55.赤いスマホは、3倍速い。
家族との絆。
この16年間で培ってきたものは、そう簡単には崩れない。
大丈夫だ。私はこれからも、福原家の一員として生きていける……。
でも……瑛祐くん。
アキラさん。楓さん。
私は、これから彼らとどうすればいいのだろう。
アキラさんは、瑛祐のことを頼むと言ってくれた。楓さんのことも。そして、私が幸せになるように、と。
特に楓さんについては、深刻な懸念がある。
アキラさんと奥さんが別れた原因が、俺と言うことになっている。
「あれはアキラさんのくだらないプライドのせいなんだよ!」と叫びたいけれど、今の私には言えない。
スマホが震える。
『瑛里、大丈夫か?』
瑛祐くんからのメッセージだ。通知には映るけれど、今の私には開く勇気がなかった。
今の私は、瑛祐くんに合わせる顔がない。幸い夏休みだ。この間に気持ちを整理して、どうするか決めよう。
彼に対する、この「好き」という気持ちも……。
『落ち着いたら連絡くれ』
『瑛里、一度会えるかな?』
『これ見たら、なんでもいいからリアクションくれ……』
二、三日の間に、未読メッセージが10件程溜まってしまった。本当はもっと送りたかったらしいが…。
その日はお風呂に入るのが少し遅くなり、上がった頃には深夜12時を回ろうとしていた。
リビングではお母さんがまだ起きていて、私にお茶を淹れてくれた。
「ありがとう。」
「……瑛里。スマホ、画面見えちゃった。ごめんね。」
お母さんが申し訳なさそうに言った。
「あ、いや。見られて困るものなんてないし。」
「そっか。で、瑛祐くんとは? 通知、溜まってるわよ。ダメだったの?」
見られて困るものがあった…。
「ダメじゃなかったけど……」
「じゃあ、返事してあげたら? さっきも通知来てたわよ。」
「あ、うん。……あっ。」
つい、通知をタップしてしまった。既読がついてしまう。
即座に、新しいメッセージが飛んできた。
『あ、読んでくれた? 良かった』
早い。私からの連絡を待って、スマホとにらめっこしていたのだろうか。
そういえば、瑛祐くんのスマホケース、赤かったな。……やはり三倍速いのだろうか。
『あ、返事できてなくてごめん』
『全然大丈夫。それより、瑛里は大丈夫なのか?』
『うん。もう平気かな』
一度返信してしまうと、もう止まらない。
返事が来るのが嬉しくて、言葉を返せるのが楽しい。
お母さんの生温かい視線も、今は気にならなかった。
「まあ、すっかり恋する乙女になっちゃって……」
『なあ、今、瑛里の顔が見たいんだけど』
『え? 顔見たいって……じゃあ、明日行こうか?』
『今なんだよ。会って話がしたい』
『嬉しいけど、もう電車ないし来れないよね』
『瑛里んちって、駅前の裏側の住宅地だよな。……ちょっと待ってて』
『え? どういうこと?』
そのメッセージに既読がついたのは、三十分後だった。
『自販機の前にいるんだが……』
『えっ、そこ私の家のすぐ近く……』
なんなら、家の前だ。どうやって……ここから10キロくらいあるはずなのに。
『ごめん。来てしまった』
『えっ、えっ、どうしよう……』
『喉乾いたから、ジュースでも飲んでる。でも、もう遅いし、出てこなくてもいいよ』
『ちょっと、待っててね!』
『うん。なんかじっとしてられなくて、自己満足で来ただけだから。アレなら、そのまま帰るし……』
「お母さん……なんか、瑛祐くんが近くまで来てるらしい……」
「へぇ〜。青春だねぇ。あ、連絡しないと……」
お母さんは何故か、待ってましたと言わんばかりの口振りだ。
「ん、何の話?」
「いや、こっちの話。あ、もしもし?」
…お母さんがどこかへ電話している。
「楓さーん。今、着いたみたいよ……」
お母さんの電話の相手は楓さんだった。
瑛祐くんが自転車で突然飛び出していったから、着いたら教えてほしいと頼まれていたらしい。
私たちって、まだまだ子どもなんだな、と思う。心配かけてごめんね。
とにかく、行かないと。
会いたいのは、瑛祐くんだけじゃない。いざ会えるとなると、自分が「俺」だったことなんて、頭の中から消え去っていた。
お風呂上がりで、Tシャツにスウェット姿。恥ずかしいヒラヒラのパジャマじゃないのが救いだけれど、髪の毛は乾かしたばかりだ。
普段から化粧はしていない。だから、このまま出ても問題はないのだけれど……。どうしよう。
部屋から出てきたお母さんに、背中をドンと叩かれた。
「あんた、まだいたの? 早く行きなさい。待たせちゃダメじゃないの!」
押し出されるように家を出る。
前世では、こうやって背中を押してくれる人なんて、いなかったな。
少し先の自販機の前。
いつもの自転車を傍らに、飲み物を買って立っている瑛祐くんの姿が見えた。




