冬休みに美少女と仲良くなった話
ほんとに、なんでもないただの気まぐれだった。
ただ何となく家にいても暇で、外に出たくなっただけ。ちょうど雪が降っていたから近所の公園に行って遊ぼうと思っただけだった。
もう中二だし、雪で一人で遊ぶなんてふだんなら小っ恥ずかしいのだが、俺のテンションは、例よりも高かった。
なんでかーって聞かれると、特に理由もないのだけど――。
強いて言うなら、冬休みに入ったから初日だったからかな。
公園へ行こうと決めた俺は、適当にダサいジャンバーを着て、手袋をはめて外へ出た。
扉を開けると、冷たい風が家にびゅーっと入ってきた。
俺は家から出る時の、この冬特有の現象がちょっと好きだった。なんだか『冬』って感じがして。
◇◇
外は、やっぱり雪が降っていた。
見慣れた近所の家々の屋根が、うっすら白い膜をかぶっている。
――この分じゃ、明日にはすっかり積もりそうだなぁ
そんなことを考えながら、俺はジャンバーのポケットに手を突っ込んで歩き出した。
歩いていると、冷たい空気が、すーっと首元を通って服の中に入ってくる。
マフラーでもネックウォーマーでも着ればいいのに、俺はなんでかそれをしなかった。
――これくらいの寒さ、雪国育ちの俺からしたら、ぬるま湯みたいなもんだ――
みたいな事を考えていたかもしれない。
とにかく、自分は寒さなど平気だと誰かにアピールしていたのだ。周りには誰もいないのだが。
ちょっと歩いて住宅街の坂を下ると、スグに下の方に幹が剥き出しになった、茶色の木々が見えてきた。
あそこが、『公園』だ。
たぶん、ここら辺じゃいちばん大きい公共物だ。
まあ、公園と言っても、長い長い滑り台が、森の中を通っている以外に、遊具らしい遊具はない。
敷地のほとんどは森で、公園と言っていいのかどうか悩ましい感じだった。
ここはいつも人気が少ない。
考えてみれば当たり前だった。こんな所で子供を遊ばせて、遭難なんかしたら大変だし……。
いや、まあそこまで広くはないのだけど。
取り敢えず、俺は公園に飛び込んだ。
敷地のど真ん中を走って走って、薄ら積もった雪の上をスライディングした。
そして振り返って、俺がつけた痕を眺めてちょっと嬉しくなった。
雪を掬って、ぎゅっぎゅっと握る。
これでも、雪の扱いはかなり得意だった。
雪を固めて、両手の体温で少し溶かし、そしてさらに雪を増加させる。
そうすることでより硬く、より強い雪玉ができ上がる。
しかし、もし雪合戦をやる場合は、あんまり使うことはオススメできない。あんまり硬いものだから当たったら相手が泣いてしまう場合があるのだ。
それに作るのに手間がかかるので、外れた時のショックも大きい。
――よし、出来た。
しかし今日は、出血大サービスだ。
俺は作り上げた超硬質雪玉を握って、近くにあった、街灯の柱へピッチャーのように構え、そして――
投球した。
玉は中々の速度で飛び、
パキィーーーーーン―――
と大きな音を立てて割れた。
俺はガッツポーズをして、その空気の振動の余韻に耽けっていた。
――その時だった。
「……あの、それ、どうやって作るんですか?」
そんな女の子の透き通る様な声が、俺を貫いて、響いていった。
美少女――。まあ、そう言うのが一番端的で分かりやすいだろう。
声のした方には、そんな女の子が立っていた。
一瞬、高校生くらいに見えるほど、妙に大人びて見える子だった。
長い髪は肩に流れていて、風を受けてなびいている。
少し高い鼻に、吸い込まれそうな茶色い瞳。その上に長いまつ毛が伸びていた。
紺色のコートを纏い、首には落ち着いた色のマフラーを巻いている。
両手は毛糸の手袋で覆われていて、雪を握ったのか少し濡れていた。
俺がぽかーんと見ていると、少女は少し気まずそうにした。
「あっ、ごめんなさい。あの、私雪玉上手く作れなくて……」
向こうがあたふたし始めた。
俺は、どう返せばいいのかわからなくて、下の雪原に視線を落とした。
心臓がバクバクいって、顔が真っ赤に熱くなった。
なんだか、凄く恥ずかしくなって来た。
「あの、邪魔しちゃってごめんなさい」
少女はぺこり、と少し頭を下げて、俺に背を向けた。
――え、もう行っちゃうのか?
「待てよ!」
――そして、俺は考えることも無く引き止めた。
どうして引き止めたのか、よく覚えていない。普段のヘタレな俺なら、そのまま引き留めずに、黙って見送っていただろう。
なのに何故、今回に限って――
――いや、原因は分かってる。
要は冬休みなので、テンションが高かっただけの事だった。
少女が「えっ?」と言ったふうに振り向いた。
俺の頭はその瞬間真っ白になり、少女の顔を直視出来なくて目を逸らした。
「ゆ、雪玉の作りかた教えてやるよ。知りたいんだろ?」
殆ど勢いで、俺は喋った。
心臓がさっきの比じゃないくらい爆発しそうに鳴っていた。
少女のブーツに目を落とす。
まるで、大人が履いているものみたいだった。
途端に、俺は自分の服装が恥ずかしくなってきた。
彼女から俺は、どう見えているのだろう?
子供っぽい服とか、思われていないだろうか?
そんな不安が、ぐるぐる駆け巡った。
しかし――、
「えっ、いいんですか? じ、じゃあ是非お願いします!」
そんな少女の返事で、俺の不安は吹き飛んだ。
反射的に少女の顔に視線を戻す。
その綺麗な顔は、本当に嬉しそうな、笑顔に染まっていた。
◇◇
「わっ、すごーい! こんなに硬くなるんですね!」
鈴の音のような少女の声が、公園に響いた。
俺と少女は、公園の中心で、2人座り込んで雪玉を作っていた。
最初緊張でうまく喋れなかった俺だったが、少女があんまりにも喜んでくれるので、少し解けてきていた。
「こんなに雪に触ったの初めて!」
「……何言ってんの? ここらは毎年降ってるじゃん」
少女はあはは、と笑った。
「そうなんだ~。でも私、住んでるところが雪の降らない所だから、実は見るのも最近初めてなんです」
「あー、そうなんだ。どーりで見かけない人だと思った」
「えっと――、すみません名前……」
――アキヒロだよ。
俺はクールぶって、ぶっきらぼうに名前を言った。
「アキヒロくんですね。あ、私はヒナミって言います」
ヒナミ。
この名前が、俺の頭にジワっと広がった。脳みそが、一生忘れることの無いように、奥に奥にとしまい込んだ様だった。
「今日はありがとうございます! 急に話しかけたのに、色々教えてくれて」
「別にいいし……。てか、お前何歳?」
「今年で十三ですよ」
「はぁ? 俺とタメじゃんか」
ビックリしてヒナミを見た。まさか、同い年だとは思わなかった。
ヒナミはにっこり笑って俺を見た。
「あ、同い年だったんだ! あ、えーっと」
「いいよ、敬語取れよ。気持ちわりぃーし」
「あ、うん! そうだ、アキヒロくん、これ出来たんだけどどうかな?」
ヒナミは小さなサイズの雪玉を、俺に見せた。
可愛らしいサイズだが、かなり硬そうだ。……と言っても、俺の作るものにはまだまだ及ばないが。
「ちっせー。俺の方が上だな」
俺は硬く、大きくつくった雪玉をヒナミに見せ、さっきの街灯に放り投げた。
また、運良くぶつかった玉は、ガキィーーーーン、という音を鳴らして砕けた。
――うわ、当たったよ。今の俺、めっちゃかっこよくね?
そんなことを思っていると、
「うわー、すごーい!」
と、ヒナミの楽しそうな声が聞こえて、俺はとても気分が良くなった。
「えいっ!!」
ヒナミが続いて投球するが、街灯まで届かずに、雪の上に落ちてしまった。
「ハハハハッ!! 肩よえー!!」
「あっ、も、もう一回っ!」
そんなことを、いつまでもいつまでも繰り返した。
◇◇
そうしているうちに暗くなって、俺達は解散することになった。
「あ、じゃあ私家こっちだから」
ヒナミは、公園を出るとすぐ、俺の家とは真逆の方を指さした。
俺は怪訝な顔をした。
「家遠いんじゃなかったの? 駅こっちだけど」
「私、冬休みの間だけここのおばあちゃん家に泊まってるんだ」
ふーん、と、興味無いふうを装いながらも、大有だった。
本当は、そのおばあちゃんちの在り処を知りたいくらいだ。
ヒナミは、じゃあ、と言って歩いてゆく。
――それがなんだか、一生の別れのような気がして俺は――
「てか、明日どーすんの?」
そう言っていた。
あくまで興味のない風。『遊びたいなら、遊んでやらなくもないけど?』とでも言いたげな声色だった。
ヒナミは振り向いて、ドキッとするような笑顔を浮かべた。
「アキヒロくんさえ良ければ、明日も雪遊び教えてよ!」
「――まぁ、別にいいよ。暇だし」
そう言っても、内心はめちゃくちゃ嬉しかった。
ヒナミと別れ、帰路の住宅路を、俺は全力疾走した。
ところどころ滑りそうになりながら、俺は家への階段を駆け上がり、勢い良く扉を開けて中に入り込む。
ガチャンッと大きな音がして扉が締まり、家の奥から母さんの驚いたような声が聞こえた。
「ちょっと誰ー?」
「俺だよ。ただいまぁー」
いつもと同じ玄関なのに、どうしてかキラキラして見えた。
明日がこんなに楽しみになったのは、産まれて初めてだった。
「ちょっと! 今日なんかあったでしょ」
「は? なんもねーし」
夕食中、母は訝しむような表情で俺を見ていた。
普段クールを気取っている俺だけど、それだけに分かりやすかったのかもしれない。
◇◇
「ねぇアキヒロくん! 今日はかまくらつくろっ!」
翌日――、もしかしたらいないかも、そうだったら一人で期待してた俺クソカッコ悪い――なんて悩みに悩んだ末、俺は公園へ行った。
そこには、楽しそうに笑うヒナミの姿があった。
何悩んでたんだろう。と、朝の自分をバカバカしく思いながら俺はジャンバーのポケットに手を突っ込んで、歩いていった。
今日の俺の服装は、昨日とはひと味違う。
父さんのクローゼットの中を漁って、ヒナミと並んでもおかしくないような、大人っぽいジャンバーを探した。
……しかし、そんなものはあまり無く……コートも一応あるにはあったが、いかにも子供な俺には不釣り合いな物だった。
結果、俺が普段から着ているのと似たものになってしまった。
まあ、昨日のよりはマシだろう、と思って俺はヒナミの反応を密かに楽しみにしていたが、ヒナミは全く何も触れなかった。
考えてみれば当たり前だが、とてもガックリした。
「かまくらぁ? 別にいーけど、手で作んの?」
「ううん、スコップちゃんと持ってきたよ!」
ヒナミが指をさした先に、赤と緑のスコップが木に立て掛けられているのが見えた。
ヒナミはそれを掴んで、こっちに持ってきた。
「はいっ、じゃあ――、ってアキヒロくん作りかた分かる? 私分からないんだけど……」
ヒナミに差し出された緑色のスコップを、ぼんやりと眺める。
――そして、去年の冬の両親を思い出した。そう言えば父さんと母さんも、赤と緑のスコップを使って雪掻きなんかしてたっけなぁ――。
「わ、分かるよ。そんくらいふつーに」
「ほんと? じゃあ教えてくれる?」
「しょうがねぇなぁ」
俺は顔を真っ赤にしながらスコップを受け取った。俺とヒナミを、両親に重ねてしまったのだ。
一晩雪が降ったこともあって、公園にはすっかり十分な量の雪が積もっていた。
それを掬って、また掬って、ひとつ大きな山に積んでゆく。
ヒナミも一生懸命、その単純作業をこなした。
結構な力仕事だが、ヒナミは一言も根を挙げず、ただただ楽しそうに、その綺麗な顔をほころばせていた。
「そんなに楽しいのか? 雪なんて、一日遊んだら飽きねぇ?」
それを聞いたヒナミは、キョトンとした。
「それはアキヒロくんが雪の降るところに住んでるからだよ。私のとこは冬になっても雪降らないし、そもそも一年中あんまり景色が変わらないんだもん」
「雪なんて無い方が便利そうだけどな」
俺は雪を掬って、また山を固めた。
この作業を、今年中に俺はあと何回やるだろう。
そろそろ本格的に降り始めてきたようだし、家の前の雪かきが日常化してくる頃だ。
そんな憂鬱な気分に浸っていたが――、
パコッと柔らかい雪が背中に当たって、ハッとした。
「でも、私はあった方が楽しいよ!」
ヒナミが投げた雪玉だった。
――ヤロー、昨日教えたこともうマスターしてやがる!
「やったなこの、おらっ!」
「きゃー!」
雪を掬って、柔らか目の雪玉を作って、放り投げた。雪玉はヒナミの足元に着弾した。
「アハハハ! 外れてますよ~!」t
その後、突如始まった雪合戦は暫く続いたのだった。
友達とやるよりも、ずっとずっと楽しかった。
「――――、できたーっ!!」
かまくらが完成したのは、日が落ちかけた時だった。
完成したかまくらは、ちょっと狭く、身を屈めて二人入れるかどうかの代物だった。
しかし、ヒナミがとても嬉しそうにするので、俺まで達成感に満ち溢れてきた。
「ほら、入ろ入ろっ!」
「え? 俺はいいよ別に」
「折角作ったのに、入らないなんてもったいないよ! ほらっ!」
「わ、分かったよ。しょーがねーな」
俺は身を屈めて、かまくらの中へ入った。
中はやはり狭く、なんとか俺が端によってもう一人分スペースができるかどうかだった。
「おい、やっぱ二人は無――」
「えいっ!」
そこに、ヒナミが滑り込んできた。
俺がさらに押しやられて、横にヒナミが収まる。
ヒナミはわーっ、と目をキラキラさせて、かまくらの壁をぺたぺた触った。
「すごいねアキヒロくんっ! ちゃんとかまくらになってる!」
「――――」
近い。ここまで近づいたのは、初めてだ。
肩と肩が密着している。首に巻かれたマフラーの先っぽが、俺の背中へとかかっていた。
キラキラした瞳。少し雪の絡みついた髪が、俺の目の前をヒナミが首を動かす度に揺れる。
嗅いだことが無いくらい、いい香りがした。
母さんの持っているどの香水や、アロマオイルよりもいい匂い。
どこまでも自然で、ヒナミらしい香りだった。
(何やってんだ俺は……)
顔を真っ赤にして、俯く。
もはやクールを取り繕うことすら忘れて、ただただ心を落ち着かせようと集中した。
「アキヒロくん? どうしたの?」
「えっ?」
急に呼ばれて顔を上げると、目の前にヒナミの顔があった。
不思議そうな顔で、おれをみつめている。
――あと少し近づけば、ヒナミと俺の顔はぶつかってしまう。
俺がいきなり近づけば、偶然唇と唇が重なってしまうかもしれない。
――って、ほんとに何考えてんだ俺はっ!!
俺は自分の鼻息が荒くなったことに気づき、恥ずかしくなって俺は外に這ってでた。
「ふうっ、でもちょっと狭かったね」
あとから出てくるヒナミは、何も気にしていないようだった。
俺だけが意識しているのか――。
そう考えると、なおのこと恥ずかしい。
「次はもっと大きなやつ作ろうね! アキヒロくんっ!」
次――、か。
明日もこうして遊ぶのだろうか。
空は赤く染っていた。そろそろ、子供は帰る時間だ。
俺とヒナミは、また同じように公演を出て、互いに背を向けあった。
――でも、まだ俺は、聞きたいことが聴けていない。
「――ちょっと」
「アキヒロくんっ、また明日、遊んでくれる?」
俺が何か言う前に、ヒナミが振り返った。緑と赤のスコップをかかえて、夕日をバックに笑顔を向ける様は、どんな絵画よりも美しい。
「まぁ、暇だったらな」
俺はまた顔を真っ赤にして、そう返した。
◇◇
俺達は、そうやって日々遊んだ。
雪で遊べるものはなんでもやった。
雪だるまは勿論のこと、雪うさぎなんかも作ったし、小高い丘から一緒にソリで滑り降りたりした。
滑り台も作った。雪の中の森林をなんとなく散歩したりもした。新雪に、自分の身体の跡をつけたりもした。
しかし、俺たちの遊びの範囲は、決まってこの公園だった。
そこからは、帰る時以外一度も外には出なかった。
雪遊びだけが、俺とヒナミを繋いでいた。
あらためて思えば、俺はヒナミのことを何も知らなかった。
住んでいる場所は遠いいからまだしも、ヒナミのおばあちゃん家の家も知らなかったし、趣味はなんだー、とか、学校の話とかも、何も話さなかった。
俺とヒナミは、やっぱり決まって雪のことばかり話していたのだった。
◇◇
「ただいまぁー」
家に入ると、いつものおかえりー、という声と共に、夕飯の匂いがする。
俺は雪だらけになったジャンバーを、掛けようとした。
「ちょっと! また雪着いたまま掛けようとしてるでしょ! ちゃんとほろいなさい」
「わかってるっつぅーの」
分かっていなかったのだが、俺の中ではそう返すことがお決まりになっていた。
家に入り、夕食までの時間に少しだけ宿題を進める。
――いつもは宿題なんか纏めて最後の日にやってしまえ、と思っていたのだが、なんとなくヒナミの事を考えると、やろうという気分になるのだった。
少しでもヒナミに近づきたいという気持ちの表れだったのかもしれない。
大人びた彼女なら、宿題なんかもう終わらせてしまっているかもしれない。
そう考えると、全く手をつけていない俺自身が妙にちんちくりんに見えて、嫌気がさす。
そういう事は、何度かあった。
ヒナミの雰囲気に、自分の子供っぽさを思い知らされるのだ。
だから、最近の俺は、自分を変えようと必死だった。
だんだんと生活習慣を変え、夜更かしも無くした。夜更かしなんてヒナミはしないだろう。
雪かきに文句を言わず、ちゃんと親を手伝うようになった。ヒナミもきっとおばあちゃんを毎朝手伝っているのに、俺がやらない訳には行かない。
そしてさっきも言ったように、宿題を予定通り進め始めた。
あと、妙にクールぶるのを辞めた。
楽しい時にはちゃんと笑う。
ヒナミのその在り方が、とても美しかったから――、俺も彼女と釣り合う存在になりたかった。
『明日には、豪雪注意報が出ています』
そのセリフを聞いたのは、居間のテレビの前でのことだった。
母さんがあら、とテレビの音量を上げる。
すると、日本地図とともに雲の流れのようなよくわからない表が動いていた。
「あらら、明日どうしましょう。車出せないわよね……。パパー!明日出勤どうする?」
母さんが二階の、父さんの部屋へと上がって行った。
俺もまあ、どうでもいいことだ、と聞き流そうとした。
『――また明日ー!』
「――あ」
ヒナミの姿が、頭をよぎった。
そうだ、明日どうしよう? 豪雪だし、流石に中止だよな?
出会って以来ずっと遊んでいた俺達は、そこらへんをしっかり決めていなかった。
――確認を取ろう、と思ったが、そう言えば俺はヒナミのおばあちゃんの家も、連絡先も知らない。
心臓がドキドキとなった。
いや、中止だろ? あのヒナミが、豪雪注意報が出てるのに公園に来たりするか?
……いや、無い。
それに、あの公園は雪のひどい時だとホワイトアウトする場合もある。
どうやったって危険だ。遊べっこない。
俺は自分を落ち着かせた。
大丈夫、ヒナミはきっと来ない。そして明後日また行ってみよう。
大丈夫、絶対――。
◇◇
ごうごうと、風が家の壁を叩きつける音で目が覚めた。
家は凍えるほど寒かった。体を震わせながら下へ行くと、父さんと母さんがテレビを見ていた。
「……あれ、仕事は?」
「ああ、パパ今日休みになったの。外見てみなさい」
居間の窓から外を見ると、真っ白い光景が広がっていた。
――文字通り真っ白で、隣の家すら輪郭くらいしか見えなかった。
――これは無いな。
来るわけない。外へ出る気なんか失せるだろう。
「あ、ご飯できたわよー」
それから俺は、家で適当に時間を過ごした。
マンガ、ゲーム、昼寝……
今までは最高に楽しかったもの達が、まるでくだらない物にしか見えなかった。
俺は吹雪を恨んだ。
これで、ヒナミと遊べる貴重な日がひとつ潰れてしまった。
ヒナミに会いたい。ヒナミに会いたい。
また雪で遊びたい。あの笑い顔を見たい。
一日会わないだけなのに、なんでこんなに心が苦しいのか。
これも俺が『子供』だからなのか?
ヒナミは、今頃どうしているだろう?
もしかしたら、これを機に宿題を一気に進めているかもしれない。
もしくは優雅に小説でも読んでいるかも。
考えても考えても、分かるはず無かった。
そしてそのまま、夜になった。
夜になっても、吹雪は止むことが無い。ずっとずっと、その唸り声を上げ続けていた。
俺はだらりとソファーに座ってテレビを見ていた。
どの番組も味気ない。
ヒナミのことが気になって仕方がない。
――本当に、来てないよな、公園。
そんな疑問が、心に浮かんだ。
昨日散々悩んだはずの疑問が、また浮かび上がってきた。
その不安はぐんぐんと膨れ上がって、俺の頭を支配して行った。
……一応確認した方がいいか?
居るはずない。もし行ったとしても、俺が来ないからすぐに帰ったはずだ。
そう、居るはずがないのだ。
確認するまでもない。
――でも一応、確認しても損は無いよな?
そう決めると、俺はクローゼットからスキーウェアを引っ張り出した。
これを着るとデザインのせいかさらにガキに見えるので、ヒナミと遊ぶ時には間違っても着ることは無かったが、今はもうそんなことは気にならなかった。
手袋を履いて、マフラーをぐるぐると首に巻いた。
毛糸の帽子を耳までかぶった。
靴は雪用の長靴をはいた。この靴なら、浸水することも無い。
「ご飯できたわよー!」
そんな声を尻目に、俺はそっと扉を開けた。
ビュウウウウウウウ、と風が家の中へと入ってきた。
普段とは比にもならない強さだった。
まるで、俺を押し戻そうとする葛藤のようだ。
しかし俺は、それを跳ね除けて外へ出た。
何だかとても、嫌な予感がしていた。
◇◇
公園まで、そんなに距離はない。
――筈なのに、強烈な風と雪のせいで、普段の何倍も到着に時間が掛かった。
目に雪が突っ込んでくるし、竜巻みたいな風が轟々と俺の身体を押してくる。
空気は凍てつくように冷たくて、息を吸うと喉が凍りついてしまいそうだった。
――やっと公園につくと、そこにはいつもの景色は無かった。
白、白、白。
空から降り注ぐ雪崩のような雪に加え、公園に積もっていた大量の雪が風で巻き上げられて、完全に白い染めてしまっていた。
――帰ろう。やっぱり、危ない。
冷や汗を流しながら、俺はこの幻想的な光景から目を背けようとして――。
見つけてしまった。
今にも消えかかっている、足跡のような雪のへこみを。
まさか、まさかな。
この中に行くなんて自殺行為だ。
そんなわけない。
俺は、その足跡を追って走った。
風が俺を突き放すように押し、足元の雪がズブズブと沈んでゆく。何とか雪を押しのけて進んでゆくと、いつの間にか体の半分が雪に浸かっていた。
「ヒナミーーーー!!!!」
足跡がヒナミのものかどうか、判断も付かないのに俺は叫んだ。
俺の声は、風で掻き消されてしまった。
足跡はもう、消えてしまっていた。
――もしかしたら、狐か何かの足跡だったのかも。
もしくは、俺のただの見間違いか――。
そんな考えが頭をめぐり始めたその時。
俺は、雪の中に、何か色のついたものを発見した。急いでその方向へと行き、その色つきの何かに飛びつく。
それは――、
ヒナミの手袋だった。
ゾワッと、俺の心臓が嫌な鳴り方をした。
手袋は、公園の、森の近くに落っこちていた。
まさか、この森の中に? なんで?
あとの道を戻れば帰れるのに――、と俺は後ろを振り向いたが、そこにはかつての光景は無かった。
真っ白な雪は、公園の入口さえも覆い隠してしまっていた。
それでも、俺ならどっちが出口かわかる。
けど、ヒナミならどうだろう? 方向がわからなくなってパニックになって、とにかく風をしのごうと森に入った可能性は無いだろうか。
――行くしかない。
心を決めて、俺は森の中へ足を踏み入れた。
この森は思いの外広い。
しかし、ヒナミを見捨てるなんて、出来るはずがなかった。
◇◇
「ヒナミーーーっ!!! 何処だーーっ!!」
もうかれこれ三十分以上探し回っていた。喉が冷たくて、声が枯れてきた。
全身の体温が下がっていて、歩く度に足がピリピリと冷たさで傷んだ。
もう帰ろう、もう帰ろう。
俺の弱い心がそう叫んでいたが、俺はそれを許さなかった。
今日一日、ヒナミがいないだけで、俺の生活は灰色になった。
何をやっても味気なく、退屈で、生きている感じがしない。
これからも遊びたかった。ヒナミと。ずっと。永遠に。
だから、絶対に探し出して、家に送り届けて、後日には笑い話にしてやる。
そんな思いが、俺の中に渦巻いている。
ヒナミは大人びているから、来るはずのない――なんて、俺はどうしてそんなことを思えたのだろう。
彼女だって俺と同じ、ただの中学二年生だ。
行かなきゃ。俺だって、男なんだから。
「ヒナミーーーーーーーっ!!」
そう叫んで、木々に寄り掛かった。息が途切れ途切れになっている。
雪の上では足が取られて、普通に歩くよりも倍疲れる。それにこんな猛吹雪じゃ、休むにも休めなかった。
もう、ダメだ。心じゃない。身体がもう余り動かなかった。手が悴んで、よく動かないし、足はヒビが入ったように痛かった。
……そんな時だった。
風の音に混じって、あの聞きたかった声が聞こえた。
「――アキヒロくんっ!!」
方角はわからない。
でも、確かに聞こえた。
「何処だっ!! ヒナミ!! 居るんだろ!!」
「ここ、ここだよ! アキヒロくんっ!」
ヒナミは、明らかに泣いていた。
俺の名前を連呼して、蜂の巣を突いたように泣き始めた。
その泣き声に、俺は耳を澄ませる。
――あっちだ!
俺は走った。
力尽きかけていた筈なのに、未だかつてないほど全力で。
前方に、木の根元に座り込んで泣いているヒナミが見えた。
「ヒナミっ!!」
俺は駆け寄って、そのまま抱きしめた。
ヒナミが驚いた様に体をビクッとふるわせた。
そして、弱々しく俺の体を抱きしめた。
「アキヒロくん、私、私……」
「なんでこんな日に外に出たんだっ! そりゃ約束したけど、いくらなんでも危ないだろっ!!」
「ごめんなさい、ごめんなさい!! こんなに、こんなことになるなんて、私分からなくて、私ーー!!」
ヒナミは鼻を啜りながら、喉をからからにして叫んだ。
ヒナミの体は、信じられないほど冷たかった。
当たり前だ。そんなコートとマフラーだけじゃ、寒さを凌げるわけがなかった。
「ちょっと待ってろ!!」
俺は急いで、周りを見渡した。
数メートル先も見えない。この中を歩いて帰るのは、無理だ。
俺だけでもきついのに、こんなに弱ったヒナミを連れて行けるわけがない。
俺は雪の中に手を突っ込んだ。
幸い、つもりに積もったおかげで既にかなりの体積の雪が塊になっていた。
俺は最後に残った力を振り絞って、そこらじゅうから雪をかき集めた。そして固めて、ひとつの山にして、その中を手でくり抜く。
防水のはずの手袋だったが、酷使しすぎたのか浸水してきた。
雪を触る度、手がズキンと傷んだ。
でも、辞めない。
せめてヒナミが入れる程度の広さのかまくらを、早急に作らなければならない。
「――できたっ! さあ、ヒナミ、こんなか入れっ!!」
「アキヒロくん……あ、ありがとう、ごめんね、本当に」
ヒナミは目を真っ赤にしながら、かまくらの中に入った。
やっぱり、急遽作ったのもあって、前に作ったのよりも小さくなってしまった。
おかげで、這いつくばらなきゃ入れない構造になっている。
「アキヒロくんもっ!!」
俺は少し迷った。俺が入ったら、かまくらが崩れてしまわないだろうか?
――しかし、ヒナミの懇願するような目で頼まれて、入らない訳には行かなかった。
◇◇
なんとか、俺もかまくらの中に入ることが出来た。
と、いっても、這いつくばるだけじゃスペースが足りなかったので、身体を横にして寝そべって、やっと入れた。
つまり――俺とヒナミは寝そべって、向かい合っていた。
ヒナミの涙を帯びた茶色い瞳が、俺の支線とぶつかった。
どちらも、目を離さなかった。
ヒナミはそのまま俺に抱きついてきた。
「ありがとう、来てくれて……私、死んじゃうかと」
「ホントだよ、マジで。まさかと思ったけど、本当に居るなんてな」
俺もヒナミを抱き返す。
スキーウェアとコートを挟んでいるせいで、ヒナミの身体の感触とかは、まるで分からなかった。
でも、確かに生きている。その証拠に、俺からでも分かるほどヒナミは震えていた。
俺はもう、顔を真っ赤にして緊張なんかしなかった。
ただ、それが自然の事であるかのように二人、抱き合っていた。
「俺さ――」
なんで、こんな事を話し始めたのか、自分でも覚えていない。
俺はかまくらの中で、自分のことを話し始めた。
学校での出来事、親のこと、大失敗したこと、女子の友達が一人もいないこと、宿題は貯めるタイプだってことや、アニメのキャラに憧れてクールぶっていたこと、好きなこと、嫌いなことを、ゆっくりと喋った。
多分、最初は寝ないようにするために話し始めたんだと思う。
この体温で寝たら、もう二度と起きられないはずだったから。
でも、そうして話しているうちに、俺はダムが決壊したかのように話し続けた。
ヒナミは時々笑いながら、その話を相槌を打って聞いた。
俺の話が終わると、次はヒナミの話になった。
ヒナミも、自分の家族のことや、友達のこと、たまに後先考えずに行動しちゃうことや、おっちょこちょいなミスを結構やっちゃうことなど、沢山話してくれた。
その話の中のヒナミは、俺が思い描いていた大人びていて、いつでも余裕のあるヒナミとは違っていた。
でも、それがヒナミなんだと、俺はようやく知ることができて、嬉しかった。
今まで、雪の中で遊ぶ彼女しか知らなかった。
でも、ヒナミにも色々な面があって――、その話を嬉しそうに語るヒナミは、歳相応に見えた。
「アキヒロくん、本当に、助けてくれてありがとう」
話がだいぶ終わった頃は、ヒナミが改めてそう言った。
二人の体温で、さっきよりは身体があったかかった。
外を見ると、風がだいぶ弱くなっていた。それに、なんだか明るい気がする。
「――朝だぜ」
俺はかまくらから出て、ヒナミを引っ張り出した、よろよろとふらつくヒナミの肩を持って、森から出た。
猛吹雪は消えていて、簡単に俺は公園から出ることが出来た。
もう、早朝といえるような時間帯だった。
灰色の雲は割れて、朝日がそこから覗いていた。
俺はヒナミをおばあちゃん家へ送り届けた。
ヒナミのおばあちゃんは真っ青な表情でヒナミを俺から奪い取り、家へ連れていった。
無理もない。
おばあちゃんからして見れば、俺は真面目な孫を誑かした不良にでも見えるだろう。
別れは惜しいけど、直ぐにまた会える。
だって、公園で約束しているから。
俺は家へ帰った。
親に泣きながら怒られたが、後悔は無かった。
◇◇
その後、ヒナミは公園に来なくなった。
来る日も来る日も、公園で一人待った。雪だるまを一人で作ったり、なんとか時間を潰しながら、ヒナミが来るのを待った。
でも、一向に来ない。
年が明け、正月になっても、俺はずっと待った。
抜け殻のような日々を過ごしながら。
ヒナミのおばあちゃん家にも行ったが、ヒナミの姿は見えなかった。
尋ねれば良かったのに、肝心なところでまたヘタレてしまった。
――そこで、思い出した。
ああ、ヒナミはここの子じゃないんだった。
もしかしたら、本当の家に帰ったのかもしれない。
そりゃそうだ。ヒナミからしたらあっちが本当の居場所なわけで、いつまでもここにいるわけじゃない。
あんなことがあったあとだし、その後すぐに帰されたのかもしれない。
ある日、冬休み終了間近となった日に、俺は公園でそんなことを考えていた。
考えれば考えるほど、涙が滲んできた。
伝えたかった。
『好きだ』と一言。本当は、俺は彼女を見たその瞬間から、この三文字が心の中を渦巻いていた。
でも、言えなかった。
ヒナミは住んでいるところも遠いし、もしかしたら向こうに彼氏なんかいるかも。
それなのに俺が告白なんかしたら、もう二度と彼女といつも通り遊べないかもしれない。
それが怖かった。
――もう、帰ろう。
休みが開けたら直ぐに俺も三年生。高校受験が本格的にスタートする。
そして、俺は振り向いた――。
「久しぶり、アキヒロくん」
そこには、嬉しそうな笑顔を浮かべた、ヒナミが立っていた。
ヒナミはあの後、激怒したおばあちゃんと両親に、自宅へと強制的に帰宅させられ、つい昨日まで家に釘漬けだったのだと、俺は聞かされた。
「ほんとうにごめんね。ろくなお礼もしてないのに」
「別にそんなのいらねぇーよ」
俺は公園の方に雪玉を全力で投げた。
「もう一回会えてよかったよ。どうやってきたんだ?」
「えっ、あ、うん。お母さんに無理やり頼んで車を出してもらったの」
「そっか。じゃあ、あんまり長くは居られないんだな」
「……うん、実はもう、今夜帰らなきゃ行けないの。アキヒロくんが公園に居てくれてよかった。私、アキヒロくんの家知らないから……」
空は既に、暗くなってきていた。
この時間が、永遠に続けばいいのに――。そう願っても、時は残酷に巡ってしまう。
「あっ、これ。こんなのじゃ、割に合わないかもしれないけど、お礼です」
ヒナミは、片手に持っていた。何かの袋を俺によこした。
中には、高級そうなお菓子の箱が入っていた。
――これを受け取ったら、なんだか、今度こそ終わりな気がした。
今少しだけ繋がっている縁の糸が、このお礼を受け取ることで断ち切られようてしている。
――これが、最後のチャンスだ。
俺は震える手を、その袋へと伸ばした。
取ればもう、俺と彼女が会う理由は無くなる。雪はじきに溶け、来年はどちらも受験だ。
その残酷な時の流れが、この彼女との縁を風化させてしまう。
でも、それでも――。
俺はこの人との思い出を、汚したく無かった。
俺はそのお菓子を受け取って、どういたしまして、と言ってこの縁を終わらせた。
その後、驚くほどいつものように、俺とヒナミは別れた。
もう会えない――。
そう思うと、何度も振り返りそうになった。でも、振り向いて待ってとワガママを言えるほど、俺も子供ではなかった。
家に帰ると、無性に泣きたくなった。
――そして気づいた。
「あ、手袋返すの忘れてた」
あの吹雪の日拾った、彼女の手袋の片方、次に会ったときに帰そうと思っていたのだが、あんまりにも急なものだったから忘れていた。
俺はその手袋を眺めて、彼女の姿を思い出す。
この手袋を理由に、もしかしたらまた会えるかも――。
……いや、このまま綺麗に別れよう。
そして、一生思い出にしよう。
そして、きっと永遠に忘れることは無い、俺の初恋――。
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