ダメな僕と奇跡の聖女
「はぁ~……もう疲れた……」
この日の僕は精神的に追い込まれていた。仕事でミスを連発して、親方に怒られたのだ。
いや、この日だけではない。僕の人生はやる事なす事全てがうまくいかなかった。
気持ちが沈み、近くのベンチに座り込んで呆然とする。そんな僕の目にはいつもの街並みが映っていた。
時折荷馬車が通過して、その先にある市場からは微かに賑わいの声が聞こえてくる。買い物から帰ってきたであろうご婦人が、袋から果物を落としては追いかけたりしていた。
すぐ近くにある教会からは鐘の音が聞こえてきて、もうすぐ日が落ちる時間帯を知らせていた。
僕の人生にはいいことが無い。
もうすぐ25歳を過ぎるというのにいい相手なんて誰もいなくて、仕事場ではご覧のありさまだ。
僕よりも若い子は容量よく仕事を覚え、なにかとトロい僕はみんなの弄られ役だった。
辛い……
もう何もかもが嫌になる。きっと僕のような精神状態で仕事を続ける人がうつ病になるのではないだろうか? そう思うと余計に気が滅入ってきた。
しばらく何も考えずにボ~っとしていると、視線の先から一人の女性が歩いてくるのが見えた。
その女性は近くの教会に勤めるシスターではないだろうか? 修道服を着ていて、まだ成人しているかどうかという若さだった。
なによりも、その美少女ともいえる可愛らしさに僕は彼女に釘付けとなっていた。
これが一目惚れというやつなのだろうか? いや、これがそうでないなら一体何が一目惚れなのか?
そう自分でも思えるくらい、僕は彼女に見惚れていた。
あんな子と付き合えたらさぞ幸せで楽しいだろう。そう思いながらも、絶対にありえないと分かっている事にため息が出る。
なのに僕は立ち上がり、彼女に近づいていき目の前で道を遮った。
そして――
「あなたに一目惚れしてしまいました。付き合ってもらえないでしょうか」
なぜか、そう告白していた……
「え? あ、はい。いいですよ。よろしくお願いしますね」
そしてなぜか、簡単にオーケーされてしまっていた。そう。彼女は僕の顔をキョトンとして眺めたあと、簡単に付き合う事を了承してしまったのだ。
当然、僕はそんな返事が来るとは思っていなくて、軽く小首をかしげてしまっているほどだ。
なぜ僕は告白したのかと思い返せば、ほとんどヤケクソなのだと思う。どうせフラれたとしても何も変わらない。今がどん底なら、それ以上落ちる事もないし現状が悪くなる事もない。それほど僕の精神はすり減っていたのだろう。
だけど、なぜかオッケーされてしまった。まるで写真を撮るためのシャッターを押してもらう感覚ばりに……
あっ、もしかしたら、『付き合ってください』という言葉が理解できていないのかもしれない。こう、『道案内をお願いできますか?』くらい意味だと思っているのかもしれない。
「えっと、恋人同士になろうって意味ですよ? わかってます?」
「はい。それ以外にどんな意味があるんですか? 不束者ですが、どうかよろしくお願いしますね~」
可愛らしい笑顔と、綺麗な声でそう言ってくれた。
この子はなんなんだろう? かなり可愛いけど、頭の中は残念なのだろうか? 初対面どころか、一言も会話したことがないんだぞ? なんで了承できるんだ?
「あの……なんで付き合ってくれるんですか? 嫌じゃないんですか?」
「う~ん。あなたが優しそうで、一途そうで、私を大切にしてくれそうだからです」
意味が分からない。いや、告白が成功したんだ。自分から却下されるような流れを作るのはやめよう。あまり深く考えずに楽しんじゃえばいいのではないか?
うん、それがいい。よし結婚を前提に付き合おう! もう決めた!!
「それじゃあ今からデートしましょう!」
「わぁ、素敵ですね。お供します」
僕はもう考えるのをやめて普通の恋人と過ごすという脳内に切り替えた。
宝くじが当たったぞラッキー! くらいの感覚で受け入れる事にした。
そうして彼女とデート。もとい、まずは自己紹介という会話を楽しむことにした。
「僕はアキっていいます。あなたは?」
「私はサラサと言います。アキさんはいくつなのですか?」
そうして僕たちは話し合った。
やはり彼女は見た目通り、近くの教会に通うシスターだった。最近になって教会で働くことになったらしい。
歳は僕よりも五つも下だけど、そんなことはどうでもいい。風になびくセミロングの髪を抑える仕草が美しくて、まるで女神のように感じていた。
そんな彼女に、僕は明日も会えるかどうかを聞いてみた。
すると……
「ごめんなさい。実は明日からお仕事が忙しくなりそうで、もしかしたら会えないかもしれません……」
そう言われた。
一瞬、やはり僕なんかとは付き合いたくなくて、そういう言い訳を作っているのではないかと疑ってしまう。しかし彼女は、そこからとんでもない事を打ち明け始めた。
「実は私、『聖女』とか、『神の生まれ変わり』だとか言われていて、ちょっと変わった能力があるんです」
彼女が言うには、まだこの能力を周りに伝えていないために街の住人にはあまり認知されていないらしい。
教会の人間にしか知られていないという事だった。
「私は子供のころから傷の治りが早いんです。どんな大けがも、すぐに治ってしまうんですよ」
そう、得意げに教えてくれた。
それは正に、人知を超えた回復能力だと言う。その力のおかげか、病気になったことなどほとんどないらしい。
大きな病ではないかと思った時には、もうすでに治りかけている状態で、それは言うなれば、『不死』に近いレベルらしい。
「とは言え、心臓を止めた事がないので本当に不死なのかは分かりませんけどね~」
笑顔のまま軽くそう言ってくれる。
いやいや、さすがに心臓止まったらヤバいでしょうよ……。というか、そんな軽いノリで打ち明けることなのだろうか?
「けど、それと明日から会えなくなる事が関係あるんですか?」
「……はい。私にはもう一つだけ、異質な能力があるんです。……アキさん、手を見せてくれませんか?」
よくわからないけど、言われた通りに手を出してみた。
「さっきから気になっていたんです。アキさん、手の甲を怪我していますよね」
それは今日の仕事中についた軽い切り傷だった。座っている最中にそれが見えていたのだろう。
彼女はそっと僕の手を取って、何かを念じるように目を閉じる。すると、僕の傷は一瞬で消えてしまった。
何が起きたのかわからない。一瞬のうちに消えた傷は、もはや痛みさえも残っていなかった。
「私の手の甲を見てください」
彼女がそう言って、自分の手の甲を僕に差しだす。すると、そこには僕と同じ切り傷が浮かんでいた。
これは……もしかして僕の傷が彼女に移った!?
摩訶不思議な現象に頭が混乱するが、その間に彼女の傷はみるみるうちに治っていく。そして僅か一分もしないうちに、切り傷は完全に治癒してしまった。
「これが私の二つ目の力で、相手の怪我や病気を自分に移し替える事ができるんです。私はこの能力を明日から一般公開をして、この街に住むみんなの苦しみを受け取るつもりです。だから、明日からは忙しくなって会うのが難しくなってしまうんです」
彼女は軽々しくそう言い、それでいて少し困ったように笑っていた。
現実だ。今自分が見たもの、経験したものは全てが現実だ。
ありえないような奇跡だけど、これが彼女の起こす奇跡であって、『聖女』と呼ばれる由縁なんだ。
「けど、そんな風に人の怪我を自分で背負ったら辛くないんですか? きっと酷い怪我の人だって来るでしょう?」
僕が一番気になったのはそこだった。
いくら早く治る力があるとはいえ、多くの人の苦しみを背負うなんて辛すぎる!
「大丈夫ですよ。どう考えたって、回復力の高い私が背負った方がみんなのためになりますもの! きっとこれが私の使命なんです!」
彼女はドヤ顔で、握りこぶしを作って意気込んでいた。
「あ、もう暗くなってきましたね。今日はもう帰らないと!」
そう言って彼女は立ち上がる。
どうやら今日のデート、もとい会話はここまでのようで、僕はその場で彼女を見送った。
そして思う。ああ、とんでもない人が彼女になってくれたんだなぁ、と……
彼女の背中に手を振りながら、僕はそう感じていた。
・
・
・
「サラサさん、今日は会えるかわからないって言ってたな……」
次の日の仕事終わり、僕は彼女がいる教会を目指していた。
何はともあれ、まずはそこで話を聞かないと!
教会に着くと、いつもよりも人が多い気がする。サラサさんの姿を探しても見当たらなかった。
「聖女様の面会は終了しております。次の面会日はいつになるか未定です!」
周りのシスターたちが集まっている人にそう呼びかけていた。
そりゃそうだよな。仕事が終わった夕方に来たら、会うどころかもう騒ぎも収まっている頃だろう。
それでもいつも静かな教会は賑わっている方だ。きっとみんな、怪我や病気を変わり身してくれる聖女に驚きを隠せなかったことだろう。
それをすでに知っている自分が少し誇らしくなったが、そんなことで優越感に浸っている場合じゃない。僕は近くにいた年老いたシスターに話を聞いてみることにした。
「あの、すみません。サラサさんに今から会うことはできないでしょうか?」
「聖女様への面会は終了しています。申し訳ありませんが、また後日お越しください」
そんな周りのシスターと同じ言葉をただ繰り返される。
「あの、僕、サラサさんと知り合いなんです! アキって言えば分かってくれると思うんですが」
「ああ、あなたアキ様ですか!? 話は聞いておりますよ。聖女様から状況を説明してやってほしいと言付かっております」
サラサさんが僕に!?
なんだか特別扱いされているようで嬉しい気持ちになる。
昨日の告白がアレなので、今日になって付き合うのを止めたいとか言われるんじゃないかとドキドキしていたりもした。
「聖女様の能力はご存じだと伺っております。そんな聖女様は数時間前、かなり重い病を持つ御仁の病気を肩代わりいたしました。現在は絶対安静の状態ですので、会う事は出来ないと仰せつかっております」
重い病!?
それってかなりヤバいんじゃないだろうか!?
「サラサさんは大丈夫なんですか!?」
「ええもちろん。まだ数時間しか経っていませんが、呼吸が落ち着いてきております。ですが、最低でも三日は絶対安静にしていないといけません。……逆に言えば、あれだけの病を三日で治せることが奇跡なのですが」
少しだけ安心した。彼女がいきなり床に伏せている事には驚いたけど、決して死ぬような状態ではないなら本当に良かった。
「あの、少しでもお見舞いをしてはダメですか?」
「いけません。聖女様が会いたくないとおっしゃっておりました」
「あ、会いたくない!? なぜです!?」
「先ほども申し上げた通り、聖女様はとてもお疲れです。そんな弱っている姿を他の人に見せたくはないのでしょう」
そういうものなのだろうか?
僕は今までにガールフレンドを作った事さえないので、そういう気持ちがわからないのかもしれない。
でも考えてみれば確かにそうだ。具合が悪くて汗をかいているのにお風呂にも入れず、そんな状態で恋人と会うのは抵抗があるかもしれない。
「わかりました。お大事にと伝えておいてください」
そう言って僕は教会をあとにした。
そしてまた次の日。
仕事が終わってから、僕はまた教会へ行こうかどうか迷っている。最低でも三日は絶対安静らしい。
今日行っても会える可能性は低いだろう。……けど……
それでも行こう! 僕はサラサさんの彼氏なんだ! 彼女が苦しんでいるのに会いに行かない恋人なんていないだろう!?
なんだか軽い感じで付き合う形にはなったけど、僕は本気で彼女と向き合う決意を固めたんだ! 自分の時間に都合がつく限り、彼女のお見舞いに行こう!
そうだ、こういう時は何かお見舞いの品を持って行った方がいいよね。とりあえず無難に花を買っていこう!
そうして僕は花を買い、教会へと向かった。
「申し訳ありませんアキ様。今日もまだ誰とも会える状態ではございませんので……」
結局断られてしまった……
「あ、あの、それならこれだけでも。お見舞いの贈り物です」
「まぁありがとうございます。活けて聖女様のお部屋に飾らせていただきますね」
そうして今日もサラサさんに会う事は出来なかった。
それから次の日も、その次の日も会えない日が続いた。
結局のところ、サラサさんの容体が良くなるとすぐに面会を開始するため、すぐに別の重症患者と怪我を入れ替えてはすぐに寝込むという。
そりゃそうだ。この小さな街にだって病院に通ったり入院している人は多くいる。そんな街に怪我や病気を代わりに引き受けて、しかも簡単に治る聖女が現れたのなら凄まじい人気となり、元気でいられる時間の方が短くなるのは必然だ。
そうして彼女と付き合ってから、一週間以上は会えない日が続いた。
それでも僕は毎日のように通い続けた。毎日お見舞いの品を届けに行った。
体調が良さそうな日を聞いては甘いスイーツを。
逆に起きるのも辛い時には可愛いぬいぐるみを。
新しいお店がオープンした時にはそこの小物を。
とにかく毎日通い、お見舞いの品だけを渡してきた。
当然不安になったりもする。サラサさんは実はもう会いたくないと思っているのではないか?
本当は元気なのに、別れる口実を作りたくて会おうとしないのではないか?
そう悩む日もあった。けれど、僕はサラサさんを信じると決めた。騙されていようが、こんなダメダメな人生を歩んできた僕だ。今更ダメだったとして、一体何を失うというのか。
もう失うものは全部無くしたと思ってる。だから最後までサラサさんを信じようと決めたんだ。別にお見舞いの品だって高いものばかりじゃない。いくらだって買ってやる!
これで何かに利用されているのだとしたら、やっぱり僕はうまくいかない人生なんだと笑い飛ばせばいい。だから、これからもサラサさんのお見舞いに行こう! 会える会えないじゃない。これが少しでも彼女の役に立つのなら続けるべきなんだ!
……そう信じ、早一か月が過ぎ去った。
そして今日も僕は教会へ行く。会えないと分かっていても足を運ぶ。
いつものようにシスターを見つけて話しかけると、いつもとは違う驚くべき返答が聞けた。
「ああ、アキ様。今日は聖女様がどうしても会いたいとおっしゃっています。お部屋へとご案内いたしますので、どうぞこちらへ」
僕の胸は高鳴った。久しぶりに会える事実に緊張した。
頭の中で何を話すか考えながら、一室へたどり着いた。
「こちらが聖女様のお部屋です。ですが、未だ体調は優れておりません。どうか無理をさせぬようお願いします」
「はい。わかってます……」
シスターはノックをしてサラサさんに一言声をかける。そして僕は意を決して中へと入った。
僕の心境はと言うと、まるで物語で言う王様との謁見のようなプレッシャーを感じていた。
今の僕はそれだけ彼女との身分の差を感じてしまっているのかもしれない。
今では街の住人に崇められる奇跡の聖女。方やなんの取り柄も無いただの凡人……。そんな凡人の僕が部屋の中を見渡すと、そこは正に貴族のような豪華な部屋だった。
広い部屋にふかふかの絨毯。
今は明かりがついていないものの、とても綺麗なシャンデリア。
そして材質の良い家具の数々。
そんな中に、周りをベールで被われている大きなベッドが置かれていた。当然、そのベールで中は見えない。
僕はそのベッドに近づいて、できるだけ優しく声をかけた。
「サラサさんお久しぶりです。具合はどうですか?」
「あ、あああ……アキさん、本当に久しぶりですね」
ベールの奥からサラサさんが応えてくれる。それは確かに彼女の声で、とても嬉しそうに聞こえた。
しかし、やはり体調が万全ではないようでひどく弱々しかった。
「今まで会えなくて本当にごめんなさい。なかなかタイミングが取れなくて……」
「いえいえ構いませんよ。街でもすごく話題になっています。大変なのはわかっていますから」
そうして僕たちは、初めて会った日から約一か月ぶりに言葉を交わした。
やはり女の子というのは弱っている所を見られるのが嫌いらしい。今日は会話だけで、ベールの中の姿は見せてくれなかった。
それでも僕は嬉しかった。こうして彼女と会話できたことが!
彼女を信じているとは言っても、心のどこかでは不安はあった。会えない日が永遠に続くことで、僕たちの関係が自然消滅するのではないかという不安。
それがこうして部屋に通されたことで、一気に安心感へと変わっていった。
そしてやはり、彼女は非常に大変な日々を送っている事を僕は知る。大きな怪我や病気を移し替えれば当然誰かと会う事なんてできない。そして、その苦しみが50%ほと回復するともう次の苦しみを引き受けるために再び面会を開始するらしい。
そうすることは彼女が望んだことらくし、それくらいのペースでなければ患者は減らないと言う。
いくら回復力が尋常じゃないとはいえ、恐ろしくハードな日常に眩暈すら覚える。それでも彼女は頑張れるというのだから大したものだ。
本当に神の生まれ変わりではないかと思うレベルだ。
「えへへ。私がここまで頑張れるのはアキさんが毎日お土産を持ってきてくれるからですよ。私の事をずっと支えてくれているようで、その……嬉しかったです♪」
彼女はどこか恥ずかしそうにそう言ってくれた。
無駄じゃなかった。少しでも彼女の力になれていたのなら、続けてよかった。
そうして彼女と情報を交換し合っているうちに、ベールの向こう側からはいつの間にかスースーと寝息が聞こえてきた。
元々今日だって具合は良くなかったんだ。ずっと話し込んだら疲れるに決まっている。
僕はそのまま部屋を出ることにした。ベッドで寝息を立てる彼女に、一瞬だけ顔を覗こうかとも考える。しかしそれは紳士のやる事じゃない。
僕は黙って部屋を出て、その前で待機していたシスターに挨拶をして帰路へ着いた。
そして、その日から僕たちの日常は少しずつ変わっていく事になる。次の日からも僕は彼女の部屋へと通されて、毎日のように面会が許された。
どうやら最初の一か月は聖女としての彼女を心配するあまり、他のシスターが誰にも合わせようとしないだけで、サラサさんは僕に会いたがっていたらしい。
僕もこんな日が来ることを想定して、常に面白い話やためになる話を構成しておいていた。それを毎日のように彼女に聞かせ、サラサさんはいつも僕の話を楽しそうに聞いてくれた。
そんな日が一週間以上続いただろうか。今度はベッドにかかっていたベールが引かれて、彼女の顔を直接見る事が許されるようになった。
そこには多少やつれてはいるが、最初に出会って一目惚れしたままの彼女がいた。
顔を合わせるのが久しぶりすぎて初めはお互いに照れたりもしていたけど、すぐにまた会話に花が咲いた。そうして僕たちは楽しい時間を共有することができた。
またしばらくすると、次第に彼女は僕に甘えるような発言をするようになってきた。僕が帰ろうとすると必ず引き止めたり、服の裾をつまんで離さなかったりと、困らせるようなことが多くなった。
けどそれは僕にとっては嬉しい事だ。なぜなら本当の彼氏彼女になったようなやり取りだからだ。
今の僕たちは誰が見ても仲睦まじい関係に見えるのではないだろうか? ここまでくるのに約二か月。長いようで短くもあった。
しかしそんな僕にも変化が訪れる。以前とは違って心に余裕ができたせいか、よく出会った時の事を考えるようになっていた。
なぜ彼女は僕の告白をあっさりと了承したのだろうか?
心にゆとりができたせいか、はたまた僕が大人に近づいたせいか、今では第三者的な見解で考えるようにもなっていて、一つの答えが浮かび上がった。
「あ、そういう……ことだったのかも……」
そうして僕は気が付いた。彼女が何を考えていたのかを。そして、僕が何を奪っていたのかを。
そんな憶測を立ててから数日後、いつものように彼女のお見舞いに訪れた時だった。
「あ、アキさん。聞いてください。私、明日お休みを貰えたんです!」
相変わらずベッドに横たわりながら、しかし割と体調が良さそうな感じでそう伝えてきた。
明日は僕も仕事が休みであり、なんだか丁度良く重なったようだ。
「何を言ってるんですか? アキさんが休みだから、私がそれに合わせてなんとか明日を休みにしてもらったんですよ!」
なるほど、確かに僕はもう二か月くらいはお見舞いに通っている。色んな会話もしたので、僕の仕事のスケジュールに合わせる事は可能なんだ。
「けど、どうしてそこまでして僕の休みに合わせたんですか?」
「どうしてって……アキさんともっと一緒にいたいからに決まってるじゃないですか……」
ちょっと恥ずかしそうにそう言ってくれる。そんな彼女はとびきり可愛らしい。
……可愛らしいのだけど、僕は心が痛みだした。
「それでですね、明日二人でお出かけしませんか? 出会った頃以来のデートです!」
彼女は上機嫌にそう誘ってくれる。
出会った頃以来……。そう、出会った時に気が付くべきだったんだ……
「……サラサさん、僕、最近になって気付いたんです」
「ん? 何に?」
微笑みを絶やさない彼女に僕は続ける。
「今言った、出会った頃の事です。あなたはなぜあの時、僕の告白をためらいなくオーケーしたんですか?」
「へ? 何ですか今更……」
あの時彼女はこう言った。あなたが優しそうで、一途そうで、私を大切にしてくれそうだから、と。
何一つ確定していない曖昧な理由だ。それは当然だろう。僕たちは初めて出会い、会話すらしたことがなかったのだから。
つまり、あの理由は付き合うためのそれっぽい口実だ。
「最近になって、初めてあの頃の自分を客観視することが出来るようになりました。あの時の僕はひどく落ち込んでいて、きっと酷い顔をしていたんだと思います。それこそ、告白が失敗したら自殺してしまいそうなほど」
「それは……」
「次の日から聖女として人々の痛みを肩代わりにすることを決めていたサラサさんは、そんな僕を見捨てる事が出来なかった。だから僕を救うために即座に付き合う事を決めたんです。違いますか?」
彼女はもう微笑んではいなかった。申し訳なさそうに俯き、どこか落ち着きなくソワソワしていた。
否定しないところを見ると、やはりそういう事らしい。
「サラサさん、ありがとうございました!」
僕は深く頭を下げる。
「あなたのおかげで僕は生きる気力のようなものを貰いました。本当に感謝しています。だからもう大丈夫です。これ以上サラサさんが演技をする必要はありません」
「……演技って、私は……」
彼女が何かを言いかけるが、もう僕の覚悟は決まっていた。
「明日のお出かけは行けません。……もう別れましょう」
「…………ぇ……」
そう小さく、困惑した声が微かに聞こえた。
「サラサさんには僕よりも良い人がいるはずです。そういう好みの人を見つける事こそが一番の幸せに繋がるんじゃないでしょうか。だから、もう僕に気を使う必要はないんです。どうか幸せになってください。……さようなら」
それだけを告げて、僕は部屋を出ようとする。
「ちょ、ま、待ってください!! わた……わ、私は!」
後ろで彼女が何かを言い終える前に、僕は部屋を出て扉を閉めた。
これでいい。彼女は僕の事を本気で好きではなかった。そんなのは当たり前だろう。だとしたら、僕がそんな彼女を開放してあげなくちゃいけないんだ。
彼女には本当に感謝している。だからこそ僕が独り占めする訳にはいかないんだ。
彼女と決別するのは辛いけど、このままズルズルと続けていたら本当に取り返しのつかない深みにはまってしまいそうだった。だから、これでいいんだ……
こうして僕らは、破局を迎えた。
それから数日、僕は彼女と出会う前と変わらない生活を送っていた。
変わった事と言えば、以前よりも失敗が少なくなり、何かとうまくいくようになったことだろうか?
彼女との思い出が僕を変えたというか、どこか人生経験を積んだというか。なんにせよ、以前はからかわれたりもした仲間たちとうまくコミュニケーションも取れるようになり、今ではいい関係となっていた。
これも全部彼女のおかげだろう。ただ一つ、気になるのはそのサラサさんの噂だった。
僕たちが別れてからというもの、聖女様としての彼女に変な噂が流れ始めた。
急に笑わなくなったとか、怪我や病気は引き受けてくれるものの、まるでロボットのようにただ淡々と自分の役割をこなすだけの存在になったとか、面会に行くと必ず目が赤く腫れているとかだ。
僕にはその噂が本当かどうかは分からない。あれから一度も彼女とは会っていないのだから。
けれど、そういうのは時間が解決してくれるものではないのだろうか? 少なくとも、あのまま成り行きのまま付き合い続けるような不誠実な事はお互いによくなかったと思っている。
大丈夫。彼女はあの聖女様なんだ。きっとすぐに良縁に恵まれるに違いない。
僕はそう自分に言い聞かせ、日々を過ごした。
それから一か月近くが経過しただろうか? 僕は休日に散歩をしていた。
ただなんとなくブラブラと歩き、気が付けば教会の近くにあるベンチに座り込んでいた。
そうしてふと思い出す。そういえばこのベンチに座っている時にサラサさんに出会ったんだな、と。
「見つけましたよ。アキさん……」
そんな事を考えていたら、サラサさんの声が聞こえてきたよ。僕もまだ彼女に心残りがあるのだろうか……?
「お話があります。今日は休日ですよね?」
幻聴が話しかけてきた。まるで本物がそばにいるみたいだ。
「って、サラサさんですか!?」
なんと本当に本物のようで、僕の前にはサラサさんが立っていた。
「どうしてここに!?」
「どうして? 私がアキさんの休日を知らないとでも? 以前は色々とお話しましたよね?」
なぜか彼女の顔が怖い。まるで怒っているかのようだ。
「そ、それで、お話とはなんでしょう……?」
「それはもちろん、有無を言わさず突然別れ話を持ち掛けられた事です。私は一切納得がいっていないのでちゃんとした説明をお願いできませんか?」
強張った表情とジト目のまま詰め寄られる!
でも、納得がいかないっていうのは意外だった。
「で、ですから、サラサさんは別に僕のことが好きで付き合った訳ではなかったのでしょう? でしたら、これを機に自分の理想となる人を探すことがあなたの幸せだと、そう思いまして……」
「……私の幸せ……?」
サラサさんがプルプルと震えだした。
なんだか余計に怒らせてしまったようだ……
「あれだけ私の好感度を上げておいて、私の幸せのため? アキさんは本っ当に何もわかっていませんね!!」
確かに怒っているんだろうけど、どこか拗ねているようにも見えるので愛くるしさを感じてしまう。
なんだこの人。怒っても可愛いとか反則でしょ。
「確かにアキさんと付き合ったのはその場の流れでした。そうしないと消えてしまいそうな雰囲気で断れなかったからです! けど、付き合ってから気付いたんです。あなたにずっと支えられている事に!!」
サラサさんの頬が赤くなっていく。もう怒っているというよりも恥ずかしさを押し殺しているようだった。
「嬉しかったんです! 毎日お見舞いに来てくれたことが!! ……私は聖女として街のみんなのために力を使う事を決めました。けどそれには大きな誤算があったんです。どんなに傷の治りが早くても、あれだけ毎日誰かの痛みを請け負って、ずっと寝たきりの生活をしていると気が滅入ってしまいました。しかも私がどんな病気でも死なないと分かれば心配すらしてくれなくなったんです。もちろん心配してほしいだなんておこがましいと思います。けどそんな状況で、あなただけはいつも私の心配をして毎日会いに来てくれました。それがすっごくすっごく嬉しかったんです!!」
……もしかしたら僕はただ逃げただけなのかもしれない。
「なのに突然別れようだなんて言われて、私は物凄く傷付きました。色んな怪我や病気の苦しみを味わってきた私ですが、こんな痛みは初めてでしたよ! 回復力の高いはずの私なのに、ずっと消えずに、ずっと痛くて……いつまでも消えないこの痛みにどれだけ苦しんだかあなたに分かりますか!? 分かりませんよね!!」
彼女が少しずつ心を開いていたのは分かっていた。けれど、僕と付き合った事実が同情によるものだと判明した時、もしかしたら全部演技なんじゃないかと心が迷って、彼女を信じ切る事ができずに逃げてしまった。
初めのころは彼女を最後まで信じると誓っていたはずなのに……
「もうこの傷はあなたにしか治せないんです! もうあなた無しでは生きられなくなっていたんです!! ずっとずっと私のそばにいて支えてほしいんです!! だから……だから! また私と付き合ってください!!」
サラサさんが大きく頭を下げていた。最後には涙を浮かべ、必死に勇気を振り絞るようにして……
僕の告白とは全然違う。フラれても失うものなんて何もないとダメ元の僕とは違く、全身全霊で、なんとしても自分の想いを伝えようとする告白だ。
まさか以前に告白したこの場所で、逆に彼女から告白してくると思っていなくて……
そんな気持ちのこもった告白をされるだなんて思っていなくて……
嬉しくないはずがない。もちろん答えはオーケーに決まっている。けれど嬉しすぎて、もう涙がノドに詰まって声が出せないくらいに感動してしゃべれない。
だから僕は手を伸ばす。
まずは彼女の頭を撫でて安心させてあげたかった。
しかしそんな時……
「あれ~、こんな所にアキがいる。なにしてんの?」
振り返ると、そこには僕よりも小柄な女性が立っていた。
「サキ!? 今はちょっと立て込んでて……」
こいつは僕の妹だ。サラサさんと同じくらいの年齢なんだけど、性格は真逆で生意気なやつなんだ。
しかしこいつが現れたことで、サラサさんが目に見えて困惑を始めた。
「ア、アキさんが呼び捨てで親しそうに……あ、そういうご関係ですか……」
そしてオロオロしながら僕から後ずさっていく。
「そ、そうですよね。私と別れてからずいぶん時間が経ちますし、アキさんのような素敵な人を他の女性が放っておく訳ないですもの。な、なのに私ったら、勝手にアキさんが今でもフリーだなんて決めつけて……」
なんだか妙な誤解をしながら涙をこぼし始める。
こ、これは非常にまずい!!
「あ、あの、サラサさん!? 誤解ですよ? こいつはただの……」
「いんです!! 分かってますから。別に私、泥棒猫のような真似をするつもりなんてありませんから安心してください! 私がさっき言ったことは忘れて、どうぞお幸せに!!」
シャラララ~と涙を風に舞わせてサラサさんが走り去っていく。
「えええええ~!? 全然わかってませんけど!? 完全に誤解してますけど!?」
僕は当然サラサさんを追いかけて走り出す。
彼女は結構足が速くて、本当に寝たきりの生活が続いているのかって思うくらいに猛ダッシュで逃げいってしまう。
「ちょ、ちょっと待ってくださいサラサさん! 話を聞いてくださ~い!」
「もう事情は呑み込めましたから~! ついてこないでくださ~い!!」
いや全然呑み込めていないんだけど!?
僕たちはあちこちを走り回る。人通りの多い市場なんかでも道なりに駆け回っていく。
「あ~もう!! 僕はずっとずっと、サラサさんだけが好きなんだーー!!」
立ち止まってもらいたくて、僕は大声でそう叫ぶ。
すると……
「なんだ!? 聖女様が変な男に追い回されてるぞ!!」
「ストーカーか!? ふてえ野郎だ!!」
「誰かアイツを捕まえろー!!」
ドドドドドドドドドドッ!!
僕の後ろからは大勢の男たちが血相を変えて追いかけてきた。
「うわあああ~~こっちでも誤解されてるぅ~!?」
なんとかサラサさんを捕まえて説明してもらわないと!
僕が必死で追いつこうとしても、サラサさんはさらに勢いを増して逃げていく。
いつの間にか耳まで真っ赤になっているのが後ろからでも見えるのだが、そこは恥ずかしがってもらっても困る。っていうか捕まえないと本当に僕の立場がヤバい。
「サラサさんの方から告白してくれたんだ。絶対に捕まえて誤解を解いて見せるぞぉ~!!」
まるで百鬼夜行の如く街中を駆け回る。
そんな僕と聖女の物語は、もしかしたらここから始まるのかもしれない。