Encounter
「マットの奴……」
鼻面に浅い皺を残しながら、何気なくヴォルフが視線を鍛練場の隅に向けたときだった。
「うん?」
視線の先に、何やら目を引く出で立ちの人物がいた。因みに、ヴォルフの記憶にはない人物で、視界の端に入った瞬間、無視できないほどの存在感を放っていた。
「失礼、そこで何を?」
ヴォルフは人物に訊ねる。木の影で、はっきりとは見えなかった。近寄り、ヴォルフは目を凝らす。
「おお……?」
人物が醸す存在感の正体は仮面だった。その人物は仮面を付けている。顔の一部を覆うものでなく、顎の下までを覆うものだった。
「あ、お邪魔してます」
仮面の人物はヴォルフに気付くと、特に警戒するでもなく、会釈をした。
「あ、おう……」
「良い天気ですね」
「まあ、そうだな……」
やはり、仮面が気になって会話がぎこちなくなる。製錬された金属製で、生物をモチーフとしておらずに無機質で厳ついデザインの仮面。口と目はスリットになっているが、その隙間から人物の目や唇は見えない。金属で頭部を完全に覆っていて、後頭部と首の隙間から後ろ髪が出ている以外は生物さを感じさせなかった。
「ところで、そちらは?」
「あ、私ですか?」
「ああ。この軍にそちらのようなのは在籍していないはずだが?」
「私は少し前に、名前だけ登録をしていまして、実際に軍に来たのは今日が初めてです」
「そうなのか。だから、俺が知らなかったのか」
仮面の人物の声は高くもなく低くもない。髪は腰まである長髪だが、ゆったりとしたローブのせいで体型が判らない。性別すら判りかねた。
「なるほど。自己紹介が遅れたな。俺はヴォルフ、この軍で準隊長をしている」
「隊長様ですか。私こそ自己紹介が遅くなりました。私はミステリオ・マスカレドと申します」
「うん?名前が教会の言葉の響きだな」
教会の言葉というのは、ヴォルフたちの世界で信じられている宗教の聖典に用いられている言葉だ。日常の会話や書き言葉とはまた別に存在し、教会の言葉は数千年前から聖職者の間で使われている。
「はい。私は領地の外れから来ました。私の故郷の言葉だと表記も発音も複雑なので、教会の言葉から自分で名前を付けました」
「そうだったのか。そして、俺はミステリオと呼べばいいか?」
「そうですねえ、ミステリオだと固いので、私のことは『かめんちゃん』と呼んでください」
「か、かめんちゃん……?」
厳つい仮面とは裏腹に、随分と気が抜ける呼び名だ。仮面の人物のミステリオ・マスカレドもとい、かめんちゃん。地の文でも、かめんちゃんと呼ぶことに躊躇いがある。
「そ、その……かめんちゃん?」
「はい?」
空洞の表情がヴォルフの顔を覗き込む。
「かめんちゃんは、何で仮面を?」
「え?ああ、これですか?」
人差し指で仮面に触れる、かめんちゃん。
「何と言いますか、私の故郷ではごく普通のことでして」
「ごく普通?かめんちゃんの故郷は、仮面の集落なのか?」
「そうですね、故郷の外の人からしたらそうなりますね」
「というと、かめんちゃん以外にも仮面の人だらけなのか?」
「はい。私の父も母も、兄弟も、住んでいる人はしてますね」
「知らなかった、領地にそんなところがあるのか。そして、かめんちゃんは仮面を外さないのか?」
「普段ってことですか?」
「あ、ああ。普段は普段だな」
「外さないですね。外すといいますか、被ってるって意識はないです」
「ということは、ずっと仮面のままか?」
「はい、そういうことになりますね」
「食事はどうしてる?」
「食事用のがあります」
かめんちゃんは、ローブの脇から似たような金属製の仮面を取り出す。仮面は顔の部分と後頭部の部分が頭頂部の蝶番で繋がっていて、頭から被る仕組みのようだ。舞踏会で用いられる、顔だけを覆う仮面とはだいぶ違う。
「口の部分が広く開いてるんです」
「食事も仮面のままか?」
「はい。人目につかないところで食事用に着替えて食べますね」
「入浴はどうしてる?」
「外す人と外さない人がいます。私はものぐさな性格なんで外さないことが多いですね」
「外さないで顔とか、どうやって洗っているんだ?」
「早朝や深夜に外して洗ってます。他人に見られないように。入浴は髪を洗うときでもしたままです」
「そこまで徹底しているのか」
「はい。こちらで言うところの、衣類に近いものがあります。特に、下着の意味合いが強いかと」
「そういうものなのか?」
「そうですね。ヴォルフ隊長が他人の局部を滅多に見ないように、私の故郷では他人の下の顔を見ることが稀です」
「そこまでして、その、下の顔を見られないようにするには理由があるのか?」
「そうですねえ、私が物心つく前から故郷はこんな感じでした。故郷では子供が生まれると、直ぐに布で顔を覆います。6歳の誕生日を迎えたなら、両親から金属製のを送られて身に付けます。成長とともに誂えられたものが12歳くらいまで親から贈られますね」
「ところで、下の顔を見られたらどうなるんだ?」
「私が知っている限りでは、故郷を追放されて戻って来れません。他の場所で、下の顔で生活をします」
「つまりは、かめんちゃんの故郷では仮面が必須で、素顔が厳禁なわけだ」
「そういうことになりますね。私なんか力が弱いから、すぐに外されそうになります。なので、鍵で外れないようにしてますね。これが中々外せなくて重宝しています」
上を向き、首もとを見せるかめんちゃん。肌を覆う鉄板の更に上を、製錬された鋼のリングが首に巻き付いていた。リングの繋ぎ目に、これまた頑丈な南京錠が施されている。解錠しない限りは自力で仮面を外せないだろう。
「よろしければ、被ってみますか?私、着替えにいくつか持ち合わせがあります」
「い、いや、いい。かめんちゃんの仮面は俺に合わないだろ」
長く突き出た、狼のマズルに人間の顔に合わせた仮面は装着できない。
「しかし、ここまで謎に満ちた出で立ちの人間が軍にいたとはな」
「この軍の方で、私と似たような格好の人もいますよ?」
「忍者やアサシン、ダンサー、闇魔導士か?」
「忍者さんたちは破廉恥ですね」
「忍者が破廉恥?」
「ええ。口許は覆っていますが、目の部分は見せているんで。私の故郷だと、はしたないと親に怒られます」
「忍者の覆面が破廉恥に扱われる場所があるんだな」
「その点、隊長は完璧です」
「は、俺が?」
「お顔どころか、全身を覆っていらっしゃいますから」
「ちょっと待て。俺のこれは素顔だぞ?」
「ご冗談を。そんな格好いいものをお召しで」
「いやいや、この狼の顔は本物で取れないんだ。体もそうだ。毛皮も本物で脱げない」
「嘘です」
「いや、嘘じゃなくて、本当に」
「外せますよ?」
「何を言うか。仮に外せたとして、毛皮の下に何があるというんだ?」
「あなたの、隊長の本当のお顔です」
「はあ?」
ヴォルフは唖然とする。覚えている限り、ヴォルフはずっと同じ姿をしている。それ以外の姿だったことはないはずだ。




