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黄昏の神と仮初の婚約者 〜番にはしないと言う彼に、なぜか溺愛されています〜  作者: 逢坂とこ


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第十四話

 或人と一度も顔を合わせることなく、ひと月は、飛ぶように過ぎ去っていった。

 咲は、木材を買い付けに外出する以外、ほぼすべての時間を作業場で過ごした。とにかく時間が足りなかった。ともかく時間は待ってはくれず──出立の日は、容赦なくやってきた。

 今にも雨が降りそうな曇天の下、門の前には車がつけられ、石動がその傍らに立っている。そうして、屋敷の玄関で、咲は或人と向かい合っていた。


「久しぶり、って言うのも変か。……少し痩せた?」


 或人は、咲の記憶とすこしも変わらない、穏やかなだけの笑顔で咲を見た。見送りに来てくれて良かった、という安堵と、顔を見ただけで胸が痛み目元が熱くなる感覚とが同時に込み上げて、咲は浅く息を吐いた。

 大丈夫。ほんの一言だけだ。大丈夫。そうして咲は口を開こうとして──それより前に、ふっと目を眇めた或人が、咲の髪へと手を伸ばした。

 優しい指先が、咲の髪をなでおろす。焼き付けるような、噛みしめるような仕草だと思った。そうして優しく微笑んだまま、或人は言った。


「……可愛い僕の『番』。愛しい子。……どうか、幸せに」


 それだけが、僕の願いだよ、と。

 祈るような言葉に、咲はぐっと唇を噛んだ。なんて残酷なことを言うのだろう、と、いっそ或人を恨めしくさえ思った。咲の幸せはたしかにここにあり、それを取り上げたのは或人自身だ。

 けれども咲には、或人がただ純粋に、そして心から、そう言っていることもわかるのだった。だから咲はどうにか小さく頷き、それから、手にしていた小さな鞄をまさぐった。


 取り出したのは、薄い布に包まれた、薄く長い箱だった。


 或人が姿を見せなかったら、あとから石動に託そうと思っていたのだが、その手間はかけずに済みそうだ。咲は必死で己を取り繕いながら、手にした箱を或人に差し出した。


「これを」

「……僕に?」

「はい。……たくさん、お世話になったので」


 或人はくるりと布を剥ぎ取り、箱の蓋を開けて中を見た。──そうして、大きく目を見開く。ふわりと木の香りがほのかに漂う。


「……扇?」

「はい。……或人様がお持ちのものには、まだまだ及びませんが」


 笑え。


「私の、今のすべてを……祈りのすべてを込めました。どうか」


 笑え。


「貴方の未来が、幸せでありますように」


 その一本の檜扇に託した祈り──咲がついていけない或人の未来に、せめて、咲の作ったものがあって欲しい──そんな傲慢な願いを、或人は、受け取ってくれるだろうか。思いながら、咲はどうにか笑みを作った。

 笑え、と、自分自身に必死に念じた。

 或人は、咲の笑った顔が好きだと言った──だから咲はせめて、その顔で或人の記憶に残りたい。そうして微笑んだまま、咲は付け足した。


「……私も」


 今はとても、そんな未来は想像できないけれど。


「或人様が、そう望まれるのでしたら、……幸せになるよう、努力致します」


 けれど、そう、『幸せ』とは例えば恋愛や結婚に限定されるようなものではないから、このまま一人の職人として研鑽を積み続ける、そういう幸せにたどり着くことはきっとできるだろう。この国を守り続ける彼の幸福を祈る、そういう幸せだってあるだろう。言うべきことをすべて言い、咲は深く頭を下げた。


「お世話になりました」


 きっと今生の別れだろう。

 咲は頭を上げ、そのまま、或人の顔を見ずに踵を返した。或人がどんな顔をしていても、見れば未練になるだろうと思った。振り返らず、車に向かって歩き、石動が開けた扉から中へと乗り込む。石動は何も言わず、ただ、運転手に向かって「家へ」と指示を出した。


 夢のような、日々だった。

 けれども確かに現実だった。朱雀院或人という神が、確かに人々のために祈っていること──人々の暮らしを守っていること。それを知れただけで幸運だと咲は思った。


 車のエンジンがかかり、車体が揺れる。走り出す。

 咲は見るともなしに窓の外を見て──振り返らないようにしよう、と心に決めていたのに、堪えきれず、後部の窓から朱雀院の館を振り返り見た。


 目を見開く。


「……或人様?」


 玄関で咲を見送ったはずの或人が、門から外に、まるで咲との別れを惜しんで駆け出したみたいに出てくるのが見える。そして同時に、咲は、車の横を複数人の男が走り抜けようとするのを感じ、そちらに視線をむけた。


「……!!」


 男たちは、明らかに或人の姿を確認し、或人に狙いを定めている。

 なぜ、と思う間も、なんのために、を考える暇もなかった。

 ただ、その一人が手にしているものがなにかを理解した瞬間に──咲は車の扉を開けて、「咲様!?」と驚愕した声を出す石動の制止も聞かず、走る車から飛び出していた。




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