『セーラー服と絵の具箱』
~~~~まえがき~~~~
渡辺淳一氏の小説『阿寒に果つ』は、天才画家少女・純子が黄泉の国へ旅立つ場面から始まります。
この物語では、その純子を雪原に消えさせることなく、平成・令和の時代に生きる少女として、あらたに描いています。
外からは分からない症状のために、純子は、心ない教師や一部の生徒によっていじめられます。
そんな純子は、大震災の津波による被災地をスケッチしたいと思い立ち、現地に入る方途として、学生ボランティアに参加する決意をします。 純子を支え続けた『フレンズ募金』の仲間たち、純子の症状を正しく理解した家族、純子が被災地で出会った運命の人、そんな人々と純子が織りなす物語です。
本書をお読みいただいたみなさんが、純子のような症状への理解を深めていただけたなら、作者としてこれほど嬉しいことはありません。
なお、本作は『note』でも『BOOTH』でもお読みいただけます。
・下記『note』では、このサイトと同じ範囲までがお試し読みであり、カラーの画像を付けています。
https://note.com/dragon_moonpath/n/n76874e94dab1
・下記『BOOTH』では、計14枚の画像を冒頭で紹介しておりますが、お試し読み部分はわずかです。
『セーラー服と絵の具箱』 - dragon-cats - BOOTH
副題:『思春期を乗り越えた少女の物語』
~~~目次~~~
『序章』
『第1章 初恋』
『第2章 発病』
『第3章 高校で暴力を受ける』
『第4章 祐一との出会い』
『第5章 純子のベクトル』
『第6章 大地震発生』
『第7章 実留との出会い』
『第8章 被災地』
『第9章 純子とフレンズ』
『終章』
なお、本作は『note』でも『BOOTH』でもお読みいただけます。
・下記『note』では、このサイトと同じ範囲までがお試し読みであり、カラーの画像を付けています。
https://note.com/dragon_moonpath/n/n76874e94dab1
・下記『BOOTH』では、計14枚の画像を冒頭で紹介しておりますが、お試し読み部分はわずかです。
『セーラー服と絵の具箱』 - dragon-cats - BOOTH
-----------------------------------------------------------------------------------
『序章』
白銀の静寂の中、鮮やかな緋色は瀕死の少女のベレー帽だった。
由奈高原で開かれていた清南高校のスキー教室。
その三日目の早朝、事件は起こった。
純子がいなくなったことが分かり、教員たちは引率責任者の塚越教頭を中心にして、本校と連絡をとりながら道警に捜索願を出すべきかどうかと逡巡していた。その対応が遅れていたわけは「入学前から問題のあった生徒の不祥事によって、この進学校のイメージが損なわれてなるものか」と頑なに主張する古参の教員がいたためであった。
純子を発見したのはバックカントリースキーに興じていた若者たちだった。彼らはすぐに救助を呼ぼうとしたが、携帯電話には「圏外」としか表示されず、二人の女性がエマージェンシーシートで純子を包んで体温低下を防いでいたときだ。別のメンバーが「この子を守っていてくれよ」と言い残し、勢いよく斜面に飛び出していった。
彼は視界が開けた丘に着くと、祈るような気持ちで、電源のON・OFFを繰り返したことで、一時的にではあったが通信が回復した。
その後、緊急出動した山岳レスキュー隊によって純子は無事に保護されたのであった。『北斗大学附属病院』に向かうドクターヘリの中では胃洗浄まで終えることができ、純子は凍傷すら負うこともなく、特別病棟のベッドの上で回復を待つ状態までになった。
その朝、純子が使った劇薬は、中学生のときの純子が理科室からくすねていたものだった。そのため、教師たちは『報道を過熱させるような情報は隠し通すべきだ』と、より強く申し合わせた。 もちろん、純子の自殺未遂は生徒達にも内密にされて彼女の家庭とも相談した結果、当面の間、自宅待機をさせることになった。
2年3組の担任の石井は、ショートホームルームのときに「加藤さんは家庭の事情でしばらくお休みすることになりました」と、いつもの連絡事項のように、さりげなく伝えただけであったので、クラスメートだけでなく、純子と同じ美術部員でさえ、大して疑問を抱くことはなかった。
ちなみにこの時期は、現3年生が『大学入試センター試験』を終えて、国公立大学の二次試験や私大入試に挑んでいた受験シーズンであり、2年生たちにとっては『来年は自分たちの受験だ』という重圧がかかり始めていた頃でもあった。
『第1章 初恋』
純子は幼少時代からのお受験コースで英明中学に入学後、2年生の時に新人教師の中田に初めての恋をした。その中田は地元の高校を卒業後、教員養成系ではハイレベルだと言われる文理大学の出身だったので、それだけでも生徒の憧れの的だったのである。もっとも、この大学より入学偏差値の高い大学の学生たちは、田舎の教師稼業などには見向きもしない、と言った方が、この大学へのより適切な評価ではある。
色づいた葉も落ち切った晩秋の放課後
中庭の沈黙した池の傍らに少女はいた
張りつめた時間だけが静かに流れていく
渡り廊下にあらわれた意中の人
少女は想いを込めた手紙を差し出した
彼は無表情のままそれを受け取り
薄暗い棟に吸い込まれていった
このことだけで済んでいれば、よくある少女の告白にすぎなかったのだが、その後は二人にとって予想外の展開となっていく。
中田は、手紙を受け取ったこと自体によって『処分の対象になるのではないか』、という不安を抱くばかりであって、思春期の少女の気持ちを受け入れる心のゆとりなどはなかった。悩んだ末に、その手紙を学年主任に渡して相談したのだった。次の週の放課後、純子は担任の志村から誰もいない教室に呼び出され、丁寧に開封された後の自分の封筒を目の前におかれた。
そして 志村は静かに話し始めた。「今日は呼び出してすまなかったね。 君たちが若い男性教師に憧れる気持ちはとてもよく分かるのですが、私たちはどの生徒さんにも公平に接しなくてはいけないのです。今年の中田先生は担任こそ持っていませんが、理科教師として研修を積む時期ですし、慣れないサッカー部のご指導や遠征の準備などで大変に忙しいのです。もちろん加藤さんのお気持ちは貴いものだと思いますよ。それから・・・」と、志村は躊躇しつつも話を続けることにした。
「先月、『都内の教員が女子高校生にわいせつな行為をした』、というニュースはご存知でしょうか。そんなわけで学校長からは『生徒との関係を疑われるような状況を作ってはいけない』と、厳命が下っているのです。加藤さんのお手紙はとても良い文章だと思いますが、今回のことは忘れてもらえないでしょうか」、というごく当たり前の『生徒指導』だった。
しかし、純子にとってみれば、自分の手紙が何人の男に読まれたかと考えると、生まれて初めて顔から火が出るような恥ずかしさが沸き上がってきた。そして中田への想いは深い恨みに反転して、現実のものになっていく。
理科室の薬品保管庫のカギは、実験の授業後には必ず事務室のキーボックスに戻すべきものだが、一学期のある日、純子はそのカギを『理科準備室の机に入れておくように』と、中田から手渡されたことがあった。中田は空き時間を使って授業の範囲を超えた実験にも没頭していたので、そのカギは一日中手元にあった方が都合よかったのである。
また、中学校の理科では必要としない劇物の瓶が薬品庫の奥に置かれていたことにも純子は気づいていた。 さて、中田のような新人教師というものは生徒を疑わないものであって、過酷な復讐を受ける羽目になるなどとは夢にも思わなかった。
学校の期末テストの前後は、各教科の担当者にとって、まず試験問題の作成と採点に追われる時期である。その後、学級担任は各教科担任から提供された自分のクラスの全科目の成績表をもとにして、生徒一人ひとりの通信表などを作成するのだが、学級担任は教科担任でもあるのだから、いつにも増して多忙な時期だ。しかし、部活動の顧問はその指導を休むことはできず、教職員労働組合の活動もなくなるわけではない。特に二学期末であれば、職員親睦会の幹事たちは、忘年会会場の予約や出し物の準備も始めなくてはならない季節である。
一年を通して『教員免許がなくてもできることは一切いたしません』などと、言っていられないのが教員の勤務実態なのである。教員たちにしてみれば、こんなにも多忙な時期に生徒には問題など起こしてほしくないのだが。
年も押し迫った日の放課後だった。
全校に非常ベルが鳴り響き 消火栓の赤いランプが点滅した。
職員室の防災モニターには『理科室』が表示され
防火管理者の教頭が校内放送のマイクに飛びつき
「理科室で火災発生、火災発生、先生方は消火器を持って理科室に急行してください」と懸命に繰り返した。
出火原因は、純子が薬品庫を開けて『実験用燃料』を取り出し、理科室の机の上や床に流し、固く丸めた古新聞紙に着火して、廊下から投げ込んだのだった。
幸いにも消防隊の到着を待つことなく、教師たちの力によって鎮火することができた。本人もやけど一つ負わずに済んだのだったが、純子のスカートの裾には不自然な焦げ跡があった。また、純子は制服の下にTシャツとショートパンツを仕込んでいたようだった。それは、いざとなれば制服の上下を脱ぎ棄てられる準備だったのではないのか。ストッパーのピンを抜いた消火器もすぐ傍に置かれていたそうだ。つまり、放火自殺を演じた純子からの、理科教師へのとんでもない嫌がらせだった。
中田は危険物の管理不足だとして厳重な注意を受けただけでなく、翌年から、遠距離にある公立校に非常勤講師として配属されることになった。 公立校への臨時任用という、寛大な措置がとられたわけは『学校職員とPTA代表の親睦会』という宴席の折、『英明中』の教育振興会会長だった道議会議員の中島に、植松校長が髪も少なくなった頭を下げて頼み込んだおかげだったらしい。
一方の純子は『現建造物等放火罪』に問われてもおかしくはなかったのだが、父親が道内の有力者と連携を取ったおかげで、警察も『未成年者の自殺未遂だった』ということだけで書類送検はされず、学校からも何のお咎めはなかった。父親の方は、請求されるままに損害を償い、理科室の回復工事は、三学期の開始までには間に合わせることができた。このことは、新学期を迎える生徒たちの動揺を最小限に抑えられた。という意味でも学校は迅速な対応をしたといえる。 さて、その後の純子は
とんでもないことをしてしまったという後悔の念で胸が押しつぶされそうだった。恋文を職員室で回覧されてしまったというおまけ付きの大失恋だったとはいえ、中田に対する思慕の情は今も深く残っていることに気付いたのであった。
『第2章 発病』
4月になり、中学3年生の新学期が始まった。 純子は今まで通り登校し、何事もなく帰宅しているように見えた。しかし、本人にとっては空虚な日々が過ぎていくだけで、何を見ても、何を聞いても、心が動くことはなかった。純子の授業中のうつろな様子やミニテストでの低迷ぶりは、授業担当者から担任の志村には伝えられていた。しかし、校長から「ハイレベルな高校へより多くの合格者を送れ」という指示を受けていた英語科主任の志村にしてみれば、一人の生徒のスランプなど、取るに足らないことだった。志村は生徒の心のケアよりも、自分の授業について保護者から苦情が来ないようにと、願うばかりの典型的な教師だった。
五月の校内模擬試験のとき、 純子はシャーペンを持ったまま何ものかに憑かれたように動けなくなった。頭痛や腹痛をこらえているわけでもなかった。なにもできないのである。理由はわからないが、これ以上その場にいることができないような気分だった。自分自身がなにものかによって排除されるような気持ちに襲われていた。
たまたま試験監督をしていた国語教師の毛塚は、進学志望校を決めるための模擬試験でもあったので、迷ったあげく「大丈夫ですか、保健室で休みながらテストを続けてもいいのですよ」と、そっと声をかけたのだが、純子は「私、なにも悪くありません」と言って席に居続けた。 いつ試験が終わったのかも思い出せず雲の上にいるような気分だったが、その日は道を間違うこともなく無事に家にたどり着いていた。
翌朝、純子は身支度をして通学バッグを持ったところまでは普通にできたのだが、家から出られない不思議な感覚に支配されていた。父も、パートの母も、姉の正美も、すでに出発していて、最後にカギをかけて登校するのが純子のいつもの役目だが、どうしても体が前に動かないのである。昨日のテストのときと同じように、頭痛でもなく貧血気味でもなかった。学校をさぼりたいという気持ちでもなかった。もしそういう気分になるとしたら去年の失恋の後だったろうに、今になってこんな精神状態になるとは、と純子は不思議でたまらなかった。その動けない原因が自分でもわからなかった。学校に電話をすることはずる休みをするようで気が引けるから、というよりも電話をかけることすらだるくて億劫な感じに襲われていた。しかたなくベッドに横たわろうと思い、バッグを置いてシューズを脱いでフロアに上がるときはスムーズに体が動いていた。だからと言って『学校を休めてうれしい』などという安堵感は湧き上がってこなかった。
純子は「どうしたんだろう、私、どうして学校のほうに体が向かないの」とつぶやいた。そのまま一日中、自分の部屋から出ずにぼんやりとしていた。バッグを開けても、教科書や宿題に目を通す気にはならなかった。というよりも、そういったことすら億劫な感じに包まれていた。
この時の状態を、あとになって純子自身が振り返ると、大脳からの『行動を起こせという指示』が正常に全身へ行き渡らなくなっていたのかもしれない。
その日の欠席のことは家族に知られることはなかった。純子が隠したというよりも、言うことすら気だるかったのだ。翌日は土曜日だったが課外授業のある日だったので登校しようとして玄関に立つと、昨日と同じような気分に襲われた。純子はいつものように歩いて数分のコンビニまで行ってドリンクを買ったときに登校できるかどうかを決めようとして、そこまでは行ったものの、やはり学校の方向には体が動かなかった。
自宅に戻った純子は『これは何かの病気かもしれないのかしら』と思ったものの、かかりつけの『内科』に関する病気でもないだろうし、『精神科かしら』と思ってネットで調べたところ、どのクリニックにも『要予約』の文字があった。そんなとき、自宅から数分ほどの所に新しい『横田クリニック』ができたことを思い出した。検索をすると、そこは『神経内科』が専門であり、院長は慶応大学卒で、その分野の権威であると載っていた。いままでの純子には無関係な診療科目だったが、『精神科』でないだけに、入りやすいな、と感じた。それに純子自身は、精神が不具合なわけでもなく、気持ちや神経が落ち着かない症状なのだから、余計に『神経内科』が自分に合うのではないかと思ったので、ここに行くことに決めた。
自宅を出たのは正午前だった。クリニックに着くと『土曜日受付は12時30分まで』と書かれたプレートがあり、女性スタッフからは「正午を回っていますので時間外扱いになります」と言われた。時間外というのがどれだけの追加料金を指すのかもわからなかったが言うなりに待っていると、午前中の患者の流れが終わる頃合いだったので純子は数分で診察室に呼ばれた。
男性の院長は60代くらいだろうか。役者でいえば「西田敏行」のようなどっしりとした体形であり、その所作も落ち着いていた。先ほどの不慣れそうな受付嬢もそうだったが、医師に付き添っている看護師たちの年齢からみても開業したばかりのクリニックであることがよく伝わってきた。
その医師が言うには「勉強もハードになってきた学年でしょうし心も不安定な時期ですから、とりあえず気持ちが落ち着くお薬を出しておきましょう。それでしばらく様子を見てください」という診断だった。
その帰り道、防災放送の訓練のための『Jアラート』が聞こえてきた。 純子は『どうせミサイルが落ちるのなら私の上に落ちてよ』と思うほどの鬱々とした気分だった。
今の純子と同じような症状をもつ方々のサークルでは、こんなたわいもない話であっても、自分たちの症状をお互いに笑い飛ばすことで『うつ気分解消法』にしているそうだから、純子の思ったことも理解できなくもない。 実際によく聞く話として、電車への飛び込み自殺では数千人規模の利用客に迷惑をかけるだけでなくビジネス上の支障も起こしていることだろう。そんな事件の際に報道にはまず載らないことだが、飛び散った人体から異臭が漂う事故現場の後片付けをする作業員たちにしてみれば、死者を悼むような気持ちにはなれないという。残骸が細かい肉片程度になれば列車を走らせなくてはならない。しかしながら、うつ病のことを知らない人が「あなたは悪臭をまき散らす醜い自分の姿をさらしてまで多くの通勤客を困らせたいのですか」などと言って患者を問い詰めたとしても、症状が回復するわけでもなく、本人にとっては上の空なのだ。
近年の『飛び込み自殺の名所』では最新型のドローンを使って自殺願望者特有の行動を監視しているという。自死に向かう人たちの気持ちを理解できない人が『監視小屋のおじさんたちは、いつの日か警察署長から表彰状をもらえることをワクワクして待っているのだろう』と悪意に曲解し、重篤な症状の人に『あなたは、そんなおじさんたちの表彰状のために自殺の名所に行くのですか』などとからかったとしても、本人には自分を振り返る余裕などはないだろうし、あるいは他人事のようにしか思えないようだ。
それが、そういった追い詰められた人の感じ方なのである。 うつを抱える人々にそんなことを言う人たちは21世紀の新しい医学を知らないわけなのだから、「古い人間だ」と笑われるのが落ちであるし、特に学校の教師などであったならば、こうした生徒の症状について十分に研修を積むべきなのである。
純子の話に戻るが、連休で学校を休めることにはほっとしたが、週明けの火曜日、頭が荒縄で締め付けられるような痛みが襲ってきた。もちろん薬は飲んでいたが今までとは違う症状だった。 純子はこのとき、自分は曖昧な『心の風邪』などではなく、明らかに『神経という肉体の異常なのだ』と確信した。 先週の『横田クリニック』に電話をすると院長が出てくれた。「う~ん、実はあなたの場合、精神科の領域になるかもしれません。 大学病院に長く務めた先生がやっている『星愛クリニック』を受診してみたらどうですか。すぐに紹介状が書けないので申し訳ないですが、そこは予約制ではないから今日中に診てもらえるかもしれませんよ。 それに私もセカンドオピニオンが欲しかったところです」と丁寧に紹介された。
検索してみると、大学病院のある新興住宅街のなかに開業したばかりのクリニックだった。不思議なことにその診療時間は『午後5時から午後10時まで』と載っていた。
夕食後、純子はクラスメートの『遥香遥香』の家に行く、と言って自転車で家を出た。以前、遥香自身から自分も純子と同じような症状を持っていることを話してくれたことがあったので、自然に『遥香』の名前を使ったのかもしれない。
その夜の純子は、体はだるいものの病院に向かえる自分が不思議だった。『星愛クリニック』に着いたのは夜7時近かった。広い待合室には椅子やソファーはあったかもしれないが、ぐったりと横になった患者とその付き添いらしき人々で床が見えないほどの満員状態だったので、もし患者たちが出血をしていたり、うめき声を立てたりしていたならば、まさに野戦病院ではなかろうかと純子は眼をみはった。
純子が診察室に入ると小柄な医師は社長室にあるようなどっしりとした横長の大型机を前にして背筋を伸ばして座っていた。診察室でありながら治療器具にあたるものは皆無だった。血圧測定の道具も電子カルテを映すモニターなどもなかった。つまり問診だけでの治療なのだろうと純子は思った。その医師は純子の数日間のようすをじっくりと聞いた後で「少し学校を休んだらどうですか。たしかに勉強も大事でしょうけれど、今のあなたにとっては、自分自身を休ませることが最大のミッションですよ」と言って、三週間休めるように『診断書』を書いてくれた。薬は今のものを飲みきるまでは様子を見るようにとのことだった。
診察室を出た純子は『私ってそんなに重症なのかしら? 目の前でゴロゴロしている無気力な人間たちと同じわけはないわよね!』と思うと、今度は悔しさが噴き出してきて待合室の奥にあるトイレのドアを思いっきり蹴飛ばしてしまった。破損があれば弁償させられたかもしれなかったかしらと、あとから思ったくらいの強烈なキックだった。診断書もバカにならない料金だった。手持ちの小遣いで足りたのはよかったが、これをどんなタイミングで母に見せたらよいのだろうかと上の空での帰り道だった。その夜、純子が帰宅したときは午後10時を過ぎていた。さすがに母親のさくらからは小言をいわれたがそれは背中で聞き流して自分の部屋に戻ったとき、姉の正美が突然入ってきた。
「純子! どこに行っていたのよ」そう怒鳴った直後の正美の目には、純子がたった今、机の上に投げ出した『星愛クリニック』の封筒と、その上に押された『診断書』という黒々としたスタンプの文字が飛び込んできた。「星愛クリニックって、精神科じゃないの。マジ何なのよ」
「・・・・・・・」
「ほんとに最近どうしたのよ。夜だって電気をつけたままぼんやりしているし、精神的に何かあったんじゃないの」
「・・・・・・・」
「あんたなんか心臓に毛が生えているくらいなんだから、普通の病気なんかじゃないわよね」と冗談ともとれるような言い方で正美が突っ込んできた。
純子たち姉妹は厳しい父母のもとで育ったので、純子にとっては姉の正美が一番心を許せる家族だったから、純子はこの一週間の体調の異常さや気持ちの重さについて初めて医師以外の人に語り始めた。純子の話を聞き終わった正美は同じような症状でリストカットを繰り返したあげく、自ら命を絶ってしまった同級生たちがいたことを思い出した。一方、父親は子どもの日常生活にも厳格な性格であり、都内の一流高校から東京大学法学部を経て、今では国の機関に勤めている。そんなエリートコースだった父には、純子の症状などは勉強から逃げたいという怠けものにしか映らないであろうと正美は思った。父親はあてにはならないものの、正美が同級生との辛い死別の経験から精神衛生のパンフレット程度のものを読んでいたおかげで、この日が純子にとっての救済策の開始点となったのである。
正美からの「とりあえず休みなさいよ。お母さんには私がなんとか言っておくから」という声に純子は初めて救いを得た思いをした。幼少時代にも父母に甘えたことがあまり多くなかった純子にとっては、いまは正美を信じるしかなかった。それほどこの数日間の自分は孤独感にさいなまれていたのだと改めて気づいたのであった。ちなみに精神科医のもとに純子のような患者が来たときに医師が最初に必ず聞くことは、その患者の弟や妹が生まれるまでにどれだけの期間があったかということである。それは生後いつまで母親の愛情を独占していたかということを尋ねているのである。純子には弟も妹もいなかったが、純子にとっては幼いころの母親からの愛情不足がこうした症状を引き起こした遠因になっていたのかもしれない。
実は純子が直感したように、純子の病は『心の風邪』などというとりとめもないようなものではなく、『神経細胞間の伝達物質の移動』において支障が発生することが一因ではないかということが発表されている。繰り返しになるが、そういうことを知らない古い時代の人々がうつ症状の人に対して無気力者だとか、さぼりたい奴だとか、寺に行って座禅でも組んで来い、などという言葉の暴力を発するのである。それが学校の指導者や職場の上司などからの暴言であれば今や社会問題になっていることであり、家庭内であってもそういう患者を軽蔑するようなことがあってはならない。だからこそ正美の存在は純子の命にとって最も重要だったのである。
さて、高校受験の学力とは学校教育本来の学力ではなく、合否ラインを突破できる知識と技術である。純子の第一志望校だった「清南高校」の合否ラインは高めに予想しても80%の得点率であり、大学受験でもそうだが競争倍率などよりもこの数字を越えることが受験勉強である。そこで純子の場合には、得意な英語・国語で点数を稼がせて、理科と社会では合格集団の平均点を狙わせることにした。 英語はイギリスに留学経験もあるさくらが指導したので発音問題一つとっても田舎の教師などとは比べものにはならないほどの高いレベルだったのだから、試験後の純子の感触では英語は満点だったそうだ。純子は自分でも短い小説を書いていたこともあり、いわゆる『行間も読める』受験生だったため入試問題の現代文を学ぶことは楽しみなくらいで、古文の練習問題を少々する程度で十分であった。
理科と社会については、読解力があり女子らしくこまめな努力ができる純子は教科書と参考書を傍らにおいて実戦問題を解きまくっていった。
一方、元々苦手だったうえに欠席により遅れていた数学だが、これは学生時代から得意だった正美が引き受けて総合点の足を引っ張らないようにという方針で過去問題集から最頻出問題を使って対策をした。試験の最後に出題されがちな立体図形に『ピタゴラスの定理(三平方の定理)』を絡めてくるような難問は捨てることにしたが、その他の問題ではつまらないミスをしないように計算練習は毎日怠らなかった。もっとも、純子が制限時間内で最後の問題にまでたどり着けることはなかっただろうけれど。
そんな家族ぐるみの作戦が功を奏して、純子は清南高校に見事に滑り込めたのであった。
『第3章、 高校で暴力を受ける』
高校入学後も純子の睡眠リズムは不安定であり、ときおり大脳自体を締め付けるような激痛が襲ってくることがいまだによくあった。医師からは『気持ちを楽に持つように』と勧められてはいるが、純子はそういうことでは治りそうもない病気だと思うようになってきていた上に、医師が処方する薬だって『気休め』にしか思えなかった。また、そういった症状の人に対して『リラックスしましょう』とか『些細なことは忘れましょう』とかいったアドバイスをしても効果などあるはずがないと、純子は次第に思うようになっていた。 特に『強迫症状』を持つ患者に対して「割り切るしかないですよ」などという精神科医もいるが、それができれば薬などいらないはずだとも感じるようになっていた。
この『強迫症状』というのは、例えば家を出るときに、ガスの元栓は閉めたかな、裏口のカギは閉めたかな、などと『再度室内に戻って確かめろ』といった気持ちが何度も迫ってくるような症状であり、同じ行動を繰り返しさせられることになってしまうのである。他の例を挙げてみると、タクシードライバーが『今、人を轢いたのではないか』などと気になって仕方なくなるような症状の出方もあるようだ。
心身がけだるくて学校を休んだ日には、純子は終日なにもできず、ベッドにあおむけになってぼんやりとしているだけだった。 ある日、観るつもりもなくテレビをつけると、その番組には渡辺という『うつ病』の男性が自分の事業を始めるための相談に来ていた。この番組は新規事業家を援助する企画だった。 渡辺は全国展開している大手チェーンの中間管理職を務めていたのだが、うつ症状を隠していたことが上司に知られ、『クレーム対応係』に追いやられた挙句、長い休暇に入っていたという。その渡辺が「一週間のうち、ほとんどは寝ている日が多くて、二日ほど何とか取引先と連絡を取っているような有様です」と話し始めたときだった。
その日の相談を受ける立場だった織田信長のように鋭い目つきの医師が、そういった症状についてまったく無知だったのだろう。信長公でさえそこまで残酷ではないだろうという口調で「俺だって毎日寝ていたいよ!」と渡辺を馬鹿にして突き放したのだった。
後から思えば、あのシーンこそ演出だったのかもしれない。だが純子の中には「渡辺さんは怠け者だから寝ているわけではない」という怒りが込み上げてきた。純子は自分の経験からも「ぐっすり眠っているのではなく、起き上がる気力がないのです。むしろ、ぐっすり眠れたならどんなに楽になれるだろうに」と「Dr.信長公」に進言してやりたかった。
九月のある日。教室内は36度近くまで上がるほど残暑が厳しい午後だった。純子は授業中に具合が悪くなり保健室へ移動した。養護教諭の千崎は「加藤さん、ベッドで休んで回復したら、冷房がよく効いている図書室で休むのもいいかもしれませんよ」と優しく提案してくれた。千崎は、近年問題になっている青年期の心の不調についても積極的に研修を受けていたため、この日の純子には、周囲の生徒から離して一人にさせるほうが良いと判断したのだった。 次の時間も、純子は一人で図書室にいた。そのときだった。突然、体育教師の辻が入ってきた。辻は根性論と体罰主義が染みついた体育会系高校の出身で、教員になってからもバスケットボール部の生徒を殴ったことを自慢するような人物だった。
「おい、お前! 学校に来てまでさぼっているのか。一人だけエアコンにあたって気持ちいいだろうな」辻はそう言いながら純子の首筋を掴み、他の教室の生徒にも見えるように廊下へ引きずり出した。そして、あろうことか「お前たち、教室って暑いよな」と言い放ちながら、純子を廊下で見せしめのように引き回したのだった。
このときの純子は、怖くて抵抗できなかった──というよりも、それすらおっくうだった。正美たちに伝えることも、面倒に感じるほど気力がなかった。 そんなわけで、辻の悪行は管理職にも気づかれなかったのだろう。暴力の噂が絶えない教員が出世できるはずもなく、退職後の辻は再任用されることもなく、静かに学校から姿を消したらしい。
十数年後、純子は謝罪を求めて辻の家に電話をした。しかし、すでに70歳近くなっていた辻は「俺はそんなことは絶対にやっていない」と白を切るばかりだった。
それでも純子が教育委員会に対して「うつ症状の生徒に、教員が暴力を振るうことがないようにしてほしい」と訴えたおかげで、道全体でも教員指導の最重点事項の一つとして扱われるようになり、管轄下の全小中学校や高校に通達が出された。以後、教員研修では飲酒運転の禁止などと並んで、暴力行為の禁止が徹底されるようになったのである。
~~~ここまでお読みいただきありがとうございました~~~
重苦しい場面が続いてきましたが、この後の第4章から作品の方向は変わっていきます。純子の人生は思いがけない方向へ動き始めます。理系の夢を追いながらも美術の才能を秘めた祐一は、純子とはよく気が合いました。美術部の薄暗いコーナーでの交流から、二人らしい絆が生まれていきます。そして、祐一は純子の最大の理解者であり、純子に寄り添いつつ、本作の最大のテーマを語ります。
純子は、自分だけの表現を求めて孤高の画家、千原に師事します。作家としての心得、混色の技法、などの教えを受けるだけでなく、千原と彼の妻である妃奈の人生にも触れることで、純子は『表現とは生き方の反映だ』と、確信し、芸術家としてのベクトルを持ったのです。しかし、日本列島が震え、街が揺れ、日常が音を立てて崩れたあの日。被災地からの映像は、純子の胸に深い痛みを刻みました。さらに、住民の避難を最後まで呼びかけ続けた若い女性職員・真澄の存在が、純子の心に強烈な衝動を生み出します。「自分も何かをしなければ」という思いが、彼女を新しい行動へと押し出していきました。
陸上部の真貴子や直美たち、野球部の優虎や球心たち、そして教師の浜本らの支えを受けながら、純子は被災地への募金活動を広げていきます。そのグループ『フレンズ』は、『七宝焼きの販売』で義援金収入を大きく増やしました。祐一と二人きりになった夕暮れの美術室で、純子は祐一に静かに力強い気持ちを語ります。ここは本作のクライマックスでもあります。さらに、物語は、被災地に向けて準備をする純子と、奈々や実奈、そして小学生の実留との出会いへと続きます。線香花火が落ちたとき、幼い実留が純子に言い放った言葉は、純子の胸に衝撃を与えます。初夏になり、純子は、ついに被災地へ向かいます。破壊された街、泥にまみれた家屋、涙ながらに純子に語りかける老婆。ここ地での純子は、絵を描くことを祈る行為へと昇華させていきます。
被災地から故郷に戻った純子は『フレンズ募金』の仲間たちとの対話から『自分の生きる道』発見していくのです。作品の主題を彩る場面として、祐一の失恋、純子のギャンブル解法、アウトドアショップでの発見、中距離走のバトル、将棋の名勝負、セーラー服の女優の名セリフを再現した場面、詩文による作品紹介・・・・ぜひ、お楽しみになさってください。
このように第4章以降は、ユーモアとともに、あなたの心を強く揺さぶる核心へと進んでいきます。
~~~~~~~~~~~~~~
『第4章 祐一との出会い』
祐一はこの高校に入学してから初めて純子と知り合った。祐一は中学生の時に『自分が世界一安全な原子炉を作ってやる』という決意を抱き、その目標のために本人なりには深夜まで受験勉強をしていた工学部志望の生徒であり、幼いころから純子と同じように図画工作は好きであり得意でもあった。祐一は教育委員会主催の『図工・美術展』くらいならば簡単に入選できる少年だった上に、一般の教科でもまじめに取り組むタイプだった。これは祐一の勝手な想像なのだが、純子もそんな小学校・中学校時代であったのだろうし、美術だけでなく一般科目でも抜群の成績であって高校受験など人生の関門にすらならなかったのだろうと。
実は、祐一には、高校入学後も中学時代の初恋相手だった麗子とのショッキングなエピソードが心の奥深くに残っていた。それは中学三年生の一月に突然開催されることになった『マラソン大会』のことからだった。これは年間行事予定にはなかった大会であったが、その年で退職となる橘田校長が、戦前の文部省からの『各学校で運動する行事を一つ持て』という方針を回顧したかのように『走るに勝る鍛錬なし』ということからだろう、いわゆる『退職校長の置き土産』のために始めた行事だった。まさに受験シーズンの真っ最中での実施であり、特に三学年の担任たちは職員会議などで反対したに違いないが、それまでもワンマンだった橘田校長によって押し切られてしまったようだ。
このことを年内に聞かされた祐一は『逆にこれはチャンスかもしれない』と思いついた。それは祐一の高校受験に向けての成績は抜群だったので、担任からも「どこを受けても大丈夫です」というお墨付きをもらっていた上に、周囲の男子たちは練習をする余裕もなかった時期だったから、自分だけマラソンの練習をして上位に入れば麗子の気を惹くことができるのではないかと思ったのだった。目標は第三学年の男子250人のうちの10番以内。それくらい頑張れば麗子に話しかけるきっかけが作れるだろうと考えた。
それから毎日、放課後や夕食後、近くの小学校のグランドや夜間照明もない河川敷のサイクリングロードを一人で走った。後から思うと膝や腰などを痛めなかったことが不思議なくらいの練習量だった。後になって、近所の人から聞いた話によると、祐一は昭和の時代に活躍した瀬古俊彦選手のように眉間に皺を寄せて修行僧のような表情で走っていたそうだ。
さて、結果は、なんと11位。祐一は『なんて僕にはスポーツ運がないんだろう』と嘆いたものの、美術部しかやってこなかった自分としては上々の順位だったわけだし、なんとか麗子に伝えようと考えた。中三のときには麗子とは違うクラスだったので、放課後の全校清掃の時間帯に階段の踊り場にあるモップなどを洗うための水道場で「僕、このあいだのマラソン大会で11番だったんだけど」と一年ぶりに麗子に話しかけた。すると麗子からの返答は、掃除用具がぶつかる音やモップを洗う水の音にかき消されて途切れ途切れだったのだが、麗子が祐一をせせら笑うかのような表情で放った「1番だったら褒めてあげたのに」という一言だけが耳に刺さるように聞こえた。この日のことは麗子の表情とともに、祐一の脳裏に生涯にわたって焼きつくことになったのだが、中学を卒業したときにはこの麗子も同じ高校に進学していたことにすら気づかなかったくらい彼女の存在は遠くぼんやりと霞んでしまっていた。そんなわけで祐一は女生徒に対してはだれとどうということもないライトグレーな高校生活をはじめていたのである。
一方、高校での授業のレベルは高くて進度も速かった。教師の中には数学の立川のように「僕は諸君がわかりにくいように教えているのだよ」などと平気で言い放ち、「梵字を勉強している」などと言う昭和の化石のような教師も残っていた。祐一はそんな教師にはかまわずに数学であれば駿台予備校のカリスマ講師の参考書で勉強を続けていたので学力の不安こそなかったが、一学期の終わりには勉強だけの高校生活では物足りなくなっていた。祐一の隣の席には、はきはきとものを言う小柄で目のぱっちりした女生徒がいて、彼女は美術部に所属していた。それが純子であり、祐一は彼女によって『この高校にも美術部があるのか』と意識するようになったのである。祐一は特に純子の魅力に惹かれたわけではなかったのだが、高校時代になにか集中することが欲しいと思いたち、夏休みが終わるころの火曜日の午後、新館の校舎の裏にあるバラックのような美術部の部室の軋んだ音を立てるドアをノックすることになる。
進学校の美術部ではよくあることだが『豊かな創造活動を目指す』などということにはあまり重きを置かず、東京芸大や武蔵野美術大学をはじめとする美術系大学への進学強化の役割を担わざるを得なかった。この高校でも最近までは美大進学に熱心だった須田が長年美術部を手厚く指導していたのだが、祐一たちのころの美術教師だった浜本は放課後の部室にまで下りてくることはほとんどなかった。一昨年、そんなことに不満を抱いた生徒の一人で、今は都内で芸大浪人をしている吉岡が当時の三年生たちと美術準備室に乗り込んで「もっと部室で指導してください」とガチ談判をしたらしいが、浜本が言うには「選択科目の時間にも指導しているのだからそれで十分だ」ということだったらしい。当の祐一は中学時代から木炭デッサンや油彩画の経験が十分にあったおかげで、中途からの入部とはいえ高校入学時から始めた生徒たちと比べられても遜色のない腕前だったのである。そんなことから、美大志望ではない祐一にとっては、この部活動はのんびりとしたパステルイエローな時間であったのである。
九月の学園祭の準備が始まるころだった。新館四階の美術準備室から珍しく部室まで下りて来た浜本に、部室の裏で喫煙していたところを見つかった部員がいたのだが、浜本からは「俺に見つかる場所では吸うなよ」の一言だったらしい。このことは純子から聞いたのだが「きっと生徒指導の先生から『野放しにしておくのもいい加減にしてください』とでも言われたのよ」と、どこ吹く風という口ぶりだった。祐一は、彼女の道具箱に大型のライターが入っていたことを気にしていた。そのライターはドラゴンのレリーフがある鈍いブロンズ色のものでガスを補填しながら使う重厚なものだった。薄暗い部室での制作中にも、祐一が隣の純子の道具箱を気にしていることを何事にも敏感な純子が気づかないはずはなかった。
「祐一君、そんなにこのライターが気になるの?」
「うん、まあね」
純子は部室内の生徒たちが聞き耳を立てていることなどにはおかまいなく自慢げに話し始めた。
「これはね、同級生だった初男君の従姉のお土産なのよ」
「純子さんはタバコを吸うの?」
「ちがうわよ。絵の具のキャップが固くなって回せないときにキャップの下をあぶるためにもっているの。ところで、祐一君こそタバコくらい吸うの?銘柄は?何ミリなの?」
祐一が強がって「いろいろ試したけど今は85ミリくらいだよ」と、理系男子ぶって「ミリメートル」で返答したところまでは周りの部員たちも声を押し殺していたが、次の純子からの「あら、祐一君って超キツイの吸っているのね」には全員大爆笑だった。
祐一は初男の従姉で鈴木という戦場カメラマンのニュースを聞いたことがあった。鈴木は地元の公立大学時代からの活動家であり、当時は反原発闘争の学生リーダーでもあり、大学中退後には大手新聞社の勤務を経て紛争地のイランに渡り、爆撃を受けた街中の風景を撮影して都内のギャラリーで発表していたことは祐一も地方紙で知っていた。祐一は『鈴木さんはきっと荒れ果てた町の露天商からこのライターを手に入れて、帰国後に初男に与えたものの、恵まれた家庭で育った気前の優しい初男だけあって、エキゾチックな事物には目がない純子にすぐに奪い取られてしまったのではないだろうか』と想像していた。純子は祐一に「紛争の絶えない国の空爆の下で、子どもや老人や障がいをお持ちの方々がどんなに怯えているのだろうかと、このライターを手にするたびに考えてしまうのよ」と話してくれたことがあった。
そういった窮状にある人々への純子の思い入れは、尋常なものではなかったのである。
(この後は、noteなどで有料でお読みいただけます。そちらでは、全編に渡り、カバー画。挿絵等、14枚をアップしています。また、BOOTHでは、冒頭で画像一覧をお付けしました。引き続きよろしくお願いいたします。)
~~~あとがき~~~
あらためまして、東日本大震災や能登半島地震など、大規模災害で被害に遭われた皆さまに謹んでお見舞いを申し上げます。
また、本作で『真澄』のモデルとさせていただいた『宮城県南三陸町職員・遠藤未希さん』のご冥福を心よりお祈りいたします。
『真澄』という名前は、大学2年生になるときの春休みに、自ら旅立った同級生の名をお借りしました。彼女も医療従事者を目指していたので、文中の『真澄』に、彼女の夢を託したのです。
さて、この小説は渡辺淳一先生の『阿寒に果つ』を読んだことがきっかけでした。先生の小説の中の主人公である『時任純子』は、当時の北海道で『天才少女画家』として高く評価されていた『加清純子さん』であることは、広く知られている通りです。加清純子さんは高校卒業を控えた1952年(昭和27年)、突如、この世の画壇から姿を消されましたが、私は『純子さん』に時を経て、再び元気よく筆をとっていただくために拙作を書き続けてまいりました。
私の小説内で、もし医学的な知識で正しいことがあれば、それは専門家からのご教示のおかげであり、医学的知識に限らず誤った知識は私が自分で調べたり、想像したりしたものです。
なお、この小説はフィクションであり、登場する人物や学校名などはすべて架空の設定です。
お読みいただきましてありがとうございました。
昭和27年4月、 純子さんが残雪の中から再びあらわれたこの日に、本書をみなさんに捧げます。
令和8年(2026年) 4月14日
筆者
~~お世話になった方々(順不同にてお許しください)~~
東京都新宿区『ピースボート災害支援センター様』
札幌市『小竹美術様』
札幌市『北海道画廊様』
札幌市役所建設局『みどりの推進部・みどりの管理課様』
筑波大学 『教育推進部入試課様』
筑波大学『芸術系様』
絵の画像を提供してくださった先生方
北海道の方々
福島県の方々
数学や理科の先生方
そのほか多くのみなさんありがとうございました。
~~~参考にした書籍~~~
『阿寒に果つ』渡辺淳一 著 (講談社)
『うつ時々、躁 私自信を取り戻す』 海空 るり 著
(岩波ブックレットNo.992)
『家族のためのうつ病』(別冊NHK、今日の健康)
『カメラは私の武器だった きみは、アキヒコ・オカムラを知っているか』
暮尾淳 著 (ほるぷ出版)
『油絵・分かりやすい混色教室・オリジナルカラーをつくろう』
鈴木輝實 著 (グラフィック社)




