終幕
『琴姫』と題された芝居が今、王都では爆発的な人気を誇っている。その芝居はレギスで始まり、瞬く間に評判になって王都でも公演されるようになったのだ。王都には劇場がいくつもあるが、その中でも『琴姫』の公演が行われているのは庶民でも少し頑張れば観に行ける芝居小屋だ。初日から前評判とあいまって立ち見で身動きが出来ない程の盛況ぶりだった。
芝居の内容はある意味使い古された悲劇ではあるが、熱狂的な人気になったのには理由があった。レギスで始まったのも大きな意味がある。
芝居の主な登場人物である、琴姫、王子、侍女はいずれも実在する人物なのだ。
事の発端は、一人の女性が婚礼衣装をレギスの町で買い求めた事に始まる。お金に糸目は付けないから、二十日ほどで国一番の婚礼衣装を作って欲しい。そう花嫁の侍女である女性がレギスでも評判の店に依頼をした。貴族の女性が着るような婚礼衣装は細かな刺繍を施すことが多く、また、刺繍が立派であればあるほど良いとされているので、通常だと製作に要する時間は短くとも一ヶ月は掛かる。二十日間という期限は厳しかったが、店主は張り切ってその依頼を受けた。
しかし、すぐさま大きな問題が明らかになった。侍女が花嫁の採寸は無理だというのだ。実際に花嫁となる女性と会って、細かに採寸することが国一番の婚礼衣装には必要不可欠だと、お針子たちは言ったが、自分が測って来るからと侍女は譲らない。正確な採寸には技術が必要だからと食い下がるお針子たちに、渋々侍女は花嫁には直接会えない理由を話した。
侍女は誰にも話さないようにとお針子たちに約束させ、エバルト王子と前王の忘れ形見である王女の悲恋を語ったのだった。婚礼衣装は葬儀でどうしても王子が王女に着せてやりたいと望んでいるもので、資金の心配はしなくても構わないから、とにかく二十日で作り上げて欲しい。そう侍女は話し、王女が着ていた黒い喪服もお針子に渡した。喪服は王女にぴったりであったので、参考にして欲しいと。
余談だが、王族は死後すぐに葬儀が行われることは少ない。色々な政治的な”処理”を終えてからになることが殆どのため、防腐処理の特殊な技術を持つ一族が王家に仕えていて、だいたい一ヶ月程度なら生前のままの姿を保てる。侍女の言う二十日とは、それを見越したものなのだろう。
さて、その喪服に見覚えのあったお針子が依頼を受けた店の従業員に一人いた。馬に乗った貴族の若者と、その若者に抱かれるように相乗りしていた喪服の少女は、その組み合わせの珍しさもあって、結構な人目を惹いていたのである。
侍女は内密にと言ったが、お針子たちの口に戸は立てられなかった。気の毒な王女に涙し、彼女たちは一丸となって素晴らしい婚礼衣装を仕立てたが、その世にも得がたい体験を、物語のような悲恋を話さずにはいられなかったのである。しかも、実際に二人を見たという証人までいるのだから、噂はあっという間に真実として広まった。噂が広まるにつれ、そういえば自分もその二人を見た、うちの食堂で三穀の粥を食べて行かれた、などという話しも出て、ますますその噂は信憑性を増した。
そして、その噂を耳にした劇作家が芝居の脚本を書いたのである。実際に侍女から話を聞いて、なるべく忠実に再現したと劇作家は吹聴して回った。さすがにすっかりそのままでは不敬罪に問われかねないので微妙に変えたところはあるが、二人の馴れ初めや顛末はほぼそのままだと。
これで話題にならないわけがない。公演が始まると同時に、『琴姫』の芝居は爆発的な人気になった。
芝居を見た人々は皆一様に目元を赤くし、その切ない物語について語り合った。そして、その二人が最初で最後のデートを楽しんだレギスの町を誇りに思い、ジーク王子であるエバルト王子と、琴姫こと元王女に温情を掛けた国王陛下に対する人気がじわじわと高まっていったのである。
そして、それが王都に伝播するのも早かった。レギスには王都からたくさんの商人が買い付けに来る。流行に敏感な商人たちは王都でもすぐにこの噂を流した。王都では公演が始まる前から『琴姫』は人々の間で流行し始めたのだ。ジーク王子が琴姫に似合うとすすめたという薄紅色のドレスが飛ぶように売れ、三穀の粥を食堂で仲良く食べる恋人同士がそこここに見られるようになった。
そして王都でも公演が始まり、貴族の間でも評判になって王立劇場での公演が決まった頃、旧王家の王女の死が正式に発表された。しかも、喪主はエバルト王子だという。もはや庶民の間では『琴姫』の物語は紛れもない真実として、定着していった。
それは隣国でも同様だった。商人たちを通じて広まった『琴姫』の物語は隣国でも評判になっていた。なにしろ、『琴姫』は自分達の国に縁のある王女がモデルなのである。また、作中に琴の女王と呼ばれる琴姫の母は隣国の王家に連なる姫君であり、奇しくも嫁ぐ前に琴姫と呼ばれていたその人を知っている人は多かった。親しみも湧こうというものだ。
エバルト王子の愛したアンジェリカ王女の葬儀は、王族に相応しい荘厳なものとなった。葬儀の行われた聖堂の広場には多くの民が集まり、鎮魂の鐘が響けば広場のあちこちからすすり泣きが聞こえた。
出棺ともなれば、王家の墓所までの沿道には隙間もないほどに民が立ち並び、口々に『来世ではどうかお幸せに』と涙を流しながら手向けの花を投げた。
墓所への埋葬が済むと、異例のことながらエバルト王子は聖堂の広場に戻り、まだアンジェリカ王女の冥福を祈る民の前に立った。
「我が最愛の人、アンジェリカ王女の為に集まり、涙してくれた皆に礼を言いたいと思う。『琴姫』の物語で皆も知っての通り、アンジェリカ王女は類い稀な琴の名手にして白雪のごとく清らかな優しい人であった。あれほど素晴らしい女性には、二度と巡り会えないと思う」
話し始めた王子に、広場は静まり返る。このような近い距離で王族が民に直接話しかけることなど前代未聞だったが、護衛の騎士達も王子を止める事無くじっと沈黙を守っていた。
その静寂の中、痛いほど集まる民の視線を浴びて王子は深呼吸をした。そして再び口を開く。
「『琴姫』の物語で語られていないことを、皆に聞いて欲しい。アンジェリカは己の父が皆を苦しめ、虐げた事にとても心を痛めていた。戒めとして生涯喪服以外を着る事無く、贅沢を一切せずに食事も三穀の粥ばかりであった」
王子の語る言葉は、静まり返る広場に良く響いた。『琴姫』ではなく、自分たちを虐げた愚王の娘、その真実を知ろうと民は一心に耳を傾ける。
「アンジェリカは、皆の事を、民のことを想いながら私の腕の中で息を引き取った。アンジェリカほど立派で、心優しい王女はいないだろう。最期、アンジェリカは息を引き取る前に私にこう言った。どうか民を幸福に導く賢き王となられますようにと」
壮大な芝居の、その一部に巻き込まれた民は、健気な王女の遺言に心を打たれ、涙を流した。すすり泣く声が上がり始める中、王子は一層声を張って続ける。
「私はまだ未熟で、父上もご健在であられる。だから、王になるのはまだ先の事だろうと思う。それでも今日この日に、アンジェリカを天の国へと見送ったこの日に、皆に誓いたい!」
そして、民の一人一人を見るように広場を見渡す。
「私はいつの日か必ずアンジェリカの願ったように、立派な王になる事を誓う! どうか、その日まで皆には見守っていて欲しい! そしてこの国を良い国にする為に、皆の力を貸して欲しい!」
民に訴える王子の目から涙が溢れた。
そして、民も泣きながら声を上げた。
「エバルト王子、万歳! アンジェリカ王女、万歳!」
二人を讃える声は王都中に響き渡り、感動の内に一つの幕が下りた。
その日から、民の間で国王が首切り王と揶揄されることは殆どなくなった。そして、王家の顔としてエバルト王子が民の圧倒的な人気を獲得することとなる。
それに後押しされるかのように半年後、エバルト王子は正式に王太子となった。
隣国では一時期自分が本物の旧王家の王女だという娘が現れ、旧王家の紋章の入ったハープをこれが証拠だと主張して世間を騒がせたが、それも程なくして人々に忘れ去られた。誰もその話を信じなかったのだ。その娘を旧王家の王女として国王に引き合わせた侯爵夫人は、面目を失って社交界から姿を消した。時をおかずして侯爵夫人は離縁され、豪商であったその父も信用を失って瞬く間に破産、その行方は今は杳として知れない。
その顛末を伝え聞いた一人の侍女が、主に遅れる事一年でひっそりと命を絶った。
エバルト王子はその後、『琴姫』の物語を心から愛する貴族の娘を妃として迎え、一男三女の子宝に恵まれた。そして民に宣言した通り、たゆまぬ努力を続け、有識者に教えを乞うだけでなく民の声も広く聞き、謙虚で思慮深い賢王となった。
後の歴史に名高いディンドリオン王家の黄金期の礎を築いたのである。