89.この胸のドキドキ
中間テストが終わり、いよいよ文化祭の準備が始まった。
放課後のプラモ作りは一旦お休み。けれど、登校時は駅まで迎えに来てくれるし、お昼ご飯は私の作ったお弁当を二人で食べる。放課後は一緒に帰ったり、バイトがある日は先に帰ったり。そんな日常は変わらない。
クラスの出し物は「オムライスカフェ」に決まった。
「おいしくなーれ」とソースをかける接客が売りだそうだが、私は上手くできる気がしなかったので、厨房での調理担当に立候補した。
料理ができる人が少なかったことと、エイジ特製・有名店の味を再現した「簡単オムライス」のレシピが採用されたからだ。
「瑛里、これ凄い。美味しいし、簡単にできそう!」
ゆかりが感心したように言う。
「でしょ。これなら量産できるし」
「それより……この瑛里の料理を毎日食べている奴がいるなんて!」
ゆかりが隣の瑛祐くんをジロリと睨んだ。
「まあまあ、私が好きで作ってるんだから……」
すると、瑛祐くんの顔がみるみる真っ赤になった。
「ま、……皆の前で『好き』とか……」
「えっ。あ……」
今の「好き」は「お弁当作りが好き」って意味だよ! ……なんて言い訳する間もなく、私も無駄に赤面してしまった。
昼食はいつもの場所で二人きり。
ここなら、周りを気にせずいくらでも「好き」と言える。
「瑛里が『おいしくなーれ』なんてやってるオムライスを、他の奴が食べるなんて……。俺、おかしくなりそうだったから厨房で良かったよ」
「あはは。私も接客は自信なかったから助かったよ。……それはそうと、演劇部は順調なの?」
「いや……。俺、やっぱりあの人、凄いなって思うんだ」
「遥香先輩のこと?」
「うん。なんか、とんでもない舞台になりそうだよ」
「そっかそっか……。それで私のことはもうどうでもよくなって、瑛祐くんは遥香先輩の嫁になるんだね」
あ、いや。そんな意地悪を言うつもりはなかったんだけど。
「ぶっ⋯。あれは先輩が勝手に言ってるだけで……浅野とか他の奴にも言ってるし」
「えー、じゃあ瑛祐くん、ハーレム要員になっちゃうんだ」
「なんだよそれ! 俺は先輩の嫁になんかならないし、嫁なら瑛里になってほしいわけで……って、何を言わせるんだよ!」
瑛祐くんはお弁当を食べ終えて、必死に説明してくれている。
私に、嫁になってほしい……か。
私は食べかけのお弁当を横に置いて、瑛祐くんの胸に飛び込んだ。
こに場所は、真・ぼっちだった私が見つけた聖域。誰も来ないし、誰も知らない。だから、少しだけ甘えてもいいよね。
「ごめん。なんか、遥香先輩がいると不安になるんだ」
正直な気持ちをぶつけると、瑛祐くんは私の頭と肩を優しく支えてくれた。
「先輩は、お姉ちゃんみたいなもんで……。俺が先輩のことを好きになるとか、絶対にないから」
「でも、幼稚園からの瑛祐くんを知ってるの、羨ましいなって。絶対可愛かっただろうし……私だってその頃の瑛祐くんなら嫁にしたいって思ったかも」
「昔の事だから仕方ないよ。……これからの俺たちで、未来を見ていきたい」
「うん……。でも、あの人、目とか鼻とかくっきりして美人だし」
「俺は、瑛里の顔の方が好きだよ」
えっ、マジか。嬉しいけれど、あの美人より私を選ぶとは……。その観察眼、作品作りにおいては致命的な欠陥があるのでは?
「私、背も低いし、胸もあんなにないし……」
「俺は、瑛里くらいの身長が好みだよ」
「……胸は? やっぱり大きい方がいいよね?」
「そ、それは……わからん」
元男の知識からすれば「大きいことは正義」なのだが、好みは千差万別。ちなみに俺の理想は、ゆかりのDカップ。あの、触らせてもらって「ちょうど良い」感じというか……。いや、何の話だ。
「わからんってことは、やっぱり大きい方が好きなんだ?」
「知らねえよ! そんなの触ったこともねえし……」
「……そっか。じゃあさ、ちょっと……」
危ねえ。「触ってみる?」って言いそうになった。
……いや、触ってもらってもいいんだけど。良いよね⋯。
私は瑛祐くんの手を取り、自分の胸に当ててみた。
最初はビクッとしていたけれど、少しだけ彼の手に力が入る。十月も終わり、制服は冬服。厚い生地の上からだから、よくは分からないだろうけれど……夏服だったら良かったのにね。
「えっ……ああ……」
「まあ、服の上からじゃよく分からないだろうけど。……どうかな?」
「いや……その、なんというか、ありがとう」
……何のお礼だよ。
「あ、じゃあ、お弁当の続き食べるね」
「うん。じゃあ……」
離れ際、胸に当てていた手は、少しだけ名残惜しそうに離れていった。
「ちょ、ちょっと……トイレ行ってくる」
若干、前かがみになって歩いていく彼の背中を見て、少し悪いことをしちゃったかなと思う。
きっと、色々と我慢させちゃっているよね。
好きな人に触れていたい。好きな人のしたいことをさせてあげたい、とは思うのだけれど。
俺としては思うところもあり、私としては不安で覚悟が決まらない。
現に今、服の上からでも触れた手の感触が忘れられなくて、ドキドキが止まらない。
こんなの、これ以上はコワイよ。
ごめんね。もう少しだけ、待っていて……。
やはり、生がいいよね。
⋯最初の一杯の話だよ。
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