
「お前も暗殺者らしくなってきたさね」
「性格の歪んだ師匠がいるからな」
クツクツと嗤うと、ハーサは走り出した。
移動再開ということだろう。俺の体力も回復している。
……いや、今の雑談自体が、体力の回復を待つためのものなのかもしれない。
まあ、そうだったとしても礼は言わないがな。