23. クルトが国王と話し合うこと①
その部屋は、王の執務室なのだという。
アンジェリカたち三人の世話役に、その部屋まで案内されたクルトは、部屋の前で三人と別れて、唯一人部屋の中に通された。
王の執務室だからといって、無暗に広かったり豪華だったりはしない。
むしろ地味と形容したくなるような部屋だ。
机に書棚、それに応接用だろうテーブルに長椅子。他に木製の椅子がいくつか。調度品と呼べるものはその程度だ。
豪華さでいうならば、クルトが今自室として使っている部屋のほうがよほど豪華なくらいである。
王が日々執務する部屋であるから、威厳やらハッタリやらよりも、実用性を重視しているものと、思われた。
ただ、その実用性を重視しているはずの部屋に、なぜか一面に水が流れている壁があるのが、奇妙に見える。
「よく来たな、サヴァロ公爵よ」
謁見の後、クルトをこの執務室に呼び出したヘリオス王は、椅子に座ったままでそうクルトに声をかけた。
「失礼します」と言いながらソロリソロリと近づくクルトに、王は「座れ」と、目の前の長椅子を指差す。
クルトが王と向き合って長椅子に腰を下ろすと、侍女がテーブルに飲み物を用意する。
王は侍女に「下がれ」と命じると、侍女は「畏まりました」と一礼して執務室を出て行く。
「さて、これでようやく直接話せる。色々訊きたいこともあるであろうし、ここでは礼儀を考える必要はない。無礼があっても不問にすると約束しよう」
ヘリオス王は、クルトにそう告げた。
今、王の執務室の中にいるのは、ヘリオス王とクルト、それにレティシャ王女の三人に加えて、護衛の騎士が二人、それだけだ。
その護衛騎士の内一人は、クルトも知っている女騎士のルチアだ。
ちなみにもう一人は、銀の鎧が窮屈そうに見えるほど逞しい体つきをした、長身の騎士だ。
もしかしたらひっそりと隠れて他にも護衛の兵士がいたりするのかもしれないが、少なくともその姿は見えない。
狩人という職業柄、気配を読むのには長けているはずのクルトにも、隠れている護衛の気配は感じられないから、本当にここにはいないのかもしれない。
ただ、断言できないのは、部屋の中を流れる水が、あるせいだ。水音のおかげで、イマイチ気配が読みにくい。
ヘリオス王とクルトが向かい合って座り、脇にある椅子にレティシャが腰かけている。
つまり、この場では王が自らクルトに対応するということなのだろう。
「……本当に、礼儀は気にしなくてもいいんですか?」
疑り深いクルトの言葉に、ヘリオス王は軽く眉間に皺を寄せる。
「そうだ。……というかだ。王の言を疑う其方の無礼を、既に許しているではないか」
普段であれば、そのような無礼はさすがに看過できぬわ、と、王は呆れる。
「基本的な礼儀作法からしっかり教える必要がありそうだな。レティシャ、世話役たちにはよく言っておくがいい」
「わかりました。伝えておきます」
レティシャが畏まって答える。
「さあ、サヴァロ公爵よ。納得したならば、訊きたいことは今この場で訊いておけ。この場を整えたのは、其方の質問に答えるためだ。このような機会はそうそうないぞ」
「……っ」
何て言い草だ、と、クルトは思う。
そもそも最初から、クルトには国王に用などなかった。
なのに、ここに無理矢理連れてきたのはそっちではないか。
それで「訊きたいことはないか」とは、良く言えたものだ。
「お前に訊きたいことなんかねぇよ!」
そう怒鳴りつけて、そのままテミッタの町に帰る。そうできたらどんなに良いか……!
だが、それは無理だ。そのくらいはクルトだってわかる。
もし本気でそれをやるのなら、最低でも命を懸けるくらいの覚悟は必要だろう。
例え無礼をこの場では問題にしないなどと言っていても、それがどの程度信用できるのか、わからない。
さすがに言われたことをそのまま信じるほど、クルトも純粋無垢ではない。
クルトは溢れて零れそうになる怒りをなんとか深い呼吸をして抑え込んだ。
「……それです。その、サヴァロ公爵って僕を呼ぶの、それは一体、なんですか? 僕はそんなものになった覚えはありませんが?」
クルトは王と目を合わさないように、俯き加減で言う。そうしなければ、王を睨みつけてしまいそうだからだ。
実際、クルトはかなり深刻に怒っていた。
孤児院から無理矢理連れ出され、詳しい説明もなしに王宮まで連れて来られた。
窮屈な服を着せられ、やりたくもない礼儀作法を教え込まれ、大貴族たちに囲まれて謁見させられた。
その上、今日からクルトは貴族になるのだと言われた。それも、公爵だという。
確かそれは、アンジェリカの話では貴族の中でも最上位の爵位だったはずだ。
いきなりそんなものになれと言われても、正直どうしていいかわからない。
平民が貴族になれるというなら普通は喜ぶのかもしれないけれど、クルトにはそんな気になれない。
なにか質の悪い詐術にかけられたように居心地が悪い。
「なんで僕が公爵なんですか? おかしいじゃないですか、僕はただの狩人ですよ?」
「仕方あるまい」
疑問をぶつけるクルトに、王はたった一言、そう言うだけだ。
「し、仕方ない、ですか?」
「そうだ。仕方ない。私とて、このようなことはしたくない。平民をいきなり公爵に、など、実際正気の沙汰ではない。こんな真似をやりたくてやるはずはないではないか」
「なら、どうしてそんなことを……!?」
「そうするしかないのだ。今この国に闇の精霊と契約を結んだ者は、其方をおいて他にいない。したがって、其方以外にサヴァロ公爵を名乗れる者はいないのだ」
クルトが公爵という身分に相応しいなどとは、少しも思わないと、ヘリオス王は言う。
「だがそれでも、だ。例え礼儀もなにも知らない平民だとしても、公爵位が不在であるよりはマシなのだ。だから其方には公爵として働いて貰う。それだけだ」
ヘリオス王の、クルトという人間の人格を完全に無視した言い草に、クルトは眦を吊り上げた。
「勝手じゃないですか! 僕の都合はどうなるんです?」
「確かにな。そこは私も気の毒だと思わないでもない。だが、其方が公爵としての役目を果たさなければ、不幸になる者はそれこそ比べ物にならぬほどいるのだ。ならば王として、どちらを選ぶべきかなど、迷うまでもない」
ああ、なるほど。
そうかそうか。僕が不幸にならなければ、他に不幸になる者がたくさんいるから、僕に不幸になれと。……ふ・ざ・け・る・な!
クルトは他人の為なら自分が不幸になってもいいなんて思わない。そんな殊勝な人間ではないのだ。
「……多数を優先する。それは正しいのかもしれませんが、でも犠牲にされる僕はどうなるんです? 無理矢理貴族にされたって、どうせ上手くいきっこないですよ」
「犠牲?」
思ってもみないことを言われたとばかりに、ヘリオス王は少々わざとらしいほどに驚いてみせる。
「犠牲にしようなどとはまったく思っておらん。むしろ、結果的には其方のためにもなると思っているのだがな」
「……どういうことですか? 僕は貴族になりたいなんて思ったことは一度もないですよ。狩人の暮らしを気に入っていたのです」
なにを言っているんだと、クルトは怪訝な顔で訊き返す。
そこに今まで黙っていたレティシャが横から口を挟む。
「クルト、其方のその表情だけで、本来なら十分不敬罪だぞ?」
少し意地の悪そうな顔で、クルトに指摘する。
「それはすみません。……ちなみに、不敬罪は、どういう刑になるんですか?」
「死刑であろうな」
「死!?」
澄まし顔でレティシャが断言し、クルトは絶句する。
ヘリオス王が、娘を横目で睨んで、軽く手を振った。
「ええい、レティシャ、お前が口を挟むと話が進まぬではないか。少し黙っていなさい」
「はい、申し訳ありません、陛下」
レティシャはすぐに父王に差し出口を謝罪する。
しおらしそうにしているが、お転婆な第四王女には、この程度の小言ではまったく響いていない。
それを知っているヘリオス王は、ピクリと眉を動して、頭を振る。
「はぁ」と小さくため息をついてから、気を取り直してクルトに向き直る。
「……では訊くが、サヴァロ公爵よ、其方の望みはなんだ?」
「もちろん、故郷のテミッタの町に帰り、今まで通りに生活することです」
「ほお、故郷か。其方の故郷は確か、ネルガー領であったな?」
ヘリオス王は片頬を歪めて、クルトの無知を嘲るようにも、あるいは憐れむようにも見える、微妙な笑みを浮かべる。
「では私が、故郷に帰った場合其方がどうなるか、教えてやろうではないか」
「僕が、どうなるか?」
「うむ。故郷に帰った其方は、しばらくの間は今まで通り幸福に生活できるかもしれぬ。だが、それはこのままでは一〇年ももたぬぞ? せいぜい六、七年ほどで、大きく状況は変わることになる」
まるで予言のように、国王であるヘリオスはクルトに宣告する。
「決定的に闇の領地には精霊使いが足りぬのだ。今はまだ、他からの支援でどうにかしているが、それももう、長くはもたぬ。いずれ其方が狩りに出掛ける森は魔物の巣窟と化して、普通の獣は姿を消すだろうよ」
今、氷の領地で起きていることが、そのままクルトの故郷でも起こると、ヘリオス王は言う。
「精霊の加護を失った土地は、悲惨なことになるのだ。作物が穫れる量も減るし、災害も増える。そして国力が弱まれば、ここぞとばかりにガリーズ首長国の蛮族どもが侵入して来るであろう。あの者らは蛮族と呼ばれるだけあって残虐だぞ。男は殺され、女は犯されるのだ」
「……それが、一〇年以内に起こると言うんですか?」
「その通りだ。間違いなく、そうなる。このままではな。其方も故郷の仲間と共に死ぬか、それともその前に逃げ出すかの、ふたつにひとつだ。どちらにしろ、今帰ったところで故郷での生活は長くは続かぬ」




