純白の悪魔
城に帰る気はしなかった。
どうしてかは分からない……なんで分からない振りをしてるんだろう。やっぱり僕はひねくれてる。
とは言っても、今の僕に帰る場所なんてものはそこしかない。仕方無く帰って、でもやっぱりファルじいには会いたくなかったから、僕は今。
「……でね、どうもこの辺がもやもやとするんだよ」
「……なぜお前はそれを俺に話す? 魔王」
巨人に話を聴いて貰っていた。
「良いじゃないか。昨日の敵は今日の友。話くらい聴いてよ」
僕だったら「愚痴を聴けよアホ」なんて殺されかけた相手に言われたら迷わずバックブリーカーだけど。
この裏山って妙に落ち着くんだよね。
だからこそ僕はここにきて、そしてふと思いついて山と同化していた巨人を起こして、向かいに座ってるんだけど。
「……はぁ……良いだろう。聴いてやる」
良い人だな君は。
お言葉に甘えて、僕は話した。
ミラという少女に出会ったこと。彼女と仲良くなったこと。彼女が連れて行かれて、その時の彼女の壊れそうな笑顔が頭から離れないこと。どんよりと暗く沈殿した何かが、心にあること……
巨人は、大きくて無骨な見た目とは裏腹に実に聞き上手で、僕は気持ち良く話すことが出来た。大らかだと表現するのなら、見た目通りとも言えるのかな。
話し終えて暫く、難しい顔をして考え込んでいた彼だけど、やがてゆっくりと口を開いて、地響きみたいな声で話し出す。
「それはお前……もちろんその女の子の事が気掛かりなんだろう。考えるまでもない……お前は、その子を助けたかったんだろうよ」
「……やっぱり?」
「分かっている癖に俺にそれを言わせるか……臆病だなお前は。自分の気持ちに証拠が欲しいか」
「……面倒なだけだよ。人間関係ほど複雑で面倒な物はない……なのに僕にそんな人間らしい気持ちがあるんだ。嫌にもなるさ」
僕にそんな、女の子を助けたいという気持ちがあるなんて、ね。
あそこであんな強そうな奴らに喧嘩を売るなんてね。本当にどうかしていたよ。
「じゃあお前、それは気のせいだと言って欲しかったのか?」
「そういうことになるかな……」
「呆れた奴だ。一つ教えておいてやる。それを放っておくと、寝覚めが悪いぞ」
「な、なんだって!」
衝撃だった。寝覚めが悪いだって? 有り得ない! いや、有ってはならない!
し、死活問題だ……どうすれば良い? 僕、どうすれば良い!?
「行けば良いだろう魔王。もやもやするんだろう? それを解消するには、やりたいことをやることだ。周りのことなんか気にするな。お前は魔王だろう? 好きにしろ。失敗を考えるな。やれるさお前なら」
「そう……だね」
「そうさ」
僕のやりたいように……か。周りは気にせず、僕の為に。
そうだよね。僕は魔王だ。誰がなんと言おうとも、僕が偉いんだ。
霧のかかった視界が晴れていくようだった。スゥッと、身体が軽くなっていく。なんて晴れやかな気分だろう。
僕は立ち上がって、巨人の顔を見る。清々しい、爽やかな顔だったと、そう思う。
「ありがとう巨人」
君のお陰で、僕はもう、迷わない。
「あぁ」
巨人はニヤリと笑った。
僕は踵を返す。
「僕は帰って眠ることにするよっ! やりたいようにやらせて貰うね!」
「おい待て! 助けに行くんじゃーーーーーーッ!? 伏せろ魔王!!!」
はい?
実は止められる事は想定していたので、無視して走ろうとしたら、かけられた声は制止ではなく、警告だった。
予想外の展開に、思いがけず振り向いた刹那、僕の視界に銀閃が走る。
「世話の焼ける……っ!!」
『能力確認。《進軍すること山の如し》』
「え? うわっ!?」
何かに思い切り引き倒される。流れる視界の中で、僕の足首に絡みつく植物のつるが見えた。
「あいたたた……な、なんなのさ一体」
「こののろま!! 死にたいのか!!」
今度は上に跳ね上げられた。
僕の身体を突如としてGが襲う。
「おぇっぷ……きもちわる……」
上昇の後は下降が待っている。振るわれて振るわれて、僕の三半規管は限界を迎えていた。
「うぷ……」
ようやく地面に下ろされた。吐くのだけはなんとか我慢できたけど、今もかなり危ない。いつモザイクがかかっても可笑しくな【不適切な表現の為削除されました】
「……っはぁ! はぁっ……はぁ……」
うぅ。く、屈辱だ。何がとは言わないけど。
とにかく、巨人の剣幕から察するに敵だろう。コンディションは最悪に限り無く近いけれどやるしかない。
首だけで後ろを向く。鈍色に輝くロングソードが地面に深々と突き刺さっている。どうやら巨人は、あれを避けさせるために僕に逆バンジーをさせたらしい。そう考えると本当に感謝しなきゃいけない。ありがとう巨人。
『能力発動。《無限の不条理》』
右腕の異能を解放。
面倒なことにここは城から近すぎる。逃げることに意味はない。ならば闘うしかない。
拳を強く握りしめ、それから深呼吸。はやる心臓を落ち着かせて、自然体で、剣の飛来してきた方をじっと見つめた。
来い。返り討ちにしてやる。
ガサガサッ!!
来た!
「ッ……!!」
集中力は極限。無駄な物は思考から省かれる。
足に力を込め、腰を沈める。出た瞬間に沈める。一撃だ。反撃の暇は与えない。電光石火に、先手必勝の法則に乗っ取って、意識を刈り取る。
跳んだ。悪くないスピードだ。一歩二歩と、ぐんぐん距離を潰していく。
もう目前。白い。白い人影だ。背丈は長くない。丸みを帯びたシルエット。女か。関係無い。狩る。
目前。目前。角が生えてる。尻尾も、羽根も。瞳は僕の左目と同じ黄金。そして……そして。
堪らなく、美しかった。
「……………」
足が止まった。振り上げた拳の行き場が無い。黄金の魔法陣が消滅する。思考が、停止していた。
僕は絶句していた。その美しさに。
清楚、清廉、潔白にして繊細かつ、瀟洒。そんな言葉の羅列が良く似合った。
真っ白なその長髪は、業に満ちた世界を浄化するかのように穢れなく、肌は真珠のように健康的に白だった。気の弱そうな瞳は太陽の如く黄金で、睫毛は驚くほどに長い。頭の横で銀の角が下弦を描き、腰元には蝙蝠のような白い羽、小さなお尻の辺りから生える悪魔の尻尾も、白かった。
そんな潔白……最早純白とでも呼ぶべき彼女にはやはり白い服こそが似合ったのだろう。肌の露出の少ないゆったりとしたワンピースを、見事に着こなしている。
「……!」
僕は頭を左右に振る。
不覚にもこの僕が女性に見とれていた。だけど、彼女は敵だ。僕を殺そうと
「た、助けて下さい……!」
美しい彼女に良く似合う、澄んでいてか細い声だった……いや、そんなことはどうでも良かった。
今、なんと言った?
「!!」
その感覚は唐突だった。
ゾクッと、氷の刃を背中に突き立てられたような悪寒。秒を跨がずに高速で飛来する銀の刃。
視認するより早く、反射で右腕が動いていた。
ギャリァンッ!!
腕輪の無機質な声は、弾いた剣の金属音でかき消された。
魔法陣を伴った僕の右腕の裏拳が剣の腹を叩き、遥か彼方へと吹き飛ばしていく。
分かった事が、三つある。
「……大丈夫だよ」
一つは先程の攻撃は、この純白の彼女が、放ったものでは無いということ。じゃなければ、剣が彼女を狙うことなど無いだろうから。
咄嗟にだったのだろう。抱きついてきた彼女の頭を軽く叩く。
「す、すいません……!!」
本当に恥ずかしそうに離れる。顔が真っ赤だ。肌が白いから良く分かる。可愛らしいけれど、それどころじゃないね。
「……固いな」
もう一つは、あの剣の固さ。
魔法陣一つじゃ砕けなかった。防御のために放った軽い一撃だったけれど、それでも固い。
「ひゅーっ! 美人を狩るのは楽しいねぇ……っと。おぉっと、邪魔が入ってるじゃねぇか……」
茂みの向こうから現れた、軽装の男。
無精ひげに乱雑な髪。余り清潔そうではないけれど、唯一、大きな銃らしき物だけが、氷のようにキラキラと輝いて美しかった。
「誰かな、君は?」
「んん。答える義理はねぇ。邪魔だ」
男は銃を構えた。
躊躇いなく発砲。発砲。タン! と軽い音。そして、驚きなのは、射出されたのは銃弾ではなく、刃だったということ。
「くぅっ!?」
首元をかすめていく。鋭い痛みが走り、真っ赤な血が舞う。
勿論見てからかわした訳じゃない。手元を見て、それからはほぼ勘でがむしゃらに身体を傾けた。運も有った。距離さえあれば弾ける程度には、それの速度は遅かったのだ。
「おぉっ!? なんだ、避けやがる! やるな!」
チッ。愉しそうにしやがる。僕は全く楽しくない。
君が誰かは答えなくて良いや。
「なるほど……」
そして、最後に一つ分かったことは。
「君が敵か」
誰をぶっ飛ばせば良いのか、それだけ。