愛情たっぷりチョコレート
2月14日、バレンタインデー。
想いをチョコレートに込めて贈る日。
しかし、重すぎる想いは、時として誤った結果をもたらす。
その女子学生には、好きな人がいた。
好きな人というのは、同じ学校に通う先輩の男子学生だ。
馴れ初めは、二人が小学生だった頃。
その女子学生は、小学校で出会った一人の男子生徒に一目惚れ。
それから二人は同じ公立の中学校に進学し、
高校以降も同じ学校に入学するために、
その女子学生は苦学をして、今こうして同じ学校に通っている。
しかし、その女子学生の執念とも言える想いに、
先輩の男子学生が応えてくれる気配は、今までのところ一切ない。
それも無理もないことと、その女子学生は思う。
相手は成績優秀でスポーツ万能、学校の人気者。
程よく筋肉質で、足なんかスラッと長く伸びている。
高校の頃はサッカー部のエースで、今も周りには他の女の姿が絶えない。
一方、その女子学生はと言えば、顔はパッとせず小太りでスタイルもいまいち。
学校の成績はかろうじて平均程度。
髪は癖っ毛、歯並びも悪く、着ている服はいつも同じ安いチェーン店の物。
今まで男と付き合ったこともない、どこにでもいる地味な存在だった。
「そんなわたしが先輩と付き合えるわけがないよね。
・・・ううん。そんな弱気じゃ駄目。
ここで諦めたら、何のために頑張って同じ学校に入ったのかわかんない。
バレンタインデーは、こんな地味なわたしでも先輩に近付くチャンス。
今年こそは、チョコと一緒にわたしの気持ちを伝えなくちゃ。」
そうして今年もバレンタインデーがやってくる。
バレンタインデーと言えばチョコレート。
その女子学生は、チョコレート選びのために、
大きな百貨店のチョコレート売り場へやって来ていた。
今はまだ一月だが、売り場は若い女たちで賑わっていた。
若い女たちは、うっとりとバレンタインデーのチョコレートを見ていて、
恋する乙女のような表情は、なんだかその誰もが恋敵のように思えてくる。
混雑する売り場の間に潜り込むようにして、
その女子学生は売り物のチョコレートを見やった。
キラキラのガラスショーケースの中には、
色鮮やかに装飾された高価なブランド物のチョコレートたちが並べられている。
オーソドックスなミルクチョコレート、
中にシロップなどが詰められたボンボンチョコレート、
生クリームたっぷりのトリュフチョコ。
お菓子に溶かしたチョコレートをかけるコーティングチョコレート。
美味しそうなチョコレートたちを前に、
その女子学生もうっとりとチョコレートを眺めていた。
だらしなく開かれた唇の端から涎を溢しそうになって、
その女子学生はハッと正気に返った。
「・・・いっけない。
今日は先輩のためのバレンタインチョコを見に来たんだった。
あんまりチョコが美味しそうだったから、つい見とれちゃった。
でも、先輩って、どんなチョコが好きなんだろう。」
付き合いだけは長いのに、その女子学生は先輩の男子学生の好みも知らない。
どんな味のチョコレートが好きなのか、
そもそもチョコレートそのものさえ好きなのか、
何もわからないのだった。
チョコレート売り場の店員に素直にそう伝えると、
店員の若い女は微笑んでこう答えた。
「それでしたら、無難な物が良いと思いますよ。
こちらは男の方にも好かれやすいビターチョコレートになっております。
あるいは・・・」
そこで店員の若い女は、口元に手を当ててヒソヒソとその女子学生に話しかけた。
「あるいは、手作りのチョコも良いと思いますよ。
お相手は他の女の子にもモテる方なんでしょう?
だったら、ここに売ってるようなブランド物は、
他の女の子たちから貰うんじゃないかな。」
「手作り、ですか?
でもわたし、食べる方が好きで、
チョコレートなんて作ったこともないんです。」
「レシピ通りに作れば大丈夫。
何だったら、溶かして形を変えるだけでも良いんだから。
手作りチョコの材料だったら、
ここの地下の食品コーナーにもあるから、行ってみたら?」
店員の若い女が、そっとウインクをして見せた。
なるほど、手作りチョコレートなら、
先輩の男子学生の印象にも残りやすいかもしれない。
その女子学生は、店員の若い女に礼を言って、
自分用に小さなチョコレートを一つ買ってから地下へ。
手作りチョコレートの材料を買っていくことにした。
それが、その女子学生がチョコレート作りに落ちていく、
最初の一歩だった。
想いを寄せる先輩の男子学生に、バレンタイデーにチョコレートを贈る。
印象に残るように、手作りチョコレートを。
そんな何気ない言葉が、その女子学生の生活を一変させた。
最初は、既製品のチョコレートを刻んで溶かして型に流して形を変えるだけ。
それに慣れたらデコレーション、次は牛乳やバターを混ぜて。
毎日毎日、学校が終わるとアパートの自分の部屋に帰ってチョコレート作り。
そんな生活を続けて、元々が凝り性だったその女子学生が、
自分でカカオの豆から炒るようになるまで、
さほど時間はかからなかった。
もちろん、最初に買った材料だけではとても足りず、
チョコレートの材料を揃えるだけでもかなりの出費になっていた。
「これだったら、最初から高いチョコレートを買った方が安く済んだかな。
ううん、お金の問題じゃない。
先輩の印象に残るには、出来合いの物じゃなくて、手作りじゃないと。」
上達したとはいえ、お菓子職人でもないその女子学生が、
急に手作りチョコレートを作ろうとしても、
すぐに限界に行き当たる。
今日もその女子学生は、自分が作った手作りチョコレートを味見して、
首を傾げた。
「うん、今日も美味しく出来た。
でも、これって、わたしの好みだよね。
わたしには美味しいチョコが、先輩にも美味しいかはわからない。
じゃあ、どうしたらいいんだろう。
先輩にどんなチョコが好みですかって聞く?
ううん。そんなことができるなら、最初からこんな苦労はしてない。
チョコの好みを聞きに行ったその場で、好きですって言えばいいんだもの。」
バレンタイデーの贈り物のチョコレートを、
自分の好みに従って作っても意味がない。
贈る相手が喜んでくれる物でなければ。
かと言って、その女子学生にとって、先輩の男子学生は、
話しかけるのにもきっかけが必要な相手。
バレンタイデーのチョコレートの好みを気軽に聞ける相手ならば、
そもそもチョコレートに頼ったりはしない。
そうこうしている間にも、失敗作のチョコレートが増えていく。
手作りチョコレートの材料にかかる金額もかなりのもの。
でたらめに作っていても上手くいかない。
困ったその女子学生がすがったのは、オカルトだった。
好きな人の好みを調べるにはどうすればいいか。
本人に直接話を聞けないその女子学生が選んだのは、
占いやおまじないといった、いわゆるオカルトだった。
その女子学生は早速、近所で評判の占い師のもとを訪れ、
来るバレンタインデー当日の占いを先にしてもらい、
それをバレンタインデーの手作りチョコレートに活かすことにした。
ラッキーカラーをチョコレートのデコレーションの色に、
ラッキーアイテムのイメージを形にして。
そうして手作りチョコレートを作って、またしてもその女子学生は疑問に思う。
「この占いって、バレンタインデー当日の、わたしの運勢だよね。
このチョコは先輩が食べるんだから、先輩の運勢じゃなきゃ。」
とは言え、話すだけでも一苦労な相手を、
一緒に占いになど連れていけるわけがない。
生年月日や血液型なら知っているが、
その程度の情報から得られる占いの結果など、
信憑性は天気予報にも劣る。
またしても手作りチョコレートは失敗作の烙印を押され、
冷蔵庫はチョコレートでいっぱいになっていく。
そうしてその女子学生が次に頼ることになったのは、
オカルトの片割れ、まじないだった。
その女子学生は、バレンタインデーの手作りチョコレートのために、
まじないに頼ることにした。
占いには本人の詳細な情報が必要になるが、まじないには不要。
まじないには、一方的な願望と、それを叶える道具と手順があればいい。
ただし、その信憑性は一切不明。
だからその女子学生は、手当たり次第にまじないを調べて回った。
下手な鉄砲も何とやらというわけ。
学校の図書館の書物から、近所の神社、
果ては雑居ビルのまじない屋まで、
その女子学生は藁にもすがる思いで手がかりを探した。
すると、偶然手にした本の一節に目が留まった。
「なになに、恋愛成就には、
自分の毛や爪を混ぜた食べ物を、相手に食べさせるといいでしょう?
食べ物に毛って、なんて不潔な。
・・・でも、好きな人にあげるチョコに、自分の毛を入れるって話、
聞いたことあるかも。
もしかしたら、そんなに珍しくもないことなのかな。」
バレンタインデー当日まで、もうあまり日が残っていない。
近付く締切が麻酔のように、その女子学生の思考を鈍らせる。
「作るだけ。作るだけだったら、いいよね?」
そうしてその女子学生は、作って置いておくだけだからと、
自分の髪の毛や切った爪を混ぜ込んだ手作りチョコレートを作った。
「えーっと、次は、
自分の体液を混ぜた食べ物を、相手に食べさせましょう?
体液は、唾液や血など。
って、こんなの先輩に渡せるわけない!
・・・でも、チョコに唾を入れるって、これもどこかで聞いたような話。
もしかしたら、みんなやってることなのかな。
作るだけなら、誰にも迷惑かけないし、いいよね?」
そうしてその女子学生は、
自分の唾液や血液を入れた手作りチョコレートを作った。
ふと気がつくと、その女子学生の部屋の台所には、
自分の毛だの体液だのを混ぜ込んだ、
残飯にもならない汚物のような物が積み上がっていた。
「・・・わたし、何やってるんだろ。
もうすぐバレンタインデー当日だからって、
自分の毛や唾を入れたチョコを作るなんて。
わたしは先輩に、好きだって想いを伝えたいんだ。
それなのに、こんな嫌がらせみたいなことをしてどうするの。
わたしが先輩に見せたいのは、ずっと先輩を好きだったってこと。
わたしは今までに見た先輩の表情を、全て記憶してる。
朝、学校で挨拶してくれた時の表情や、
サッカーの試合でシュートを決めた時の表情も。
それだけじゃない。
先輩が今までにどんな髪型をしていたか、全部覚えてる。
先輩の髪の毛から足の爪まで、見えるところは全部覚えてる。
そのくらいに、わたしは先輩のことが好き。
それを伝えられるチョコにしなくちゃ。
そのために、わたしにできることなら、どんなことでもする。
必要なら、先輩の毛だって爪だって、手に入れてみせる。」
そうしてその女子学生は、寝食を忘れて、
まじないと手作りチョコレート作りに没頭した。
自分の想いを憧れの先輩の男子学生に伝えられるチョコレートを目指して。
手作りチョコレートはともかく、
まじないに要求されるものは普通ではない物ばかり。
非日常的な行動は、その女子学生の心身を少しずつ蝕んでいく。
目には隈が浮き、ふくよかだった頬が日を経るごとにやせ衰えていく。
体は衰えてもしかし、その瞳には危険な光が宿っていた。
日にちは過ぎて、2月14日。いよいよバレンタインデー当日。
世間の話題はチョコレート一色。
その女子学生が通う学校でも、
女子学生たちが男子学生などにチョコレートを贈る光景があちこちで見られた。
しかしこの日、先輩の男子学生は、何故か学校に姿を現さなかった。
チョコレートを持った女子学生たちが、手持ち無沙汰に囁き合っている。
「ねえ、彼がどこにいるか知らない?」
「それが、ここ数日ずっと学校を休んでるんだって。」
「あ、やっぱり?最近は姿を見かけないと思ってた。」
「せっかくバレンタインデーのチョコを持ってきたのに。」
先輩の男子学生の噂話をする女子学生たち。
その中に、その女子学生の姿はない。
その女子学生もまた、ここ数日は学校を休んでいたことに、
しかし気が付いた者はいなかった。
ちょうどその頃。
その女子学生のアパートの部屋を訪問する人の姿、
それは、その女子学生の母親だった。
近頃、一人暮らしの娘が連絡をしないので、
心配になって部屋に様子を見に来たのだった。
娘の部屋の前に立ち、母親は呼び鈴を鳴らすが、誰も応対に出てくる気配はない。
仕方がなく、預かっている合鍵を使って、玄関の鍵を開けた。
カチャンと鍵が開く手応えがあって、玄関の扉を引く。
すると、薄暗い部屋の中から、もあっと何かの匂いが漂ってきた。
「・・・さっちゃん、いるの?大丈夫?」
母親はおっかなびっくり部屋の中に入っていく。
何かの気配がする。
明かりもついていない薄暗い部屋に、横たわる二人の人影。
人影は怪しく蠢き、絡み合い、啜る水っぽい音がしている。
母親は生唾を飲み込み、部屋の明かりをつけた。
パッと部屋に色彩が灯り、部屋の中が赤裸々に映し出される。
そこには、裸で抱き合う男女の姿があった。
母親は息を呑んで、それから金切り声を上げた。
「さっちゃん?あなた、何をしてるの!」
薄暗い部屋に裸で横たわっていたのは、その女子学生と若い男の姿。
お互いに裸で肌と肌を密着させ、足を絡め合っている。
その女子学生が若い男の口を貪るように啜ると、
ぴちゃぴちゃと水っぽい汁音が甘い匂いとともに漂う。
その女子学生は、ここ数日、学校に行きもせず、
アパートの自分の部屋で男と一緒に情事を重ねていた。
相手の若い男は、その女子学生が憧れていた先輩の男子学生に瓜二つ。
しかし、一目見てそれは人間ではないように思える。
では、その女子学生が情事を重ねていた相手は誰なのか。
それは、事情を知らない母親にも明らかだった。
「さっちゃん、あなた、チョコレートを相手に何をしているの?」
裸の若い男は、チョコレートだった。
大きな大きなチョコレート、人型をしたチョコレートが、
その女子学生が裸で抱き合う相手だった。
いつまでも振り向いてもらえないことに疲れたその女子学生は、
憧れの先輩の男子学生の姿を、
そっくりそのままチョコレートで作ったのだろうか。
その女子学生は、それを相手に願望を満たしていたのだった。
「あなたって素敵ね。食べちゃいたいくらい、大好き。」
その女子学生が、人型チョコレートの口元を舐め回してから、
やさしく齧りつく。
ぼりっと音がして、人型チョコレートの口元が齧り取られる。
すると中からは、真っ赤なシロップが滴り落ちたのだった。
終わり。
今年ももうすぐやってくる、バレンタインデーの話です。
バレンタインデーの手作りチョコレートに、
毛髪などを入れるという話は、しばしば耳にします。
そこまで念が籠もっていたら、
いっそチョコレート自体と愛し合えるのでは。
そういう着想でこの話を書きました。
チョコレートを使った食べ物には、
中にシロップを入れたボンボンチョコレートや、
溶かしたチョコレートを表面にかける、
コーティングチョコレートもあるそうです。
女子学生が作ったのは果たしてどのチョコレートなのか、
それとも。
お読み頂きありがとうございました。