百面帰還
「―――”無芸”か!!あはは、久しぶりだな!!さあ、殺し合おう!!」
「うるせぇ、その外れた肩を治してからいえ、阿呆」
「………っと、そうだね!!」
”神拳”が己の肩の骨を嵌め直す。
その様子を冷めた目で見ていると、付近に転がっている弟子の足を掴み、持ち上げた。やれ、相変わらず軽い身体だ。
息はある。死んじゃいない。まあ、この程度で死ぬようなたまでもないが。そもそもそんな育て方もしていない。
とはいえ―――最後の一撃はまだこいつの肉体には厳しかっただろう。
内心でそう思いながら、肩が外れた直後、ハシンに対して振るわれていたカウンターの蹴りを止めた腕を降ろす。摩擦で熱を持った指を開いて軽く振った。
「じゃれついた挙句、手傷を貰った気分はどうさね」
「あー、最悪だね!」
「………あー、テンション上がってやがるなこれ………ッチ、面倒くせぇ」
スイッチが完全に入っているようだ。
―――”暗殺教団”きっての戦闘狂、”神拳”のバルドー。硬気功による身体強化と天性の格闘センス、そして生まれ持った特殊な肉体によって単純戦闘では最強の一人に数えられる、戦士としての力量を持った暗殺者だ。最強の一人、というのは一切の誇張がなく、正真正銘この世界では肉弾戦でこいつに勝てる人間は限られる。
例えこの間戦ったパライアス王国の三将軍でも、無策でこいつと戦うことはあり得ないだろう。
まあ、私はその限られる人間のうちの一人な訳だが。
「落ち着けよ、戦闘狂。さっさと上がって情報出して帰れ、お前と話すのは只々面倒さね」
「え、酷いな、”無芸”。私はお前のこと嫌いだけど、話すのは楽しいよ?」
「私とお前の性格相性的問題だ、この異常者」
「―――はて。異常者に異常者といわれるのは、流石に馬鹿のバルドーでも怒るのではないでしょうか」
「戦闘狂………いや、戦闘マニアと一緒くたに扱われるのは流石に御免さね。さて、久しいな、ミリィ。情報収集は終わったのか?」
弟子の足を掴んだまま馬鹿と話していると、背後にうっすらと気配を感じる。ミリィは化けようと思えば何にだって化けられる、それこそ自然環境の構成物にすら簡単に変じられる以上、どこから出てこようと大して驚きはしない。
「おお、臆病者!!お前も久しぶりだなー!!というかなんだその服装!?変なメイド服だなぁ!!」
「黙りなさいバルドー」
「………あれ、なんかキレてる?」
「こいつ、この馬鹿弟子のことお気に入りだからな」
「げ、虎の尾を踏んだ?………流石に”百面”相手は面倒だなぁ」
ミリィの威圧感で一旦バルドーのスイッチは切れたらしい。
ミリィの直接的戦闘能力は私たちよりも一段劣るが、それでも一線級を大きく上回る戦力であるのは確かであり、そして。
………”百面”を相手にするということは生活の全てに刃が仕込まれているという事実に他ならないため、例え正面切っての戦闘に於いて最強を誇るこのバルドーでも、ミリィを相手にするのは忌避するのである。
寝首を掻かれる、など比喩にもならん。愛を囁いた人間が刃を振い、馴染みの酒場の主人が毒を盛り、信頼していた部下も師匠も全て敵になる可能性があるのだ。どんな強い人間でも、ミリィを相手にしたいとは思わん。
人と関わりがあればその時点で詰み―――”百面”とはそういう暗殺者だ。最も暗殺者らしい暗殺者ともいう。
ま、実際に当時最強と言われていた先代の”神拳”をミリィはあっけなく殺しているしな。あの爺、それなりには強かったんだがね。当代の”神拳”に比べれば弱かったが、あの時のミリィよりは間違いなく、戦闘能力は高かった。
「ハシンも珍しいですね、戦闘に積極的になるなんて」
「そこに落ちてるものを見てみろよ、ミリィ」
「………包み?文字は、影色の眸、ああ。あのマキシムに捕らえられていた娘のパン屋の。おや?何か中に入っているようですが」
「パンと、あとはビスキュイだな」
「成程。これ、無理矢理落としたのバルドーですね?」
「見つけられたから蹴ったら確かに吹っ飛んだなぁ。そしたらなんか怒ったみたいだねぇ。あはは、ヘンなの」
ミリィが溜息を吐く。地面に落ちている包みを持ち上げ、土を払うと胸元に抱いた。
「私にとってのハシンが、ハシンにとってのあの子なのでしょう。当然、怒るに決まっています」
「いやー、わざとではないんだよ?蹴ったらなんか持ってただけでさ………」
「まず最初に蹴るのがおかしいのですよこの愚か者」
「………はーい………」
恐ろしいほど冷たい目に威圧され、縮こまるバルドーを放っておき、いい加減に拠点へと戻る。
ったく、図書館の王女様も厄介な人間を伝令役にしたもんだ。何を考えているのか。
………いや?ハシンとバルドーを引き合わせるのが目的だったのかね。
ハシンの成長速度は異常といえるものだろうが、それでも教材がなければ結局は常人並に落ち着いてしまう。それを嫌って、バルドーという劇薬を放り込んだ―――となれば、辻褄は会う。
引き摺っている弟子を見る。既に、こいつはあの短時間の戦闘から硬気功という技術を奪い取っている。暗殺者としての才能を開花させ始めている証拠だ。寝顔は子猫のそれだがな。
「”風炉”のやつ―――本当に何を考えてやがる」
あいつの作戦は想像がつくが、心の底で何を考えているかは私でもわからん。私たちが”暗殺教団”の在り方を壊した時も、あの王女様は何も反応しなかった。
半分、人間を辞めた存在………見透かされているようで少々鬱陶しいが。
「あ、待てよ”無芸”」
「うっるせえ、ついてくんなこの馬鹿」
「ごふっ、痛いよ!?」
半分殺すつもりで頭を叩きながら、”長老たち”三人で拠点へ向かう。
………一瞬、バルドーの視線が弟子に向く。その色は既に、未熟な弟子を見るものではなくなっていた。
***
「………頭が痛い」
「起きたか、寝坊しすぎさね」
「煩い黙れ………頭が揺れる………」
ハーサにそう言いながら、頭の左側を抑えた。鈍痛というには鋭すぎる痛みが頭を襲う。裂けるよう、という表現が似合うだろうか。
「あ、起きたんだ。おはよ~、お弟子ちゃん?」
「………”神拳”か、死ね」
というよりなぜ当たり前のように拠点の屋敷の中で寝っ転がって寛いでいるのか。お前、ただの不審者だろうが。
そんな心境のせいで思わずストレートに口から零れた罵倒を聞いて、バルドーの眉が痙攣した。
「あは、あはは。ねえ”無芸”、お弟子ちゃん本当に君に似てるよね」
「ハシンに死ねといわれるだけのことはしているでしょうに、貴方」
「えー、そうかー?ちょっと遊んだだけじゃん」
「地力の差を考えろ、阿呆が」
頭を押さえれば、包帯が巻かれているのが分かった。というより俺は今、ミリィに膝枕をされているらしい。看病の途中だったようだ。
「迷惑をかける、ミリィ。そしてお帰りだ」
「はい。………帰ってきても、そう言ってくれるのはハシンだけですよ」
「今更私たちにそんなのいらんだろ、言ったところで気持ち悪がられるだけさね」
「そもそも私はこの拠点の住人じゃないしなー!」
「煩いですよ戦闘狂共」
さて。絶大な戦力を持つ”長老たち”が三人集結とは、これまた変な状態になっているな。
無理に体を起こしても無駄な苦痛を味わうだけになるためミリィの太ももに体重をかけつつ、机の上の資料に目を向ける。非常に視認しにくいがまあ、見えないことはない。
「ふむ。とうとう作戦開始か。シストスの街だな」
「ああ。どこから訊いたか分からんが、お前のビスキュイの完成を図書館の王女様が知っていたみたいでな。だが、結構今回は面倒だぜ?」
「何がだ」
羊皮紙をこちらに投げて寄越すハーサ。それを掴み取ると、書かれている文字を読み始める。
ハーサの言葉はすぐに理解できた。
「………ふむ。暗殺の下準備から、か」
「そういうことだ。お前がパン屋の娘と一緒に作り出した、この―――」
ハーサの腕が、パンの包みの中に入る。先ほど、馬鹿………もとい、”神拳”バルドーとのじゃれつきで地面に落ちたそれは、幸いにして無事だったらしい。
さて、そんな包みの中から出てきたのは、俺とリナで作り上げたビスキュイだ。
「戦闘糧食、ビスキュイ。これを浸透させ、シストスの街への侵入、侵攻の前段階を作り上げる。これが私たちに与えられた、最初の任務だ」
「もちろん、状況を整えたら実際に攻め立てもやるよー。やることたくさんだな、あはは!」
「お前、潜入任務とかじゃ役立たずだろうが、なにいってるさね」
「ふむ。まあ、やれと言われれば当然やるが―――ミリィ。貴女との共同戦線、ということになるのか、これは?」
顔を上に向け、ミリィの表情を見る。
”百面”と呼ばれる暗殺者の、その表情を。
「はい。そうなりますね」
「正確には”百面”と私との共同戦線だけどなー」
「黙りなさい馬鹿バルドー」
「………当たり、強くない?」
淡く笑うミリィは、暗殺者の貌をしていた。
「安心してください、ハシン。―――私は、しっかりと教えますから」
彼岸花のような笑みが咲く。
………やれやれ。馬鹿師匠とはまた別の意味で、この人の教えは大変そうだが………その全ては身になる物だ。特に非力なる俺の肉体であれば尚更に。ああ、当然死ぬ気で覚えるとしよう。
覚えなければ死ぬだろうからな。だが、まあ。その前に、だ。
「………取りあえず、頭痛が収まったらでいいか?」