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黒衣の王女  作者: 時満
本編
6/24

夜明け

 思いも掛けず命の猶予を貰った少女は、少ない身の回りのものを処分して夜を過ごした。おそらくだが、新王は全てを闇に葬るつもりだろうと少女は思った。もし少女を公に王女として抹殺するなら、今回のように少人数で奇襲を掛けて来る意味がない。圧倒的な武力で真っ向から制圧すれば良いだけだ。そしてその中心である少女を公開処刑にすればいい。それをしない理由は少女にはなんとなくでしか察せられなかったが。とにかく、王女であった者が此処に住んでいた形跡を消さねばならないと少女は思った。隠れ里の村長の家には不似合いな教養の本の数々、乳母の残した書き付け、カレンの父親からの便りも、全て火に投げ込んだ。そして母が嫁入りの際に持ってきたという美しい細工の文箱を開ける。そこに納められた一枚の紙には、少女の名前が書かれ、実父の署名がされていた。誰にも呼ばれる事のなかったその名を今日初めて呼ばれ、その名を魂に刻むように少年の声は凛と響いた。

「アンジェリカ・フェルミ・バルトゥース……わたくしの名……」

 紙に記された己の名を指で辿りながら、確かめるように声に出して読む。少女は自らに与えられた最初の贈り物を、ようやく本当に己の手にしたのだ。

 それでもその感動に浸る時間は少女には残されていなかった。少女が王女である最大の証明は、瞬く間に暖炉の火に燃えて消えた。母の形見とも言える文箱も、火に投げ入れられた。そうして、最後に黒一色の寂しい衣装ダンスを開ける。着れなくなった幼い頃の黒いドレスもそのまま残されている。一枚、一枚、火にくべながら、少女は乳母を思う。温かい愛情こそ与えられなかったが、少女にとって乳母は世界の半分以上を占めていた。乳母はあらゆることを教えてくれた。そう、乳母の教えは、皮肉にも少女に王女のあるべき姿を教えてくれたのだ。

 王女として生を受けたからには、誇り高く毅然として在らねばならぬ。

 民を治める者として、民の安寧を第一に己を殺し、孤高で在らねばならぬ。

 繰り返し語られた王族の在るべき姿、国を豊かにした賢王の話、侵略から国を守った王子の話、そして機転と知恵で王を危機から救った賢妃の話。

 乳母はとても厳しく、そして賢い人だった。にも関わらず、まるで頑迷な愚か者のように最後まで少女に逆賊を誅することを呪いのように繰り返し言い聞かせていた。

 何故なのか、おそらく誰も少女に答えてくれない。乳母本人でさえ、きっと答えを持たなかっただろう。

 最後まで温かい愛情をくれなかった乳母。名前を呼んでくれもしなかった乳母。それでも確かに少女は乳母を愛していた。愛を求めていた。乳母は、少しは自分を愛してくれていただろうか。乳母は、自分が乳母を愛していたことを知っていただろうか。多分、乳母は知らぬまま死んだ。知ろうとも思わずに、死んでしまった。その事を物悲しく想いながら、少女は黒い喪服を焼いていく。

 涙を禁じられ、声を上げて笑う事を禁じられ、心に空疎を抱えながら“高貴”な表情で固められた仮面をかぶり、囲い込まれた小さな檻の中で、少女は流されるままに誰かが己の生を終わらせてくれるのを、待っていたのだ。そしてその誰かがようやくやって来て、少女の名を呼び、命を吹き込んだ。

 死を前にして少女が知ったのは、震えるほどの生きている喜びだった。

 そして、”王女”として死ねる安堵だった。



 夜が明けると、少年は少女の部屋を訪れた。既に身支度を整えた少女は、昨日と同じ陰鬱な黒いドレスを着ている。少年は顔を顰めて部屋にある衣装ダンスを開けた。だが、そこにあると思われたドレスは一つとして無かった。

「他のドレスは無いのか」

「ございません。今日死に行く身であれば、これ一つあれば十分でございます」

「俺は陰気なその黒は好かぬ」

「そう申されましても、物心ついてよりわたくしの着るものといえば喪服のみでございますれば」

 その言葉の意味に、少年は驚いてまじまじと少女を見つめる。確かにそのドレスはまるで少女の皮膚のようにぴったりと少女を包み、それで完成されているかのようでもあった。

「……黒以外を着た事が無いのか?」

「はい」

 こともなげに短く答える少女の髪は、良く梳かされているものの、結われもせずに金の滝のように背に流れていた。

「装飾品は無いのか。髪留めは?」

「ございません。王女の身に相応しい宝石以外はこの身に必要ありませんので」

 一見傲慢ともとれる発言も、少年はその正確な意味を理解して愕然とした。

 物心ついた時から喪服のみを着続け、身を飾る装飾品一つ持った事が無いという。貧しい農民ですら祭りには思い思いに着飾るというのに、この娘はそんな経験はただの一度も無いと言う。

「隠れ里であろうとも年越しの祭りぐらいはあるだろう。その時もそのなりか?」

「はい。そもそもわたくしは外へ出た事がございません」

 淡々と答える少女に少年は目眩を覚えた。確かに深窓の令嬢や王女であれば屋敷や王宮から出た事が無いということも無くは無い。しかし、庭に出る事も出来るし、楽団を呼ぶ事も出来る。外へ出なくとも、不自由も酷い退屈にもならない。

 だが、少女はこの楽しみも無い小さな隠れ里の村長の、屋敷とは名ばかりの粗末な家から出た事が無いという。

「本当に外を歩いた事が無いのか?」

「はい。幼い頃、それを望んだこともございましたが」

「何故、外に出なかった?」

「外に出て下賎の者と交わることは、王女として自覚に欠ける所行でございますから」

 淡々と話す少女の瞳に何の感情も浮かんでいない。少年は少女が言葉通りに里人を見下しているようには思えなかった。いや、見下すほどの関心すら無いのかも知れない。部屋に一つしかない窓を少年は見遣った。それほど大きくもないその窓から外を見て、幼かった少女は外に出たいと望んだのだろう。里の子供らと遊びたいと望んだのだろう。それを許さぬ者がいた。そしていつしか少女の心は死んだ。

 少年は衝動のままに少女の手を握り、戸惑う少女を無視して外に引っ張り出そうとした。玄関を出ようとして強い抵抗に会い、振り返れば少女が酷く強ばった顔で震えていた。

「来い。約束だろう、最後の一日を俺と過ごすと」

 そう言えば、少女は恐れながらも一歩その足を外へ踏み出した。


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