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それでも僕は。

 

 僕は爪を剥がされた痛みで目が覚めた。


 痛みの発信源は右手の小指。顔を向けると、そこにはペンチで僕の生爪を剥ぐ一人の少女がいた。


「あ、おはよう! 目が覚めた?」


 少女は元気にそう挨拶をして、今剥いだ僕の爪を舌で舐めた。どうやら血を舐めて綺麗にしているらしい。変なところで綺麗好きだ。


「ていうか君、痛みにニブすぎ。五本目でようやく起きるって大丈夫? きちんと痛覚神経通ってるの?」


 見ると僕の右手の指はすべて爪が剥がされていた。指の先が真っ赤に染まっている。

 そして今更になってそれぞれの指の痛みが僕を襲ってきた。


「おっ! いいねーその表情。いかにも『痛い!』って感じで」


 少女は愉快に言うと、今度は僕の左手側に回り込んできた。


「はいはい、爪剥ぎとかまだまだ序の口だからね。こんなのササッと終わらせるよ!」


 少女は嬉しそうに笑った。



  ◇ ◇ ◇



 今、僕は仰向けで大の字に寝かされている。この肌触りからして何らかの金属の台に。おそらくはステンレス製のものだと思う。鉄だと血で錆びちゃうしね。

 そして僕を乗せているこの長方形の台は、体にぴったりと収まっている。両手を伸ばした長さと台の幅が全く一緒なのだ。わざわざ誰かが僕のためにオーダーメイドでもしてくれたのだろうか。ご苦労様です。


 また、僕の四肢は縛られてもいないのに微塵たりとも動かすことができなかった。指先でさえ微動だにできない。金縛りに遭ったらこんな感じなのかなあとふと思った。

 ただ幸いなことに首から上は動かすことができた。目もキョロキョロできるし、歯もガチガチ鳴らすことができる。そして首自体も回すことだけはできたため、その唯一の可動域を駆使して、左隣に座っている少女に目を遣る。


「ん? どしたの?」


 少女は椅子に座って僕の左手を持ち上げて、そして、僕の指を舐めていた。爪が剥がれた僕の指をおいしそうに舐めていた。


 まあ、その……あれですね。ぞくぞくしましたね、はい。


 当然爪を剥がされた場所なんでメチャクチャ染みるんですけど、それにも増してなんとも形容しがたい感情が僕の体を駆け巡っているんですよ! もう何なんでしょうね、この気持ち!


 僕が心の中で妖艶な苦痛にやきもきしていると、少女はその心中を察したかのように妖しい笑みを浮かべて話しかけてきた。


「もしかして、痛くなかった?」


 え? それって逆じゃね? 普通、「もしかして、痛かった?」って言って慰めてくれるんじゃね? なんで痛いこと前提? は?


「もし痛くなかったらきちんと私に言ってよね。できるだけのことはするから」


 いやいやいや。いいです。全力でいいです。力の限りお気になさらないでください。


「がぶっ!」


 少女が僕の指を噛んだ。


 もはや意味分かんねえええええ!!!


 そもそも何なんだよこいつは! いっつも人の話を聞こうとしないし! 人に痛いことばっかりさせてくるし! 常にマイペースで自由奔放だし! そのくせ変なところで神経質だし! 顔かわいいし!


「んふふ。おいしっ」


 少女は上目遣いでこちらを見ながらも、相変わらず僕の指を(特に血を)じゅるじゅると吸っている。自分でも血が抜かれていくのがよくわかる。


 なんていうか、もうこいつ吸血鬼的なアレでいいんじゃないの? 人間の血に飢えた吸血鬼が僕を襲って血を吸っている――そういうありきたりな設定でいいんじゃないの? 少なくともそういう状況であった方が、今よりかは何倍もマシなんだけど。


「はい、ごちそうさまー」


 吸血鬼様はご満悦な様子で僕の指から口を離した。予想はしていたが、僕の指は赤黒い血で見るに耐えないほどグチャグチャになっていた。気味が悪かった。


「それでは次、足いきまーす」


 どうやらヴァンパイアはまだまだ血が吸い足りないようです。



  ◇ ◇ ◇



 少女は手の爪を剥がすのにペンチを使っていたが、今度はノミでやるらしい。一緒にノミ打ち用のハンマーも持っている。ていうかそんなものをどこから取り出したんだろう?


 足元に少女が移動した。僕の首は、回すことはできるが起き上がらせることはできないので、少女に視線を向けることは不可能だ。だが、その方が幸いかもしれない。


 右足、その親指の爪と肉の間にノミが刺さった。いきなり刺さった。

 本当にいきなりだった。爪を剥がす際は、やる前に『今から右足の親指んところの爪剥がしますねー』くらいの合図をかけるのが世の常識人ってものだと僕は思うが、相変わらずこいつにとっては常識などどこ吹く風の様子だった。


 そして落ち着く間もなく、カンッ! とノミを打ちつける音が聞こえてきた。

 ノミが爪に食い込む。鋭い痛みが走る。

 ハンマーが振り下ろされる。奥歯を食いしばる。

 ノミが爪に食い込む。悶絶するほどの激痛が、足元から一直線に全身を駆け上がる。

 ハンマーが振り下ろされる。歯が削れるんじゃないかと思うほど、僕は強く強く奥歯を噛み締める。

 ノミが爪に食い込む。さらに深々と刺さるノミの感触が、ダイレクトに脳へと伝わる。

 ハンマーが振り下ろされる。奥歯の感覚がなくなるくらい、僕はあごに精一杯力を込める。


 その後、数回ノミを打ちつけたところで、僕の爪は根元の皮一枚でつながっている状態まで剥がされた。爪がぷらんぷらんしているのが見なくてもわかる。

 そして少女はそのプラプラした爪を指で取って、躊躇うことなく当たり前のように、思、い、き、り、引っ剥がした。



  ◇ ◇ ◇



 親指が終わったら次は人差し指に向かうものだと僕は思っていたけれど、少女の頭の中ではどうも独自の順序というものがあるらしい。

 少女は右足の親指の爪を剥がし終えると、今度は左足の小指にノミを据えてきた。


 小指、特に足の小指というのは人類にとってどうしようないウィークポイントである。タンスの角に小指をぶつけた、と聞いただけでもその痛みが容易に想像できてしまうほどに、足の小指は痛覚に対して敏感だ。そんな部位をノミなんかでしっちゃかめっちゃかに掻き回されてはたまったものじゃない。


 現に今も、少女は「あれえ? 小指の爪って小さすぎて取れないんだけどー」とか言いながら僕の小指をこれでもかというほどガスガス削っているが、はっきり言って僕、これで死ぬんじゃないかってくらい痛い。もはや痛すぎて逆に面白い。

 親指のときよりも数段レベルの高い刺激が僕の脳に伝わってきていて、しかも爪を剥ぐ時間が親指とは比べものにならないくらい長いのだ。


 そんな激痛に苛まれて数十秒、いよいよ走馬灯が頭の中を駆け巡り出した頃、ようやく少女が音をあげた。


「あーもう、爪だけ取るの無理っぽいから指ごと切っちゃうね」


 少女は言うが早いかノミを勢いよく振りかぶり、僕の小指の根元に盛大な音を立てて打ちつけた。

 骨ごと引きちぎられていた。



  ◇ ◇ ◇



 結局、指ごと持っていかれたのは両足の小指二本だけだった。

 左足の薬指の方も結構危うかったが、少女はなんとかやる気をふりしぼって爪を剥ぎ遂げてくれた。かったるいとか言われて薬指まで持っていかれたらどうしようかとヒヤヒヤしたなあ。


 そして今、僕の体に付属していた爪をすべて剥ぎ終えた少女は、また隣で椅子に座っている。

 今度はうつむいて何やら作業をしている。首を回してもよく見えないが、どうやら僕の爪を削っているらしい。さっきからやすりをかける音が聞こえる。


「……よし、できた!」


 少女は立ち上がってその手に持っているものを僕に見せつけてきた。いや、そんなぐいぐい顔に押しつけてきたら逆に見えないんだけど。


「どう? きれいでしょ?」


 少女が手に持っていたのはやすりでピカピカに磨かれた僕の爪だった。

 まぎれもなく僕の爪。表面がテカテカしていて、かつムラがないように削られている。ホント細かいところは細かいな。


「そして、なんとこれで爪300枚突破したんだよ!」


 少女は僕の爪を持って心から嬉しそうにはしゃいだ。


 それにしても、もう300枚か……。きちんとカウントしてたんだな。まったく、どれだけ溜め込んでいるんだか。


「あ、それでそれで。切っちゃったこの二本の小指はもういらないから、片方君にあげるね。もう片方は私が食べるから」


 脈絡がないにも程がある。まあ、こんな突拍子もない行動も、少女の一つのアイデンティティなのだろう。僕は心ならずも口を開けてやった。


 少女が僕のあごに手を添える。さっきまで僕の足の先だったはずのその異物を口腔内へと押し込める。ぶよぶよした感触が舌に当たっている。


「あ、大丈夫! 当然骨は抜いてあるから」


 相変わらず足の小指の味がした。


 不味かった。




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