第七話 俺の名前が決まった日
「ところで、名前は決まったのかい?」
おばちゃんが土の板を覗き込む。
もちろん、そこは空白で。
「いや、こっちの世界って、どんな名前が多いのかな。おばちゃんは、名前、なんていうの?」
あ、そうだよねえ、と言ってから、胸を張ってどんと叩くおばちゃん。
揺れる胸と、腹の肉。
「自己紹介もまだだったね! おばちゃんはマユナってんだ! アリシーン・マユナ!……まあ、この年だと、おばちゃんって呼ばれる方が大きけどねえ」
また、大きな口を開けてガハハと笑うおばちゃん。
「それって、由来とかあるのかな……?」
「アリシーンは、家族で決まってるから! 父さんも母さんも、アリシーンから始まってるよ! アンタの国では違うのかい?」
苗字、姓みたいなものだろう。
「それなら、俺の国も同じだよ。サトウ、とか、タナカ、とかが多かったけど。……俺の前の名前、タナカ ケンタっていうんだ」
そう伝えると、おばちゃんは、
「ふうぅん……? こっちの言葉にはないねえ。マユナは、木の名前なんだよ! ピンク色の果物がなるんだ。おばちゃんが生まれた季節がね、マユナが咲く時期でねえ。……って言っても、アンタには分かんないよね、どうする? おばちゃんが勝手に名前、つけようか?」
うぅん。どうしよう。
勝手につけられた聞き馴染みのない言葉で、俺が反応できるかも分からない。
「あのさ、俺……やっぱり、前の世界の名前のままじゃ、ダメかな?」
そう言うと、おばちゃんは少し顔をしかめた。
「ダメってことはないけど……絶対に、二回聞かれるよ? 大人しく、おばちゃん家のアリシーン、もらっておいたらいいんじゃない?」
「それってさ、おばちゃんの息子になるっていうこと?」
俺の問いに、おばちゃんは答える。
「そんなもんじゃないよ! ただ、仲間っていうか……あんまり気にしなくて大丈夫だよ! アリシーン・ケンタ! いい名前じゃないか、ケンタっていうのは、なにか意味がある言葉なのかい?」
アリシーン・ケンタ。
うん、これでいいだろう。
俺は、指で土の板にそう記しながら、答えた。
「健やかに、健康に育ちますように。……そういう由来だって、母さんが言ってた。漢字もね、健康の健に、太い、なんだよね」
母さんは、どうしてるだろう。
親より早く死ぬなんて……親不孝しちまったな、俺。
しみじみする俺をよそに、おばちゃんは言った。
「カンジ……? それはなんだい、記号みたいなものかい?」
そうか、この世界には漢字はないのか。
ん、待てよ。カタカナで書いたこれは、伝わるのか?
「漢字はね、まあそんなかんじ、記号だよ。ところでおばちゃん、この文字読める?」
おばちゃんは土の板を見て、笑った。
「アンタねえ! おばちゃんだって真面目に学校行ってたんだよ! ナミクル語くらい読めるよ!」
カタカナは、ナミクル語というらしい。
もっとも、俺の書いたカタカナは、この世界のご都合主義設定で……おばちゃんにも、読めるように変換されているのかもしれないけど。