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1.塩辛いスープ

 それにしても、真昼の星さえ見えそうなほど、澄んだ空だった。ここが滅びゆく惑星だなんて、まるで嘘みたいに。

 銀のスプーンの底が、透けて見えるスープを、一口すする。窓から射しこむ光に照らされて、海面のようにさらさらと光っていた。

 私は、思わず顔をしかめた。塩加減を間違えたのだ。これでは海水の方が、まだ味わえるかもしれない。なのに、同じスープをすする弟のアリーは、文句ひとつ言わなかった。


「ねぇ」


 アリーのことが、よく分からなくなって、しばらく経つ。たった二人の姉弟、仲は悪くない。

 見違えるほどに、彫りの深くなった顔は、父さんに似てきた。私と同じ赤茶けた髪は、少しだけ寝ぐせがついて、母さんと同じ青い瞳は、揺れるスープを映している。


「姉さん?」


 青い目が、私を見た。鏡を見るたび、どうして私の目は父さんに似て、緑色をしているのだろう、と思ったこともあった。本当はアリーのように、母さんに似た青い目が欲しかったのだ。

 そんな嫉妬にも似た感情を抱いた時期もあるが、今となっては笑い話だ。


「不味いわね、このスープ」


 音もなく飲むスープには、わずかなベーコンの欠片と、くずのようなジャガイモが浮くのみ。配給の食料にしては、これでも贅沢な方だろう。

 真っ白なテーブルクロスに、真っ白な皿。母さんが好きだった食器には、私の作ったスープと、からからに乾いたパンが一片だけ。いつも通りの、少し物足りない昼食だった。


「シオン、研究不足だな」


 悪戯っぽく、アリーが白い歯を見せた。父さんの真似だ。もう二年も顔を見ていないが、アリーの面立ちは、ひょっとしたら一日ごとに父さんに似ていっているのかもしれない。


「早く食べちゃいな、馬鹿」


 くすりと笑うと、私はアリーの額を小突いた。少しだけ伸びた前髪が、目元に散らばる。

 手早く昼食を済ませると、私は窓際に立って伸びをした。もう少し欲しかった上背は、もう望むべくもない。


「いい天気よね、本当に」


「散歩にでも行く?」


 私の肩越しに、窓の外を眺め、アリーが呟く。どこから引っ張り出してきたのか、微かにコロンの香りが鼻をついた。マリンブルーの香りだ。

 とっくにアリーは、私の背を追い越していた。私のことを名前でなく、姉さんと呼ぶようになったのも、いつからだったろう。


「いいえ、今日は家にいるわ」


 惑星環境正常化計画とかで、近所のうざったい成金連中は、そそくさと移民船に乗り込んで行った。狭苦しいばかりで、張りぼてのように思えたこの光景も、今となっては悪くない。

 赤レンガと白い壁とが、几帳面に並ぶ住宅街。旧暦八十年代を思わせる、懐古趣味の邸宅たちだ。その中に、私と弟のアリーが暮らすこの家もある。

 父さんと母さんが結婚した頃は、こういう家を持つことに誰もが憧れていたという。いつか、母さんが笑って話してくれた。

 慎ましい二階建て、一階のリビングから見えるのは、芝生の庭とガーデニングアーチ。犬が欲しいと言った母さんの、ついぞ飼うことのなかった犬小屋は、色あせて朽ちかけている。


「姉さん、そろそろ僕たちも」


「分かっているわ。でも、あと少しだけ」


 分かっている、そう言いながら、私にはアリーのことが分からない。アリーはこの家を出て、移民船に乗ろうと言っている。それは避けられないことだった。

 この惑星に住む以上は、計画移民に従って外へ、コロニーへ移住しなければならない。だけどこの家は、二年前から行方不明になっている父さんとの、たった一つの接点なのだ。


「僕は、気休めは言わないよ」


「気休めなんて」


「父さんのことは、諦めよう」


 私は頭を振って、アリーの言葉を遮った。


「姉さんだって、本当は分かっているはずだよ」


「あと一か月で、船舶免許が取れる歳になるのよ。そうすれば」


 私が、父さんを探しに行く。そのための準備はしてきていた。


「あと一か月で、この惑星は無人になる」


 けれどアリーは冷静に、言葉の端をわずかに揺らして、現実を告げた。


「コロニーに行けば、父さんに会えるとでも?」


「僕は軍に入る。僕が父さんを見付けるんだ」


「アリー、やめてちょうだい」


「でないと、姉さんの目は覚めないだろう」


 頭を殴られたような気分だった。つまるところ、私は夢のように、頼りない希望にすがっているのだ。現実から目を逸らして。

 すぐ傍にいるアリーの顔を、私は見れなかった。私たちは同じ方向を、同じ庭を見ているのに。だけど、見えている景色は、まるで違っていた。


「もう少し、もう少しだけ」


「食器は、僕が片付けておくよ」


 コロンの残り香が、薄く遠ざかる。かちゃりと、皿を重ねる音が、背中越しに聞こえた。この二年、アリーは大人になり始め、私はずっと子供のままだ。

 アリーのことが分からないなんて、当たり前だろう。分かろうとしていないのは、私の方だった。


「アリー、あなたが軍人なんて」


「姉さん、この話はまた今度にしよう」


 振り返ると、アリーが玄関の方をしゃくってみせた。来客があるようだ。


「また、移民勧告かしら?」


 洗い物の手を止めるアリーを制し、私は玄関に赴いた。


「どなた?」


 サンダルに足を通し、いくつになっても重い扉を開けると、そこにいたのは一体の人間もどき(ヒューマノイド)だった。

 毛先だけが燃えるように赤い、長い黒髪。脈動するように淡く、黄緑に光る瞳。黒い質素なドレスの端から見える、球体関節のそれは、随分と旧式に見える。

 不気味なほど整った顔は、真っ直ぐに私へ向けられていた。

 人間もどきは、私のことを頭のてっぺんからつま先まで、じっと観察しているようだった。まるで、何かと照合するかのように。


「あなたが、シオン、ですね」


 無機質な、それでいて平坦な声で、人間もどきが喋る。私が頷いてみせると、人間もどきは思いもよらない名前を呟いた。


「ムラカミ博士に、言われて、来ました。貴女に、会いに」


 ムラカミ博士。それは紛れもなく、父のことだ。軍の特命研究を任じられ、新型生体機械の素体を探しに行ったまま帰らない、行方知れずの父。

 最後の定時連絡を手掛かりに、今も軍は捜索を続けているというが、消息は未だ分からない。何か不測の事態に見舞われたのか、あるいは逃亡したのか。


「父さんに、言われて? ねぇ、父さんはどこに? あなたは? どうしてここに?」


 矢継ぎ早に、人間もどきに詰め寄る。私の心臓は、痛いくらいに高鳴っていた。

 これまで影も形もなかった、父さんの手がかりが、まさか向こうからやってくるなんて。


「シオン、たくさんは、分かりません」


 人間もどきが、どこか困ったようなニュアンスの声を上げた。胸に手を当てて、深呼吸を一つ。少しばかり、興奮し過ぎてしまったようだ。


「あぁ、ごめんなさい。それで、父さんは、」


 生きているの? そう聞きかけて、私は口を噤んだ。それを確認すると、何かが壊れてしまうような気がしたのだ。


「姉さん、大丈夫? また、あの強引な勧告官?」


 心配して顔を覗かせたアリーもまた、人間もどきを見て息を飲んだ。


「あなたは、アリー、ですね」


「ああ、そうだけど、君は」


 アリーの問いかけに、人間もどきはプログラムされたような所作で、ドレスの端を持ち上げ、カーテシー、お辞儀をした。

 その淀みない動きとは違い、たどたどしい口ぶり。味付けに失敗した、塩辛いスープのようなちぐはぐさに、私とアリーは、呆気に取られていた。


「ムラカミ博士に、言われて、来ました。名前は、まだ、ありません」


 それが、私たちと人間もどきの、出会いだった。

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