08. クルトの扱いが、思ったより悪くなかったこと
「あのう、そこで見張られると落ち着かないんですけど……」
クルトの控え目な抗議は、従士の男に黙殺された。
従士とは簡単に言うと、騎士に付き従って行動を共にする従者だ。
ネルガー城の一室。クルトに宛がわれた客室で、クルトは目の前で歩哨のように立っている男を、胡乱な目で見つめる。
槍を手にしてドアの前に立ち塞がっている男は、つまりクルトの見張りだった。
どうやらクルトから目を離さないようにと命じられているらしく、片時もクルトから視線を外そうとしない。
生真面目な良い従士なのかもしれないが、クルトから見たら鬱陶しいことこの上ない。
一度逃げ出そうとした前科があるクルトが信用されないのは仕方ない。仕方ないのだが、それにしても嫌がらせのように部屋の中に見張りを置くことはないだろうと、クルトは思う。
せめて部屋の外にして欲しい。
一刻ほど前。この城に到着したクルトはまず、身綺麗にするようにとレティシャから命じられた。
クルトは浴室に放り込まれ、メイドたち数人がかりで身体中を洗われた。
水浴びならともかく、こんなにたくさんの温かい湯に肩まで浸かった経験は、初めてだった。
さらに貴族の公子が着るような、真新しい衣装を着せられる。
上は眩しいくらいに白いチュニック、下はブレーという黒の長ズボンの上から、ショースと呼ばれる長い靴下を膝のあたりまではいて、そこで紐で縛るのである。
次は会食だと、レティシャや騎士たち、それに城主のブルックという名の貴族と共に食卓につかされることになった。
しかし当然ながらクルトは、テーブルマナーなど教わったこともない。
必然的にクルトは、どうやって食べたらいいのか、さっぱりわからずに固まってしまった。
レティシャから、「マナーは気にするな。好きに食べてよい。咎めはせぬ」と言われて、その通りにしたのだが、ブルックからは嫌な顔をされ、レティシャには「くっくっくっ」と、喉を震わせて楽しそうに笑われた。
食後に案内されたこの客室もやたらと豪華で、豪華過ぎて、居心地が悪い。
もちろん、クルトがそう感じるのは平民基準での話で、貴族基準ならそこまで豪華でもないのだが。
だが部屋の豪華さよりもずっと、居心地を悪くしているのは、当然ながらドアの前に立っている見張りの従士である。
(王都まで一ヶ月かかるらしいけど、まさかその間、これがずっと続くの?)
考えるだけで憂鬱になってくる。
これならまだ、孤児院の狭い部屋のほうがよっぽどマシだった。
孤児院でも同室の人間はいたけれど、見ず知らずの中年男性と、よく見知った孤児仲間ではまったく違う。
クルトは首を振って、深いため息をついた。
(そういえば、院長先生に手紙を書かなきゃ……)
あの集会所の一件の後、クルトはそのまま馬車に乗せられてしまった。孤児院の院長先生に、事情を説明することすらできずに出発したのだ。
もしかしたら、いつまで経っても帰って来ないクルトのことを、心配しているかもしれない。
いや、きっと心配しているだろう。
クルトは、なんとか自分の無事を伝えたかった。
そこで従士の男に、クルトは頼む。
「紙とインク、それにペンを貸して貰えませんか?」
「……わかった。少し待て」
言葉少なにそう従士の男は返事して、ドアから出て行くが、すぐに筆記用具を持って戻ってくる。
「ありがとうございます」
一礼して受け取ると、クルトは机に向かう。
サイドテーブルの上にあった蝋燭を、机へと移動させた。
正直なところ、こんな簡単に望みが叶うとは思っていなかった。
あっさりと断られるか、そうでなくとも渋られるぐらいはあると思ったのに、案外普通に用意して貰えた。
なにに使うのかと尋ねられることすらなかったのには、拍子抜けしてしまったくらいだ。
もちろん、紙とインクを用意してくれたこと自体はありがたいので、文句などまったくない。
クルトは机に向かい、これまでの事情を紙に認める。
集会所に連れていかれると、そこには貴族の令嬢や騎士がいたこと。
そして彼女たちはどうやら、なにかの理由でクルトを探していたらしいこと。
今クルトは、馬車で騎士たちと一緒に、王都へと向かっていること。
そんな内容を、慣れない文章でクルトは書いた。
一応、最低限の文字の読み書きはできるのだが、あまり慣れているわけではない。そもそも文字を書いたり読んだりする機会が少ない。
孤児院には大事に保管された本が少しだけあるが、文字を勉強するときの教材として使ったきりだ。
それに、クルト自身、あまり今の状況を理解しているわけではない。それでも、取りあえずわかっていることを手紙に書いて、最後に「元気でいるので心配しないでください」と、結んだ。
これは、明日にでもレティシャに頼んで、テミッタ村まで届けて貰うしかない。
断られるかもしれないけれど、他にどうしようもないから仕方なかった。
手紙を書き終えると、クルトは明かりを消していいか従士の男に確かめたが、答えは否だった。
暗闇に紛れて逃げ出すと思われているのかもしれない。
仕方なくそのままベッドに横になるが、どうにも睡魔がやって来ない。
今日は色々とあったから相当疲れているはずなのに、興奮しているためか眠気がしないのである。
いつもならこういう夜には、イバンを呼んで話し相手になって貰う。けれど、これだけ明るい上に見張りまでいるとなると、そういうわけにもいかない。
結局従士の男が当番を交代し、さらに次の見張りの男も、またさらに次に交代するまで、クルトは寝付けなかった。
◇◆◇◆◇◆◇
少しだけ時間を巻き戻して、クルトが四苦八苦しながら手紙を書いていた頃。
ネルガー城でもっとも上等な、王族などの賓客のために特別に用意された客室で。
レティシャはレティシャで、王都に向けた報告のための文書を作成していた。
闇精霊の契約者であるクルトを探し出し、任務を成功させた報告を入れなければならない。
丁度今日は天候にも問題はない。上手くいけばすぐにでも王都まで報せを届けられそうだった。
ただし、大気には少し、湿気が増えてきているようにも感じる。
水精霊と契約を結んでいるレティシャは、そういうところには敏感だ。
もしかしたら明日からは、天気が崩れるかもしれない。レティシャはそう予想した。
レティシャの勘は、数日間は土砂降りの雨になると言っている。
運が悪ければ、次に滞在する城館では数日間、身動きが取れなくなることも考えられる。
明朝に、先触れとして出す騎士には、その旨を次に滞在する城館の主に伝えさせるべきだろう。
「……よし。王都に送る内容はこれで良かろう。ルチア?」
「はい、ここに」
ルチアは、騎士らしくキビキビとした足取りでレティシャの元に歩み寄る。
ルチアのような女騎士は、歩き方ひとつとっても、状況によって使い分ける必要がある。
ドレスを着て貴族令嬢として振舞うときには、このように大股で歩くことなど、とてもできない。
逆に鎧兜を身に着けておきながら、貴族令嬢のように静々と歩くわけにいかないのと同様に。
ルチアはレティシャから、報告文書を受け取ると、一読して頷いた。
「確かに、お預かりします。それでは早速、王都へと送ります」
「うむ、よろしく頼む」
ルチアはバルコニーに出ると、自らが契約している光精霊に呼びかけた。
「レングメーン」
呼びかけに従って、光る玉のような精霊が、ルチアの手の中に現れる。
「王都の方角へ、情報を伝達して。内容は――」
そしてルチアは、レティシャが書いた文書を読み上げる。
読み終わると、了解を示すように一度光が点滅した後、光の玉が空高く舞い上がって行く。
上空に達すると、精霊は点滅を始める。
長く、短く、輝いては消え、また輝く。このリズムの変化によって、情報を信号に変え、遠くまで伝達するのである。
しばらくして、情報を伝達し終えた精霊は、最後に大きく輝きを放ち、姿を消した。
「姫様、終わりました」
「ご苦労」
さすがにここから直接王都まで光が届くわけではないが、間にいくつか中継地点を作ることで、遥か遠くまで素早く情報を伝えることができる。
光精霊使いが、まず真っ先に覚えるべきだと言われているのが、この情報伝達魔法だ。
王国の騎士が、遠方へ任務で向かう場合には、光精霊使いを同行させるように推奨されているのは、この魔法の存在があるためである。
ある程度天候の制約などもあるが、それにしても短時間で遠方まで情報を送れることは、とてつもなく大きなメリットになる。
「この報せで、また精霊宮は大騒ぎになるのであろうな」
そう言って軽く肩を竦めるレティシャに、ルチアが頷いて答える。
「そうでしょうね。特にあの、氷、風、地の三眷属の者たちは、我先にと動き出すのではないでしょうか?」
「だろうな。興奮して慌ただしく走り回る姿が目に浮かぶようだ」
少しの嫌悪感と、それを大きく上回る同情心。それを表すようにレティシャは複雑な表情を浮かべる。
――彼らの先祖がしでかしたことには怒りを覚えるが、今を生きる彼らに罪はない。それを精霊が理解してくれればよいのだが……
一度大きく首を振ってから、レティシャは気持ちを切り替える。
気持ちを切り替えたついでに、話題も少し変えてみる。
「……しかし、クルトは性格的に、どうも貴族らしくないぞ。これからあの者を中心にして、様々な変化が起こるであろうに、その重圧に果たしてあの者が耐えられるであろうか?」
レティシャに訊かれたルチアは、少し考えてから、首を捻る。
「どうでしょうね? 私の目には、案外図太いところもあるように見えましたが」
「そうか? 其方はクルトのどこでそう感じたのだ?」
「一見すると、貴族に囲まれて怯えているように見えますが、その割に言いたいことははっきり口にするところ、でしょうか?」
「……言われてみれば、確かにそうであったな」
怯えているのが演技だとは思わないが、完全に委縮して黙り込んでしまうわけではなかった。
「ふむ。案外、腹を据えれば貴族らしく振舞える、可能性もあるか……?」
「できればそうであって欲しいですね。そのほうが面倒が少なくて済みますから……さ、そんなことより、そろそろ姫様もお休みにならなければ。明日も朝は早いですから」
ベッドに追い立てようとするルチアの手を、レティシャは邪険に振り払う。
「わかっておる。わかっておるからっ! ええいっ、子供扱いするでない!」
◇◆◇◆◇◆◇
次の日は朝食を済ませると、すぐにまた馬車に乗せられて、王都に向けて出発した。
レティシャの予想通り、空には灰色の雲が垂れこめていたが、雨が降り出すまでにはもうしばらく時間がありそうだ。
クルトは昨日着せられた、貴族のような衣装のままだ。
昨夜書いたクルトの手紙は、レティシャに渡すと、「いいだろう。孤児院の管理者に届けさせればよいのだな?」と、簡単に請け合ってくれた。
「……ありがとうございます」
クルトは礼を言ったが、なにかこう、気色悪いというか、気味が悪いというか、どうにも居心地が悪い気がした。
昨夜、紙を頼んだときもそうだったが、クルトの頼みがあっさりと通ってしまうことが、不自然に思えてならない。
貴族などというものは、平民の頼みなど無視するものではなかったか。
頼みを聞いて貰っておいて、不満を持つのも変な話なのだが、違和感があり過ぎてクルトは素直に喜べない。
貴族からそんな扱いを受けることは、クルトにとってはある意味で恐怖だった。
まさか、僕はこれから殺されるのだろうかと、本気で心配するくらいに。
神に捧げる生贄は、殺す前には丁重に扱う。昔に聞いたそんな話を、クルトは思い出してしまうのだ。
実のところそれはクルトの勘繰り過ぎなのだが、レティシャがクルトに詳しい説明をしない以上、誤解が生まれる余地は十分ある。
ともかく、クルトはこれから自分はどうなるのかと不安になりながらも、馬車の座席にジッと座っているしかできることはないのだった。