06. クルトがレティシャに捕まること
「完全にバレてる……なんなんだよ、この貴族の女は! どうしてすぐに僕のいる場所がわかるんだ!?」
イバンが作る影の中に隠れていたクルトは、頭上を見上げた姿勢で眉根を寄せる。
普通影の中に人が隠れているなど、わかるはずがないのに!
実際、クルトを追ってきた騎士たちは、見当違いの場所を必死に探しているではないか。
さっきクルトは、騎士の落とした雷を避けるために、咄嗟にイバンの中に飛び込んで難を逃れたのだ。
それからこっそりと、少しだけ移動して木陰に潜んでいたのだが、あまり長くは隠れていられない。
今イバンがいるのは木の影であって、クルトの影ではないからだ。
イバンにとって、クルトの影は居心地が良いらしいのだが、他の影はそうでもない。
こうしてクルトがイバンの影に隠れてしまうと、必然的にイバンはクルト以外の影に潜むしかなくなってしまう。
その状態を長時間維持することは、イバンにとっても難しい。
それでもジッと動かずにいるのならまだしも、クルトを抱えたまま移動するのはほとんど不可能だった。
クルトもそれを知っていたから、そろそろイバンの影を出て、また自分の足で逃げ出そうと思っていたところに、レティシャがやって来た。
さっきからなにかこちらに呼びかけているようだけど、それはクルトには聞こえていない。
イバンの作る影に潜ると、音は聞こえてこないのである。
ただし、影の中から外を見ることはできる。この場合、影が地表にあるせいで、地面から見上げる形になるのだが。
けれど、声は聞こえなくても、なにを言っているかは予想できる。どうせ、出て来いと言っているのだろう。
実際、そろそろイバンも限界だ。
出て行くしかないのだが、そうすればすぐに捕まってしまう。
平民のクルトから見れば、貴族なんてものは偉そうにふんぞり返っているだけのいけ好かない人間だ。
偏見なのかもしれないが、それが平民の目から見た貴族像というものだ。
そんな貴族に捕まれば、どんな目に遭わされるか、わかったものではない。
だからこそ、反射的にクルトは逃げ出したのだが、こうなってみるといかにも短絡的だったと思ってしまう。
逃げ出し、弓で抵抗し、その挙句にやっぱり捕まるくらいなら、最初からおとなしくしていたほうが百倍マシだ。
殴られる程度で済めば御の字だが、そこまで甘くはないだろう。
さっきだって、問答無用で炎や雷を放ってきたのだ。
……その前にクルト自身がそれこそ問答無用で矢を放っているのだが、そのことは都合よく無視しているクルトだった。
「イバン、なんとかこのまま逃げたりはできないかな?」
追い詰められたクルトはイバンに頼るが、イバンも『……、……』と、申し訳なさそうにブルブルと震えて否定の返事をしてくる。
それでもイバンの影がジリジリと動いて逃げようとするが、レティシャもゆっくり歩いて追って来る。
どう考えても、彼女にはイバンがどこにいるか、見えているとしか思えない。
『…………!』
限界を迎えたイバンが、クルトを外に吐き出した。
「くっ!」
「動くなよ」
すぐに起き上がろうとしたクルトの喉に、剣が突きつけられた。
レティシャに付き従う女騎士が手にしている剣だ。逃げようにも隙がまったくなくて、クルトは身動きできなくなった。
少しでも動けば斬ると、言葉ではなく剣が語っていた。
「なぜお前はすぐ逃げようとする? さっきから説明しているであろうが。危害を加える気などないとな」
レティシャが聞き分けのない子供にするような、呆れた口調で言う。
「…………そう、なんですか?」
「なんだ、聞こえておらなんだのか。同じことをもう一度説明せねばならぬとは面倒なことよ」
そう言ってレティシャは唇を尖らせたのだが、ヴェールに隠れていてクルトの目には映らなかった。
「其方に危害など加えぬ。私はただ、其方を連れて来いと命じられただけだ。抵抗されればこちらも手荒にならざるを得んが、おとなしくしておれば丁重に扱うぞ」
「……僕を連れて来いと、命じた人がいる? ……それは、いったい誰なんですか?」
目の前の少女は、高位の貴族に見える。その彼女に命令できるとなると、相当身分の高い人間ではないだろうか?
「それは、まだ言えぬな」
レティシャは素っ気なくそう答える。
「とにかくこれで無事任務は完了した。ようやく王都へと帰れるな」
「真に重畳ですが、この者はいかがいたしましょう。縄でぐるぐる巻きにでもして、馬車の荷台に放り込んでおきましょうか?」
シレッとそんなことを言う女騎士に、レティシャは楽しそうに笑って答える。
「手こずらせてくれたからの。そのくらいしてやりたいところだが、そうもいかぬ。大体、こ奴も精霊を使うのだ。縄ぐらいでは拘束できぬよ」
「ならば鎖ですね。さすがに鎖で厳重に拘束すればそうそう逃げ出せないでしょう」
「鎖……」
鎖でぐるぐる巻きにされて馬車の荷台に放り込まれるのを想像して、クルトが怯えたような表情になる。
「ふむ。それは一考に値するが……ところで、其方は名前をなんという?」
「な、名前ですか?」
「姫様に訊かれたら、余計なことを言わずにすぐに答えなさい」
突きつけられた剣で、クルトは顎を持ち上げられる。その状態で女騎士に命じられて、クルトは声を上擦らせた。
「ぼ、僕の名前は、クルトです!」
「よろしい。姫様、この者はクルトというそうです」
「うむ」
頷きながらも、レティシャは苦笑していた。
(ルチアめ、ノリノリではないか。案外嗜虐的な性質だったりするのかのう?)
「では、クルト。今後逃げたり、逆らったりしないと約束するのなら、鎖は勘弁してやろう。もちろん見張りは付けるがな」
「…………」
クルトは無言のまま、チラリチラリと、ルチアのほうに視線を向ける。
どうやら、質問の答え以外の余計なことを言うと、またルチアに剣で脅されると思っているようだ。
ルチアがそんなクルトを見てニッコリと不吉な感じに微笑み、クルトは「ヒュッ」と小さく喉を鳴らして首を竦める。
「ルチア、少しやり過ぎだ。怯えているではないか」
「失礼しました。反応が面白くてつい」
ルチアは澄まし顔で答える。
レティシャはやれやれと、苦笑一歩手前の表情を浮かべた。
「それで、クルトよ。なにか訊きたいことでもあるのか? 私が許す。言ってみるがよい」
「……それじゃ、あの、これから僕はどうなるんですか? 貴族様に逆らったってことで、牢屋にでも入れられるんですか?」
「そんなわけなかろう」
クルトの心配は、レティシャにあっさり切って捨てられる。
「せっかくみつかった闇精霊の契約者を、牢にぶち込むためだけにわざわざこんな場所まで来るものか! そこまで私は酔狂ではないわ」
(! やっぱりイバンのことを知っているんだ……)
もうイバンとは十年以上の付き合いになる。その間、イバンが一体なんなのか、考えなかったはずはない。
ヒントは色々とあった。
今クルトが暮らしている国は精霊王国で。
精霊と契約を結んだ貴族たちによって治められている国だ。
さらに光を嫌がり、闇に潜むイバンの性質。
そういうものを総合して考えれば、結論は出る。
イバンはきっと闇の精霊なのだろう、実のところ、クルトもそう考えてはいた。
だからこそ余計に、他の人間に知られてはならないと注意して生活してきたのだ。
なにしろ、精霊と契約できるのは貴族だけなのだから。
クルトのような平民が精霊と契約していると知られればただでは済まないと思ったから。
(だけど、なんでバレる!? あれだけ周りの人間にみつからないようにしていたのに。なんでいきなり貴族がやって来るんだよ!)
不条理にも程がある。
同じ孤児院で生活している仲間たちにすら、イバンがみつかったことなんかない。そのはずなのに。
「あまりそう不安そうな顔をするな」
クルトの様子を見て、レティシャが宥めるように言う。
「悪いようにはせぬ。私は、其方を迎えに来たのだぞ」
「迎えにって、どこにですか?」
「それはもちろん、我が精霊王国の中心、精霊宮だ」