プロローグ 「20年振りの怪異は異世界漂着!?」
古今東西の歴史書の類を見てみると、現実には考えられないような不思議な記述というものはよくあるものである。やれ、誰々は人間では無かっただの、神になっただの、不老不死になっただの、果ては異世界やら地獄やら神界に行ったやらと枚挙に暇がない。
そうであるのならば、もしかしたら我々が気づいていないだけで、そういった世界があるのかも知れない。 そんな不思議な体験をしている人間がいてもおかしい話ではないのかもしれない。
「金は、無い」
「は?」
そんな『あるのかもしれない所』の空の下、とある露天で串焼きを胃の中に収め終えた男は、勘定を受け取りに来た店主に言い放った。
「だから、金は持っていない。無一文だ」
この素寒貧、姓を藤堂、名は高虎と言った。
かつての戦国時代に数々の主変えを行い、一農民の身から伊勢国津藩初代藩主へとのし上がった藤堂和泉守高虎その人である。
いま彼は、堂々と無銭飲食を敢行していた。まったく知らない場所でである。直前の体験からして明らかに日本じゃないだろうとは察しはついていた。それでも彼は堂々としていた。『20年振りに2度目の不思議な体験』は『何もわからない異世界に飛ばされる』事であった。
藤堂くんの不思議体験20年振り2度目
プロローグ「20年振りの怪異は異世界漂着!?」
藤堂高虎は戦国武将であった。没落し、一農民まで身を落とした藤堂家の次男として生まれ、群雄割拠の戦国期を理想の主君を追い求め続け、ついには徳川家康を主とし、その息子秀忠のみならず、その孫、徳川3代将軍家光の時代まで仕えた。
加藤清正らなどと並ぶ築城の名手として知られ、武芸だけではなく茶の湯や能楽など諸芸能にも明るく、徳川についた後は忠義の数々が伝えられる。
そんな彼が寛永7年10月5日に74歳で没し、己が目を覚ました先は、残念な事に大御所徳川家康の下ではなかった。
「高虎ちゃーん、ママですよー」
「ほらーお父さんだよー」
ここは何なのだろうか。何が起きているのであろうか。大御所様の下へ向かうはずではないのか。なぜこやつ等はそれがしを見つめているのだ。どう言う事か説明を求めるぞ天海大僧正!
なんと目の前には己を見下ろす若い男女がいるではないか。後に彼は知るのである。この2人が自分の両親であり、そして今は己が生き抜いた後に死んだ時代より数百年先の未来であるということを。
藤堂高虎を襲った一度目の怪異は、記憶を持ちながら遥か未来にて輪廻転生を果たしたことであった。
現代日本、平成の浮世にて2度目の人生を歩み始めた高虎は、当然の如く大いに混乱した。しかし幸か不幸かその魂が宿った肉体は、生まれたばかりの赤子であり、体を動かすか泣くことしか出来ない身では周りにその混乱もその赤子に降りかかっている不思議現象を理解されることは無かった。
流石に『精神年齢74歳スタートの戦国武将の魂を宿した言葉を喋る赤子の爆誕』という事態は、流石にいるかどうかわからない神仏も拙いと思ったのか避けられたようである。そのときはそのときでとんでもない事態が起こったであろう事は想像に難くないが。
そんな彼も年を経ていくごとに自らに起きた怪異を受け止め、そして新しい時代に適応していく。『精神は肉体に引っ張られるものである』などと言われることも有るが、果たして全くの嘘という訳でも無かった様である。
言葉を喋れるようになり始めの頃は「それがし、わし、ままじゃ」などの言葉が飛び出していたものだったが (語るのであれば、侍ワードが飛び出す幼児を目の当たりにした両親は驚くものの「戦国か江戸あたりのご先祖の生まれ変わりだね!」と面白がっていたあたり恐ろしい話である) 次第に普通の言葉を喋れるようになっていた。
戦国時代期の老年まで生きた人間性と現代の若者らしい人間性が同居するというなんとも珍妙な人格形成がされていく。それで周りがどう思うかというと、何のことはない。感性が時代掛かってる部分があるやたら落ち着いた男子となる。 時たま一人称が『それがし』や『わし』になったりするときもあるのは、若さに適応したといえど、74歳生きた武将の精神も中々のモノであるとも言うべきか。
ちなみになんとも神懸った偶然であったが、『今』の自分の生家は藤堂宗家の末裔であり、名もまさに津藩初代藩主にならって付けられたのだとか。それを聞いたとき、自分の名前に倣って自分の名前が付けられるという現象に複雑な心境に至ったものの、名前が変わらなくてほっとしたのは本人だけの秘密。
何はともあれ、日本史の授業を受ける年頃になってから、武士が相手の本名をあまり口に出さない風習を茶化して、一部の友人に『和泉くん』などの愛称で呼ばれるようになった等のイベントがあったものの、人間関係もなんら問題なく、ある意味でそこそこ強くてニューゲームな状態も『大変頭がよろしい子ですね』と思われる程度で、己の秘密が露見することもなく高虎は2度目の人生を彼なりに楽しんでいた。
そして20歳を過ぎ、二度目の人生において成人を果たした彼はその日、いつもの様に通いなれた道場からの帰り道を歩いていた。現代の学問に驚愕と興味を覚え、かつて築城を得意としたせいか、建築系の学問を学ぶようになり、学生生活の傍ら、出来る範囲で武芸や習い事など、なんとも今も昔も文化人らしい生活である。
『確かに』自分は道場からの帰り道を歩いていたはずだ。ではこの目の前に広がる広々とした空間はなんなのだろうか。高虎は大いに混乱した。誰か説明役はおらんのか。
「俺は妖怪か何かに呪われているのか?それとも勘兵衛の祟りか?筋違いというものだろう。アレはアイツが勝手に暴走した挙句だろう、なぜ俺が祟られねばならんのだ」
ぼそりとかつて自分と衝突した家臣に向かって根拠もない文句を吐き出すと、とりあえず高虎は自らの置かれている状態を理解することから始めた。
住宅街を歩いていたはずだが瞬きした後に広がっていたのは広い平原だ。持ち物は木刀と胴着、それと持ち帰るつもりであった少々の書物と筆記用具類、あとはスマホとタブレットにモバイルブースター、充電用の携帯ソーラーパネルであった。
なぜブースターに加えてソーラーパネルかというと、この男、戦国生まれの割には現代に適応しきっている。携帯端末の電源が出先で切れるのは大いに許せないタイプの人間に育っていた。
何はともあれ、間違いなく何かの怪異に見舞われたのは間違いない。死んだと思ったら記憶を持ったまま生まれ変わってましたという不思議体験を既に果たしている高虎にとって、この事態は確かに驚きと混乱をもたらしたが、すぐにそれは沈静化した。見える景色も明らかに日本ではないし、この場所に立ち止まっていても仕方ない。そう判断した高虎は、とりあえず目の前にある街道らしき道を歩き始める。
目指すは遠くに見える集落の様な物。とりあえず人に会えばなんとかなるであろうという目算だった。
そして場面は始めに戻る。
集落(高虎の目算だと昔の宿場や駅の様な場所であろう)の近くまで来たところ、串焼きを売っている店を見つけたので、空腹もあり即注文。彼にとって幸運だったのは、その店主がいきなり現れた珍妙な姿をした変なデカイ男の注文に対して訝しげな顔を見せながらも品を渡してくれたことだろう。店主にとってはたまったものではないが。店主の失敗は、他の客と同じように後払いで勘定しようとしたことである。
「てめえ、金も、無えのに、頼み、やがったのか?」
件の店主は青筋を浮かべながら高虎に問う。どう見ても爆発寸前である。
「すまぬ店主。それがし、土地勘もなく路銀も無いが、どうしても腹が減った故にやってしまったのだ。勘弁してくれ」
そして対する高虎はその大きな体躯を折り曲げながらも、堂々とした態度で謝罪の言葉を口にしたのであった…
このたびは、我が拙作を御覧頂きまして誠にありがとうございます。
異世界物に手を出すのは初めてなもので、色々と試行錯誤しながらですので、色々と至らぬ点あるかとは存じますが、生暖かい目で見守っていただけると幸いでございます。
主人公藤堂くんこと、藤堂高虎は実在の人物では有りますが、まあここの彼はあたりまえですが、別物です。一度現代に生まれ変わってるという1クッション置いてのスタートとなりますので、彼なりに現代の感性や知識というものはございます。
ちなみにトリップや輪廻転生の事情だったりしますが、あまり深いことはないのです。インスパイアを受けた作品としてあげるなら漫画「内閣総理大臣 織田信長」でありますので、いきなり最初の初めのカラーページで「400年ぶりの織田政権!」「戦国武将としては初!」あの方式と同じでございます。400年ぶりなのに閣僚が皆普通の4~50代の人間という何も事情も裏もない既成事実なのでございます。タイムスリップなのか転生なのかはっきり説明しろよ!なんで全国民当たり前のように受け入れてるの!?と突っ込みどころ満載でございます。
色々頑張って行きたいと思いますので、宜しくお願いいたします。