第71話 彼女を縛る過去
シュリィは部屋で、夜になってもベッドに突っ伏していた。一度も部屋から出ず、虚ろを見ながら思い出す。
学生時代のことである。颯に大きい建物と言われていたあの場所に通っていた頃、自分は期待されていた。あの、賢者の孫だというのだから当然である。出自とは才能そのものであり、家柄とは実力のことを言う。ただそれは、ある程度の保障にしかすぎない。そこから漏れる存在というのも、どうしてもいてしまうものである。
シュリィがそうだった。筆記や座学は優秀ではあった。教科書に書かれている基礎的なことを外すことはなかったし、専門書だって何冊も読み込んで、ありとあらゆることを理解した。解けない問題などなく、紙とペンさえあれば、シュリィは無敵だった。しかし彼女はそれを使えなかった。
魔法とは、理論のみを探求する内向的なものであってはならない。魔法をいかに実践、実用的なものとして、社会や人々に対し恩恵をもたらすことが出来るのか、それを考えることが、魔法使いの役目である。シュリィはそんなことは出来なかった。彼女はいつも理論ばかりで、それを役立てるということをしない、いや、出来ないのだ。誰にもその理由は分からなかった。不幸なことに、その実践的でなければならない魔法を提唱した人物こそが、賢者べンガーであった。
彼女が不出来であるということが分かってからの、人々の彼女への期待の冷めようは早かった。教師は失望の目を向け、同級生は贔屓目に見られていたシュリィへの報復としていじめを繰り返した。学校はシュリィを腫れ物のように扱い、ついに彼女の居場所はなくなったのだ。
「あ・・・・・・!」
嫌なことを思い出している途中、もう1つのことを思い出した。シュリィのことを傍から見ていた男子。レンスだ。彼は彼女が落ちぶれていく様を見ていたし、いじめられていた様も見ていた。だが見ているだけだった。手を差し伸べることも、教師や学校に掛け合うこともなく、ただ見ているだけだった奴。それが今になって、婚約者としてやってきた。
「なによ、今更・・・・・・」
怒りがあった。嫌悪すら覚える。二度と見たくはない。だから忘れていた。覚えることもなかった、というのが正しいかもしれない。
父親についても思い出す。アーガンは、シュリィを賢者の後を継ぐことの出来る優秀な魔導師にしようと考えていた。幼少期に、何度も「シュリィはおじいちゃんを見習いなさい」と言われていたことからも、間違っていない。何かとべンガーを引き合いに出していたことを覚えている。
「おじいちゃんはそんなことしていないだろう?」
「おじいちゃんはどうやって物事を考えていたかな?」
「おじいちゃんはどんな時間の使い方をしていた?」
「シュリィなら、出来るね?」
全て覚えている。今まで記憶の底に沈んでいただけで、少し記憶の海を掻き回せば、すぐに思い出せる。自分の賢者への憧れも、きっと父親から継いだものなのだ。
思えば、自分に才能がないと分かった時、父の吐く言葉も変わった。あれが魔法の才能が無いものに対する態度だったのだ。
「偉大な賢者の功績を残す義務がある」
「偉大な賢者の顔に泥を塗るようなことをするな」
「偉大な賢者の孫として恥ずかしい行動は慎みなさい」
「シュリィ、分かったな?」
押し付けがましい。私に関係のないことを、私にまで押し付けるな。
しかしそんなことは言えなかった。賢者は偉大で、自らもそれに縋ってやってきたのだ。否定することは翻って、自分の過去を否定することになる。紙に書かなくても分かりきっていた。
部屋の外で音がする。アーガンが帰ってきたのだ。母親も一緒だ。声で分かる。
「シュリィ、準備は出来たか?」
返事がない。アーガンの声はシュリィに届いている。聞こえない距離ではない。シュリィがわざと返事をしていないだけだ。
そんな子供じみたことに付き合っている暇のないアーガンは、隣にいた妻にもシュリィに何か言うように頼んだ。
「君からも何か言ってくれ。遅れるわけにはいかないんだ」
「そうね。ちょっと呼んでくるわ」
そう言ってアーガンの妻ブルーノは、2階に上がりシュリィの部屋の前へ向かった。扉は閉められ、鍵もかかっている。ブルーノの扉を叩いてシュリィを呼んだ。
「シュリィ、何をしているの? せっかく久しぶりに会えたのだから顔を見せてちょうだい。パーティーにも遅れてしまうわよ」
家出をしていたシュリィは母親とも会えていなかった。そのことも含めて部屋から出てくるように促される。
「行かない」
「そんなわけにもいかないわ。皆を待たせてしまっているのよ」
ようやく反応したシュリィから出てきた言葉は、両親にとってはわがままなものであり、都合の悪いものであった。駄々をこねるシュリィに痺れを切らしたアーガンは、シュリィの部屋の鍵を持って部屋までやってきた。そして内側から閉められた扉を強引に開け、部屋の中へと入る。中でシュリィはベッドに横たわっていた。
「いつまでそんなことをしているんだ! ほら、もう行くぞ!」
アーガンはシュリィの腕を掴み、部屋から引っ張り出す。そしてそのまま家から連れ出し、会場へと向かった。途中、アーガンはシュリィにパーティーでの心得のようなものを吹き込む。
「いいか、私達は誉れ高い賢者の家を背負っているんだからな。スリードの名を汚さないようにするんだぞ」
賢者の名を持ってきて、シュリィに重圧をかける。彼女にとっては不満でしかなかった。
会場。父親のアーガンは、会場に到着するなりすぐに舞台で始まりの挨拶をしている。シュリィはそれを聞かず、暇つぶしに会場内を歩き回っていた。
「あら」
彼女に声をかける人物がいた。聞き覚えのある声で、シュリィは声の主の方へ振り向く。そこにいたのは、神皇国宮廷魔導師マーリンだった。べンガーの弟子の1人であり、シュリィの尊敬する偉大な魔術師でもある。マーリンとはシュリィが幼い頃に、べンガーを通じて何度か会ったことがある。
「久しぶりね」
「は、はい」
幼い頃はシュリィの方から気さくに話しかけていたが、それは世間というものを知らなかったからで、大きくなってからは弁えた話し方をするようになっていた。
「あまり楽しくなさそうじゃない」
「そう見えますか?」
「えぇ、それはもう。きっと誰が見てもそう思うわよ」
「こういうの、あまり好きじゃなくて」
「ふふ。私もよ。本当は断ろうと思っていたのだけれど、あなたが来るって聞いたから、わざわざこんなめんどくさい集まりに来ちゃったの」
「私のために、わざわざ・・・・・・」
尊敬する相手に、自分がいるからと足を運んだと言ってもらえた。お世辞かもしれないとシュリィは思いもしたが、例えそうだとしても彼女にとっては天に昇るほど嬉しかった。
「嘘じゃないわよ。あの人の孫ってこともあるけど、それを抜きにしても、あなたにはそれぐらい注目してるわ。ついこないだまで何ヶ月も家出してたんでしょ? どこに行ってたの?」
「えっと、色々、です。コダとかドラグニアとか、神皇国と帝国に寄ったし、ヨトンヘイムにもちょっと」
「へぇ。随分と回ったのね。1人で行ったのかしら?」
「いえ、その、仲間と」
「家出して、仲間と出会って、冒険の旅。良いと思うわ。やっぱり私が見込んだ通りね」
今までの日々を肯定してくれる人と、シュリィは仲間以外で初めて出会うことが出来た。これだけでも、今日ここに来て良かったと思えた。




