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黒衣の王女  作者: 時満
本編
12/24

ミレーヌと少女

 ミレーヌにとって、少女は妹のような存在だった。

 隠れ里に住む前の事は良く覚えていない。うっすらと、お伽噺に出て来るようなお城を見たような、曖昧な記憶があるくらいだ。国王陛下が討たれた時に近衛兵の一人だった父は死に、母親と供にこの隠れ里にやってきたらしい。母親は度々貧しい暮らしを嘆いたが、ミレーヌはその記憶がないので母の話す過去はお伽噺のように実感がなかった。母親は里での仕事の合間にミレーヌに出来る限りの行儀作法など、貴族の娘に必要な教養を授けようとやっきになったが、ミレーヌはそんな事よりも年の近い子供達と泥だらけになって遊ぶのに夢中だった。その事を悔やんだのは、少女の側仕えを辞めさせられた時だった。

 

 ミレーヌが十になった年、祭りなどの特別な時にしか着ない一張羅を母親に着せられ、いつもよりも念入りに髪を梳かされたミレーヌは里長の館にいた。貴婦人。そう表現するのが妥当だろうその女性は、その顔に皺が幾つも刻まれていたが、美しい人だった。時々見かけてはいたが、大人達はあの方は雲の上の人だから、決して話しかけてはいけないと子供達に口を酸っぱくして言い聞かせていた。

「名前は?」

「ミレーヌ・ロワンダ・カッツェーニと申します」

 噛みそうになりながら答えると、貴婦人は元から不機嫌な顔を更に顰めた。

「わたくしは、エメルダ・リンド・ファリサエル。王女殿下の乳母です。今日からあなたには姫様の側仕えをしてもらいます。本来ならあなたのような身分の者が姫様にお仕えすることなどあり得ない事ですが、妥当な身分の娘が他にいないのですから仕方ありません。身に過ぎたる名誉と深く感謝し、一心にお仕えしなさい」

 普段聞き慣れない言葉がたくさん出て来て半分も理解出来ずにぽかんとするミレーヌだったが、母親に背中を叩かれて慌ててお辞儀をした。

「何ですか、その品の無いお辞儀は!」

 いきなり怒りだした貴婦人にミレーヌはおろおろして母親を見たが、母親はミレーヌ以上に取り乱し、真っ青な顔をして頭を下げていた。

「教育が行き届いておらず、お目汚し誠に申し訳ございませんっ」

 貴婦人はそんな母親を冷ややかな目で見て、溜め息を吐いた。ミレーヌは、貴婦人が嫌いになった。

「……母親のあなたがその程度ですからね、仕方ないと諦めましょう。わたくしが直々に教育しなおします」

「なんと寛大なお言葉……!淑女の鏡たるファリサエル侯爵夫人に教えを受けられるとは、我が娘は果報者でございます!」

 憮然とするミレーヌに、上機嫌で母親は確り貴婦人の言うことを聞いて立派な淑女となり、姫様に誠心誠意仕えなさいと言い聞かせて帰って行った。その日から、母親とも遊び仲間の幼馴染み達とも会えなくなるなどとは、ミレーヌは少しも知らなかった。


 少女の事は、ミレーヌも知っていた。里長の館の二階の窓から時々顔をのぞかせている。祭りの日はその窓が開かれ、少女がそこに姿を見せると大人達が一斉にひれ伏して『バルトゥース王家、万歳!姫様、万歳!』と口々に讃えるのだ。子供達からすれば、一年中黒い服を着て顔色の悪い痩せた少女は、全くお姫様には見えなかった。それどころか、不気味とすら思っている子供が殆どだった。そんなことを大人に知られたら叱られるから、表立っては言わない。だが、影ではお化けの姫と茶化しては笑っていた。

 そうして、間近で見た少女は、やはりお姫様には見えなかった。陰気で無表情な年下の少女は、ミレーヌには不気味で気持ち悪い存在に思えた。

 それに、貴婦人の教育は母親のそれがお遊びに感じるほどに厳しかった。少しでもミレーヌの立ち振る舞いが気に入らないと、容赦なく鞭で太ももを叩かれる。まだ子供のミレーヌは、余りの辛さにもう嫌だと三日で音を上げて泣きわめいた。怒った貴婦人に物置に閉じ込められたその夜、少女が一切れのパンを差し入れてくれなかったら、ミレーヌは強行突破で館を抜け出し、母親の元に帰っていただろう。


 泣き疲れて物置の隅で寝てしまっていたミレーヌは、肩を揺すられて目を覚ました。寝起きのぼんやりとした意識で肩を揺すった相手を見れば、窓から差し込む月明かりのみの暗がりに、微かに浮かび上がる幽鬼のような姿に思わず悲鳴を上げそうになった。静かに、と少女が声を掛けてくれたから辛うじてそれを押しとどめられたが。

「これ……」

 隣に座り込んだ少女が、何かを差し出した。ハンカチらしきものに包まれたそれを訝しく思いながら受け取る。包みを開いてみると、パンが一切れ出て来た。

「……食べて良いの?」

 少女が頷くので、ミレーヌは早速パンを齧った。酸っぱくて固い黒パンに、口の中が唾液で一杯になる。泣いて興奮して、それから疲れて寝てしまっていたから気付かなかったが、ミレーヌは酷く空腹だった。あっという間にパンを平らげてしまったが、到底満腹には足りない。中途半端に腹に食べ物を入れたせいか、逆に先程よりも空腹を強く感じて腹をさすった。腹の虫もぎゅるぎゅる鳴って、悲しい気持ちになった。

「……帰りたい……」

 ぽつり、と無意識にそんな呟きが漏れた。そんなミレーヌの横に少女がぴったりと寄り添うように体を寄せて来た。

「あの、ね、ドロワーズの中に、詰め物をすると、鞭で叩かれても、ちょっとしか痛くないの……」

「つめもの?」

「刺繍の練習に使った布や……端切れでね、小さなクッションを作って、それをこっそりドロワーズの中に入れるの」

 そう言って、少女はスカートをまくり上げ、ドロワーズの中から細長い小さなクッションのようなものを左右から一つずつ引っぱり出した。そして、それをミレーヌの手に押し付けて来た。

「……これ」

「くれるの?」

 少女が微かに頷く。

「でも……そうしたら姫様は?」

「また作る」

 そう答えて、少女はミレーヌの手をおずおずと握って来た。

「……だから、帰らないで……」

「……うん」

 心細そうな少女の声に、ミレーヌは思わず頷いていた。


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