20. アンジェリカがイゾラと話すこと
「アンジェリカ様」
「はい、なんでしょう? イゾラ様」
音を立てずに歩み寄って来たイゾラに、アンジェリカは愛想よく微笑んで応える。
その間も横目では、少し離れたところで仕立て職人たちが、クルトの身体の採寸をしているのを見守っている。
朝食を済ませた後、部屋にやって来た仕立て職人は、四人。
それぞれが手分けして、クルトの身体の寸法を測っていく。
一言も口を利かないのに、まったく無駄なく作業は進む。
彼らはもう、口を開く必要もない程、こういった作業に慣れているのだろう。
もちろん、まったく口を利かないのは、貴族に対して余計なことを言わないための、用心という意味合いが強いのだろうけれど。
なにしろ、貴族に対して無礼なことを口走れば、冗談抜きで胴と頭が泣き別れする可能性があるのだ。
その職人たちやクルトには聞こえない程度の小声で、イゾラはアンジェリカに話しかける。
「エリーゼ様に、出し抜かれてしまいましたね」
「……」
いかにもそれが愉快でたまらないことのように、イゾラは楽しそうにしている。
そしてアンジェリカはというと、あまりに直截的なイゾラの物言いに、少しだけ苦笑を漏らした。
「……確かに、まさか初日の夜にエリーゼが、あっさりとクルト様に裏事情を明かしてしまうとは思いもしませんでしたわ。それは認めます」
「私もです。エリーゼ様は、見かけによらず大胆な方ですね」
「ええ、そうですわね」
アンジェリカは心からイゾラに同意した。
王からの命令に背いたことだけではない。
貴族女性、それも未婚の貴族女性にとって、夜中に男性の寝室に入ったということが、いったいどれほどの醜聞になることか。
エリーゼは気にした様子もなく平然としているが、普通の貴族令嬢であれば、それだけで社会的な評判に致命傷を負いかねない。
婚約者がいれば破談になり、そうでなくともまともな貴族男性は近づかなくなってしまう。それほどのことだ。
それだけのデメリットを受け入れるのなら、それに見合うだけのよほど大きなメリットがなければならない。そのはずだ。
だからこそ、エリーゼがただ話をするために、夜中にクルトの部屋へ行ったなどとは、なかなかアンジェリカは信じることができなかった。
最初アンジェリカは、思わず「クルト様がここまで手が早かったとは意外でしたわ」と言って驚いたし、イゾラも引き攣ったような笑みを浮かべ、「初日から早速宮廷に浮名を流すとは、お見それしました」と、クルトを揶揄したものだ。
その後クルトが必死に言い訳したこともあって、最後には一応、疚しいことはなかったと、納得はした。
クルトの様子を見れば、嘘を言っていないだろうことは、まぁわかる。
わからないのは、エリーゼのほうだ。
「エリーゼ様の場合は少し特殊な事情もありますが、それにしても、ですわね」
エリーゼは『精霊に見放された土地』と呼ばれる氷の領地の貴族令嬢だ。
それも、本来なら公爵家に連なる由緒正しい家柄の少女だ。
だが、そのエリーゼは、今の歳になるまで、精霊との契約を結ぶことができていない。
幼少期に既に契約を結んでいなければおかしいほどの良血の貴族が、結婚適齢期に達してもまだ精霊に選ばれない。
それはつまり、エリーゼが氷の眷属のご多分に漏れず、精霊に見放されていることを強く示唆している。
精霊王国において、精霊に見放された血筋を血縁に迎えたい者はいない。
したがって、元々結婚対象としてのエリーゼの評判は地の底まで落ちていて、今更気にする必要もなかった、そう言えないこともない。
だが、だとしてもやはりエリーゼは大胆というしかない。
理屈がどうだろうと、普通はそこまで思い切ることなどできない。
「私は、むしろ感心しました。エリーゼ様のご覚悟は、素晴らしいとすら思いました」
他の全てを投げうって、クルトという、突然現れた闇精霊使いに一点賭けするようなやり方は、清々しいまでに潔い。
きっとエリーゼは、それがダメだったときのことなど、まったく考えていないのではないだろうか?
アンジェリカがエリーゼに、「噂が広まらないように手を打つべきではありませんか? 必要なら手伝いましょうか?」と尋ねても、エリーゼは首を横に振ったのである。
そして、エリーゼは「別に構いません。外野になんと言われようとどうでもいいのです」と、なんでもないことのように答えたのだ。
そのエリーゼは今、仕立て職人に指示をして、クルトの採寸作業の指揮を執っている。
こころなしか今のエリーゼは、生き生きとして見えるほどだ。
少なくとも彼女が、氷の眷属を代表してこの役目を与えられたことで、張り切っているのは間違いないだろう。
「アンジェリカ様も、うかうかしてはいられないのではないですか?」
挑発するような、嗾けるような口調でイゾラは言うが、アンジェリカはただ肩を竦めてみせただけだ。
いくらなんでも、そんな安い挑発に乗るようなアンジェリカではなかった。
「女であることを利用するのも、ひとつの方法ですわ。そんなことは最初から了解していることでしょう?」
だからこそ、三人の世話役はみな、クルトと釣り合う年齢の少女ばかりなのだ。
エリーゼのやり方は大胆ではあったが、想定外のことではない。
どんなやり方でエリーゼがクルトの役に立とうとしても、それは彼女の自由というものだ。
それについてエリーゼに文句を言うつもりなど、アンジェリカにはまったく無い。だが――
「ただ、クルト様に情報を漏らしてしまったことだけは、いただけませんわ」
「まぁ、国王陛下の命令に背いたわけですからね」
「いえ、それはさほど重要ではありません。元々、はっきり国王の命令だと言われたわけでもありませんし」
国王の専属書記官から、クルトに裏事情を話すなと言われただけだ。
屁理屈のようなものではあるが、国王陛下からの命令だとは思わなかったと、強弁しようと思えばできなくもない。
「でしたら、なにも問題などないではありませんか」
それどころかむしろ、自分にとってはそのほうが良かったと、イゾラは言う。
「エリーゼ様が全部喋ってしまったのなら、もう隠す意味もなくなったわけですから」
隠しごとは苦手だからと、イゾラは喜んでいる。
「……」
アンジェリカは、危機感のない同僚たちに、頭痛をおぼえた。
「……そうではなく、問題はこれで、クルト様の行動が予測できなくなること、ですわ」
「どういう意味でしょう?」
首を捻るイゾラに、アンジェリカは説明する。
「クルト様がご自分の血縁にかつて起こった悲惨な事件を知って、どう感じるのか、わからないからです」
その原因となった者たちに怒りを抱くのか、それとも過ぎたことだと気にも留めないのか。
もし怒るとしても、それはどの程度なのか……
「知ったときの反応が読めないのですから、情報をあまり与えてしまうのは得策ではありません」
だから今は、クルトに情報を与えないほうが良いとアンジェリカは判断したのだ。
「あまり情報を与え過ぎないほうが、コントロールはし易いのですわ」
「そういうものですか……」
情報を制限したほうが、行動のほうもある程度抑制できる。
それがアンジェリカの考えだった。
イゾラはあまりピンときていないようだったが。
(まぁ、もう言っても仕方ないことですけれど)
せっかく二〇〇年振りにみつかった闇精霊使いの少年だ。
アンジェリカは、地の眷属のために、クルトを可能な限り利用しようと考えている。
いや、利用すると言えば聞こえは悪いが、別にクルトに不利益を与えようというのではない。
むしろ逆である。
クルトに利益をもたらすことで、自分たちもまた益を得ようというだけだ。
お互いに得になるのだから、なにも躊躇する必要もない。
遠慮なく、アンジェリカはクルトを最大限、利用するつもりだ。
そしてそれは、エリーゼにしろイゾラにしろ、同じはずだ。
だからこそ、三人は協力できるのだから。
やがてクルトの採寸作業が終わると、職人たちは横一列に並ぶ。貴族の顔を正面から見ないように、少し俯き加減にして。
そして代表者が「採寸が終了いたしました」と報告する。
アンジェリカは頷いて、「ご苦労様でした。下がってよろしいですわよ」と職人たちを労うと、四人は一礼して部屋を出て行く。
(どうやら一度、早めに三人で話し合う必要がありそうですわね)
そんなことを考えているとはおくびにも出さず、アンジェリカはニッコリと笑う。
「クルト様、今日はもう他に予定はありませんが、時間がありますので明日からのことを少し話しておきましょうか」




