15. エリーゼが夜中にクルトを訪問すること
部屋の明かりは、ナイトテーブルの上のランプだけだった。
それを今、クルトが消そうとしたところだったのである。
扉のあたりには、あまりランプの光も届いていない。普通の人には暗がりに沈んでいるように見えるだろう。
だがそれでも、クルトの目には、侵入者の姿がはっきりと捉えられていた。
闇の精霊と契約したクルトの目は、暗闇には非常に強い。
「こんな夜中に、どうしたんですか、エリーゼ様?」
クルトが声をかけると、その小柄な人影は、扉の前でビクッと身体を跳ねさせた。
「……」
侵入とほぼ同時にみつかってしまったエリーゼは、バツが悪そうに、ゆっくりとクルトに向き直る。
さっきまで着ていたドレスとは異なり、今の彼女は白いチュニックの上に、薄手の赤いガウンを羽織っていた。
昼間会ったときのような豪華な装身具などはまったく身に着けていないが、それだけに余計に、開いた首元から覗く白い肌が艶めかしく見える。
「あの、申し訳ありません。突然お邪魔してしまって……」
叱られた子供のように、しゅんと俯いて、エリーゼは言う。
「それは別に構わないですけど、こんな時間になにか急用でもありましたか? というか、部屋の前に見張りはいなかったのですか?」
てっきり、クルトが勝手に宮殿内をうろついたり、または逃げ出したりしないように見張りがいるものだと思っていたのだけど、そんなことはなかったのだろうか?
だが、エリーゼはクルトの疑念に対してあっさりと首肯して答える。
「あ、見張りはちゃんといましたよ」
「あれ? そうなのですか? それなのに、よく部屋に入って来れましたね?」
「はい。『クルト様に呼ばれて来ました』と言ったら、すぐに通してくれました」
お世話係なので、呼ばれればすぐに来なければいけないのです、と、エリーゼは悪戯っぽく言う。
「そ、そうですか……」
なにかとんでもない誤解が生まれそうな気がしたが、クルトは今更考えても仕方ないと、取りあえずは気にしないことにした。
「それで、どういった用があるのでしょう?」
「はい、でも、そのお話の前に、座りませんか?」
◇◆◇◆◇◆◇
オレンジ色のランプの光が、テーブルの上に置かれていた。
クルトとエリーゼの二人は、テーブルの前に置かれたソファに、並んで座っている。
ゆらゆらと揺れるランプの炎が、二人の表情に淡い陰影を作り出している。
クルトとしては当然、昼間と同じように向かい合って座るつもりだったのだが、エリーゼが「これだけ暗いとクルト様の顔も見えませんので、近くに座らせてください」と、クルトの隣に腰を下ろしてしまったのだ。
昼に会ったときは少しオドオドしている印象だったエリーゼなのに、夜は随分と違う雰囲気だった。
服装や、照明の加減が変わるだけでも、印象は変わるのだろうが、それにしても……
エリーゼが、氷蒼色の瞳で、隣に座るクルトを見上げる。
「……昼間はアンジェリカ様が失礼いたしました」
と、突然エリーゼが頭を下げる。
「えっ?」
けれど、クルトにはそれがなんのことだか、わからなかった。
「なにか謝られるようなことがありましたか?」
本当にわからなくて訊き返したクルトに、エリーゼは「はい」と頷いた。
「クルト様は昼に、『なんで王様は、僕をわざわざ連れて来させたのか?』と尋ねました。でも、アンジェリカ様はまともに答えずに、『国王陛下の考えを想像するのは不敬なので』と、答えを避けたのです」
「確かにそうでしたけど……?」
クルトはそれがどうして謝る原因になるのかと、首を捻る。
しかし、エリーゼは「アンジェリカ様は誤魔化していました」と、形の良い眉をひそめる。
憤懣やる方ないといった表情で、エリーゼは言う。
「不敬だからとか、そういう言い方は、卑怯です。反論し難い言い方で、誤魔化しただけです。クルト様が本当に知りたいことは、クルト様が特別扱いされる理由だったはずです」
別に国王陛下の考えがどうとかは、さほど重要ではないと、エリーゼは言う。
そしてそれは確かに、エリーゼの言う通りだった。
「そのことが聡明なアンジェリカ様にわからないはずはないですし、答えるために別に国王陛下の考えを想像する必要もありません」
「……じゃあ、どうしてアンジェリカ様は質問に答えてくれなかったんでしょう?」
「それは、私たちがクルト様の世話係になるにあたって、国王陛下の専属書記官から言われていたのです。クルト様に最低限、謁見までの間は、あまり裏事情を教えるな、と」
そして、そう命じられたこと自体も、口止めされていたのだと、エリーゼは告げた。
「ああ、なるほど。そう言うことなら仕方ないでしょうね」
「いいえ!」
エリーゼはクルトの言葉を強く否定した。
「仕方なくなんかないです。あんな……クルト様の質問よりも国王陛下の命令を優先するなんて……!」
しかも、口止めされた事情を正直に白状するのならまだしも、適当な理由をつけて誤魔化すなんて間違っていると、エリーゼは憤る。
そんなエリーゼのことを、クルトは「いやいや、なにを言っているの、この子は」と、アホの子を見る目で、エリーゼを見る。
今日会ったばかりの平民のクルトよりも、国王陛下の命令を優先するのは当然ではないか。
エリーゼの言い分よりは、アンジェリカのほうがよほど理解できる。
もしかしてエリーゼは、今回が初任務だとかで、張り切っているのかもしれないが、それにしても言うことが支離滅裂に思える。
(張り切り過ぎて空回りしてるんじゃないかな? 大丈夫なのかな?)
こうして、言うなと言われた裏事情を、思いっきり暴露したりして、後で問題にならないのだろうか?
クルトは不安になる。
大体、こうしてクルトのことを様付で呼ぶこと自体、違和感が凄い。
レティシャや、ルチアたちのクルトに対する態度も、平民に対するものにしては妙に丁寧だと思っていたけれど、エリーゼたちお世話係の三人は、それに比べても丁重過ぎる。
まるでクルトのことを貴族のように、しかも高位の貴族のように扱ってくるのである。
しかしそれにしても、クルトを国王よりも優先するべきだとは……
「それは……さすがに王様の命令じゃ仕方ないと思いますよ?」
「いえ、私たちはクルト様のお世話係です。国王陛下よりも、クルト様を優先すべきなのです。少なくとも、私はそのつもりでいます」
アンジェリカ様やイゾラ様も同じだと思っていたのにと、エリーゼは悔しそうな顔をする。
「ですから、私が知ることならなんでもお答えするつもりで今、お邪魔したのです。アンジェリカ様やイゾラ様を出し抜くことになりますが、遠慮はしません。アンジェリカ様がクルト様の質問に誤魔化して答えたのが悪いのです」
だからどんな質問でも構わないので、なんでも訊いて欲しいとエリーゼは言う。
「そ、そうですか……」
なんでそこまでエリーゼがクルトに入れ込んでいるのかわからなくて、はっきり言って少し不気味なくらいだけれど、質問になんでも答えてくれるというのは、正直魅力的な提案だった。
なにしろ、クルトには色々説明が欲しいことがたくさんあるのだ。
クルトは深く息を吐き出して、それから少しの間黙って考える。
エリーゼに訊くべきことを頭の中でまとめてから、ゆっくりと口を開いた。
「……ではまず、僕がここに連れて来られたのは、僕が精霊と契約したから、なんですよね?」
「はい、そうです。より正確に言うのなら、闇精霊と契約したから、ですけれど」
「それで、僕は罰を受けることはありますか? 平民なのに精霊と契約したという理由で」
「いいえ、そんなことはありません」
キッパリと、エリーゼは言い切る。
その表情は真面目だけれど、特に力んだ様子はなにもない。
むしろ、なんでそんなことを心配しているのかわからないといった感じの、不思議そうな表情に見える。
クルトの目には、エリーゼの言葉には嘘はないと思えた。
「精霊と契約することは、罪ではありません。それは貴族だろうと平民だろうと同じです。この国は精霊王国。精霊から気に入られ、契約することは大いなる名誉です」
だから賞賛されることがあっても、罰を受けることなどないと、エリーゼは保証した。
「……とはいえ、貴族以外が精霊との契約に成功することは本当に稀ですから、クルト様がそのあたりの事情を知らなくても、無理はないのでしょう」
「ってことは、僕は牢屋に入れられたり、イバン――その、僕が契約した精霊の名前ですけど――を奪われたりってことはないんですか?」
「ありません」
もう一度、エリーゼがキッパリと断言して、クルトはホッと息を吐く。
「良かったです。僕はもしかすると、やっぱりなにかお咎めがあるのかと……」
レティシャからも否定されていたが、それでもやはり、完全に不安が払拭されたわけではなかったのである。
「じゃあ、こうして精霊と契約した平民が王宮に呼ばれるのは、普通にあることなんですね?」
「いいえ、普通はありません。クルト様は、特別です」
「……!?」
ピシリと固まってしまったクルトに、エリーゼはクスっと笑いかける。
「特別ですが、悪い意味ではありません。クルト様は歓迎されているのです。これは間違いありません」




