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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

日本神話シリーズ

はじめてのキズ

作者: 八島えく

このお話は、若干の流血表現と残酷表現があります。閲覧の際はご注意ください。

 その男のことを知ったのは、我が主がまだ日向で暮らされていたころだった。

 その時はまだ若様の兄君もご健在で、中つ国統治を決意する半年ほど前だったように思う。

 その日も、若様は兄君とのんびり談笑されていた。お二方の御傍に控えていた私には、やたらと物騒な話題が聞こえてならなかった。

「そういえば」

 と兄君、イツセ様が切り出される。

「ここから少し離れた地に、とても恐ろしい人間がいるときいた」

「恐ろしいとは? 具体的にどう恐ろしいのですが、兄さん」

 若様は、目と世界をレンズで通して視られている。目がお悪いわけではない。むしろ、目は良い方だ。あえてレンズで目を覆われているのは、理由がある。イツセ様も、それをご存じだった。私も知っている。


「なんでもね、無差別に生き物を斬るという人間がいるんだって」

「それは怖いですね」

「それだけじゃない。殺した生き物を、持ち帰ってバラバラに刻むのだとか」

「おやおや、たいそうな趣味をお持ちのようですね。高尚すぎて私には理解できかねますが」

「奇遇だな、俺もだよ」

 くくく、と御二方は笑っておられるが、聞いている私にはまったく笑えない話だった。

 ですが、と若様は切り返される。

「味方につければ、それほど心強い戦力もないでしょう」

「本気か、ワカミケヌ」

「いたって本気ですよ。ご安心を。私には心強い従者がいますから」

 そう仰って、ふいにこちらに視線を投げられた。……その心強い従者というのは私のことらしい。この上なく光栄ではあるが、今はその逆の気持ちがしている。


「そういうわけだから、久米(くめ)。その恐ろしい人間を従わせよう」

「ワカミケヌ……。決して、死ぬなよ」

「ご心配、痛み入ります。死にはしません、誓って」

 若様は、にこりと微笑まれた。

 私の意見など最初から聞くつもりなどないようだ。


 日向の宮から半日ほど歩いて辿り着いたそこは、なんだかさびれていた。

 まだ夏だというのに、そこはどこか秋のような寂しさがあった。

 そろそろ日が暮れるころ、草木が風に吹かれてさらさら揺れる。陽光がまぶしい。あちこちから、虫の音が響いてくる。

 あちらかねえ、と若様はのんきに呟かれた。若様が指をさされたそこには、すたれた家屋があった。

 

 私は、不意に、かすかに血の匂いをかぎ取った。

 例の、恐ろしい人間とやらが漂わせているのだろう。若様を下がらせ、私は家屋に近づいた。


 その家屋へ入って行こうとする、ひとつの人影を見つけた。

 

 拍子抜けした。

 夕暮れ時でも、はっきりと見えた。

 ずいぶんと線が細かった。

 性別は男。その右手は、彼よりもはるかに大柄な人間を掴んで引きずっている。

 引きずられている人間には、首がなかった。

 首なしのそれを引きずっているその男の目は、妙にうつろだった。

 

 萌黄の着物が、赤黒く染まっている。血だ。首なしの返り血だろう。

 男は、私が見た限りは傷一つ負っていない。相当の手練れなのだろう。

 私にながれる狩人の血が、あれは危険だ、と警告している。警告と一緒に、強敵ゆえに狩りたいという欲求も生まれてくる。


「……久米」

「何でしょうか」

「まだ、武器は抜かないでくれ。まずは話してみよう」

「あんな狂っているような男と会話が噛みあうとはどうしても思えませんが」

「ものは試しだよ。まずは説得。そのうえでまつろわぬなら力で、が理想だ」

 若様は悠然と、その男に近づいた。


「そこの君」


 見知らぬ黒衣の男に話しかけられた男は、当然怪訝そうな面持ちでこちらを見返してきた。

 青鈍の髪が揺らした男の瞳に光が宿っていなかった。

 力なさそうに首を傾げ、ようやく出した第一声は「だれ?」だった。当然と言えば当然なのだが。


「はじめまして、私はワカミケヌ。あっちにある宮に住んでいるんだ」

「ああ、あの高貴な御方? そんな御方が、何の用?」

「君を、臣下として迎え入れたい」

「……なんで?」

 男は不思議そうに尋ねた。


「まず確認させてほしい。私の聞いた話だと、君は生き物を殺して、その死体をバラバラにしているということなのだが、これは事実かな?」

「うん!」

 男は元気よく肯定した。

「えっとねー、最初は虫とか獣とかだけだったんだけど、だんだん足りなくなっちゃって。罪人(つみびと)を殺したら、なんかすごく気持ちよくて! 刻んでバラすのがすっごく楽しくて楽しくて……あぁ、もう興奮しちゃって……!」

 虚ろだった目が、急に輝き始めた。


 無邪気な童のように、男は語りかける。

 こいつね、と首なしの大柄人間をしめす。

「いきなり襲って来たんだよぉ。俺を女だと勘違いしたらしくて。失礼だよね、俺男なのに。そりゃちょっと細いけどさ、これでも鍛えてるのにさ」

 失礼な話だよ、と唇を尖らせた。どうやら、この男は失礼というだけで首をはねるらしい。

 男の自負する通り、男はそれほど女と誤認するほどの者ではなかった。顔立ちははっきりと男であるし、首なしのそれを引きずって歩けるほどには腕力もあるのだ。年は私と同じくらいか。


 それからというものの、陽が沈むまで、男は語り続けた。

 生物をバラバラに刻んでいくことの楽しさを。


 虫を刻んだときに出た液体。

 人間の首を掻っ切ったときに勢いよく流れた血。

 苦悶に歪む顔、何が起こったか分からないという間抜けた顔、勘違いして安心して死んだことさえ認識しなかった顔、顔、顔……。

 若様は、それを辛抱強く聞きなさる。私は聞き流そうとつとめた。だが、私の中の良心が、聞き捨ててはならない、と聞き流しを放棄させた。


 改めるまでもない。この男は危険だ。

 私は、右手に力を込める。今の私は丸腰だ。武器らしい武器を持っていない。だが、望んだ武器は、いつでも出せる。


「……そうか。君はよっぽど人間の解体が楽しいんだね」

「楽しいよ! 若様もやらない?」

「ごめんね、私にはちょっと難しいかな」

「ちぇー。……あれ、それで何の話だっけ?」

「ああ、ごめんごめん。話が脱線してしまったね。君を、私の従者にしたいということだよ」

 誰かに従うのはお嫌いかな、と若様は柔らかく問われた。

「従うとか従わないとかは別に気にしないよ。だけど、若様の下について、それで俺は楽しくさせてもらえるの?」

「できるよ」

 若様は即答なさった。

「実はね、私は兄たちと共に、中つ国の中心へと向かうつもりでいる。その道中、まつろわぬ民が私たちを狙ってくるだろう。いわば、私たちにとっての敵だ。……もし私に従ってこの東征に動向すれば、君はこういった敵を斬ることができる。合法的にね」

「ほんと!?」

「うん。約束しよう。いかがかな」


 男は首なしの死体をぽいっと放り投げて、うーんと唸る。

 若様の交渉に揺らいでいる。おそらく、誰にもそしられることなく生物を刻めるという特権が、彼にとっては宝に思えたのだろう。


「わかった。だけど条件がある」


 にっこりと笑ったその男は、初めて私の方を向いた。


「そこにいる赤いのを刻ませてよ」


 赤いの、とは私のことだろう。

 私の髪が赤く見えるのだろう。これはというよりは茶色に近いのだが。


「……だってさ、久米」

「どうして私にとばっちりが来るんですか」

「だってさ、あんた、なんか強そうだもん! 強い奴を斬って刻むのってすごくわくわくするから!」

「どうする?」

 若様は困ったなあ、とでも言いたげな微笑を浮かべられる。いや、ぜったい困ってない。困っているのは私だ。


「ねえいいでしょう?」


 私は本能的に、若様を背後にかばった。

 そして右手をさっと動かし、驚異的な素早さでこちらに距離を詰めてきた男の、突き出した手首をつかむ。

 その手には、小刀が握られていた。

 身の危険を、本能が防いでくれた。


「若様、お下がりを」

「うん。死んじゃだめだよ、久米」

「死にません」


 私は、そのまま男を投げ飛ばす。うわわ、と間抜けた声が発せられた。


 右手に、気力を集中させる。そして念じる。

 武器よ、おいで、と。

 

 一度触れた武器は、自然と私を慕い、私の呼び声に応えてくれる。

 刀が、私の右手に舞い降りてくれた。


「あははっ、あんたっておもしろいねえ!」

 死んだ目が、輝いている。その男は、小刀を握り締めて、ひらひらと軽やかに舞う。ように、私には見える。

 動きは軽やかで重さを感じさせないのに、私を狙う一撃はどれも鈍重だ。

 刀で弾くが、そのたびにびりびりとしびれが襲う。


 しかも、速さだって半端じゃない。

 こちらに攻撃の隙を与えない。私は、男の攻撃を防ぐので精いっぱいだった。

 小刀が、的確に首や心臓や腹を狙っている。本気で殺す気だ。

 小刀が振るわれるたび、風を切る鋭い音が、耳を掠める。若様のことなどまるで眼中にないのが救いだった。

 

「ふふ、ふふふふふ……う、っくくく」

 喉を鳴らして、男は笑う。心底愉快気に笑う。

「すごい! 俺の攻撃が全然入らないなんて初めてだ! あんたすごいよ! やっぱり斬ってバラしたくなる!!」

「お断りだ!」


 ただでさえ斬られるのはごめんなのに、そのうえバラバラにされるなど誰が望もうか。


「強-い! あははははは、ねえ、名前なんてーの?」

「答える義理はない」

「ふーん、つまんないの」

 唇を尖らせた男が、不意にまた違う笑みを浮かべた。


 さっきまでの無邪気な笑みとは違う、大声出して大笑いするでもない。

 腹の底から、こちらへ恐怖を刻み付けるような、何かを思いついた微笑。


 それをまともに見たのが私の失敗だった。

 らしくもなく、私は恐怖に一瞬だけ、すくんだ。


 好機を見逃すほど、相手も馬鹿ではなかった。

 一気に距離を詰めて、右手を横へ薙ぐ。

 

 その右手に握られているのはなんだった?

 そう、小刀。

 鋭利な刃が、私の顔を裂いた。


 とっさに右の目蓋をぎゅっと閉じたのは、幸いだったのだろうか。

 右目の下に、鋭い痛みが走る。

 斬られた。


 歯を食いしばって、情けない悲鳴を上げることは何とか免れた。

 代わりに、うめき声はもれたけど。


 右目の下が、焼けるように熱い。鈍い痛みが襲ってきて、集中力をそぐ。

 おまけに開けない。右側の視界は狭まった。


「ふわぁ……綺麗……」


 小刀についた私の血を見て、男はうっとりとそう漏らす。

 思い人のことを考えているような少女にも見える。その恍惚とした表情はどこか純粋だ。


「ぐ……ぅ」

「ねえ、痛い? そりゃ痛いよね? 痛くしたもん」


 私は右目を閉じた状態で、その男の相手をしなければならない。


 痛みで集中できない。背後には、若様がおられる。

 もしも自分がこと切れて刻まれでもしたら、あの男は若様を刻むのだろうか。それとも従うのだろうか。


 どちらにせよ、私が死んだ状態で、あの男を若様に近づけるのはなんとしても避けたい。


 土壇場で、私の狩人の血が、働き始めた。

 痛みは確かに感じるけれど、狭まった視界は聴覚や嗅覚で補った。


 どこから男が来ても、攻撃はすべて弾いた。

 男の笑い声を聞きながら、私の耳は風を切る音をしっかりと聞き取った。

 嗅覚が、男の小刀についた血の臭いをかぎ取った。


 攻撃を防ぎ続けて、好機を虎視眈々と狙っていく。

 獣を狩るように、異形を討つように、若様を狙う刺客を斬るように。

 ただ、好機をうかがい続けた。辛抱強く、待ち続けた。


 

 来た。

 今が、「その時」だ。


 私は迷わず、前へ一歩踏み込む。的確に急所を狙う小刀を潜り抜けて、男の懐へと入り込む。


「……え?」


 素っ頓狂な声を、男が上げた。


 大振りな攻撃では、次の一撃を当てるまで時間がかかる。


 私は、本能に従い、刀の柄で、男の右手を殴った。

 一瞬、男の顔が痛みに歪む。

 ぽろん、と男の右手から小刀がすり抜ける。

 拾われないように、私はそれを左手で受け止め、放り投げた。


 まっすぐに、男を見据えた。相変わらず、右目は閉じたまま。


 私は、男の首を左手で掴み、そのまま前へと押す。

 ついでに足も払う。

 態勢を崩した男は、そのまま地面に打ち付けられた。

 

 身動きを取らせないように、私は組み敷いた男に馬乗りになり、ついでにそいつの右手を左足で踏む。

 

 男の左頬すれすれに、刀を突きさす。

 かすらせただけかと思ったが、手元が狂った。割と深く切り裂いたらしい。

 視界が悪くなるとこれだ。私は半ばあきれた。


 男の頬から、どくどくと血が流れる。

 男は呆然とした表情で、私を見上げてくる。


 どっと、全身から汗が噴き出た。


 危険人物を捕まえて、これ以上は脅威にならないという安堵に襲われて、力が抜けていく。

 

「私は、お前に刻まれない。刻まれてたまるか」

 そう吐き捨てた。


 男に、戦意はなかった。

 だが油断せず、私は用心深く男から刀を離した。

 刀はふわりと風に包まれ、消えた。

 役目を終えたと判断した刀は、もとの場所へと戻る。


 男は、自分の左頬にふれる。

 かなり深く斬ったせいで、血が止まらない。

 それを、男は確かめた。


「……俺、」


「……?」


「はじめてだ」


「は?」


 男は再び、輝く笑顔を取り戻した。

 右手の痛みや、頬の血など忘れたように。


 がばっと起き上って、あろうことか私にだきついてきた。


「うわっ!!」

「すっごいすっごい!! あんたすごいよ! 俺に初めて傷をつけた……! あんたが俺の初めて、持ってった!!」

「誤解を招くような発言をするな!」

 背後から刺されるのではとひやひやしたが、その心配はなかった。


「ねえねえ、若様だっけ? 俺、あんたに従うよ! この人、若様の従者なんだろ? だったら、俺あんたの従者になる。この人と一緒にいたい!!」


 目的が変わっていた。


「おま……」

「ねえ、いいでしょう? 俺、ちゃんと働くからさ。もちろん刻ませても欲しいけど……あんたのそばにいたい!」

「そばにいてどうする気だ。私を刻む気か?」

「しないよ。俺、俺を傷つけた奴は刻まないって今決めたから!」

 明るくそう答えた。


「うん。従者になってくれるなら、私は何も問題ないよ」


 若様、私には問題しかありません。



 かくして、男は晴れて若様の従者となった。

 その男は道臣(みちのおみ)


 私の右目に、刺青のような痕を刻んだ男。

 その男の左頬に、私は傷を刻んだ。


 その刻みアイが、私と道臣……ミチを結んだ。


 キズが、お互いのキズが、私とミチを強く繋ぐ。

イワレヒコ様の従者である久米さんと道臣さんのことを夢想していたらできた産物です。久米さんは目の周りに刺青があったらしいので、それ掘ったの道臣さんだったらたぎるよなあ……という妄想。

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