不平等
昔、僕は海で溺れた事がある。
岩場でぽけっと座っていた時、急に波が強くなり、そのままさらわれてしまったのだ。
別に泳げないという訳ではなかった。だけれど、服を着たままだったし、加えてパニックになっていた僕じゃあ、もがいてももがいても、僕の命を岸まで繋ぐことなんか出来やしなかった。
たまたま近くにいた両親や、親切な大人達が助けてくれたけど、あんなにも死を間近に感じたことの無かった僕は、疲れて眠るまで泣いた。怖くて怖くて、あれ以上に怖いことなんか絶対に無いと思っていたし、実際にさっきまでは無かった。
そう、さっきまでは。
「う、うわぁぁぁぁぁああああッッ!!?」
「魔王、殺す!!!」
後ろから……いや、確かに後ろからというのは正しいのだけれど、それ以上に適切に言うならばこれは、上から、というのが良いんだろう。
何分、山と見紛う巨人と普通の人間の僕じゃあ、サイズに差が有りすぎる。
というわけで後方、及び上方から僕は今、巨人に追いかけられていた。
「な、なななな、なんでなんでなんで!!? 僕が君になにしたって言うのさっ!!?」
ニートって本気出せばこんなに速く走れるんだね! 知らなかったよ!!
「知りたくも無かったけどなっ!!」
文字通り迫り来る死の恐怖!! 鮮明に近付く終わりの気配!! 腰が抜けないのが不思議で、ちびらないのが不可解で、そして今生きていることこそが奇跡だ!!
「死ね!!」
小学生とかが言えば冗談で済むのに、恐怖そのものが言うとこんなにも背筋が凍るんだね! 知りたくなかったよ!!
「うわぁぁ!!? ちょちょちょ、どぁいっ!!?」
巨人が僕に殴りかかる。
余りのサイズ差、そして苔むして、土にまみれた腕は、殴打というよりは山が降ってきてるみたいだった。
き、緊急回避っ!!
こんな山中でそんなことしたら身体中傷だらけになるだろう。そんなことは分かってる。だけど、命の方が何倍も大事だっ!
結論を出すのと同時、いやそれより速く、跳ぶ。
やっぱり滅茶苦茶痛かったけれど、全く持って後悔はしていなかった。痛む身体に鞭打って振り向いた時、
「う、うひゃぁぁぁあ……」
こんな情けない声が出るには余裕で値する大穴が、地面にあいていたからだ。
底は見えない。世界の裏側まで続いてるんじゃないかと思えるほどに大きく、果てない大穴だ。僕なんてぐちゃぐちゃのミンチ肉になるだろう。
「すばしっこい奴……」
ズ……と、巨大な石像が引きずられたみたいな音を立てて、再び巨人が動き出す。
僕もまた、走り出す。
「大人しく……しろぉぉおおおおっ!!!」
「ぎぃぁあやぁぃゃぁぁぁぁああっ!!?」
あ、アハハハ!! ハッハッハ! なんかもう笑えて来たぞ!! もうダメだね!!
泣こうが喚こうが、僕の結末はDeath or Die!!
「このっ!!」
「どぁあっ!?」
「はぁっ!!」
「うわぁっ!?」
「うぉおおお!!」
「ひぃいっ!?」
う、うぉお、人間の生存本能って結構優れてるんだな……僕まだ生きてる……身体中傷だらけだけどな!!
しかし、どうする?
逃げるばかりで勝てる訳がない。別にこれは勝負ではないが、勝たなければ……殺らなければ、殺られる。
感覚が麻痺したのか、僕はかえって冷静になってきていた。少なくともこのままではいけないと思える程度には。
考えろ! 考えろ僕! 考えるに足る手がかりをかき集めろ! このままじゃあ死ぬぞ!! ろくに働かない脳細胞を呼び覚ませ!!
「……なにも浮かぶわけ無いじゃないかぁぁあああッッ!!!」
サイズが違いすぎるんだよぉっ!! 拳銃だとかで人間は簡単に死ぬけどコイツからしたら絶対ゴム鉄砲にも劣るもん!! そもそもそんなものも無いしね!!
そして、恐怖によるドーピングも限界に近かった。息が切れ始め、忘れていた痛みが蘇ってくる。
「……あっ」
限界に近くなど無かった。
とうに限界など越えていた。
上がりきっていない足がなんでもない小石に躓いて、そのまま受け身もとれずに無様に転がった。
「……鬱陶しい」
一層怒りに震えた声が聞こえた。
痺れを切らしたのだろう。
「ッ!!」
僕を終わらせる拳を見るのが怖くて、キツく目を瞑った時だった。
『能力確認。《進軍すること山の如し》』
後頭部スレスレを何かが高速で通り過ぎると同時、僕の右腕からロボットみたいに無機質な声が聞こえた。
そう、聞こえた。つまり、生きてる。生きてる。僕は、生きてる。
「~~~~っ!!!」
認識した刹那、往生際も悪く逃げ出した。
気になることがたくさん出来た。考えるのを止めるのはまだ早い。
先ずは、右腕から聞こえた声。別に僕はサイボーグじゃないし、勿論僕の右腕が独立したりもしていない。だから多分。
「こ、これか!?」
アイツにはめられた黄金の腕輪。そ、そうだ。なんかそんなことを言っていた。た、確か……
『能力を教えたりしてくれる優れ物なのだっ!!』
じゃ、じゃあ今のが神の欠片!? そ、そんな嘘でしょ!? 僕の生存確率が更に下がっただけじゃない!
……いや、待て。過ぎた力は身を滅ぼすものだと相場は決まってる。もし、その能力が僕に利用できる物ならば、僕の死亡率が上がると同時に、勝利の確率も上がる!!
次だ。さっき、僕の頭スレスレを通り過ぎていったものがなんなのか……
思考を巡らせていた時、前方から枝が矢のように襲いかかってきた。
「なっ!?」
ギリギリでそれを転がりながら避ける。運が良かった。野球で鍛えていた反射神経は少しは残っていてくれたらしい。
だけど、今のは偶然か? そんなわけない。だとすればこれがーーーーーーーー!!
「しょ、植物を操る能力!?」
それを裏付けるかのように、この山の全てが嵐のように僕に襲いかかった。
矢と化した枝。
刃と化した葉。
弾丸のような木の実。
大樹の根が、僕を押し潰す巨大な鞭となって迫る。
「……こんなの」
勝てるわけ、無いじゃん。
「ーーーーーー魔王様、お逃げを!!!」
なっ!?
「ファルじい!?」
突き飛ばされる僕の身体。魔法みたいに宙を滑っていく。
確かにこれなら逃げられそうだった。完全に植物達の包囲網から逃げ出せた。このままここを駆け下りれば城の方に帰れる。
だけど。だけど君はどうするのさ。
いや、僕だって危ない。城に戻ったからってなんだっていうんだ。僕はそこからもずっと逃げなきゃいけないんだぞ。
だったら君がいなきゃ駄目じゃないか。
僕はこの世界のことなんか殆ど知らないぞ。
教えてよファルじい。僕はこの後どこに逃げれば良いのさ。
「はぁっはぁっ……はぁっ……!!!」
気付けば僕は、裏庭へとたどり着いていた。
貧困に晒された国と、僕の危機とは裏腹に裏庭には色とりどりの花が咲き乱れていて、綺麗だった。
まるで本当に、逃げ切れたみたいに……
そんなわけないけれど。
「逃げ……なきゃ……とにかく、逃げ…」
息が苦しい。心臓が五月蝿い。
足が上がらない。汗が止まらない。
辛い。苦しいよ。そもそも僕は、なんでこんなに苦しい思いをしてるんだっけ。あぁ、そっか。僕はあの世界に、僕の部屋に、帰りたくて……
「……はぁーぁ……」
なんか、もうどうでも良いな。
良いじゃん。別にここで死んだって。頑張ったよ僕は。らしくもなく、さ。
あっちの世界に帰りたいって……つまり僕は、落ち着いて眠りたかっただけだ。
僕の城で。どこよりも落ち着くあの場所で。
ハハ。それなら叶ったぞ。ちょっと床は固かったし、僕の部屋よりは劣るけれど、結構あの場所では落ち着いて眠れた。
もう最後だ。倉庫の姿を目に焼き付け……よ……う……
「な……ぁ……」
言葉が出なかった。
思考が停止した。
だが、それも一瞬だった。僕の脳味噌を疑問符が埋め尽くした。
何故だ。何故。何故何故何故何故!!
何故、マイハニーに、大木が、突き刺さって……
「……大木……?」
もしかして、さっきの僕の後頭部を掠めていったあれか? あれが、ここまで飛んできていたのか?
植物を操る能力で? あの巨人がやったのか?
あの巨人が、僕の居場所を壊したのか?
「……ハハハ」
やっぱり心臓が五月蝿い。
なんだこれ。さっきまで歯の根も合わなかった位なのに、今は熱くて堪らないぞ。
内から熱さが溢れて溢れて、僕から冷静さを奪っていく。恐怖を、消し去っていく。
ハハ。分かったぞ。これは……怒りだ。
巨人への怒りが、次から次に湧いてくる。
「……ふざけんな」
ふざけんな。ふざけるなふざけるなふざけるなっ!!
大体なんなんだよ。僕が何かしたか? 僕が君のことを追い回して殺そうとしたかよ!?
「……おい!!!」
空に咆哮した。そこにアイツがいるとは限らないけど、そうせずにはいられなかった。
「僕をここに送った君!! こんな呪いの腕輪押し付けるだけで義理を果たしただなんて思うんじゃねぇ!! ヒキニートのスペックの低さ舐めんな!!!」
殴りたい。僕に理不尽な運命を押し付けたアイツと、巨人を、ぶん殴りたい。でも僕は弱い。
でもムカつくんだ! 怒ることは疲れるのに、僕は今怒れて仕方がない!!
理不尽な運命に! イかれた出来事に!! 頭が可笑しくなりそうな、馬鹿げた現象に!!!
なんだよ植物を操るって、反則じゃないか。フェアじゃ無いぞ。全くフェアじゃない。
ねぇ。僕に巨人をぶっ飛ばせる力をくれるならさ、君を許してあげるからさ、だから僕に。
「せめて、ムカつく奴をぶん殴る力をよこせぇえええっ!!!」
右腕の腕輪から、声が聞こえた。
『能力顕現。《無限の不条理》』