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2 現し世の由良

 由良の両親は、古くさい考え方をするタイプだ。“夫は外で働き、妻が家を守る”そんな家庭を最良としていた。


 習い事を始める時、進学する時、就職する時――


 人生の節目を迎える度に、逐一「女の子なんだから――」と釘を刺されるのに窮屈さを感じ、由良は早く自立したいと考えるようになった。


「仕事に打ち込むよりも、早めに結婚して若い内に育児を終わらせた方がいいの。まさか、一生独身でいようなんて、思ってないわよね? お母さんだって、孫を抱っこしてみたいわ。お向かいの佐藤さん家では――」


 母は結婚至上主義者で、帰省する度にせっつかれている。この後に続く言葉は、佐藤さんの孫がどう成長したから始まり、それからは延々と、ご近所さんのプライベートな情報を聞かされるのだ。


(話題にされる方も、迷惑だよね……)


 慶事の喜びを皆で分かち合うならまだしも、下世話な内容には付き合いきれない。

 それに由良だって、口うるさく言われずとも、いつかは結婚したいと思っている。一人ぼっちの老後は不安だ。


 ただ、今は日々に忙殺され、そんな気になれないだけ。




「もう充分、自由にできただろう? 早く帰って来なさい」


 寡黙な父は母ほどくどくはないが、娘を手元に置いておきたい圧が強い。

 けして実家のある田舎町が嫌いではないし、今の暮らしをずっと続けたいくらい、気に入っているわけでもない。

 けれど、だからと言って、田舎に帰ったとしても幸せだと感じられそうになかった。


(きっと、空虚なのはどこに行っても変わらないんだよね……。なにやってんだろ私……)


 春彼岸に帰省した際の両親の渋い顔を思い出し、無性に悲しくなった。由良は膝の上に乗せた鞄をギュッと抱きしめ、疲れきった身体を座席に埋める。

 知らないオジサンの温もりなど感じたくないのに、ドカリと座って、足を開いたまま眠りだした隣の乗客に、咳払い一つする気力も湧かない。


(今日も頑張ったし、少しだけ贅沢してもいいよね)


 身も心も縮こまらせて、由良は最寄駅に着くまで瞳を閉じた。






 駅前のスーパーで、高そうなネタが乗ったお寿司と、酎ハイ二缶を手に取り、無駄遣いをしないようレジに直行して精算を済ませた。

 給料は変わらないのに、生活費だけは増えて行くからたまらない。けして見栄を張って散財するタイプではないけれど、美容にも服にも、ある程度は気を配っている。

 ご飯に誘われたら、それなりにお付き合いもするけれど、ランチに千円も使いたくないのが本音だった。

 世の中を上手く渡るためだと割りきってはいるが、漠然とした将来への不安もあるし、このままの生活を続けていていいのかという焦りもある。


「カンパイ」


 それでも、今日一日をやりきった自分へのご褒美に、由良は一人だけで酒盛りを始めた。クタクタの身体では、あっという間に酔いが回る。




「もうすぐ、二十五歳になるんです。これからは役の幅を広げたくて――」


 観るでもなく、ただ音が欲しくてつけていたテレビの中で、同じ生年月日の俳優が映画の告知をしていた。すごく眩しい。


「いーなー。私もどーんと、幅を広げたーい」


 なんだかテンションがおかしい。空になった缶には、アルコール九パーセントと表示されている。間違えて、強い方を買ってしまったのだ。


「フフフ。そりゃあ、酔っぱらうわけだ!」


 むやみやたらに歌いたいし踊り出したい。さすがにそれはマズイと自重し、今日は気分のいいまま眠ってしまおうと、ベッドに仰向けになる。


 直ぐにウトウトしだした由良の顔に、茶色い塊がポスリと落ちて来た。モフッとして重たくはないけれど、引っ掛かってちょっと痛い箇所がある。

 酔っぱらいは謎の物体にまったく警戒せず、鷲掴みにして目をこらした。


「ハムスター? よりも大きいし、尻尾が長ーい。モッフモフー」


「キュムー!!」


 ハムスターもどきは、遠慮なしに毛並みを乱され憤慨したのか、フサッとした尻尾を振って、抗議しているようだ。


「ごめん、ごめん。あなたかわいいねー。あったかーい。フフフフ」


 優しく撫でると毛流れは整い、サラサラとして、とても良い手触りだった。


「やっぱ、オジサンの温もりとは癒され度が違うよねー。ペットがいてくれたら、ちょっとは生活変わるのかな?」


 ボンヤリと考えたが、それ以上思考は進まなかった。目蓋が落ちる。


『もう~。酷いよ由良ったら。僕は綺麗好きなのに』


「ホントにごめんー」


 愛くるしい茶色の塊は由良の手から解放され、気になるところがあったのか、毛繕いをし直しながら喋りだした。


『僕は檜皮(ひわだ)。これから由良の側にいることになるから、よろしくね~』


「よろしくヒワダー」


『疲れてるところ悪いんだけど、まだ寝ないでね。僕の身体を貸すから、一緒に来て欲しいんだ』


 頭から背中まで、手や歯を使ってグシグシと整え終えた檜皮が、返事をしなくなった由良を見る。


『由良?』


 規則正しく寝息をたて、由良は夢の世界に誘われていた。


『――あらら。眠っちゃった……。取り敢えず、このまま連れて行くしかないか』


 檜皮は三度、由良の胸の上でそのフサフサとした尾を振った。尾の動きに合わせ、どこかでシャンシャンシャンと鈴の音が鳴る。


『起きたら説明が大変だよね~。よし、あの方に丸投げしようっと』


 スルスルと由良の魂は檜皮の中に溶け込み、その瞬間、茶色の塊は現し世から消えてしまった。






 こうして(なばり)の地に由良は運ばれてしまったのだが、呑気に眠り続けている彼女に、檜皮は困り果てていた。


(いい加減起きてくれないかな~。でも、無理に起こすのも可哀相だしな~)


 由良の身体は準備されていたが、まだ自分の中に居てくれた方が良いだろう。

 そうして立ち往生していたところを生成(きなり)に見つかり、由良は()()()()逃げ回ったのだ。

 運良く飼い主が現れて助かったが、由良はまた眠ってしまった。


(ま、こいつが居るからもういいか~)


 勘違いしたまま眠る由良の魂を、いそいそと人形(ひとがた)の器に戻し、やっと檜皮は自分だけの身体に戻った。

 生えたばかりの柔い草を適当に食みながら、すかした色男と三毛猫を観察する。


(愛想がないやつだね~。でも、まぁいっか~)


 猫もその主もツンツンしていて、いけ好かない。ただ、無防備な女の子を外に放って立ち去ろうとはしなかったので、檜皮は心の中で合格点をつけていた。

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