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加藤良介 エッセイ集

小説「楽毅」への不満

作者: 加藤 良介

 読まれいてることを前提で構成しております。

 分かりにくかったら、ごめんなさい。

 宮城谷昌光の「楽毅」は名著である。

 古代中国で活躍した将軍の生涯を丹念に描き、その謎に包まれた人物に、一筋の光を当てることに成功している。

 楽毅は三国志の英雄、諸葛孔明が自らの範とした人物だ。

 武勇知略に優れ、奢らず慎み、そして忠義に厚い。理想的なまでの王佐の才を見せてくれた。

 同じ様な立場にあった孔明が、憧れるのも無理はない。

 僅かな期間に、当時の大国であった斉の国の、ほぼ全てを攻略した手腕は、長い中国史の中でも燦然と輝いている。

 楽毅の活躍がなければ、秦の国の中華統一は五十年は遅れたであろう。

 そうなると、始皇帝も劉邦も項羽も韓信も、歴史に登場する状況は変わった。

 劉邦などは、歴史の表面に浮き上がる事も出来なかったであろう。

 功績以上の影響力があったと言える。

 楽毅は私に中国の名将を、十人上げろと言われれば、確実にランクインする人物だ。

 古代中国史において、大会戦で圧倒的勝利を得た人物は少なくないが、短期間のうちに、しかも少数の兵力で、大国を制圧した人物など、伍子胥、孫武を除けば、楽毅の他に私は知らない。

 これは史書からも明らかであり、史実と考えて間違いないだろう。楽毅はそれほどの名将なのだ。

 其の古今無双の名将を宮城谷先生は、色鮮やかに描き切った。

 素晴らしい事だ。


 しかしながら、私には小説「楽毅」に一点だけ不満がある。

 それは、楽毅のライバルとして描かれていた趙の君主、武霊王の最期についてである。

 武霊王は「楽毅」全四巻の三巻目ラストで、息子によって殺される。

 正しくは息子の意を受けた家臣(身内)によって餓死させられる。

 このショッキングな事件は司馬遷の「史記」にも描かれている。恐らく、そのような事が本当にあったのだろう。

 宮城谷先生は武霊王の最期のシーンを、餓死させた家臣の視線だけで、サラッと流して終わった。

 ここが大いなる不満だ。


 本作での武霊王が、楽毅と係わりの少ない脇役としてだけの役割しか与えられていなかったのであれば、私も不満には思わなかったであろう。

 しかし、違うのだ。

 一巻から三巻までは「楽毅対武霊王」の図式で物語が展開するのだ。

 いわば、もう一人の主人公であった。

 楽毅は武霊王の野望に立ち塞がる形として描かれ、歴史的に見れば武霊王こそが主役と言えただろう。

 彼自身の出番や台詞、モノノローグも多く、巨大な野望に、これからの展望、そのための施策など、丹念にリアルに、まるで見て来たかのように描いていたのだ。

 なのに、そのもう一人の主人公の最期に、彼の絶望と苦悩を描かないとはどういうことなのだ。

 このシーンの為に、ここまで積み上げて来たのではないか。


 戦闘に有利な異民族の服装を取り入れ、それまで馬車を引かせていた馬に直接跨り、中国史上初の騎馬兵団を編成し、北方に巨大な王国を形成した英雄の最期を、遠くから取り囲んでいた部下の視点だけで済ませるとは何事か。

 巨大な功績の末にたどり着いた、悲惨な結末に武霊王自身が何を思ったかを描かずして、何をもって小説家と言えるのであろうか。

 正に小説家の領分であろう。


 これが歴史書であればいい。

 「何年何月何日。武霊王弑される」

 これだけの記述でも文句はない。

 しかし、小説だ。ここは武霊王の心の中に入り込まなくてはならないだろう。


 武霊王は息子の家臣に包囲され、軟禁状態となる。

 時間が経ち食料がなくなると、最後は屋敷の中で雀の子を食し、最後にはそれも尽き餓死して果てた。

 悲惨な最期としか言いようがない。

 私はここまで、じわじわ殺された王を他に知らない。

 力のない君主であったのであれば、その様な末路もありえただろう。滅ぶ寸前の国家の君主の末路は、皆哀れである。

 しかし、武霊王は違う。

 比類ない才能を有し、華北の地に絶大な権勢を誇り、趙の最盛期を築いた。その英雄が、思いもよらぬ最期を迎えたのだ。

 想像を絶する絶望と狂気と恐怖があったに違いない。

 そこを、宮城谷先生には書いてほしかった。

 これまで、散々、武霊王の心持を描いていたのに、なぜ書かない。圧倒的なまでの功績を打ち立てた、当代の英雄の悲惨極まりない末路を。

 その時、彼は何を思ったのかを。

 勿論これはファンタジーだ。妄想と言ってもいい。だが、正確な歴史の叙述は史家の仕事だ。小説家の仕事ではない。

 小説家は事実に基づいての発想の飛躍が許される。それこそが小説家の仕事であろうに。

 

 ただ、なぜ書かなかったのかは理解できる。

 辛いからだ。

 宮城谷先生が、武霊王に対して愛着があるのは読んでいてわかっていた。

 先生の心中に武霊王が降りていたのだろう。そんな人の悲惨な結末を、直視したくなかったとしても仕方のない事だ。

 同じ立場でなら、私も辛くて書けないかもしれない。いや、書けないだろう。

 そして、この小説は楽毅の物語なのだ。

 楽毅と関係のない所で横死した武霊王のに、筆を割かなかったことも理解はできる。

 だが、横死するまでの状況は丹念に描いていたではないか。死の間際だけ書かなかったのは、片手落ちではないのか。


 もしかしたら全ての小説家の偉大なる先達、司馬遷に敬意を表して、あえて書かなかったのかもとも推察されるが、それは司馬遷を隠れ蓑にした逃げではないだろうか。

 偉大なる巨人に対する敬意は分かる。しかし、私は書いてほしかった。

 武霊王の最期を。

 少なくとも、家臣の視点だけで終わらせてほしくは無かった。

 私は興味があるのだ。あの時、武霊王は何を思い、そして最期に何を見たのかを。



               終わり

 最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 ご意見、ご感想などございましたらお気軽にどうぞ。基本的に返信いたしております。


 今思えば、武霊王という諡号、凄いですよね。

 武は文についで二番目に良い諡ですが、霊は厲と並んで最低の諡です。

 この二つが並んでいる王は武霊王、唯一人です。

 偉大な功績と、哀れな末路からの諡号なのでしょう。

 事績から勘案すると、霊はひどすぎる気がいたします。

 個人的には荘が諡号として、無難な気がいたします。ただ、これだとインパクトが低いんですよね。

 趙の荘王。

 うん。普通だ。良くも悪くもない。


 武霊王の諡号は多くの王たちの中でもインパクトが跳び抜けているので、破天荒だった彼には、ある意味でお似合いの諡なのかも知れません。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 小説を読み込み読み解いた上で、猶抑え難き熱情の吐露。 分かる!分かりますぞぉ、そのキモチ。 [気になる点] ……とは言え、そこまで読んだならば、読めるのならば、武霊王の今際の際をどう描…
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