獣王終焉
「………ァ………ぁ………ナ………」
地面に倒れた身体から血が噴き出し、俺の身体を濡らす。少し先に落ちている獣の頭が、ようやく何が起きたのかを理解し始めたらしい。
別段特別なことなど何もしていない。通常の心理状態、現状把握能力―――つまりは判断がしっかりできていれば、戦っているうちに気が付いただろうに。
「ぃ、ト………」
「ああ。戦っているうちに巻いておいた」
そして、それが絡まって効力が無くならないように獣の足を止め続けた。唯一移動を許したのは最期の突撃、その時だけだ。
柱を盾に移動していたのは、柱に糸を巻き付けていたからである。
俺の腕は、巨大な質量の移動エネルギーに耐え得るほど頑丈ではないのでな。幾本もの柱に巻き付け、力を分散させることで糸の耐久性を向上させた。
最初の突進にさえ耐えられるならば、糸は圧倒的な切断能力を披露してくれる。
力をそのまま斬撃へと変じさせるため、身体の断面は鎧すら無視して綺麗に裂かれていた。
「が、ハ………は、ハハ………ま、だ、だ………」
「いや。もう終わりだ」
首だけになっても話せるのは、首の下あたりに臓器が生成され始めているからだろう。
つまりは成長再生………俺たちが正面から戦うにはやや不利と判断したその獣の特性が、己の命を繋ぎ止めんと失った体を再生成しているのである。
だが、それは純粋な再生能力ではない。過去へと戻ることのない、一方通行の肉体変容。
進化というものに袋小路があるように、決定的に間違えた変容を行ってしまえば―――肉体はその先へと進むことは無くなる。
「腕を………胴を………心臓を………はは、お前の切り札は、これで………使い切った………あとは、オレが、キサマを、殺す、ダケ………ッガァァアアア???!!!!」
首から腕が生え、皮膚が生成される。
立ち上がろうとした、冒涜的で不完全な生命と呼べる獣が、急に悲鳴を上げた。
「ハシン、ハシン。身体から離れた方が良いのでは?なんか臭いですよ」
「ああ。ふむ………袋小路の進化の果てを迎えた結果、こうなるのか」
無限に成長を続け、それによって副次的に再生能力を併せ持つ獣。
致命傷を超えた即死傷を受けてなおここまで延命を続けているのは、確かに恐ろしいが―――やはり、限界があるらしい。
泡立ち、膨れ上がっていた獣の頭から生成されていた臓器、皮膚が一斉に泡立った。そして、腐った卵の匂いを発生させつつ、ドロドロに溶けていく。
………細胞のアポトーシス誘導。それが急激に行われているのだろう。成長限界を迎えた結果、命は己の自己消滅を選択した。
溶けていく身体を空ろに眺めている獣が、小さく呟く。
「ナ、ぜ………何故、私は………負けた………?」
「今更そんなこと聞きます?一応、頭いいんですよね、あなた」
「戦に使う頭と研究に使う頭は違う。仕方あるまい」
ナイフを仕舞い、糸を回収する。なるべく仕事に使った道具は残さないのが好ましい。
その最中に、同じようにつぶやいた。
「貴様は戦士ではない。それだけだ」
そう。これが例えばキャラバンサライで出会った将軍であったのであれば、俺などすぐに殺されていただろう。
積み重ねた戦の経験が違う。戦闘にて磨き上げられた感性の高まりの精度が違う。
肉体の使い方、無意識に感じる敵の行動、感情の把握。
闘いとは複数の技能を身に付け、必要に応じて投じ、己の限界を理解していなければ成り立たないものだ。
それすらわからず、限界も能力も把握しきれていない、ただ肉体の性能が高いだけの人間では戦士と応対し、勝利することなど夢のまた夢だ。
なにせ、本来闇に潜むのが常套手段である暗殺者にすら負けているのだからな。
………いかに設計段階で最高の武器を持っていても実戦では使えるとは限らない。実証実験とは、実際の性能を把握するために必須のものであり、それを怠った時点で貴様に勝利の道はなかったのだ。
―――そう。結局のところ、この獣は放っておいても自滅した。これはあまり意味のない戦いであったのだが、それでも。
「ふん。意味も分からず機能停止するよりは、罪を自覚して死んでもらわなければな。暗殺者として来た意味がない」
もう身体の方は溶け切ったようだ。
黒い、まるでタールのような液体になった、肉だったモノが地面に染みついていた。
頭の方は所々脳みそや眼球の奥が露出し始めている。やれ、見た目にも気持ち悪いな。
「結局、私は………あの、将軍たちを………超えられた、のか?」
「知るか。貴様と、貴様が見ている比較対象の差など俺は知らん。だが、俺に負けるということは何も超えられてはいないのだろう。少なくとも、盾将軍は俺にはどうしようもない部類の強者だった」
「………全て、捨てて、奪って………これが、結末、カ………この世、トハ、厳シイ、モノダ、な」
阿呆。捨てて奪ったから、何も残らないのだ。
獣の瞳から光が消える。一際強い臭気を放つと、こと切れた。
「………お祖母ちゃんの話だと、パライアス王国には薬学研究において天才的な頭脳を持つ将軍がいるらしいですよ。それが堕将軍なんですって」
「こいつが言っていたのはそれか。そして無駄に張り合おうとして、障害にもなれずに自滅した、と」
「ま、頑張ること自体は間違っていないですけど、頑張り方を間違えましたねぇ、この人は」
努力の方向性を誤ればこうまで道を違えるか。
なるほど、参考になった。
………此度の黒幕、つまりは根を絶つことは出来たが、さて。
大火になる前に火種は潰した。だが、このようなくだらないことで次々に火種は発生する。………暗殺者の仕事は、まだまだ終わりでは無いようだ。
「ふん。日本のような統治国家が懐かしいな」
「はい?ニホン、ですか?どこです?」
「いや。何でもない、忘れろ」
尤も、日本が存在していた西暦二千年代ですら、無法と呼べる地域は存在していたのだが。
もしも全てを統治する―――つまり、星の全てに同一の法を敷いたとして、それは果たして理想郷と呼べるのかは疑問だが。いや、或いはそれこそが閉鎖世界か。
首を振り、思い直す。そんなことは不可能だ、所詮は夢物語である。
第一に、そんなことをすれば、それこそ暗殺者の出番だろう。完璧な法も完全な王も存在しない以上、間違いを糺すために俺たちは人を殺めるのだから。
「帰るぞ。またこの土竜の巣を引き返さなければならない。一応油断はするな」
「あは、しませんよそんなもの」
軽口をたたきながら、もうタールの塊になった獣の残骸を放置して部屋を去る。
あれを見て人間だったと、そう理解できるものはいないだろう。道具があれば、念を入れて燃やしておきたかったが、流石に無理である。
………今のこの世界の時代を見るに、あの残骸から獣が使った薬品を製造する、などは無理だと思うがな。
奇妙な植物も自生している世界であるため、確実なことは言えないが。
まあいい。さっさと帰るとしよう―――少々、やることもあるのでな。