第十話
全二十五回連載の十回目です。
なるほど、これがそういうことか。実際に経験しなければ決して分からないことが人生にはあるものですが、生まれて初めての内地の梅雨の肌にまとわりつくじとじと感には、ほとほと閉口しました。東京に来て、この世で最も不快な二つのものを――例の黒い虫と梅雨の長雨のことですが――立て続けに経験した感じです。布団のように分厚い曇天の下、不健康そうな暗い緑色の神田川の川面に落ち続ける重たげな雨滴をながめていると、自然と北海道に思いが致ります。湿度や汗とは無縁のカラッとした空気感、絹のように爽やかで優しい風、フェルメールの絵でなければお目にかかれないような純度の高い瑠璃色の空、その青空に溶けてしまいそうなほど淡くて薄い紫のライラック、あらゆる種類の花、花、花!北海道とかあの辺の高緯度地方ならばベストシーズンと言っていいくらいなのですが、what she loved; life, London, this moment of June とかという表現に出くわしても、内地の人にはピンとこないことでしょう。
雨の日には頭が痛くなって何もする気が起こらないので、講義は休みようになりました。体調不良を口実にしていましたが、実際には、演習に出ていても院生の中では私が一番くらいにできが悪く、研究室に行きづらくなっていたのです。周囲の視線も冷ややかなように感じました。いえ、感じではなく実際そうだったと思います。中世英語や近代初期英語の勉強は一応していましたが、学部時代からみっちり訓練を受けてきた子たちには太刀打ちできません。明らかに学力も知識量も劣り、マウントできそうな相手などいるわけもありません。周りから浮いている感じで、友だちどころか、話し相手すらできませんでした。たまにチューターが気を遣って声をかけてくれましたが、陽キャの圧が強い、私の苦手なタイプの女性で、気後れして話が続きません。そもそも雑談が苦手です。私が悪いです。指導教官は温厚な紳士でしたが、私の発言時などに時に浮かべる、失望とか憐憫とか、そんな感情をぐっと押し殺したような微妙な表情は、私をとったのは失敗だったとの思いを物語っているようでした。私にはそんなように見えたというだけかもしれませんが。舌打ちするような人がいなかっただけマシですが、もしかしたらアップアップの私の耳に聞こえなかっただけかもしれません。
今さらですが、学者としてやっていくには、自分の地頭では厳しいだろうと、周りを見るにつけ思い知らされました。自分では色々とそれらしい理由を並べてはいましたが、過去のしがらみから逃れ、未来の現実から目をそむけた挙句の果てに、早くも研究者としてのキャリアから落ちこぼれかけていました。単なる自分探しと言われればその通りかもしれず、不毛なことこの上ありませんが、職探しということを考えれば、結局、世の中、人間関係がすべてですから、母校に残った方が良かったに決まっています。かび臭い部屋に一人こもり、あれやこれや考えていると、両親の言う通り教職を取っていればまだつぶしがきいたかも、蛙の子は蛙、子どもたちとちいちいばっばやっているのが自分の身の丈に合った生き方だったのかも……いやいや、世の中、未熟な人間ほど恐ろしいものはありません。そんな後ろ向きな思いに耽りながら、それでも降り止まぬ雨に、神田川のゴーという耳鳴りのような流れに耳を澄ませていると、なるほど六月に自殺率が跳ね上がるというのはこういうことなのかと実感しました。
本作とも密接な(?)関連のある作品「カオルとカオリ」をセルフ出版(ペーパーバック、電子書籍)しています。こちらの舞台は北海道で、ティーンエイジャーである3人の少年少女が織りなす四つの物語から成る連作形式の青春小説です。第一部の「林檎の味」は小説家になろうでも公開しています。
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