短刀及第
二十六…二十七…とナイフを折っていき、そろそろ五十に到達しようかというところでなにか、違和感を感じた。
「……刃が欠けていない?」
ああ、ナイフが欠けたときの引っかかるような感覚がなかったから違和感を感じたのか。
もうそろそろ日も暮れる……丸一日使ってようやくナイフの斬り方を覚えたのか……。
ただこれだけのために、こんなに時間をかける必要がある、か。
「仕方なしか、自分で選んだ道だ」
俺が俺であり続けるための道。
悔いだけはない。
ひょいっとつかんだ石を一閃し、切り裂きつつ小屋へ戻っていった。
――――その刃は、もう欠けることはない。
「おいハーサ。ナイフ捌きを覚えたぞ、これで文句はないだろう」
「……今なんと?」
「お?ようやくか」
ミリィが怪訝そうに聞き返すが、気にせずににやにや笑っているハーサの元へ行った。
さも愉快そうに笑っているが……何が面白いというのだろう。
「どれ、確かめてみようかね」
「―――ッ」
こいつ、いきなり踏み込んできやがった!
本当に、予備動作なしの動きは対処が面倒なものだな―――。
「狙いは足だな」
これもハーサにとっては優しく教えているのだろう。
つまり、こいつが攻撃してくるのは俺の足―――機動力。
瞬時に集中状態に入った俺の視界に、ハーサのしなる足が映り込む。
単純明快な、足払いか。
しかし、単純ゆえに足払いは厄介な攻撃手段となる。
体格差がある状態ではさらにな。
「……ほお?」
「あらまぁ……これはこれは」
しかし、上に飛ぶのはさらに愚策……なら、攻勢に出るしかないな…!
地面すれすれまでかがみ、ハーサへと突進する。
ナイフは逆手に持ち、どのタイミングで振うかをわかりづらくさせ―――。
迫る足を潜り抜けた。
体格ゆえに生じる隙間……まあ、こいつがわざとわかりやすく隙を作ったんだろうが……そこを通り抜け、流れる勢いそのままに残った軸足にナイフを向ける。
「体捌きは及第点だな」
トン―――背中に何かが触れる感触がした後、視界が一瞬影に覆われた。
どうやら、俺の背中を起点にして片手でハンドスプリングをしたようだ。
あの不安定な体勢でよくやるものだな。しかも、重量感が全くなかった。
どれほど捌きがうまいというのだ。
目標の軸足がなくなり、素早く体を立て直す。
「……この師あってこの弟子ありですか。ああ、本当にいい拾いものしたみたいですね……」
「だろ?ミリィも早く弟子取るこったな!」
「余計なお世話ですよ」
チッ……隙がないな。
さて、どう攻めようか。
「くく……ハシン、お前じゃ私には勝てん。好きにかかって来いよ!」
「……ああ、そうさせてもらおう」
俺は、背中に隠し持った欠けたナイフの刃を投擲した。
この服には、いろんな場所に道具を隠し持つところがある。
折れたナイフなどはこっそりとしまっておいたのだ。
さらに、俺もその投擲と同時に走り出す。
「まず、足だったな?」
カンッカンッ!
甲高い音が二回響いた。
「防がれたか」
当然、効くとは思ってない。
足を狙った、二撃。会えなく防がれ、逆に距離をさらに詰められた。
「負けるかよ…」
右足、左わき腹、右耳……順繰りに迫るナイフを、すんでのところで打ち払う。
「クックッ…面白いなハシン!」
ここだ。
逃げるな、攻め込め……。
冷え切った頭が、どこまでも冷静に戦況を分析する。
臨機応変に。
足だけを狙わず、様々な可能性を考慮する。
ハーサの動きを真似て、流れに身を任せて――――。
必殺の四撃を放った。
「―――こりゃ、私も驚きだよ」
意趣返しとばかりに、俺が狙ったのは右足、左わき腹、右耳。
だが、真意はここだ。
ギギギ……、と音を立て。
俺のナイフが防御したハーサのナイフに食い込んだ瞬間に―――俺の意識は落ちていった。
「……なにが、驚きだ……」
首に鈍い痛みを残しながら。
……起きたら、体術も磨こう。
そう、決意して。
***
「あー……いかん、つい癖でやっちまった」
「ちょ、ハーサ!何してるんですか…!」
「いや、最後の攻撃、芯があってな……」
暗殺者としては、まだまだ素人だ。
間違っても私を殺すことなんてできないが、最後の攻撃には思わず私が反撃しちまうほどの芯がこもっていたさね。
「……もう、ハシンに怪我ができたらどうするつもりですか?」
「そんくらい気にしないだろ、こいつは」
「女の子なんですよ?」
妙な迫力を伴って威圧するミリィに耐え切れず、仕方なく謝った。
「すまんさね……」
「そもそも、一日でナイフ捌きを覚えてる時点で異常なんですよ?」
まあ、確かに異常だな。
私と同じくらいの時間で学習し終わったんだからなぁ。
そんな、暗殺者からみても異常な、私の攻撃で倒れこんだハシンを介抱するミリィ。
ミリィは女の子に甘いからな……。
まあ、それも理由を聞けば仕方ないと思えるものなんだが――――。
女の子扱いを嫌がるハシンをそう扱うとはねぇ。
……あ、そうだ。
「……な、なんですか、ハーサ?こちらをじっと見やって……」
「……いーやぁ?ちょっといい案を思いついただけさね」
「たいてい、ハーサの考えるいい案ってろくでもないですよね」
失礼さね。
「耳かせよ」
ゴニョゴニョ……。
「………まあ、それくらいだったらいいですけど」
渋々了承するミリィ。
……何とも言えない表情でこちらをにらむであろうハシンを想像するだけで、笑いをこらえられそうになかった。
***
「……痛い」
「あ、ハシン。大丈夫でしたか?」
「ミリィか……問題ない」
痛いという言葉は、遠くで煙管をふかしているハーサに対する言葉だしな。
というか、何をふかしているんだあいつは。
煙管から漂う煙の匂いは、煙草のそれとは違う。
……というか、さっきから俺の後頭部に感じるこの感触は、ミリィの膝か。
俺は、俗にいう膝枕の体勢であるらしい。
「あ、ハシン。ハニートラップと変装、潜入の修行は、ミリィに付けてもらうことにしたから。喜べよ~?”暗殺教団”の中でも二人の長から指導してもらったのはお前が初だぞ?」
「なん……だと……」
「特に変装による潜入に関しては、ミリィはこの”無芸”のハーサすら及ばないレベルの達人さね。お前のためと思ってミリィも快諾してくれたんだ、しっかり学べよ~」
「はい、お任せくださいね」
「……なん…………だと………」
善意がまぶしい……ハーサのやつ、わざとだな……?
……しかし、前にハーサが言った通り俺が生きるためには、其れこそ色仕掛けも必要、か。
しかし、何とも言えない表情でハーサをにらむことはやめられそうにない。
「くく……くくく……はははっはは!」
「どうした……」
「いや、なんでもねぇよ!……くくく」
頭上のミリィとなんだこいつ、という視線を交わしつつ、夜が更けていった。
明日は、体術と……色仕掛けの修練か……。
気が滅入るな、本当に。
まったく、リナに会えるのはいつになるのやら。