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第七話



 ともあれ、咲はまず、『自分の望み』を見つけなければならないのだった。


(……自分が何をしたいか、なんて、考えたこともなかった……)


 ノルマやら自らの身の回りのことやらに追われていた日々からは、想像もできないような状況だ。自室に座り、書庫から借りてきた美術品の図録を開きながら、咲はそっとため息を吐く。


(何がしたいか、と言われれば、まずは、……木に、触りたいけど……)


 己の指先を、そっと撫でる──工具を握ることによってできた胝こそまだ消える気配はないものの、日々の作業で荒れていた指先は、少し滑らかになったような気がする。喜ぶべきことだとわかっているのに、咲はどうしても、それを『嬉しい』とは思えなかった。寧ろ。


(どうしよう。もう随分鑿を持っていない気がする……どれぐらい、腕が落ちているだろう)


 急かされるような焦燥感が、胸のあたりにわだかまって苦しい。

 或人に連日連れ出され、見たこともないようなものをたくさん目にして、咲の創作意欲は篠宮にいた頃より明らかに増している。咲は机の引き出しを開け、紙の束を取り出した。

 その日目にした美しかったもの、気になったものを、絵日記のように書きつけているそれは、もうずいぶんな厚みになった。そしてその中には、それそのものではない、それを小箱や櫛、簪として彫ったときのデザインも多く含まれている。


(……だとしたら、これが、私の『望み』なんだろうか?)


 でも。

 脳裏に蘇ったのは、篠宮の家を出る前の叔母の言葉だった。『女の職人など、公にできるような存在でもない』──そう、或人は、咲が家に軟禁されていたことは知っているが、咲が職人として働かされていたことは知らないはずだ。

 或人は、咲が『木工細工を作りたい』と言ったら、それを許すだろうか?


(……或人様は、きっと、駄目とはおっしゃらない。でも)


 かつてのように仕事としてでなく木を彫ったところで、はたして意味はあるのだろうか。そもそも、咲のこの『木に触れたい』という思いは、本当に咲の望みなのだろうか? ずっとそうしてきたからそれ以外が思いつかない、というだけのことではなくて?


(私は、他のことを知らない。……だから、或人様は、『いろいろなものを見て学べ』と言ったのかもしれない)


 あるいは他に、もっと公にできるような『望み』が見つかるのなら、それに越したことはない。咲はそっと紙の束を引き出しの中に戻した。




 そういうわけで、咲はまず、現状を巴に相談してみることにした。

 巴は一日一度は咲のところにやってきて、何か困っていることはないか聞いてくれたり、或人の仕事の状況などを教えてくれたりする。その会話の一環として、漠然と「なにか学びたい」と言った咲に、巴は少し考えこんだ。


「学び、ですか。……咲様が望むのであれば、家庭教師なんかを頼んでもいいと思いますけど……でも、十五までは女学校に行ってらしたんですもんね。或人様は『社交嫌い』で通しておられますから、公式の場や夜会に出る機会もまずないでしょうし、となるとマナーやダンスも今のもので十分ですし」

「そうなんですか」

「はい。『朱雀院』は特殊な家ですから、表に出ることもほぼないんです。無論正式な『番』となれば、御前へのお目通りに式にとありますが、それも内々のものなので。なので……うーん、どんな先生を頼んだものか……」


 家庭教師か、と、咲は考えた。あまり想像がつかない。


「……巴様も、女学校のあと、お役人様になるまで、そのように学んだのですか?」

「えっ、私ですか?」

「はい。陰陽寮のようなお役所に入るには、学が必要だと思うのですが」


 男性ならば大学に入るのだろうが、と首をひねりながら、というかそもそも女性で中央省庁で働いている巴はかなり特殊な存在なのでは、と今更思い至る。


「いえいえ、私はお役人なんて大したものではなくて……最近は『職業婦人』なんても言いますけど、私はそういう存在でもなく……」


 巴は、困ったように苦笑した。


「陰陽師は特殊な職ですから。世襲なんです。子どもの時から決められていて、陰陽寮の同僚は大体知り合いですね。石動なんか、こんなちっちゃかった時から知ってます」


 普段の息のあったやりとりから、気安い仲だとは思っていたが、まさか幼馴染だったとは。そして『陰陽師』という特殊な職が世襲でかつ閉鎖的な世界であるということは、職人の世界を垣間見たことのある咲にはなんとなくわかるような気がした。

 ひっそりと、師匠から弟子へと直接伝えられる技術、そういうものでできている世界。


「昔は私の方が背も高くて術も上手かったのに」

「そうなんですか?」

「そうです。石動は負けず嫌いだから、泣くまで付き合わされました」

「ええっ!?」

「なのに『俺が勝つまでやる、立て』とか言って、どう考えても弱い向こうが悪くないですか? お腹は空くし早く帰りたいしでべそべそ泣いてたのにこっちは」


 そういう理由か。というか、その状態でも勝ち続けた巴も十分『負けず嫌い』な気がするのだが。……というか、陰陽師の技術は、強い弱いがあるような、武道に似たものなのだろうか。疑問符ばかりが浮かぶ咲の前で、巴は愚痴るような口調とは裏腹に、少し面映そうに微笑んだ。


「……なのに、いつの間にかすこしも敵わなくなって、向こうばっかり出世して、偉そうな顔するようになっちゃって。男の子って、ずるいですよねえ」


 その感覚は、咲にもすこしだけ理解できた。職人もまた男の世界だ。咲より小さい体だった見習いの少年が、いつしか大きな木材も軽々運べるようになるところなどを見ると、己の非力が恨めしく思えることもある。咲は頷き、けれどもそれより気になることが生まれて、「あの」と控えめな声音で尋ねた。


「或人様とも、同じように?」


 巴も石動も、歳の頃は咲より少し上、二十歳をすぎたぐらいのところだろうか。朱雀院が陰陽寮の実質トップ、陰陽師とも繋がりが深いのであれば、彼女たちよりすこし年上のはずの或人も、同様に幼少期からの知り合いである可能性は高い。咲の問いに、巴はふと、答えに迷うような顔をした。


「……ええと、……まあ、そうとも言えますか……」

「そうとも言える……?」

「あ、いえ。そうですね、小さいときから、石動ともども、ずっと良くしていただいています」


 そんなに長い付き合いなのか、と、咲は密かに衝撃を受けた。

 同時に、巴の伏せられた目、長いまつ毛が急にくっきりと目に入ってきたような気がして、咲は自分で自分に戸惑った。咲よりすこし小柄で、けれども体つきは曲線的で、ぱっちりと大きな目が可愛らしい巴。──今までは、ただ可愛らしく頼りになる女性だとしか思ったことがなかったのに。湧いてきた感情を押し殺すように、努めて冷静に咲は言った。


「そうなのですか。……すみません、話が逸れましたね」

「こちらこそ、……あ、石動のことバラしたって本人に言わないでくださいね! 拗ねると面倒なんです、彼」

「拗ねると……」


 或人を手玉に取っていることも多い彼が『拗ねた』ところなど想像もできないが、過去の話と言い、巴の前では意外と可愛いところがあるのかもしれない。「わかりました」と頷くと、巴は安心したように笑って、それから、「まあ」と話をまとめた。


「家庭教師……より先に、花嫁修行といいますか、裁縫やお料理はできて損はありませんし、そうした先生に来ていただくのもいいかもしれません。或人様にも相談してみますね」

「……はい」


 『巴が』或人に相談するのか、と、思ったのもまたどうしてかわからなかった。或人と咲が会うのは或人の仕事の合間なわけで、巴のほうが或人と顔を合わせる機会が多いのは当然だ。そもそも今の今まで、巴経由で或人と連絡をとりあうことに、何かを思ったこともなかったのに……内心で首を捻りながら、「よろしくお願いします」と頭を下げ、そうして巴が部屋を去ってから、咲はふと己の手のひらを見た。

 花嫁修行。

 或人は咲を『番』にするつもりはないと言う。だからそれが、『花嫁』として役に立つ日が来るかはわからないが、確かに、無駄になるものではないだろう。──少なくとも、鋸や鑿より、きっと、はるかに。その事実を己に言い聞かせるように、咲は、胼胝のある己の手のひらをぎゅっと握った。

 


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