獅子と吸血鬼、力の在り処
放課後になり、日が暮れ闇の幕が降りた夜の廊下を、澪次は屋上に向け歩いていた。
如何に暗くなったとはいえ、まだ人がいなくなったわけではないが、誰もが側を澪次が通り過ぎた事に気づいたものはいない。
そも、それが澪次という存在の本質であるからだ。そこにいた人達は全員、側を何かが通り過ぎた程度にしか思っていなく、特に気にした様子も見られなかった。
五階目の階段を上り、扉を開けると外の冷気が一気に内側へ押し寄せて来る。
「……驚いたよ。君から僕を呼ぶなんて初めてなんじゃない?ーーー流牙」
柵に囲まれた屋上で澪次と向かい合う人影の主ーー秋獅子流牙は澪次の声に組んでいた腕を解き、静かに眼を開いた。
「普段ならありえん事だが、今回は貴様に確認したい事があったからだ」
「……確認?」
キョトンと首を傾げる澪次だが、口には笑みが浮かんでいた。
流牙に呼ばれた理由、それが何であるかを大体察していたからだ。
「まず一つ」
ーー瞬間、流牙の姿がぶれ、一息に澪次との距離を詰めた。
放たれた拳を右手で受け止めようとするが、直感が警告を鳴らしすぐに後ろに跳躍し、衝撃を軽減させる。
もしそのまま受け止めていたなら、力の差で肋骨をやられていたかもしれなかった。
にもかかわらず澪次は表情を変えずふわりと着地する。
「俺にお前の強さを見せてみろ。…それが一つ目だ」
「戦って相手を判断する。まあ君らしいといえば君らしいけど……嫌と言って聞くような人でもないしね」
苦笑しながらも、澪次の構えは変わり、四肢を地に伏せる。
「分かったよ。…けどこれだけは言っておく。僕にオリジナルの力、技術なんて殆どない。多くが他人からの模倣ものだよ。…そう、これなんかもね」
そう呟くと同時に澪次が流牙の視界から消えた。いや、正確には消えたのではない。流牙の瞳には視界の外へ逃げる影が確かに見えていた。
しかし、そこに視線を向けるも見えるのは視界から逃げる影のみ。
「この動き……常に死角に回り込んでいるのか」
背後から蹴りを入れられ、流牙の身体が数メートル地を転がる。
だが、その間にも流牙の頭には幾重もの戦闘方法が張り巡り、終わると同時に体制を立て直していた。
「…今の打ち合いだけで何かを見出したようだね。相変わらず君の才能は怖いよ」
「ああ。その技術は戦闘慣れしてる奴には厄介だろう。相手の先を読もうとする奴ほど、その技術の泥に沈んで行く。…だがな」
「…え?」
再び流牙の死角に潜り込んだと思った澪次からほうけた声が漏れる。
何故なら目の前にはしっかりとこちらの姿を捉え、拳を構えている流牙が見えたからだ。
「それは本能、直感が鋭利な敵には得策とは言えんな」
「ッッ!?」
その破壊力は絶大。両腕を交差させ、防御の構えを取った澪次ごと殴り飛ばし、フェンスに激突させた。
「痛っっ…。簡単に言うけどね。君の直感はもう人の域を逸してる。それはもう獣の領域だよ」
「それを言うなら貴様もだろう。それだけ殴り飛ばされて『痛い』で済ませられるんだからな。それと先ほどの技…それは神埼のものか?」
その質問に澪次は驚きの表情を浮かべる。確かに誰かの模倣技術とは言ったが、まさか的確に当てて来るとは思いもしなかったからだ。
「やはり君は恐ろしいよ。どの時代にも人外の戦士はいるとは聞くけど、君はまさしくその一人だ。今、目の前にいる人が一般人としてじゃなくて代行者としてだったらと思うと肝が冷える」
「…やっと仮面を外したな」
ゆるりと起き上がった澪次には、もういつものような優しい面影はなく、代わりに見えるは何処までも無。能面を貼り付けたかのように感情を読み取れない程に無の表情だった。
「ーーimagine|realization(空想具現化)」
何かを呟いたかと思えば澪次の手には一振りの日本刀が握られていた。
「…悪いけど、君は強すぎる。生身での打ち合いとなれば万に一つも僕に勝ち目がないくらいに。……Full thermal all |immobilization
(総合火力全固定化)ーー」
今度はしっかりと呪文らしき言葉を流牙は聴き、澪次の背後の空間から出現した無数の銃火器を瞳が捉えた。
そしてそれら全ての銃口が流牙へ牙を向き、主である澪次の号令を待ち続けている。
「卑怯だとかそういうのは無しだよ。戦いというのは常に理不尽が付き纏う物だからね」
「何故卑怯なぞと言わねばならん?それも戦い方の一つだろうよ」
「そう言ってくれるとは敵ながら感服だ。ーーそれで?まだ続けるかい?」
「…いや、もう充分だろう。今ので互いの力量も測れたはず」
己の殺気を解き、構えていた拳を下ろす流牙を見て、澪次も一息つくと宙の銃群を霧散させる。
手にある日本刀も同時に消えていた。
「では聞くぞ。貴様は…どんな目的を持って力を手にした?」
「……僕が力を手にした理由?」
「そうだ。強大な力をつけたい……それは誰もが願う人間の欲望だろう。だが当然、そこには理由が存在する。そうでなければ、世界に争いなど起こらんからな。だからこそ、貴様に興味が湧いた。……貴様からは、欲がまるで感じられん」
「………」
「そしてその瞳。それは機械的に全てを処理していく底の無い瞳だ。何より…貴様からは貴様の妹にはない血の匂いがする。答えろ。今までに貴様は……どれ程の地獄を見てきた?」
初めて会った時から思っていたことだが、今目の前にいる少年ーー秋獅子流牙は他にいるどの生徒達よりも別格だと感じていた。
誰よりも抜きん出た貫禄、殺気、そして認識眼。
今誰よりも仲の良く、そして目の前にいる流牙にいつも食ってかかる秀久にもそれは言える事だけど、恐らく現時点での秀久に流牙を打倒する事は不可能だ。
そんな彼が、今こうして僕と向かい合っている。
「地獄…か。救い様の無い光景を地獄というのなら、この世界には万と存在する。…もう嫌という程見てきたよ。その世界を救えるのならと、何の罪もない異端を殺した事もあった」
殺した……その言葉に流牙が僅かに反応したが、それだけだった。彼は瞳を瞑り静かに話の続きを促している。
「…流牙、僕はね。別に目にした全てを救おうだなんて浅はかな考えは持ってないんだ。ただ多くの人に助かって欲しいーーそれだけで良かったんだから。それが僕の願いでもある義姉の願い」
「…それが誰かの犠牲の上で成り立っていたとしてもか?」
「逆に聞くけど、誰も犠牲にならずに幸せになれる世界なんて存在するかな?」
「有り得んな」
誰もが幸せになれる世界ーーその事に対して、流牙は躊躇いなく否定する。
「そんな世界を肯定するわけではないが、人間とは争い無くして幸せになどなれん生き物だ。今の日本も然り、大戦という名の犠牲を代償に人は平和に暮らせている。それと同様だ。誰かが幸福になったところで、必ず誰かが絶望に陥る」
それが世界のシステム。確かに今の地球は史上最高峰の栄華を築き上げている。
だが、それは世界において数えられる程度の国での話だ。
先進国が栄えるに連れて、代償に貧困国が増していく。
結局、世界という物は救い様がないのだ。
「……全てが幸せだなんて我儘は言わない。知りうる限りの世界の人達だけでも笑っていて欲しい。ーーそう、だからこそケティの遺した願いに憧れたんだ…」
天に浮かぶ星群を見上げながら、誰にでもなくポツリと澪次は呟く。
その表情は、目的に限界を感じ始めてきたかのようなーーそんな顔だった。
「それが貴様の力の根源か?」
「ーーそう。僕の力には…これまでに手にかけてきた数多の血が染み込んでいる。それを忘れた事なんてないよ。聞いていてつまらない話でしょ?」
「ああ。つまらんな」
だがーーと流牙は続ける。
その口元は、彼が初めて見せる笑みで緩んでいた。
「つまらんが、何処ぞの阿呆犬よりは現実的だ。それに貴様のそれは合理的で…賛同できる」
「……君は変わり者だね。一般人なのに強大な力を持っていて、それでいて小を切り捨て大を生かす…そんな理論を肯定する。だけど、そういうの嫌いじゃない」
「ああ、俺もだ。正しき力を持つ物は俺にとって好感が持てる者だからな」
互いに笑い合って、握手を交わす。
「だが一つ解せん事がある。お前のその理想と、上狼のとでは大きく異なる。自分の力量を知らずに、なりふり構わず誰かを助けようとするあの阿呆に、お前は何故好感が持てる?」
「ああ、そんな事?別に僕は認められないだけで嫌いなわけじゃないんだよ、彼のような人柄は。なんていうかさ、眩しいんだ。世の中にさ、ああいう人がいた方が良いとさえ思ってしまう。だから秀久の事は大好きなんだ」
「…度がすぎる程のお人好しだな。まあ俺も響に言われてるが」
「…僕も深紅によく言われるよ」
互いに苦笑しあいながら、それぞれの相棒に苦労させられている事を同情し合う。
目的を果たしたのか、流牙はマントを翻し、中にはいる扉へと歩み始めた。
「もういいのかい?」
「ああ。聞くべき事は聞いたからな。…最後に言っておく事があるとすれば、そうだなーー」
扉の前まで歩くと、流牙は再び澪次に向き直る。
「先ほど俺に見せた死角を応用した技術……あれはもうやめておけ。お前には使いこなせん。本来女性の中でも神埼のような極めて柔軟性、俊敏性に特化した暗殺者のような者がする技だ」
「…分かってるよ。言ったでしょ?模倣技術だって。当然オリジナルよりも劣化はする」
「俺が言っているのはそうではない。お前のような人間は目的の為には自身を顧みんからな。ーー実際、あれ以上に精度を上げていたらお前の身体は重症では済まなかっただろう?」
澪次は彼の言った事に目を丸くする。だがそれは自分の歪んだ性質を指摘された事ではない。
今流牙が言った事を解釈すればつまりーー
「もしかして心配してくれてるの?」
「か、勘違いするな!俺が言っているのは、その技は神埼にしか扱えなく貴様には使いこなせんという事だ!」
「もう。そのまま『お前』って言ってくれてても良かったのに」
「……フン」
苦笑しながらもちょっとガッカリしたような澪次に、流牙は荒々しく身を翻すとそのまま校舎の中へと姿を消して行った。
そんな彼がいなくなるまで見届けた澪次は一つ溜め息を吐くと、屋上の柵に背中を預け満月を見上げる。
「ったく…。彼が一般人で本当に良かったよ。でなきゃ負けていたのは僕だった」
脳裏に浮かぶは先ほど戦った流牙と、そんな彼に食ってかからずにはいられない秀久。
個人的には、秀久の無茶とも言えるが眩しいくらいの在り方が大好きだ。
だからこそ秀久と一緒にいる日々は楽しいのだろう。
でも、いやだからこそ共闘するとなると、自分と近い考えを持つ流牙との方が息は合うだろう。
少しでも多くの人が助かればーーと考える澪次と、可能性が0でも全員を助けようと諦めない秀久。似てるようで大きく異なる二人。共闘すれば何処かで均衡が崩れるだろうと澪次は悟っていた。
それと話は違うがもう一つ重要な事が分かった。
「もしかして流牙って………ツンデレ?それもツンが八割、デレが二割くらいの」
可愛いところもあるんだねーー今頃背筋に悪寒を感じてる彼の事など露知らずに、微笑む澪次だった。