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黄昏の神と仮初の婚約者 〜番にはしないと言う彼に、なぜか溺愛されています〜  作者: 逢坂とこ


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第四話

 車は帝都の中心部を抜け、高級住宅街と呼ばれる地域へと向かっていった。高い塀に囲まれた壮麗な屋敷が立ち並ぶ中、車はひときわ大きな門の前で停車する。

 どうやら最近建てられたばかりらしい、和洋折衷のモダンな建物だ。石動に先導されて中に入ると、天井の高い、見たことのない豪奢なホールが現れて、思わず目を瞬いた。


「……すごい……」


 あまりに綺羅綺羅しい光景に、目がちかちかとするようだ。つい立ち止まってしまう咲に、石動が苦笑する。


「或人様は、新しいものがお好きでしてね。この屋敷も、私にはよくわからないのですが、最新の設備を導入しているのだとか」

「そうなんですか」

「便利なものも多いので、また説明しますね。まずはこちらに」


 叔父の家は純和風の屋敷だったし、その前に両親と住んでいたのも篠宮の古い屋敷だったから、目に入るものすべてが珍しい。見たことのない意匠も多く、ついそちらに意識が惹かれてしまう。きょろきょろしながら、どうにか石動に続いて応接間に入る。


「では、こちらでお待ち下さい。或人様を呼んでまいります」

「は、はい」

「部屋の中のものは、自由に見ていただいて結構ですので」


 少しの笑みとともに付け加えられて、そんなに興味津々に見えていただろうか、と少し恥ずかしくなる。咲は頷いて、石動の姿が部屋から消えてから、そっと辺りを見渡した。

 大きな窓から陽光が差し込む部屋には、大きな革張りのソファがひとつと、瀟洒な装飾が施された机。部屋の隅にはガラス張りの棚があり、中にはいろいろなものが飾られているようだ。咲はそっと立ち上がり、窓へと近寄った。

 外はどうやら庭になっているらしく、美しく整えられた庭に、多くの花が咲いているのが見える。手を添えると、どうやら鍵が開いていたらしく、静かな音とともに窓が開く──そこで咲は、室内だというのに靴を脱いでいなかったことに気がついた。洋館とはそういうものらしい。


(……石動様は、まだ戻られる気配はない……)


 自由に見てもいい、と言われたのは室内だけだが、見える範囲なら庭に出ても問題ないだろうか。躊躇ったのは一瞬で、陽光に誘われるように、咲はそっと庭へ降り立っていた。

 花々が咲き乱れる庭園に、蝶がひらひらと舞い飛んでいる。黒い翅の模様がうつくしく、咲はそちらに視線を惹かれた。うつくしいものを見ると、どうすれば再現できるだろう、と、それだけで頭がいっぱいになってしまう──自分のそういう性質を久々に思い出す。咲の足は勝手に蝶を追いかけ、気付いたときには、咲は、ちいさな東屋の前にいた。


「……ここは……」


 部屋から見える範囲だけ見よう、と思っていたはずなのに、庭の奥まで入り込んでしまったようだ。いつの間にか蝶も見失っている。咲は狼狽えて視線を巡らせ──ふと、東屋に並べられた長椅子に、何かが置かれているのを見つけた。

 黒い何か──違う、革靴だ。ほとんどは長椅子の背もたれに隠れて見えないが、脚の先がはみ出しているのだけが見えている。そう思い至って、咲は目を瞬いた。

 誰かが、長椅子に横になっている?

 ただ眠っているのならいいが、具合が悪いのだったら問題だ。咲は慌てて長椅子が見える位置に回り込み──その姿を見て、息を止めた。


 眠っているのは、うつくしい、としか言えない面立ちをした青年だった。


 歳の頃は二十半ばといったところだろうか。絹糸のような黒髪はさらりと流れ、透き通るように白い肌は滑らかで、まるで美人画から抜け出してきたかのような艶やかさである。長椅子にすこしも収まりきらない長身もまた靭やかで、身につけているシンプルな白いシャツと黒のズボンとが、彼生来のうつくしさを却って引き立たせるかのようだ。

 こんなにうつくしい人間が、この世の中に存在するのか。思わず感心してしまう咲の眼の前で、長い睫毛に縁取られた瞼が、ゆっくりと持ち上がる。

 現れたのは、夜空に星屑を散らしたような、不思議な色の瞳だった。男の瞳が咲の姿を捕え──切れ長の涼やかな目が、ふわりと、ひどく優しく細められる。

 

「……こんにちは、かわいいひと。どこから迷い込んできたのかな?」


 このひとは。

 狼狽えて一歩後退る咲の前で、男が大きく欠伸をする。そうして、目をこすりながら起き上がろうとした彼が、軽くバランスを崩して傾いたので、咲は思わず手を伸ばした。


「あ。ありがとう」


 男の手が咲の手を掴み──男の滑らかな手に手を握られて、咲は、はっとその手を引っ込めたいような気持ちになった。……気づかれただろうか? 男は特に表情を変えずに咲の手を支えに上体を起こし、長椅子に座り直してぽんぽん己の隣を示した。


「まあ、座りなよ。新しい使用人かな。名前は?」

「わ、私は……」


 名乗ってもいいものなのだろうか。待っていろと言われた部屋を抜け出してきた咲と、彼はおそらく、咲の推測が正しければ──咲の懸念を裏付けるような声が聞こえてきたのは、その直後のことだった。


「──こんなところにいらしたのですか、或人様」

「うわ。怖いのが来た」


 思わず、心臓が跳ねる。石動の声だ。そしてその呼びかけが、咲の疑惑を肯定する。やはり。


(やはり、このひとが──……)


 上等な生地と仕立てであることがひとめでわかる服に、屋敷で堂々と昼寝ができる身分。最初から、答えは一つしか存在しない。『帝より神に近い、恐ろしい存在』という前情報からの想像とは随分違う姿ではあるが……と思いながら、それでも驚きに固まったまま立ち尽くす咲を見上げて、或人はにこりと微笑んだ。


「蒼佑、こんなかわいい子、どこから拾ってきたの?」


 また『かわいい』と言われた──かわいい、だなんて、一体どれぐらいぶりに言われただろう。両親が生きていた頃だって、こんなにあけすけには言われなかった。社交辞令だとしてもどんな顔をしていいかわからない咲の隣で、石動がため息をついて言う。


「彼女が、篠宮咲様ですよ」

「篠宮? なんか、聞き覚えがあるような……」

「きちんとお伝えしております。篠宮咲様。或人様の『番』として、我らが陰陽寮の卜占が導き出したお方です」

「……は?」


 そのお顔を見る限り、どうやら、我々の卜は正しかったようですね──という石動の呟きは、咲と或人、双方の耳に届かなかった。咲は或人の表情を伺うので精一杯だったし、或人は明らかに驚愕していた。或人は瞠目し、まっすぐに咲を見つめて──無理やり引き剥がすように咲から視線を反らし、険のある目で石動を見る。


「そんなこと、頼んでないって言っただろ。僕は『番』を持つ気はない、って」


 冷たい、と言うほどの口調ではなかった。表向きは困惑の色をした、けれども明らかな拒絶の言葉に、咲の身体が反射的に強張る。石動は表情を変えず、淡々と「そうですか」と頷いた。


「では、咲様は帰らせると?」

「……なんだ、妙に物わかりがいいな……? そうだね。ああ、もちろん、彼女には一つも不利益が出ないようにしてくれ。こちらの都合で振り回しているんだから。……咲ちゃん? 悪かったね、こんなところにいきなり連れてきて。陰陽寮のやり口はいつも強引で」

「部屋から出ることは許されず、食事は朝夕に残り物のみ。湯浴みは使用人まで寝静まったあとに残り湯を使い、自由になる金子などあるわけがなく、自分の持ち物と言えるのは行李一つに収まる程度の荷物のみ……」

「……は?」


 或人が大きく目を瞬き、「待って、蒼佑、何を言って」と、今度は本当に困惑しているらしい声を出す。石動はそれを気にせず、慇懃に頭を下げた。


「そういう『家』に、彼女を帰すと。畏まりました、すぐに手配を」

「待て待て待て待て!!」


 或人が慌てて手を掲げる。そうして、片手を額に添えて、或人はじっとりとした目を石動に向けた。


「……聞いてないよ、蒼佑」

「今申し上げました」

「彼女は……どこかの家の使用人なのか? 今時、住み込み女中だってもう少しマシな生活をしてるはずだろ」

「篠宮は、元は、『禁裏御大工』の家系です。彼女はその先代の一人娘ですね」

「ならなんで……ああいい、事情はあとだ。帰せるわけがない。撤回だ、撤回」

「はい」

「と言っても、どうしたものか……とりあえず、ここの住み込みになって貰おうか? その後、どこかに嫁ぐなら、朱雀院が後見になってもいいし」

「もちろん、或人様がそれで良いのでしたら、そういうことにしても構いませんが……」


 咲は『朱雀院に求められて来た』はずだったのだが、どうやら肝心の或人は、結婚には全く乗り気ではないらしい……ということを漸く咲が飲み込んだ頃には、別の相手を当てがわれるような話になっている。一体どういうことだろう。咲の側としては『華族の妻』よりは『華族の使用人』のほうがよほど自分の立場としてしっくりくるし、或人とだって今初めて会ったわけで、結婚相手が誰でも変わりはないのだが……困惑しながら話を聞いているだけの咲の隣で、しれっとした顔で石動が続ける。


「その場合、或人様は彼女の雇い主ということになりますから、あまり話しかけたりなさらないでくださいね。他の使用人の手前もありますし」

「……うん?」

「それと、先ほども言ったとおり、彼女の私物は最低限でして……これから揃えていこうと思っていたのですが、その買い出しも、僭越ながら私が付き添うことに致しましょうか」

「……いや、蒼佑?」

「無論、これが『妻』……とまではいかなくとも、せめて『婚約者』というお立場であれば、或人様のお仕事を少し調整し、或人様に百貨店に連れて行くなどしていただくところなのですが……」


 と、石動がこれみよがしにため息を吐き、「或人様がどうしても嫌だと言うなら……」と言ったところが、どうやら或人の限界だったらしい。嫌そうな舌打ちを一つして、「……あーもう、わかった、わかったよ!」と声を上げ、或人は咲へと向き直った。


「咲ちゃん!!」

「は、はいっ!?」


 堪えかねたように或人が立ち上がり、そうすると、彼の背の高さがよくわかる。石動よりもさらに高い位置にある顔を見上げると、首が痛くなるようですらある──それに気づいたのか、或人は軽く膝を折り、咲に視線の高さを合わせて言った。


「咲ちゃん。君の事情はわかった。君はここで、僕の『婚約者』として過ごすといい」

「……『婚約者』ですか?」


 咲としては、石動が言うほどには元の環境が悪いものだったと思っているわけでもなく、帰されるなら帰されるで構わない。そして、先ほどの会話を聞く限り、使用人として雇い入れてもらうのでも、特に問題はなさそうだ。「使用人として置いていただくので十分なのですが」と、咲がわずかに首を傾げると、「~~~~っ、」と、或人が、声にならない声で呻いた。


「そ、それは、……、……こんなことを言ってるけどね、陰陽寮の奴らは、本当のところは、どうしたって僕に『番』を持たせたいんだよ。君を『使用人』にしたところで、どうせ僕付きにして、あの手この手で近づけてくるに違いないんだ」

「いやいやまさかそんな」

「棒読みすぎる! ……ならもう、形式的にでも『婚約者』ということにしておいたほうが面倒がないし、しばらくはうるさく画策されることもない。……そうだろ!?」

「いやあ、我々はいつでも或人さまのお心を最優先にしているつもりなのですが……」

「いきなり咲ちゃん拉致ってきたくせに、どの口で言ってるの? ……まあ、ともかく、そういうわけだから」


 なるほど。

 今はなんだか楽しそうなやりとりをしているが、咲に頭を下げてきたときの石動は、もっとずっと必死で──絶対に、咲を或人の『番』にしたがっているように感じられた。石動の縋るような言葉を思い出し、咲は「わかりました」と小さく頷く。


「私のようなもので、『婚約者』が務まるものかはわかりませんが、それでもよろしいのでしたら」


 そもそも咲に選択肢はない。このうつくしい人の言葉に逆らう理由などあるわけもなく、咲はぺこりと頭を下げた。


「……よろしくお願いします、或人様」


 咲の言葉に、或人が、ほっとしたように「うん」と笑う。そうして優しく微笑んで、或人は付け加えた。


「さっきも言ったけど、僕は、『番』は持たないと決めている。だから、この『婚約』はあくまで形式上のもの、君をここで自由に過ごさせるためのものと考えてもらって構わない。僕は君を、絶対に『番』にはしない。だから、」


 そもそも、『番』とはなんなのだろう。『妻』とはちがうものなのだろうか? どちらにせよ、或人はどうやら、咲と本当に結婚するつもりはないようだ。そして彼は──


「……だから君は、安心して、ここで自由に過ごしてね」


 ──彼はどうやら、それが、『咲のためである』と、本心からそう思っている。穏やかな彼の微笑みの裏、その真意が見えぬまま、咲はただ「はい」とだけ頷いた。


 そういうわけで──咲は無事に朱雀院へと迎え入れられ、朱雀院或人の『形式上』の『婚約者』として、この館で過ごすことになったのだった。




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