54.本当の瑛里
車の助手席で、とめどなく流れる涙をどうすることもできない自分がいた。
「瑛里……。」
差し出されたハンカチで涙を拭う。
「ありがと。お父さん……。」
優しい父。ハンカチからはお父さんの匂いがする。それが少しも嫌じゃなかった。
「言いたくなかったらいいんだが、何かあったのか?」
「ううん。何も……」
「ならいいんだが」
無言になり、しばらく走り、信号で止まる。
「お父さん。私が、……」
「ん? どうした?」
「私が瑛里じゃなくても、……お父さんの娘でいていいのかなぁ?」
「お前が瑛里じゃない……? 難しいことを聞くね」
「例えば、私が他の誰かだったとして……」
「他の誰か……?」
お父さんは少し考えて聞いてきた。
「他の誰かが、瑛里になっているということ? よくわからんが……」
「いや。違って……。私は瑛里だよ。それは間違いないけど……」
「じゃあ、問題ない。お前は俺の大切な娘だ。他の誰かだったとしても、俺と真理の間に生まれてきてくれて、ここまで育ってくれた。それだけで十分だよ」
お父さんは、いつも私が欲しかった言葉をくれる。
心が温かくなる。涙が止まった気がした。
「ありがと。なんでもない。……大好きだよ、お父さん!」
「なっ!」
ガクン、と車が蛇行する。
「危ないっ!」
「ご、ごめん。子どもの頃にも言ってくれたことないのに、ビックリしたよ。」
父の日に周りの子どもたちが、似顔絵に「大好き」という言葉を添えてお父さんに渡していたけれど……。前世の記憶が邪魔して、「大好き」と言えず「ありがとう」だけ書いて送っていたな。
だから「お父さんのお嫁さんになる」なんてイベントも起こさず……なんか、悪いことしたね。
「じゃあさ。私、お父さんのお嫁さんになる、とかも言ったほうが良かった?」
「はははっ。まあ、他のお父さんが言われてるの聞いて羨ましかったけどね。……まあ、そんな瑛里が、俺は好きだったよ!」
……。ホントごめん。それと、ありがとう。
家に帰ると、お母さんと洸也が迎えてくれた。
「おかえり。大丈夫だった?」
「うん。平気。ちょっと寝不足だったみたい」
「まあ、デートが楽しみすぎたのかしらね」
「そんなんじゃないけど……。」
優しくて楽しい母。
「ねーちゃん、元気そう。良かった」
「うん、大丈夫だよ。あとでゲームしよう」
「うん、スモブラやろ!」
可愛くて元気な弟。
今の私の人生、すごく良いよね。
学校ではボッチになりかけたけど、瑛祐くんがいる。ゆかりさんたちも仲良くしてくれる。
この大好きな家族に、私がエイジという男だったこと、打ち明けるべきか考える。
『俺と真理の間に生まれてきてくれて、ここまで育ってくれた。それだけで十分だよ』
お父さんが言ってくれた。それだけで、十分か……。
洸也との対戦は散々だったけど、楽しかった。
「さらに、できるようになってる……」
「よし、5連勝!」
「うるさい! も一回!」
自分の部屋のベッドの上に寝転んだ。今日はいろいろあったな。
「……ねえ、ジェミー」
スマホの中の、AIジェミー君に語りかける。
『はい、瑛里さん。どうされましたか?』
「私、やっぱり……この家族に対して、ニセモノな気がするんだ。体は瑛里だけど、中身はエイジっていうおじさんなんだよ。お父さんの言葉は嬉しいけど、騙してるみたいで……」
『瑛里さん。AIである私には、魂の出所はわかりません。ですが、データは嘘をつきません』
「データ?」
『はい。あなたがこの家で食べてきた食事、両親とと交わした言葉の数々、洸也くんと一緒に遊んだゲームの記録。それらすべてを積み重ねてきたのは、まぎれもなく今の「あなた」です。過去のエイジさんでもなく、空っぽの器でもない。』
画面の中で、ジェミーが優しく発光する。
『魂に前世の記憶が混ざっていたとしても、この16年間、福原家の娘として泣き、笑い、成長してきた時間は、何者にも上書きできない「本物」です。あなたはニセモノなんかじゃありません。瑛里さんは、瑛里さんですよ』
ジェミーの言葉が、すとんと胸に落ちた。
そうだ。私が積み重ねてきたこの16年は、誰にも奪えない。
もう少し、お父さんとお母さんの娘でいたいな。
もう少し、きみの姉をやってたい。
いつか打ち明ける日が来るかもしれないけれど。今はまだ、この幸せな家庭の中にいたいと考えていた。




