21. クルトが謁見の練習をすること
「――というわけで、明日からは謁見のための準備として、王の前に出られるだけの礼儀作法を覚えていただきますわ」
アンジェリカが言うには、立ち方、座り方、歩き方、王の前で膝をつくやり方、返事の仕方、どの程度の大きさで、なんと発声すればいいか、などなど……
ただ王の前に進み出て、話を聞いて退場すればいいだけのはずなのに、覚えるべきことは山のようにあるらしい。
「あの、とても覚えられる自信がないのですが……」
「大丈夫ですわ」
泣き言を言うクルトを、アンジェリカ安心させるように、柔らかく笑って見せる。
「これから毎日みっちりと、教えて差し上げますわ。完璧にできるようになるまで何度でも。ですからクルト様は、気を楽にしてくださいませ」
それを聞いて、クルトの口元がヒクッと引き攣る。
正直言って、アンジェリカの言うことはクルトにとっては有難迷惑なのだが、まさかそうは言えない。
仕方なく、「よろしくお願いします……」と、心にもないことを言って頭を下げるクルトだ。
こうなってはいくらクルトが嫌がったところで、謁見が中止になることはない。
であれば、嫌なことはさっさと終わらせるに限るのだ。
そんなことはクルトだってわかってはいるが、しかしそれでも憂鬱になるのは避けられない。
(いっそのこと、いつまでも作法を覚えなければ、永遠に謁見を先延ばしにできたりしないかな……)
そんな往生際の悪いことを考えてしまうクルトである。
「そう難しく考えなくても大丈夫ですよ。貴族ならみな、子供の頃に教わるようなことですから」
よほどクルトが暗い顔をしていたのか、イゾラがそう言ってクルトを励ます。
「子供でも大体三ヶ月程度で覚えられることです。クルト様なら多分、半月くらいで十分だと思いますよ」
「うっ……!」
そういうプレッシャーをかけるようなことは言わないで欲しい。
クルトにはやる気などまったくないのだ。なのに、覚えが悪ければ、無能扱いされることになる。
だがそこで、クルトは思い直す。
(でも、そうだな……別にいいか。無能だと思われたって。それでなにか困ることがあるわけじゃないし……)
無理矢理王宮に連れて来られて、勝手に決められた謁見に、やる気を出さなきゃならない義理はどこにもないと、クルトは思う。
気合を入れる必要はないと思うと、急に気が楽になる。
もちろん、謁見なんかさっさと終わらせたいのは間違いないのだが、そのために頑張る必要はない。
(よし、適当にやろう!)
クルトは、そう決めた。
◇◆◇◆◇◆◇
早速翌日から、クルトの礼儀作法の練習は始まった。
のだが――
「クルト様、そこはそうではありません。まず、手つきがちょっと、……力が入り過ぎていますし、手首も曲げ過ぎです。……ああ、背を丸めないで」
「えっと、……その、すみません」
こんな調子で、なにかひとつ動作をするたびに、三つくらい注意されるような具合だった。
そして午後の練習を終える頃には、アンジェリカとイゾラは軽く頭を抱えていた。
「その、なんというか、言いづらいんですが……」
「ええ、その、あんまり上達しないというか……」
クルトは、そんな二人から目を逸らして首の後ろあたりを掻いた。
アンジェリカもイゾラも丁寧に教えてくれるのだが、なにせ練習しているのは、立つ、歩く、座るといった、ごく普通の動作だ。
生まれてから十六年の間に染みついた自分なりの所作がある分、それを変えるのは難しい。
さらに言えば、クルトにあまりやる気がないというマイナス要素もある。
クルトとしては、別にすぐにできなくても構わないのだ。
早く終わらせたいという気持ちももちろんあるが、逆に謁見の日なんかいつまでも来なきゃいいのに、という気分もまたあるからだ。
「もう一度、立ち姿勢からやってみましょう」
「わかりました」
アンジェリカに言われて、従順にそれに従うクルトだったが、やはりあまり上手くはいかない。
何度も何度も繰り返したが、教師たちが満足するほどの上達はできなかった。
「今日始めたばかりですから、また明日頑張りましょう」
というアンジェリカの言葉で、今日の練習は終わりになった。
◇◆◇◆◇◆◇
それから五日ほど、クルトは作法の練習を続けるが、成果はやはり、芳しくなかった。
その日、昼食を終えると、いつものようにまた謁見の練習が始まると思っていたのだが、そうではなかった。
珍しくアンジェリカに、「今日は少しお茶でもしながらお話をしませんか」と誘われたのだ。
もちろん、クルトにしてみればお茶のほうが練習よりはずっといい。
したがって断る理由はどこにもなかった。
「ええ、いいですよ」
クルトが了承すると、すぐにエリーゼとアンジェリカがお茶の用意を整え、クルトはソファに座る。
すると、向かいにエリーゼが腰掛け、クルトの両隣にアンジェリカとイゾラが腰を下ろした。
「えっと、…………これは?」
戸惑ってクルトがどういうことかと尋ねるが、三人の令嬢たちはそれには答えず、澄ました顔でティーカップを傾けた。
最近はエリーゼがクルトの隣に座り、向かいにアンジェリカとイゾラが座ることが多かったのに、今日は逆だ。
「えっと、エリーゼ様、これはどういうことなんでしょう?」
「エリーゼ、ですよ、クルト様」
「……そうだった。エリーゼ、どうなってるの?」
「さあ? アンジェリカ様かイゾラ様に訊いてください」
明らかに事情を知っている様子なのに、エリーゼは惚ける。
「えっと……?」
アンジェリカとイゾラを等分に見ながら、クルトが疑問符を口にする。
目を伏せて淹れたての茶を味わっていたアンジェリカが、顔を上げてニコリと微笑む。
「お小言は後にしましょう。せっかくのお茶が、美味しくいただけなくなってしまいますもの」
「……」
不吉な予告に、クルトの肩がピクリと動く。
どういうことかと、エリーゼやイゾラにも視線を向けるが、誰も特に反応を示さない。
しばらくの間、全員が無言のまま静かにティーカップを傾ける。
やがて沈黙を破ったのは、やはりアンジェリカだった。
「クルト様」
「な、なんでしょう?」
なんとなく嫌な予感を感じながら、クルトは問い返す。
「謁見の練習のことです。どうやら、クルト様はあまり乗り気になれないご様子。でも、もう時間がないのです」
「ああ、それですか……」
もちろん、クルトには身に覚えがある話だ。
そして、クルトがあまり練習に乗り気でないことは、アンジェリカの目にも明らかだったらしい。
適当にやっていた自覚のあるクルトが、気まずそうに、視線を宙に逸らせた。
(でも、やる気になんかなれないんだから仕方ないよなぁ)
頑張って練習して作法を覚えても、待っているのはやりたくもない謁見だ。やる気なんか出るはずがない。
もし謁見さえ終わればすぐに故郷のテミッタの町に帰っていいと言われていたならば、クルトだってやる気を出しただろうが、残念ながらそんな話はされていない。
これでは、「努力をしなさい。上手くいけば、罰を与えます」と言われているようなものだ。
これでやる気が出るという者がいるのなら、なにか精神に重大な問題を抱えているに違いない。
「実は、これ以上予定が狂うのは困ると、私たちも上からせっつかれているのです。もう少し身を入れて練習していただけませんか?」
「私からもお願いします。このままでは大幅に予定がズレてしまいます」
イゾラもアンジェリカに賛同する。
二人に挟まれているクルトは、両側からかわるがわる苦言を呈されて、これでは逃げ場がないと閉口する。
「……僕はよくわからないんですが、予定が狂うとそんなにまずいことがあるんですか? 多少予定がズレるくらいはどうにかならないんでしょうか?」
「どうにもならないとまでは言いませんが、それなりに影響は大きいのです」
今回の謁見は、多くの貴族を招待して行われる、かなり大きなものだ。
となると、どんなに遅くとも、謁見の十日前くらいには、貴族たちに連絡を入れなければならない。
招待された貴族たちにも都合もあるし、準備だってあるからだ。
最初の予定では、最低限の作法をクルトが身につけるまで、大体半月とみていたらしい。
それに合わせて、職人にも大至急クルトの着る衣装を仕立てるように急がせている。
当初予定されたスケジュールに従えば、近日中にはもう、謁見の予定を組んで発表しなければならないのだ。
だがこのままでは、スケジュールが遅れるのは明らかだった。
「なんとか、協力して貰えませんか? このままでは、あのくらいの作法も覚えられないのかと、クルト様が貴族たちから侮られることにもなりかねません」
アンジェリカに頼まれても、クルトはどうにもやる気が湧いてこない。
「……正直、謁見の作法を練習しても、なんの意味があるんだろうって思ってしまうんですよね。一生懸命覚えても、どうせ今回のことが終われば、二度と使う機会もないわけですし」
それに、そもそも貴族にいくらバカにされても、クルトはまったく気にならない。
お好きにどうぞ、といったところだ。
「そうですわね。クルト様にとってはきっと、どうでもよいことなのでしょう。ですが、私はクルト様が他の貴族に侮られることなど、とても我慢できません。ですから、これは私の我儘ですわ。お願いです、協力してください」
そう言って、アンジェリカがクルトとの距離を詰める。
「えっと、……私からもお願いします。…………正直、私はこういうの柄じゃないんですけど」
イゾラも、苦笑じみた表情を浮かべながらも、アンジェリカと同じようにクルトにピッタリと寄り添う。
「あの、なんでこんな風に、くっつくんですか?」
「だって、エリーゼ様に聞きましたわ。こうやって、クルト様に甘えておねだりしたところ、上手くいったと」
だからそれを真似しているのだと、アンジェリカは主張する。
クルトはエリーゼに非難の眼差しを向ける。
「エリーゼ様?」
「エリーゼ、ですよ。私はただ、どうやってクルト様に名前を呼び捨てにするように頼んだのか訊かれたので、正直に答えただけです。言っておきますと、私自身は、イゾラ様やアンジェリカ様とは違って、別に謁見が多少遅れても構わないと思っています」
エリーゼはクルトの意思が最優先であり、クルトが望まないのであれば、無理に練習などしなくていいと思っているらしい。
だからこの件については、エリーゼ自身はノータッチなのだという。
ノータッチならば余計なことを教えないで欲しいと、クルトは思うのだが……
両側から腕を掴まれて逃げようがなくなったクルトは、盛大にため息をついた。
「……わかりました。協力します。これからは、できるだけ真面目に練習します。それでいいんですよね?」
当然クルトは、アンジェリカが頷くものだと思っていたのだが、予想に反してアンジェリカは首を横に振る。そして、クルトの腕を掴む手に力を込める。
「いいえ、もう予定はかなり遅れているのです。今から取り返すためには、できるだけ真面目にやるという程度では足りません。必死になっていただく必要があるのですわ」
「……えっ? そこまでまずい状況なんですか?」
「その通りです」
そう答えたイゾラも、クルトを逃がすまいと力を込める。
「寝る間も削って練習していただくくらいでなければ、恐らく間に合いません」
「……さ、さすがにそれは……」
もう無理じゃないかと思うクルトだったが、アンジェリカとイゾラの二人は、クルトの腕を抱え込んで放してくれそうもない。
「お願いします。頑張っていただけますよね?」
「エリーゼ様のお願いだけ聞いて、私たちのお願いは無視したりは、されませんわよね?」
「そ、それは……」
クルトのこめかみのあたりに、タラリと冷や汗が流れた。




