第三話
咲がその話を聞かされたのは、その日の夜──小さな行灯を灯した作業場で、咲が日課の工具の手入れを行っているときのことだった。
「今すぐ、荷物をまとめなさい」
突然やってきてそう言った叔母に、咲はぱちりと目を瞬いた。叔母は続けた。
「あなたは、選ばれたのだそうですよ。明日迎えが来るそうです」
「……選ばれた? なににですか」
そもそも明日とはあまりに急すぎる。仕事はどうなるのだろう、『天獻寳物』の顧客の中には、職人として咲を指名してくれている方もいると聞くのに……きょとんとしたままの咲に、叔母は、あえて感情を込めまいとしているような、ごく端的な声音で答えた。
「朱雀院家が、あなたをお望みだそうです」
「朱雀院……?」
華族のような名だが、『お望み』とはなんだろう。咲は首を傾けた。
「お抱えの細工師に、ということでしょうか」
篠宮の家がそうだったように、幕府や朝廷お抱えの家、というものもかつては存在した。ひとつの家が職人を……という例は聞いたことがないが、たとえば絵画のパトロンのように、そういうこともなくはないのかもしれない。私の問いに、叔母はわずかに瞠目した。
「……そんなわけはないでしょう。そもそも、女の職人など、公にできるような存在でもないというのに」
吐き捨てるように言われ、そうだった、と思わず目を伏せる。父は咲の熱心さに負けて木工細工の技術を咲に与えてくれたが、通常、木に限らずものを作るのは男の仕事だ。場合によっては、女が入ると穢れると言って、作業場に女人が立ち入るのを禁じている場合さえある。故に、咲は職人としては男の名を騙っているのだ。当たり前のことを忘れていた己を恥じ、そんな咲を見下ろして叔母は言った。
「縁談ですよ。あなたに」
「縁談?」
華族との縁談? 咲からしてみれば、そちらのほうがよほど『なさそうな』話だ。思わず尋ねる。
「その……美華さんではなく、ですか」
「! 勘違いしないでちょうだい! あの子よりあなたのほうが、というわけではありません! あなたが選ばれたのは、……」
叔母はそこで言葉を切って、迷うように咲を見下ろした。見たことのない顔だ。そうしてすっと咲から視線を反らし、「……ともかく、光栄なことに変わりはありません」と機械的に言った。
「荷物をまとめなさい。……私は、伝えましたからね」
「は、はい」
どうして──どうして彼女は、忌々しさの中に確かに罪悪感があるような──いたましいものを見るような目で、こちらを見るのだろう。今まで、咲の待遇を気にしたことなど、一度もなかったはずの彼女なのに。咲は呆然と叔母を見送り、それから、慌てて工具を工具箱にしまった。荷物と言うなら、なにはなくともまずこれだ。
──そして、他にはなにもない。
作業着が数着、父が遺した指南本が数冊、母の形見の櫛と簪。行李ひとつに収まる程度の荷物が、咲が持っているすべてだった。全てを仕舞い終え、咲は狭い自室を見渡してから、やっとのことで首をひねった。
(縁談。……私に?)
咲の存在は今、おそらく、ほとんど誰からも知られていない。両親が死んで学校を辞め、ここに籠もらされるようになってから、咲には、つながりと呼べるものはなくなってしまった。
そんな咲を、一体、誰がどうやって見つけたというのだろう。咲はただ不思議に思いながら、この部屋で最後になるらしい夜を、特に感慨もなく過ごしたのだった。
* * *
翌日、咲を迎えに来たのは、石動蒼佑と言う軍人らしい見た目の男だった。咲より頭一つ以上背が高く、鍛え上げられた体躯をしている。短く刈られた髪と精悍な面立ちは、職人の世界で生きてきた咲にとって、どこか懐かしいような厳しさを感じさせた。行李ひとつを荷物とし、「よろしくおねがいします」と頭を下げてから、咲は尋ねる。
「その……朱雀院様からのお話、と伺ったのですが、軍人様……石動様は、どのようなご関係が……?」
咲の問いに、石動はわずかに顔を顰めた。聞いてはいけないことだったのだろうか。位の高い人々の前では口は慎まなければ、と今更に反省する咲の前で、石動は「どこから話すべきか」と小さくごちる。
「叔父上は、あなたに、それだけを?」
「はい。朱雀院様から、縁談のお申し出があったとだけ……」
「なるほど。……まず、私は、正確には『軍人』ではありません。私は陰陽寮に所属する『陰陽師』ですので」
「陰陽師、ですか」
耳慣れない言葉にきょとんとする咲に、車が走り出したのを確認してから、石動は深々と頭を下げた。
「……!? 何を」
「まずは、非礼のお詫びを申し上げさせてください。何もかもが急な運びとなったこと、すべてこちら側の都合です。大変申し訳ない」
「そ、それは特に……その、頭を上げてください!」
「いえ、そういうわけには参りません。これからすべてを説明します。話を聞いていただけますか」
「は、はい。それは、もちろん」
そうして石動はやっと顔を上げ、此度の顛末について説明しはじめた──それは、以下のような内容だった。
「そもそも、朱雀院は特別な家なのです。……皇家に連なる、という由来はご存知かと思いますが、それもまた少し事実とは異なっている。朱雀院は、皇家が神であった時代に皇家から分かたれた──今現在に置いては、皇家よりも神に近い、皇家に強い影響力を持つ存在なのです」
「神に近い、ですか」
「はい。故に、朱雀院の当主の伴侶については、皇家では失われた『番』という仕組みが、現在もなお続いております」
「『番』……?」
咲は思わず首を傾げた。
聞いたことはある──が、それは、あまりにも遠い記憶だった。まだ女学校に通っていた頃、話好きの歴史の教師が語っていたもののなかに、そんな単語があった気がする。
(たしか……『かつて帝が神であったころ、その妻の選定には卜占が用いられた。そうして選ばれた『妻』は神にとって特別な存在として『番』と呼ばれ、神代の時代が過ぎても、帝やそれに準ずる貴族の妻選びには、度々卜占が用いられた』……みたいな、話だったような)
少なくともかなり古い風習についての説明で、『今現在も行われている』というような言い方ではなかったはずだ。戸惑うままの咲に、石動は続ける。
「はい。『番』はただの伴侶ではない、特別な結びつきを持つ存在です。その『番』は、卜占によって選出される。そして、此度の占が導き出したのが、貴方だったのです」
「卜占……だから、陰陽寮の方が関係しているのですね」
「はい。そして、神……いえ、朱雀院当主は、『番』が害されるのを極端に嫌うと言われています。あなたが『番』であることが判明した以上、あなたをあの環境に置いたままにしておくことは、我々にとって危険でした。それ故、すこしばかり強硬な手段をとらせていただき、急ぎあなたをこちらにお招きすることにしたのです。……本当に、驚かれたでしょう」
申し訳ない、と石動がまた頭を下げる。咲は慌てて首を振った。
「いえ、先程も言いましたが、急である点は特に……予定も何も無い身の上ですので」
ノルマならあるが、まあ、それは叔父がどうにかしたのだろう。
「それより……『番』というのがなにか、私にはよくわからないのです。どうして私のようなものが? 見ての通りのつまらない娘です。なにかの間違いではないのでしょうか」
咲は自分をうつくしいと思ったことはないし、ひとに好かれるようななにかを持ち合わせている人間であると思ったこともない。自分の作るものには父から受け継いだ技量分だけの価値が存在しているとは思っているが、それは、咲本人の価値ではないし、今までの話に細工師としての咲の話はいちども出てきていない。当然と言えば当然の問いに、石動は首を横に振った。
「こと『番』の選定において、陰陽寮の卜が結果を違えることはありません。それほどに重要な神事なのです」
「……そう……なのですか」
「……と言っても、あなたが戸惑うのも無理はありませんし……急にこのようなことを言われても困る、というのは、こちらとしても重々承知しております。が」
ぴんと伸びた背筋をそのままに、石動は再び深く頭を下げた。
「もはや、我々は、貴方におすがりするより他にない。貴方には、どうか、あの方を」
戸惑う咲をそのままに、石動は、言葉のとおり『縋るように』言う。
「或人様を──そして、我々を、救っていただきたいのです」
そのとき、咲はどうしてか、昨夜の叔母の態度が、すとんと腑に落ちるのを感じた。
咲のような小娘に、石動のような大の男が頭を下げる理由。叔母がどこか決まり悪そうに、どこか怯えでもしているように、咲にこの縁談を伝えた理由。
朱雀院或人。
咲はどうやら、その、『神に近い』なにかの『番』という名の──おそらくは、神らしく恐ろしい『彼』を鎮めるための、生贄のようなものなのだ。……しかし、そうだとしても、と咲はやはり戸惑ってしまう。
そうだとしても、咲のようにうつくしくもおもしろくもないただの娘では、神の無聊を慰めることなど、とても、できるとは思えない。
咲は下げられた頭にただただ困惑し、石動のような男にここまでさせる、まだ見ぬ『朱雀院或人』とはどんな存在なのだろう──と、考えた。




