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 少女がチェーンソーを持ち出してきた。


 チェーンソー。もう一度言おう。チェーンソー。

 ずっしりとした動力部に粗々しい外歯を備えた道具であり、ボタン一つで刃が回り出す電動式ノコギリであり、今から僕の足首を分断する少女の玩具である。


 僕の額には脂汗がにじんでいた。

 しかし、この汗は僕がこれから足を切られることに対する恐怖と苦悩から来るものではない。そんなものはどうだっていい。僕の凡庸な足なんて十だろうと二十だろうと三十だろうとくれてやろう。

 この焦燥感は少女が手に抱えているチェーンソーで、少女自身が怪我をしてしまうのではないかという懸念と不安によるものだ。

 もし少女が大きな怪我でもすれば、僕とは違ってもう元には戻らないのだ。最悪、その怪我で死にでもしたら洒落にも唄にもならない。


「大丈夫だって。初めてじゃないんだし」


 その油断が禁物なんだよ。何事も慣れてきた頃が一番危ないって言うじゃん。


「私を誰だと思ってるの? 私だよ!」


 え、いや、はい。そうですけど。


「と・に・か・くっ! 私はチェーンソーを使って足を切りたいの! あんだーすたんど?」


 ……あんだーすたんど。


 しょうがない。こいつの身勝手ぶりは折り紙つきだからな。ここは引き下がって、少女が怪我をしないように祈りでも捧げておく方が得策か。


「うん。わかればよろしい」


 頭をなでなでされた。少女の手はいつも温かい。



  ◇ ◇ ◇



 けたたましいエンジン音とともにチェーンソーの刃が勢いよく回り始めた。

 少女はハンドルを手に持ち、駆動する刃を僕の右足首に構える。

 そしてゆっくりとじわじわと刃を降ろし始めた。


 刃が皮膚に触れた瞬間、笑ってしまいたくなるほど血が噴き出した。プシューッというオノマトペがまんま当てはまるような光景。

 と同時にすぐさま骨を削る音が響き始めた。

 くるぶしの出っぱった骨が造作もなく切断されていく。チェーンソーの振動が足先から体内へと直接伝わってくる。無慈悲な痛みが僕の右足から派生する。


 そうして、ぶっといアキレス腱まで綺麗にそぎ落とすと、少女は一旦チェーンソーのスイッチを止めた。

 こちらからは見えないが、僕の右足は今ぱっくりと開いて中の肉が露出していることだろう。


 耳障りな機械音が停止し、僕の周りに寂々たる空気が漂う。少女はやけに静かだった。

 ……ん? どうしたのだろう?


「アキレス腱 切られて僕は あきれ顔」


 少女はそれだけ言うと再びチェーンソーの刃を回し始め、今度は左の足首を切断し出した。


 え? え? え? 今のなに? なんか言った? あれ? 川柳? なにか意味でもあるの?


 えーっと? アキレス腱? 切られて僕は? あきれ顔?


 んんーっと……、……ああっ! あーなるほどなるほど! アキレス腱の『アキレ』とあきれ顔の『あきれ』が掛かっているんだね! あーなるほどね、はいはい!

 あ! しかも、アキレス腱の『キレ』に切られての『切られ』、それとあきれ顔にも『きれ』が入っていて、どの単語にも『切る』という音が含まれているわけね! わあー上手いなあ!


 いやー、とっさに思いついたにしてはすごいと思うよ、うんうん。僕もこんなにハイレベルな川柳が頭の中に浮かんだら、相手が聞き漏らさないようにわざわざチェーンソーまで止めて、おもわず口に出して言っちゃうだろうなー。こんなにも素晴らしい川柳を思いついたらそうしちゃうだろうなー。


「うやああああああああああっ!!!」


 変な奇声を発したかと思うと、少女は耳を真っ赤にさせながらチェーンソーを振り下ろし、僕の左足首をざっくりと切り落としてしまった。



  ◇ ◇ ◇



 ところで。

 現在僕の腕は両方ともなくなっているわけだが、これがどうしてか、まだそこに付いているかのような感覚がする。

 確か『幻肢』と言ったか。肢体が消失しているのにまるでまだ在るかのように錯覚し、痛みも感じることができる症状のことらしい。

 だけど、僕が知覚するこの腕はそのような錯覚とかいうレベルの問題ではない。本当にまだ神経がつながっているかのように、否、初めから腕などなくなっていないかのように感じられるのだ。

 ……まあそれだけこの『幻肢』という感覚錯誤が強力なだけかもしれないが。


 そんな、本来ならば頭の隅っこにでも置いておくべきような思慮思案事を、僕は少女から右足にオイルを塗られながら考えていた。


 ツッコミどころが三つあるな。

 第一に、オイルを塗るというシチュエーションは、やはり男が女性の肌に塗る絵図らじゃないと様にならない。

 第二に、『オイル』と僕は言ったが、これは『灯油』だ。まぎれもなく『灯油』だ。100%純粋の『灯油』だ。独特の臭気が鼻を刺す。少女はそれを、ゴム手袋をはめて塗っている。

 そして第三に、少女がどうしてオイルもとい灯油を塗っているのかというと、僕の右足をこんがりと焼きたいからだそうだ。ちょっと意味が分からない。


 そもそも灯油なんて塗りたくってしまったら少女の期待には応えられないだろう。焼き焦げて炭になってしまうのは火を見るよりも明らかだ。おっ、今自分、結構上手いこと言いませんでした? 『火を見るより明らか』という言葉自体の意味と、慣用句としての意味とが掛け合「言ってないんだけど。全然これっぽっちも上手いこと言ってないんだけど」


 少女が先程の川柳のお返しとばかりに反撃を繰り出してきた。ふふん、照れ隠しが隠しきれてねえぞ。


「うるさいっ! ああもう、これでいいや! 君の右足なんて消し炭になっちゃえ!」


 自分で言っちゃってるよ、この娘! こんがり焼くのはどうした!


 そうして少女は両手のゴム手袋を外すやいなやマッチを擦り、たっぷりと灯油を含んだ僕の右足にメラメラと燃える火種を乗せてきた。



  ◇ ◇ ◇



 一瞬火が消えたかと思うと、またたく間に炎が脚部に乗り移ってきた。オレンジ色の猛火が一気に僕の右足を覆い隠す。


 熱い。熱い熱い熱い熱い熱い。


 僕は苦痛に悶えて頭をブンブン振り回した。


 熱い焦げる痛い苦しい燃える痛い焼ける熱い焦げる焼ける熱い苦しい痛い燃える苦しい焦げる熱い痛い。


 しかし、僕の足を取り巻くこの炎は一向に勢いを弱めない。僕は痛みと熱さで尋常じゃない量の汗をかいていた。


   ッ!


    ……        ッ!!


      ッ、   、        ッッ!!!


「そろそろいいかな?」


 右足を完全に蹂躙した炎の行軍が、いよいよ僕の腹に突撃しかけようとしたタイミングで、ようやく少女は消火器を取り出した。

 慌てず騒がず心に余裕を持ちながら一度深呼吸をし、それから安全栓を抜いてノズルを火元に向けつつレバーを握る、というお手本通りの操作をこなして、少女は白い粉末を僕の顔に噴射した。


 ――顔に。


「あっはははははははは!」


 僕の顔面は真っ白に染まり、消火器の薬剤が目から鼻から口からやら、とにかく至るところから体内へと侵入してきた。


 ……殺ス。こいつぜってえ殺ス。


「と、まあ冗談はさておいて、早く足の火を止めてあげましょうか」


 わかっているなら早くしろッ! このスットコドッコイがァ!



  ◇ ◇ ◇



 僕が咳き込んでいるうちに少女は右足を鎮火させてしまった。マジのど痛っ☆


「うわあ。これは、失敗しちゃったなあ。真っ黒だもん」


 少女はついさっき僕の顔に消火剤をぶちまけたことなどコロッと忘れたかのように、僕の足を指差して残念そうに言った。ハッ、ざまーみろ。

 僕も首をひねって自分の足を確認してみる。ギリだが、まあなんとか見える。


 すると、そこには右足の代わりに別の異物が僕の腰から生えていた。


 ん?


 一呼吸置いてようやく、このあまりにも突拍子のない光景に脳の処理が追いつく。


 あーあ、なにを言っているんだか僕は。消火剤で視神経でもやられたんじゃないのか。それとも元々から目がバカなのか。

 ……これが、これが僕の右足じゃないか。

 こんな見る影もない肉塊が、こんな焼け焦げた物体が、こんな自分の目でさえ見間違えるほどの片足が、僕の右足じゃないか。

 変容しすぎていて一瞬分からなかった。自分の体の一部が自分のものじゃなくなる感覚って、なんだか痛いとか苦しいとかつらいとか、そんなことよりも――


 悲しいな。


 僕は燃えカスと化した自分の右足から目を背けた。不意打ちでこんなものを見てしまったら気分が悪くなる。あー、なんだか胸がつっかえてきた。


 と、そんな、僕にしては珍しく感慨深い心持ちにふけっていると、いきなり何の前触れもなく「ずばっ!」という音がした。ていうか声だ。


 あーはいはい。なるほどね。そうきますか。

 うんうん、分かってます分かってます。薮から棒が少女のモットーですからね。何の音だとか、少女が今なにをしたかとか、別に見るまでもないです。自分の体なんだから文字通り痛いほど分かってます。


 少女が再びチェーンソーで、僕の焼き焦げた右足の付け根を切断しただけですよ。



  ◇ ◇ ◇



 あのー。何らかのアクションを起こす際はせめて一言だけでも声を掛けてくれませんかね。突発的な行動って自分は楽しいかもしれませんけど、その周りの人間にとってははた迷惑なだけなんですよ。


「届かない言葉に意味はないよ」


 一蹴された。


 さて、相変わらず右上腿からは止めどもなくドボドボと血が溢れ出ている。


 別段、今になって思うことでもないが、どれだけ都合の良い身体なんだろう。

 腕をちょん切られて足までそぎ落とされて普通なら大量出血で死んでもおかしくない、というより物理的に、人体の体積的に、血液量そのものが足りていないはずなのに、僕は平気の沙汰で生存している。

 痛みでショック死することはできないし、ましてや舌を噛み切って窒息死しようとしても僕は涼しい顔して生き残るだろう。というかそれは前に試した。


 まったく、何者なんだよ僕は。


「はあ……これ重たぁーい」


 何やら少女が重そうな道具を持ち出してきていた。鋳鉄の塊に持ち手のようなレバーが付いている。僕も初めて見る代物だ。

 すると少女はさっきほっぽってたチェーンソーを足で蹴飛ばし、その両手で抱えていた道具をドンッと僕の足元に置いた。

 ……チェーンソー蹴飛ばすなよ。馬鹿とチェーンソーは丁寧に使えって言うじゃん。言わねえか。


 それにしても。

 まあ、結局少女はチェーンソーで怪我はしなかったということになるわけだ。ふたを開ければ無問題。内心で安堵の表情を浮かべている自分がいる。

 だが同時に、今度はこの初めてお目にかかるツールに対して、新たな心配がふつふつと沸き上がってきた。

 逆にこっちで怪我とかするんじゃねえだろうな。ていうかいったい何だよ、この無骨物体。


「まあ、大丈夫だよ! さすがに万力で怪我をする人はいないでしょ! もちろん、やられる側を除いてね」


 最後の一言をしたり顔で言っちゃうあたりが少女の少女たる所以だろう。全然かっこよくねえけどな。



  ◇ ◇ ◇



 少女がえっちらほっちら持ち出してきたのは横万力と呼ばれる工具らしい。つまり対象物を左右から挟み込むタイプの、いわゆる一般的な万力である。

 しかし、この万力が普通と違うのはその大きさだ。


 デカい。なによりデカい。


 そのデカさはこの僕が初見で何の道具なのか判別できなかったほどだ。最初は部位拘束具の一種かとさえ思った。

 そして当然、本体が大きければそれだけ締めつけ部である口金(くちがね)の幅と深さも大きくなるわけで。なんだか、足首を切り落とされた僕の左上腿なんて、すっぽりと容易く入ってしまいそうな寸法だ。


 ……まさかね。


 まさかそんなわけな「こうして左足を持ち上げて」いだろう。そもそも万力というのは固定す「口金にセットっ」るのが目的であって、圧縮なんて役割は「ハンドルを太ももの位置まで回し、て」本来持ってないんだ。だから上腿を締めつ「よし、ぴったり。これで準備完了!」けて押し潰すなんていう発想ははなから浮かび上がらな「ねえっ!」はい、なんでしょう?


「今からゲームしようよっ!」よしきた!


「私がコイントスするから、君が表か裏かを当ててね。当たったらハンドル一回転分、外れたらハンドル二回転分締めつけるから」


 いいねー。やっぱり何事も楽しむことが重要だ。


「じゃあ、ゲームスタート!」


 少女がキンっ! とコインをはじいた。


 ……………………。


 れれれれれれれ?


 急な展開におもわず乗ってしまったけど、そういえば僕、コインの柄見てなくね? どっちが表か裏か確認してなくね? は? 左足に取り付けられた万力? なにそれ?


 え? じゃあこれって表って答えてもコインそのものが表かどうか僕には分からなくね? どうすんの?


「どっちだっ」


 少女はコインを手の甲でキャッチし(上手い)、あからさまにニヤニヤしながら訊いてきた。


 もう、なんか、笑ってんじゃん。これって確実に僕をはめるつもりだったじゃん。ていうか、もはや最初のルールからしておかしいじゃん。なんだよ、『当たったらハンドル一回転分、外れたらハンドル二回転分締めつける』って。何がどう転んだって僕の左足死んじゃうじゃん。終わりじゃん。


「……、…………。はい、時間切れー。時間切れでーす。タイムオーバーはペナルティとしてハンドル三回転分でーす」


 聞いてねえええええ!!!


 そして少女はいつの間にか、あれ? いつの間にだろう? 気づかなかったなあ。まあとにかく、いつの間にか僕の左上腿に装着した万力を、キリキリキリキリと愛おしそうにしぼり始めた。



  ◇ ◇ ◇



「さーて、この太もも万力ゲームもいよいよ佳境に入って参りました! 次で4ゲーム目! プレイヤーの皮膚も内出血で青黒ーくなっております!」


 なんだこいつ。


「では、そのプレイヤーさん、現在の心境はどうですか? やっぱり負け続きで悔しいですか?」


 いや、勝っても負けても一緒だからねこれ。どっちにしろ万力が進むことに変わりはないからね。というかそもそも僕、一度も負けてすらないからね。


「ん? 負け惜しみ? もしかして負け惜しみですか? ああ、見苦しい! なんと見苦しいことか!」


 うぜえ。


「さあ、そうこうしているうちに4ゲーム目が始まろうとしています! コイントスは引き続き、可憐で繊細なお茶目系美少女こと私が行います!」


 うわあ。自分で可憐とか繊細とかお茶目とか美少女とか言っちゃってるよ。あいたたたた「うるさいっ!」あいたっ!

 頭ぶたれた。


「えー、とんだ邪魔が入りましたこと、深くお詫び申し上げます」


 うっせーな、このやろう。


「それでは気を取り直して、今からコインをはじきたいと思います。皆様、カウントダウンをお願いします! ではっ! さん! にー! いち!」


 いいから早く投げろよ。


「ぜろ! 今! この瞬間! 一枚のコインが! 高らかに! 舞い上がったあぁッ!」


 もうなんなの? いったい何がこいつのテンションをここまで引き上げているの? ねえ?


「さぁーて、ではでは、運命のジャッジタイム!」


 少女がコインをキャッチした。


「この手に隠されたコインは! 表と裏、さあ、どっちだっ!」裏っ!


「ブー! 残念、時間切れでーす」


 なんじゃそら。


「今回の制限時間は2フレームでしたー。ペナルティとして三回転まわりまーす」


 確かここでは、1フレーム=1/240秒。


 ……こいつ馬鹿だろ。ぜってえ馬鹿だろ。


「暴言吐いたのでプラス一回転でーす」


 不意に、ミチッという音が僕の左足から聞こえた。



  ◇ ◇ ◇



「さーて、そろそろ限界か? 続けて8ゲーム目の太もも万力ゲーム!」


 ずっと思ってたんだけど、『太もも万力ゲーム』って……。なんかもうちょいひねろよ。そのまんまじゃねえか。


 僕の左足は言うまでもなくすでに潰れていた。万力に締められて周りから肉が飛び出している。なんだかハンバーグの下地を手でギュウッと握ったときの、あの指の間から肉が溢れ出る様子を僕は思い出した。

 そしておそらく今、万力の口はその筋肉を押し潰して骨に当たっていることだろう。痛覚なんてすでに麻痺してしまっているが、なにか堅いものが直に大腿骨を圧迫していることだけはわかる。


「それでは! 明暗分ける8回目のコイントスです!」


 はじめっから『暗』しか見えないんですけど。開始から一直線で奈落の底に落ちてるんですけど。


 少女が相変わらずのアルティメットテンションでコインをはじく。どう足掻いても僕の回答は時間切れにしかならないんだから、もはやコインを投げる必要性が感じられないんだが。


 くるくるくるくるとコインが回る。いまだにどっちが表か裏だか判別つかないコインが、少女の前で回転する。

 そして――それは少女がコインを手に取った瞬間。


 表っ「どっちだっ」


 ……あ。


「ああーっと! これはフライング! フライングです! プレイヤー、ここにきてフライングをしてしまった! これは駄目です! これは駄目だあぁッ!」


 声でけえよ。


 僕の太ももがミシミシと泣くような悲鳴を上げている。


 お前も黙ってろ。


「フライングはペナルティでなんと10回転分! さあ! いよいよここで決着がついてしまうのか!?」


 またもや初耳のルールだ。もういいや。

 そして少女はハンドルを両手に持つと、キリキリとギリギリとギシギシと万力を締め始めた。



  ◇ ◇ ◇



 僕の左足からは搾ったように血がにじみ出ており、その周りでは溢れ返った肉が居心地悪そうにたむろしていた。

 人体の骨で最長を誇る大腿骨からは家鳴りのようなミシリミシリという呻き声が響き渡り、けれども少女の手は決して緩まることはなく、一定の速度を保ちながら、ゆっくりと確実に僕の骨を砕いていく。


 麻痺していた痛覚が蘇ってきた。脳天を突き上げるような言葉にならない痛みが、再度僕を襲う。


 気持ち悪い。吐き気がする。なんだか胃液がこみ上げてきたようだ。


 少女は懸命に万力を回し続ける。僕は懸命に痛みに耐え続ける。

 永遠の時間。幸福の破壊。不幸の遊戯。

 止まらない不協和音。終わらない激痛。まぎれもない不快感。


 まるで――本当に生きているかのようだ。


 ようやく万力が停止したのは、僕が嘔吐したのとほぼ同時だった。

 そしてどうやら万力の口は無事最後まで閉じたらしく、すでに僕の支配下から外れていた左足は、少女が引っこ抜いて完全にもぎ取ってしまった。


 少女は幸せそうに顔をほころばせている。その微笑は僕の心を内側からえぐり取るかのように眩しく見えた。


 僕が嘔吐した原因は判然としない。過剰な痛みに対する体の拒絶反応なのか、あるいは今目の前に転がっている親指を、僕の胃が受けつけなかったからなのか。


 しかし、そんな些事にもならない程度のことで、涙を流して視界がにじむことだけは避けるべきだろう。

 今、少女は心の底から嬉しそうに楽しそうに笑っている。無邪気なその笑顔ははっきりと僕の方に向いている。


 この笑顔が見られるのなら、僕の足なんていくらでも渡そう。


 少女が笑ってくれるなら、それでいいさ。




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